完全無欠のハッピーエンドはいずこ?
瑕疵のない完全無欠のハッピーエンドがどこにもないんだけど!
生前の僕の妹は、そう叫ぶとソファの上に携帯ゲーム機を投げ出した。その怒りようは幼い頃に僕が彼女の分のおやつを食べてしまった時もかくやと云わんばかりであったので、僕はなんとなくないはずの責任を感じてしまい、致し方なくその理由を聞いたのだった。
僕の妹はライトな層のオタクだった。適度にゲームをし、適度にマンガを読み、適度にアニメを見る。
ライトだから、ひねくれたものは好まない。度し難いほどのハッピーエンド主義者である彼女がプレイするには、世の乙女ゲームは優しく、あるいは易しくなかった。つまりはそういうことである。
「どのルートでもライバル令嬢が悲惨な目にあってエンドなんだもん、あり得ない! こんなのどれだけ主人公がハッピーエンドだって後味悪いし、自分が幸せになるために犠牲にした人間がどれだけ悪い人間だとしたって、まったく気にしないでめでたしめでたしだなんて、主人公どもの正気を疑うわ! サイコパスか!」
そんな義憤を露わに怒り狂う妹の愚痴に付き合わされたのも今や昔、遙か生前のお話である。
なぜ今になってそんなことを思い出したのかと云えば、今、僕──この国の第三王子であるエリオット・リッテンベルグの目の前に婚約者として紹介された少女に酷く見覚えがあったからだ。
「ごきげんよう、エリオットさま。エリス・フォン・シュトルツプファルともうします」
僕よりも五つ年下の五歳だと云う少女、エリスはその年に見合わぬほどしっかりと礼をとった。
釣り目がちな眼差しに笑みはなく、一言も間違えぬようにと緊張している薄い唇は白い。
紺碧の瞳に稲穂色の髪、そして矜持の強そうな整った顔立ちは、まさしく生前の妹に見せられた乙女ゲームのライバル──悪役令嬢その子だった。
「あの、エリオットさま?」
フリーズした僕を案じて、エリスはおずおずと僕に声をかける。
上げかけた小さな手は僕に触れることなく、ただ戸惑ったように宙に浮かせられている。
「あ、ああ、すみません。僕の婚約者があんまり可愛らしかったものですから」
咄嗟に口をついて出たのはそんな臭い台詞ではあったけれど、今は乙女ゲームの住人なのだから許してほしいところだ。
それは生前からだろうと僕の中のイマジナリーシスターが叫んでいるが、さて、記憶のすべてを取り戻したわけではない僕にはよくわからない。
それよりも、である。
「あ、ありがとうございます……」
ぼっと顔を赤くして俯いたこの少女をどうしてくれよう。なにせ、可愛いのである。顔の話ばかりではない。確かに乙女ゲームのライバルキャラとあって顔の造作は一級品なのだが、それだけではなく、いかにも誉められなれていないというこの反応が初々しくて可愛いのだ。
見目の華美さは今いる城の薔薇園の薔薇と変わらないが、その実、反応は薔薇の蕾のような恥じらいがある。そのギャップがなんとも云えずに僕の心をくすぐった。
こんな彼女がどうして将来あんなに性格の悪い悪役になどなってしまうのだろう。
──ああ、そうか。
これは一つのテンプレートだ。
だから、答えなんてとても単純で、回避策も計算するまでもなく導き出せる。
つまるところ、すべては僕次第と云うこと。
この僕の前で花も恥じらう小さな少女は、十六の年にゲームの主人公である女の子が僕と出逢うことからどんどん人生を狂わされてゆく。
僕──と云うよりも、僕と同姓同名のゲームのキャラクタが主人公と好きあうようになり、嫉妬に身を焦がして、最後にはどう足掻いても破滅してしまうのだ。
ならば僕に出来ることはただ一つ。
彼女をどこまでも愛すること。
彼女が破滅の道を歩まぬように監視し、教育し、嫉妬などしようがないほどに、信じさせればいいのだ。
ぞわりと小さく背筋が粟立った。
彼女を自立させると云う選択肢も、あるにはあるだろう。僕になど執着しないようにすることだって、今なら可能なのに違いない。
けれど。
「手を、つないでもいいですか?」
怯えながらも僕に玩具のように小さな手を差し出す彼女の手をとらないなんて、僕には考えられなくなっていたのだ。
「ええ、もちろん。一緒に庭を散歩しましょう。どこでもご案内いたしますよ。どこへでも」
僕はそっと彼女の手を握り込む。
握り返すその手の弱々しさが、今やこんなにも愛しい。
そう、どこへだって僕は彼女を連れて行こう。
それが彼女にとってのバッドエンド以外なら、どこへだって。
一つ、僕は生前の妹と致命的に似ていないところがある。
妹は完全無欠のハッピーエンド主義者であったけれど、僕はその逆だ。
僕は、数少ない愛するものさえ幸せであれば、そのほかすべてが滅んでもかまわない人間なのである。