攻略対象Bはイケメンか?
そもそも悪役令嬢なんてものが在るのが解せないとは前世の妹の談である。
彼女はそこそこの乙女ゲームプレイヤであったが、曰く、顔のある悪役のライバル女子なんてものはほとんどいないのだそうだ。世間一般に勘違いされるそうしたものは大半、悪役ではなくただのライバルで、主人公とは友人になる余地が残されているのだそうである。驚いたことに、乙女ゲームには女子同士の話も盛り込まれているのだ。欲張りな。
顔がある、とはつまるところモブではないということ。噛ませ犬程度の軽度の悪役に顔も名前も不要なのである。主要女子キャラといがみ合う時間があるならイケメンに取り合われた方が有意義だ。
──だってプレイヤだって想定されるのは同じ女なのよ? それなのに同じ女がこんな扱い受けていたら不快じゃない。
と妹は非難囂々もよいところであった。同情の余地も救済の余地もなく中途半端に人格を与えられたキャラクタに対する無責任な制作陣に対する怒りは、その後しばらく尾を引いたことを覚えている。
さて、それではその乙女ゲーム──タイトルは忘れた。僕はひたすらスチルと回想を見せられながら愚痴られただけなので。──の中のとても珍しい希少種であるモブではない悪役令嬢こと、僕の婚約者エリスはどうした扱いであったのか。
前世の妹のヒステリックなほどに甲高い義憤の声とともにつらつらと思い出す。
彼女、エリス・フォン・シュトルツプファルはこの国の公爵家の人間である。すでに他国の姫を嫁に迎えることが決まっている長兄に代わり、国内の地盤固めのために、僕と一番年の近い公爵家の娘と云うことで僕の婚約者に選ばれた。
しかしそれは当然政略結婚であり、年の差もあったことから、僕──と同姓同名の攻略対象キャラは彼女を相手にしない。精々年の離れたやけに懐いてくる少女、程度の扱いであったと云う証言が、ゲームの主人公が潜り込んだ社交界にいるモブ連中から取れている。
──なにを勘違いしてらっしゃるのか、結婚には必ず愛があるものと信じてらっしゃるのです。
そう語っていた目の描かれていないモブたちの口元の嘲弄が忘れられない。モブの分際で僕の嫁を嗤うなんて万死に値するのだが、残念ながらその時の僕──ゲームキャラであった第三王子は、そんな嘲笑など微塵も耳にしなかったし、したとしても同意して溜息を吐いただろう。そしてヒロインに向けて、ええまったく困っているのです。と、それが真実であることを告げるのだ。
主人公ではない彼女の物語は作中で語られず、ゆえにこそ同情の余地はない。
主人公が誰と結ばれようと、彼女は何度もその前に現れて嫌みを吐き、罵倒を繰り返し、拙い嫌がらせをする。そして最後には、嫉妬に狂って主人公にナイフを向けるのだ。
──貴女のすべてが気に入りませんの。
そう云って主人公に白刃を振り上げたエリスの顔のスチルはその時、目から上をカットされた構図で映されていたせいで、表情がわからないようになっていた。
彼女が何を思い、わざわざ自らの手で殺害を企てるなんて悪手をとったのかはわからない。
何も考えないただ諾々と物語を受け入れるだけのユーザならば、それを単純で浅はかな令嬢の嫉妬の末の凶行で片づけただろうが、筋金入りのハッピーエンド主義者である僕の妹はそうではなかったし、その兄である僕も、拾えば美味しい物語であっただろうにそれを放置した制作陣にはセンスがないと嘆いたものである。
この子の物語を探してあげないと。
そう、彼女に惚れた僕は思うのである。
そのためにはまず、彼女を完璧に僕に惚れさせる必要があるだろう。
何がどうしてそうなるのかはよくわからないが、ゲームの中のエリスは他の攻略キャラクタのルートでも主人公の邪魔をするのだ。
それはもう、貴族社会狭すぎるだろうと思わずつっこみたくなるほどに交友関係が狭い。奇跡的なほどに狭い。ゲームのご都合主義をこういうときに恨みたくなる。
その狭い交友関係の中で、目下僕がしないといけないことは、彼女が僕以外を見ないようにすること。
主人公なんてどうでもいいと思えるようにすることだ。
さて、それじゃあまずはどのルートから廃していくべきだろう。
家庭教師を撒いてやってきた中庭で、僕は帝王学のノートに今思い出せる限りの情報を書き出してゆく。普段は午後に妖精の迷路を作り出すばかりのノートに珍しくきちんと文字が書かれているのだから、これを有効活用と云わずしてなんと云おう。
実際にプレイしたのは僕ではないため、僕が知っている情報はとても限定的だ。確か、攻略対象は五人であったような気がする。ああいうゲームって、それぞれイメージカラーが決まっていて、被らないようにできているし、イメージカラーと云えば五、戦隊ものの常識だ。
まずこの僕、エリオットが赤。メインカラーなのだから、メイン攻略対象なのだろう。髪は赤みが強く、眼は碧。
メイン攻略対象兼エリスの婚約者なので、僕のルートは一番エリスの出番が多く、そして一番悲惨な目に遭ってしまうらしい。当然のことながら、前世の妹から一番だめ出しを食らっていたキャラでもある。曰く、前の女整理してから次の女に手を出しやがれ、とのこと。いやはや耳に痛いお言葉です。しかし今世の僕はエリス一筋でいくことを決めたので悪しからず。
ノートの僕の名前の横には二重丸と花丸を書いておく。僕ほどの優良物件は他にないぞ。
次に思い出したのは、今ごろ家庭教師と一緒に僕を必死で探しているだろう僕の従者であるヨハネス・ルーデル、通称ヨハン。
気の弱いモブ気質で、全体的に黒々しいがところどころに青を取り入れた意匠を凝らした服装をしており、イメージカラーは多分青。と云うか今気づいたけれど、もしかして僕の赤と対になっているのかな。
長めの前髪のせいで目元はよく見えないから一見して相手に不信感を抱かせる天才だけれど、卒がなく従者としてのスペックはとても高い。つまり黒子にはうってつけの僕の手下である。きっと今も半泣きで僕を捜している頃だろう。
そんな彼も前世の妹に曰く、浮気幇助野郎らしい。主に忠実すぎるあまりの暴挙だ、そんなやつは主でも殴って目を覚まさせろと叫んでいたことを遠くに思い出す。
すまないヨハン、今回はおまえの汚名も雪ぐからな。
「汚名って……、私はなにか悪いことをしましたでしょうか?」
「そうか、まず雪ぐような汚名を作らせないようにしないとな」
頭上からの弱々しい声に顔を上げると、案の定モブ気質な攻略対象キャラBことヨハンがそこにいた。
見えているのかよくわからない天然パーマのかかった前髪の後ろにある目を、僕はまだ見たことがないが、きっと乙女ゲームの攻略対象なのだからイケメンなのに違いない。僕の従者である以上は僕から離れることはかなわないわけだから、必然的にエリスとも接触してしまうだろう。ならせめてその顔を見せないようにしなくてはならない。
「あの、私の顔になにかありますか?」
栄養価が縦方向に著しく上る向日葵のようにひょろっと長身のヨハンは、なぜか下から見上げてもその前髪の下がよく見えない。
「ヨハン、僕にちょっと屈んで」
「はあ、」
疑いもせず落とされた腰に、僕は躊躇いなく前髪をがばっとあげる。
「エ、エリオット様!?」
「……うん、おまえ、これから前髪あげるの禁止。絶対に禁止。目がどれだけ悪くなっても禁止」
「え、え、ええー?」
意味がわからないと半泣きで混乱するヨハンに、僕は硬めのヘアワックスを送ることを決めたのだった。