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汚い笑顔

作者: 空見タイガ

 歯科検診は児童虐待を早期発見できる絶好の機会である。この話を聞いた瞬間、俺をとりまく環境は自由から放置にすべりおちた。色鮮やかだったように見えたものは、すべて色が抜け落ち、その後には銀歯と口臭だけが残った。

 もうこんな口では、だれともキスをできないな。ぼんやりとしながら次の授業までの休み時間を頬杖で過ごす。騒がしさの中で、だれだかの白い歯がちらりと見える。俺の前歯の四本はすでに差し歯だった。もう腐ることがないからいいわね、と母がテレビを見ながらに言ったのを思い出した。

「ねえ、ねえ」

 呼ばれていることに気が付いた。隣をみる。やつはカーディガンの袖から白い指をちょこっと出して俺に四角のかたまりを差し出していた。

「キャラメル、あげる」

 ガム、キャンディ、キャラメル。口を満たすあらゆるものをやつは持ち歩き、俺におすそ分けしてくる。理由は知らない。俺はまた指を伸ばしてキャラメルを奪い取る。包みを開けて、口の中に入れる。もぐもぐ。キャラメルはすぐに口の中で平らになって、ちぎれて、甘さの中に苦味を残し、銀歯のでこぼこにはりつき、溶けて、消えてゆく。

「うまかった、ありがと」

 やつはゆったりと机にだらけながら俺の机に新たなキャラメルを投げ入れた。

「もっと味わってたべなよ」

 教師がやってきて、俺たちは立ち上がり、礼をして、着席をする。教科書やノートを開く音の中で、包みを開ける。そこにはもちろんキャラメルがいる。キャラメルは俺の顔をじっと見てぷるぷると震えた。俺にはキャラメルがやつの顔に見えた。キャラメいたやつをそっと掴みあげた。やつはさらに震えた。俺は指の圧でやつを握りつぶさんばかりだった。

 虫歯がひどくなると歯茎に白いニキビのようなものができる。それを指で押すとだらだらと粘着質な白い液体が流れてくる。膿が根のほうにたまって、出てこようとするのだ。こうなったときは、もう、おしまいみたいなものだ。

 俺はおしまいのキスをした。俺はやつからキャラメルしか貰わない。ガムは残る、キャンディは砕ける。でもキャラメルはいくら噛んでも溶けて消える。アスファルトの上だけを歩きたい。文字は打鍵だけで済ませたい。どこにも歯型が残らないでほしい。

「ねえ、ちゃんと味わってる?」

 チョークのこすれる音が聞こえる。カリカリとたくさんの鉛筆がその音に追従する。ひそひそとしたやつの声が明瞭に紛れる。

 かつてはそうでもなかったこと、単なる自分の不注意、やる気のなさ、怠惰、それだけであったものが今は空しさの響きに満ちている。

 それでも。

 俺は口をがっと開けてその中身が空であることをやつに示す。やつは目を見開いた。視線を惑わせ、それから笑った。声を出して笑った。チョークも鉛筆も押し黙った。みなが俺たちを貫いた。——ああ、味わうのも悪くない。俺も大きく口を開けて笑った。

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