CARD4
◇
「それじゃぁ、明日から授業が始まります。頑張っていきましょう」
担任がそういった瞬間、また彼女はやってきた。
「優輝くん!」
クラスメイト四十人の視線が先輩に釘付け。そんななか、俺はどうしていいかわからず、ただ固まった。もうクラスメイトたちは“優輝くん”が俺だということは知っている。当然知らんぷりは出来ない。だが、立ち上がって自分から彼女のもとに行く決心もつかず。そうしてもたもたしていると、先輩はなんの迷いもなくズカズカ教室に入ってきた。
「行こっ」
そういって、俺の腕をガッシリ掴んだ。それだけだと俺が逃げるとでも思ったのか、そのまま自分の腕を絡めるようにする。先輩の胸が俺の肘に当たる。柔らかい。
この人、わざとやってるんだろうか。
クラスメイト全員の視線が俺に集中しているのを肌で感じる。
「いやー入試の時に君を学校で見かけて、ほんとに驚いたよ! まさか、“あの”一ノ瀬優輝くんが幕南に来るなんて」
先輩は、まるで人気アイドルにでもあったかのように興奮した様子だ。
「優輝くんが入学してくるのをずっと楽しみにしてたんだよ!」
俺は何も言えないまま、ただ先輩に引っ張られて歩く。
「ほんとにずっとずっと待ってたんだからね」
女の子にここまで言われれば悪い気はしない。だが、しかしここまでアイドル扱いされると、逆に何か騙されているんじゃないかっていう気さえしてくる。
「ここが文化部系の部室がある場所ね。あ、でも芸術と音楽系の部活は芸術等があるからここにはないんだけど」
確かに左右を見ると、部屋の扉には文芸部やら科学部やらという看板がかかっている。
そしてCIA(例の漫画研究会)の隣、七階の一番奥の部屋にたどり着く。
「ようこそ、トレカ部の部室へ!」
先輩が扉を開く。畳が引かれた和室。だが壁には壮麗な天使やドラゴンなどの西洋風のイラストが描かれたポスターが貼られている。三段のスチールラックには、黒い段ボール製のカードケースが積み上げられている。その数はゆうに五十は超えている。
「座って座って」
桜木先輩に促されて席につくと、先輩は冷蔵庫からお茶を出してカップに注ぎ俺の前にだした。
「そうだ、よく考えたらちゃんと自己紹介してかなったね。私は桜木あおい。このトレカ部の部長です」
「えっと、俺は一ノ瀬優輝です」
俺が言うと先輩は「知ってるよ」と笑いながら言った。
「早速だけど、部の紹介をするね。うちはね、アーツ専門なの。他のタイトルはやらない」
カードゲームと一口に言ってもたくさん種類がある。テレビゲームが好きな人が、いろいろな種類のゲームをやるように、カードゲーマーもいろいろな種類のカードゲームをプレイするというのはよくあることなのだが、この部はアーツ一筋らしい。
「練習は週六回」
週六って、運動部かよ。俺は思わず心のでそうつぶやいた。カードゲームは嫌いではないが、週六回強制参加の練習とは、正直楽しそうではない。
「うちの部はね、本気で幕張を目指してるの」
アーツの全日本学生選手権は幕張メッセで行われる。だから、幕張は日本中のアーツプレーヤーにとっての聖地となっている。アーツの甲子園とでも言うべき存在なのだ。
「だから、君の力を貸して欲しい」
そう、俺はかつてアーツプレーヤーだった。
といっても、ゲームはとうの昔に引退してしまったのだが。
「えっと、」
こんなにかわいい先輩と一緒に部活ができる。うん、それはいいことだ。
だけどいくらなんでも週六回は多い。せめて週休二日は欲しいと、中学帰宅部の俺は思ってしまうわけだ。
と、心の中で葛藤していると。
先輩が目の前に“入部希望書”と書かれた書類を差し出した。
そして、驚愕の行動に出た。
後ろから抱きしめるように、胸を俺の背中に押し付け、俺の両手に自分のそれを重ねたのだ。
細いけれど柔らかいその両手。でも、それ以上に柔らかいものを背中越しに感じる。
「今すぐ、これ書いちゃおう!」
正直、こんなに可愛い女の子にこんなことをされたら、借金の保証人になる書類でも判子を押してしまいそうだ。
「いや、あの……俺」
だが、入部することに迷いはあった。毎日運動部さながらに、カードゲームの練習に、俺の学生生活三年間を捧げることに抵抗感がある。
なのに、先輩の身体の柔らかさと、耳にかかる吐息とが、俺の理性を狂わせる。気が付くと、俺はペンを手に取り、その書面に――
その時だった。
「お邪魔しまーす!」
現れたのは、見覚えのある茶髪のギャル。クラスメイトの姉ヶ崎さん、心の中でギャル子と呼んでいる女子生徒だ。
「……あ、ええっと……すみません、エッチなことしようとしてました?」
密着した俺たちを見て、困った表情を浮かべるギャル子。
「ちがうちがう!」
慌てて否定する先輩。横に首をふるだけの俺。
「いや、これはいろいろあって」
しかし危ない。
まず先輩に誘惑されて簡単に理性を失う自分が危ない。たとえ五億円の借金の連帯保証人になるというものでも、判子を押してしまいそうだ。
そして、この先輩も危ない。健気な童貞男子に、カラダで迫り入部書類を書かせようとするとは……。
「優輝くん、さっきぶりー」
いきなり呼び捨てか、とかそういうのはおいとくととして。
桜木先輩のおかげで、まだ入学初日だというのに、女子にまで名前を覚えられているようだ。
「あたしのこと覚えてる?」
俺は返事をする代わり名前で呼んで率直な疑問をぶつけた。
「姉ヶ崎さん、まさか入部希望?」
俺がそう聞くと、その答えを聞く前に、先輩が興奮気味に言う。
「うちの部に興味持って来てくれたの!?」
「あ、はい」
ギャル、先輩の勢いにやや圧倒されてる。
「あたし、まったくの初心者で。っていうかゲームとかもやったことなくて」
「そんなことは大丈夫だよ! やる気さえあれば」
それにしても、ギャルがなぜトレカ部に。まったく似合わない。
と、ギャル子は求めてもいないのに、入部志望の理由を述べ始めた。
「あたし、今まで何かを頑張るってこと、したこと無くて。運動も、美術も、勉強もできなくて。得意なこと一つもないんです。だから、一度真剣に一番を目指してみたくて」
「あたしでも、世界を目指して頑張れますか?」
「もちろんだよぉ!!」
ギャル子の手を持って、ぶんぶん降る。
「初心者熱烈歓迎だよ!」
観光地にある中国人向けの看板みたいだ文句だった。
「一緒に頑張ろう!」
そして、そのままギャル子に抱きつく先輩。
ギャル子もおもいっきり抱きしめ返す。
「はい、よろしくお願いします!!」
「アーツの魅力っていうのは、誰でも上達できるってことなんだよ」
「例えば、スポーツだったら、どうしても身体能力に左右されるよね。誰でもイチローになれるわけじゃない。でも、カードゲームは違う。才能がなくても、努力さえすれば、誰でも頂点を目指せる。少なくとも私はそう信じてる」
確かにアーツにおいては、環境に対する理解、つまりどんなデッキが流行するかということを予想すること。そして、それを踏まえたデッキ構築。そういう事前の考察と準備が、勝敗を左右する大きな要因になってくる。
「誰でも、努力さえすれば、白河貴文に勝てるはずなんだよ」
――白河貴文。
その名前は、長い間ずっと忘れていたものだった。だが、心の奥隅には絶対残っていた名前。
「誰ですか、その人」
「学生で一番強い人だよ。桜華院高校の二年生なんだけど」
「桜華院って、すぐ隣じゃないですか」
桜華院は、県内でも屈指のおぼっちゃま名門私立だ。かつては貴族の子弟が多く通っていたという。
白河貴文は、何せアーツの販売元である、アーツ社の創始者の一族で、現代の貴族ともいうべき存在だ。
「そうなんだよね。だから、あたしたちは全国に行こうと思ったら、全日本チャンピオンの白河君を倒さないといけない」
「なんか大変そうですね」
大変なんてもんじゃない。
何せ相手は世界一の天才。しかもゲームを作っている一族の人間なのだ。どれだけ勝つのが難しいかは推して知るべしというものだ。
「でも今年は大丈夫だよ!」
と、桜木先輩は視線をこちらにむけた。俺は思わず目をそらした。
「ところでお金ってどれくらいかかるんですか?」
ギャル子がそんな質問をした。
「デッキを一から作るってなると、数万円くらいするかな」
「え、そんなに!?」
大会で頂点を狙うようなデッキを作るには、最新のパワーカードが必要。そういうカードはたいていレアカードで、一枚数千円という相場で取引される。アーツではデッキに同じカードを三枚まで投入することができるため、そういう高いカードを、大抵の場合、三枚枚買う必要がある。
「けっこうかかるんですね」
しかもこれは初期投資の話だ。新しいカードが登場すれば、それまで強かったデッキが弱くなり、別のデッキが台頭する。もし大会で勝つことを目的にするなら、そのつど最強のデッキを組まなければいけないから、そのたびにお金が必要になる。
カードゲームが、決してリーズナブルな趣味でないことだけは確かだ。
「安心して。カードは貸してあげるから!」先輩は棚に積まれたカードケースたちをビシッと指差した。「見ての通り、私死ぬほどカード持ってるから」
と、先輩がデッキケースから一束を取り出す。
「じゃぁーさっそくなんだけど!」
先輩はパンと両手を合わせてから、机の上に置いてあった黒いストレージケースからデッキを取り出した
「せっかく優輝君がいるし、勝負してみようか」




