伝説の聖剣と勇者さま
──ここは一体どこなのか。私は確か死んだ筈だ。
瀬戸内亜美は自分の置かれている今の状況が全く分からない。
永い眠りから覚める感覚がして重たい瞼を開けた亜美はむくりと身体を起こし、ゆっくりと辺りを見渡した。
透明感ある綺麗なクリスタル。澄んだ水が湧き出ている泉。微かに差し込む陽の光。彼女が横たわって眠っていた丈夫な大樹。その根本近くの中心には剣と思わしきものが地面に深々と刺さっている。
試しに剣を引き抜いてみようと亜美は剣の柄を握り、力を込めて上に引き上げるが両手でもビクともしなかったので早々に剣を引き抜くことを諦めた。
見た限り亜美しかいないのでこの剣が何なのか、この神秘的な洞窟が一体どこなのか、彼女は誰かに聞くことも出来ない。
ふらふらと覚束無い足取りで前に進むも、ある一定の距離まで行くと強制的に元いた大樹の近くに戻されてしまう。前だけでなく、前後左右どこへ進んでも結果は同じだった。
何度かそれを繰り返していると、引き戻される際に剣に装飾された赤い宝石がピカっと光ることに彼女は気が付く。
──もしかしたら、この剣が私を何らかの理由でこの場に引き止めているのかもしれない。
亜美はそう推測したが、先程抜こうとしてもうんともすんとも言わなかった剣をどうすることも出来ない。
恐らくであるが、誰か別の者にこの剣を抜いて貰わねばならないのだろう。
しかしながら、普通に考えてこんな人に知られていないような場所に来る人物がいるのだろうかと彼女に不安が募る。それでも彼女はただただ誰かがここに来てくれるのを祈ることしか出来なかった。
「お願い、誰か……。悠貴──……」
*
18歳という若さでこの世を去った瀬戸内亜美の死因は病死だった。
生まれながら心臓に病気を患い、入退院を繰り返していた亜美は元々医師からは長く生きられないと宣告されていた。
病院での闘病生活は亜美にとって辛くて大変なものだったが、それでも家族や友人、そして幼馴染み兼恋人の存在が彼女の心の支えになっていた。
瀬戸内亜美として生を受け、過ごした時間は確かに短かかったかもしれない。けれども彼女にとって18歳まで生きれたのは奇跡に近かった。
神様に感謝するのは生まれた時から病気の時点で些かおかしい気もするが、少しでも長く生かせてくれたことに彼女は感謝していた。おかげで家族と大切な思い出を作れたし、何よりもこんな自分を最後まで見捨てず愛してくれた大好きな恋人とのかけがえのない時間を自分が思っていた以上に過ごすことが出来た。
欲を言えば後3日長く生きていたかったと亜美は思った。3日後は恋人である小鳥遊悠貴の18歳の誕生日だったのだ。いつ急変してもおかしくない状態にまで悪化した亜美を見た悠貴は自分が18歳の誕生日を迎えたら結婚しようと彼女に言った。
彼にそれを告げられた時は亜美は涙が止まらなかった。嬉しくない筈がない。例え恋人であってもこんないつ死んでもおかしくない自分と結婚してくれるなんて思っても見なかったのだ。
病室で結婚式を挙げれるよう病院側に許可を取り、ウェディングドレスも選んで着々と準備が進んでいたのに亜美は悠貴と結婚式を挙げる前に力尽きて亡くなってしまった。
女の子なら誰もが憧れるであろう結婚式。病室内というイレギュラーではあるものの、亜美だって死ぬ前にウエディングドレスを着てみたかった。
*
──この場所に来てどれくらい経ったのだろうか。
生前の記憶を思い出しては泣き腫らしていたのが亜美は少し懐かしく感じた。
ここに来てから亜美は水しか飲んでいないのにも関わらず、空腹感が訪れない。それに味覚もおかしくなったのか、水の味が分からない。
尤も本来、水は無味無臭であるので水の味がどうこうと言うのもあれだが。それでも水に含まれるミネラル成分や硬度によって味を感じる筈である。
身体もよく見てみれば何やら透けている気がしなくもない。大樹や水に触れるから気付けなかった。
黒だった髪の毛は染めた覚えがないのに赤くなっている。
そして蝶のような形をした不思議な粒子がキラキラと亜美から発せられていた。
──自分は幽霊になってしまったのだろうか。
もしかしたら亜美が思っていた以上にまだあの世に未練があったのかもしれない。
けれども何故こんな今まで全く訪れた覚えのない場所に現れてしまったのか。幽霊として現れるのであれば自分のお墓か、長く過ごした病室か、家族がいる自宅、又は悠貴のもとが妥当であるのではと彼女は首を傾げる。
それ以前にここが彼女の知っている日本であるのかさえ怪しいと最近は思い始めている。
何の娯楽もないこの場所での生活は凄く退屈だ。
亜美が楽しいと思えることを強いて挙げるならば浮遊出来るようになったことである。幽霊になったのであれば飛べたりしないかなと軽い気持ちでやってみたら飛べてしまったのだ。
生きてるうちは絶対体験出来なかったことなので初めはふよふよと身体が浮くのが楽しくて遊んでいたが、それも初めだけだった。流石にずっとは飽きてくる。飛んで行ける範囲も限られているから尚更だ。
遠くへ飛んで行こうとしても歩いて進もうとしていた時と同様、一定の距離で剣が光り、大樹の元へと戻されてしまう。
そんなつまらない日々を過ごしていると、ついにその時がやって来た。ずっと待ちわびていた亜美以外の者がこの場所に訪れたのだ。
ガタイが良く筋肉質でいかにも悪そうな顔をした巨漢が数人、剣の前で立ち止まる。
剣の側には勿論亜美もいるのだが、巨漢達は亜美が見えていないか、剣にしか目を向けていない。
「グへへへへ! これが伝説の聖剣か。この剣を抜いて魔王を倒せばオレも有名人だ! 褒美もガッポリ貰えるだろうよ」
「やりましたね親分! さっさと聖剣を抜いちゃって下さい!」
下品な笑いをした親分と呼ばれる巨漢はギラギラと野心に溢れた目をしていた。
果たしてこんな極悪人面の巨漢に伝説の聖剣と何やら大層な剣だったらしいモノを抜かせてしまっていいのだろうかと亜美は思ったが、彼等以外で今後この場所に誰かが訪れてくれる確証もないので、この際極悪人でも盗賊でも犯罪者でもいい。兎に角彼女は目の前の剣を誰かに引き抜いて貰いたくて必死だった。
「ぬおっ? なんだこの剣は。全く抜けねぇぞ」
「またまたー。親分の馬鹿力で抜けないわけがないでしょう。今まで何本ナイフを駄目にしたと思ってるんっスか。数えるのも嫌になったくらいっス」
「コイツの言う通り、さっさと引き抜いちまえ」
冗談はよしてくれとゲラゲラと親分の言葉に笑っていた彼の手下と思わしき人物達は親分が本気を出していないだけだと思っていた。
しかし顔を真っ赤にして歯を食いしばり、剣にこれでもかと言う程力を込めていることに漸く気付いたのか、笑いを止め、彼等の顔に焦りが生まれる。
「オイ! 見てねぇでお前らも手伝え!」
1人でこの剣を引き抜くことが出来ないと分かった親分は手下達に手伝うよう命令をした。親分の言葉に慌てて彼等も剣の柄を握る。
巨漢達には見えていないらしいが、微力ながら亜美も柄を握って剣を抜くのを手伝う。
「うおっ?! 何だ!!」
「ギャー!眩しいっス!!」
突然目を開けられない程の光を発した聖剣。亜美は余りの眩しさに目を瞑る。
暫くして光が収まり、目を開けた亜美は絶望した。
巨漢達が消えていたのだ。文字通り、今までここにいたことが嘘だったかのように消えた。
「そんな……。これじゃあ、また誰かが来てくれるのを待たないといけない……」
折角ここを出られるかもしれないと巨漢達に期待をしていた亜美はその場で項垂れる。
幸い、この剣は伝説の聖剣と名前から分かるように凄い剣であるみたいだから手にしたい人は数多いるに違いない。
気持ちを切り替えて巨漢達のようにそういう者がまた早く訪れてくれるのを亜美は待った。
亜美の思っていた通り、それから何度か伝説の聖剣を求めて不定期に人がやって来た。
鎧を纏った男達や髑髏のマークが描かれた帽子を被った海賊と思わしき者達、人間の姿ではあるが、狐のような耳と尻尾が生えた人間なのか動物なのか分からない者、更には人語を喋り、二足歩行をする鰐。
やはりこの世界は自分のいた日本とは違うと亜美は確信した。
彼等は皆一様に剣の柄を握り引き抜こうとするが、案の定、剣はピクリとも動かない。
剣を抜くのにある程度時間が経つと夥しい光によって亜美以外の者は巨漢達と同じく消えてしまう。
まるで剣が?彼等には引き抜かれたくない?と意思を持って拒絶しているかのようだ。
剣は誰か特定の人物に引き抜いてもらいたいのかもしれない。
また暫く誰も訪れない日々が続いたある日、久々に人の話し声といくつかの足音が聞こえた。
今度こそ伝説の聖剣を引き抜いてくれるかもと剣の近くで座っていた亜美は見晴らしのよい大樹の枝にひょいっと飛んで来たる人物達を観察する。
「なぁーユウキ、まだその伝説の聖剣とやらがある最深部には着かねぇのか? おれもう飽きた。対して強い魔物もいねぇしつまんねぇ。ぬる過ぎて戦闘中に毛ずくろいしちまった」
「ほんとちゃっちゃと剣を抜いて早いとこ魔王を倒しましょうよ。アタシは魔法の研究で忙しいってのに……」
「まぁまぁ。ティーガもイザベラもそうむくれてやるな。勇者様が困るだろう? 俺達は恐れ多くも勇者様に力を見込まれて魔王討伐メンバーに抜擢されたんだ。凄く名誉なことなんだぞ。それをつまらないだの魔法の研究で忙しい等と……」
「も〜! カイルってば堅いっ。堅いよ〜。魔王なんてこの天才双銃士のリリーさまがバンッバーンっとやっつけちゃいますから!ゆる〜く行きましょ〜!」
ホワイトタイガーのような白い耳と尻尾を生やし、中国の民族衣装のような服を着ている綺麗な銀髪ショートの青年。
とんがり帽子を被り、真っ黒なドレスに身を包んで箒に足を組みながら宙に浮いているワインレッドの髪のナイスバディな眼鏡美人女性。
大剣を背に担ぎ、空色髪をツンツンとさせ、鍛え上げられた筋肉を無防備にさらけ出す軽装備な大男。
ストロベリーピンクの髪をツインテールにしてロリータ系のフリルをあしらったドレスを違和感なく着こなす小柄の可愛い少女。その両手には少女には似つかない2丁の銃が握られている。
何だか統一感のない者達だなぁと伝説の聖剣を抜きに来たのであろう今回の挑戦者達を観察していた亜美だったが、ある人物を見てドクリと胸が跳ねる。
「……皆さ、口じゃなくて足を動かしてよ。全く…… 俺、パーティー編成間違えたかな?」
前髪がやや長めで襟足が短い茶髪ミディアムヘア。大人しい印象を与えるタレ目に優しげな目元。いかにも人が良さそうな顔付きの爽やか系好青年。
「悠貴っ!!」
服装は剣士のそれであるが、姿や声は亜美の恋人である小鳥遊悠貴だった。
亜美が彼を間違える筈がない。
「悠貴! 私だよ。亜美だよ! どうしてそんな格好をしているの? それに悠貴はなんで私と同じこの世界にいるの? ねぇ、悠貴、私のこと見えてる? ちゃんと声聞こえてる?」
「ほら、あったよ。これが伝説の聖剣みたいだ」
「悠貴! 悠貴ってば!!」
亜美は悠貴のもとまで飛んでひたすら声を掛けながら手を振ったり、肩に手を置いてみたり、腰に抱きついたりして見るが全然反応がない。
他の面々にも亜美は見えていないようだ。
──もし、悠貴がこの剣を抜けなかったら、これまでの挑戦者と同じく悠貴も光に包まれて消えてしまうかもしれない。
消えた者達がどこか別の場所に強制送還されたのか、考えたくはないが消滅してしまったのかは亜美には分からないが、後者であれば大変だ。
「駄目だよ! 悠貴! その剣から手を離して!!」
「……この剣を引き抜いて魔王を倒せば……。亜美──……」
「え……」
真剣な表情で剣の柄を握る悠貴の口から漏れた言葉の中に予期せぬ自分の名前が含まれていたので、亜美は目を見開く。
呆気に取られているうちに悠貴はいとも簡単に剣を引き抜いていてしまった。
「拍子抜けだな。こうも簡単に引き抜いちまうとか、やっぱユウキは選ばれし勇者だったってことか? あーあ、これで引き抜けなかったらクソ面白かったのに。おい…… ユウキ? 何ボーッとしてんだよ」
ティーガは自分のからかいに何も反応せず、それどころか伝説の聖剣を引き抜いてから微動だにしない悠貴を不審に思って自分の尻尾で彼の足をつんつんつつく。
それでも悠貴はティーガに顔を向けることもなく、ただ真っ直ぐ前を向いていた。
彼はそれどころではなかったのだ。伝説の聖剣を引き抜いた途端、ひらひらと幻想的な光る蝶の粒子をその身に纏わせながら浮遊している少女が目の前に現れた。
ウサギみたいなくりっとしたまんまるの目にぷくっとした唇。白い肌。折れてしまうかのように細い手足。こちらを不安げに見る表情。
絹のように美しかった長い黒髪は燃えるように赤い真紅色に染まってしまっていたが、悠貴は彼女が自分の最愛の人である瀬戸内亜美だと本能的な何かで感じ取った。
それでも彼はまだきちんと確信が持てなくて、恐る恐る彼女の名前を口にした。
「亜美…… なのか?」
「っ?! 悠貴っ! 私のことが見えるようになったのね!」
ここに来てから誰にも自分の存在に気付いて貰えなかった亜美はついに自分が見える人物に出会えたと喜ぶ。
しかもその人物は生前、亜美の恋人だった小鳥遊悠貴なのだ。嬉しさは倍増である。
亜美が見えるようになった時の反応としても、彼女の良く知る彼で間違いない。
「もう2度と会えないと思ってたっ」
「俺もだよ。亜美っ亜美。また君に会えて本当に嬉しい」
亜美と同じく悠貴の目にも涙が浮かぶ。彼はまさかこの場所で彼女と再会出来るなんて思っていなかったのだ。
亜美と悠貴はお互いの存在を確かめ会うように熱く抱擁する。
完全に2人の世界に入ってしまっていたが、悠貴と違って未だに亜美が見えない彼の仲間達はただ彼が伝説の聖剣を抱きしめているように見えるだけだった。
「何だか良く分からねぇけど、アミィって……。もうその剣に名前を付けたのか?伝説の聖剣としては随分と弱っちい名前だな」
「ティーガ、アミィじゃなくて亜美だよ。それに亜美は伝説の聖剣じゃない」
「はいはい、伝説の聖剣アミィね」
「うっわー……アンタって剣に名前付けていたの? アタシどん引き」
「ティーガもイザベラもちゃんと俺の話聞いてる? 剣じゃなくてここにいるじゃん。俺の嫁の亜美が」
よく見てと悠貴は亜美を紹介するが、仲間達は剣に向かって嫁発言をする彼にゾワゾワと鳥肌が立って1歩後ろに下がり、彼と距離を取る。
「ほら、今赤い顔を手で隠そうと必死な可愛い亜美がいるでしょ? あー…… 見んな。やっぱ見ないで。こんな可愛い亜美、見せられない」
「いや、どうみても剣しか見えないぜ? ユウキどうしたんだよ。ついにぶっ壊れちまっまったか? ここはいっちょおれの自慢の爪で正気に戻して──……」
「アンタの自慢の爪なんて大したことないでしょう。ここはアタシの極大魔法で──……」
「2人はやり過ぎる節があるからここは俺の大剣で一振り──……」
「ダメダメー! ここはリリーさまが勇者さまの脳天に銃弾ぶち込んで一件落着──……」
「皆して俺を殺す気なのかな?」
言いたい放題の彼等にそう悠貴が問えば、それくらいで死ぬ程柔じゃないと真顔で皆に返されてしまった。
どう考えてもそれくらいの域を越えている。完全に殺しに掛かっているようにしか悠貴は思えなかった。
「皆には見えてないようだけど、本当にいるんだって」
「……ねぇ、それってもしかして伝説の聖剣に宿る妖精さんじゃない? 文献で読んだことがあるの。聖なる力を与える妖精が宿りし剣。人間ではその剣を抜いた者しか見ることの出来ない妖精。……アンタが勝手に名付けて嫁発言したアミちゃんはその聖なる力を聖剣に与えてる妖精さんなのよ」
「亜美が伝説の聖剣に宿る妖精って……。そうなの、亜美?」
「さぁ? 分からない。けど、何故かこの剣から離れられないの。遠くへ行こうとすると剣が光って引き戻されちゃう」
「だってさ、イザベラ」
「いや、だからアンタ以外にはアミちゃんの姿はおろか、声も聞こえていないのよ。彼女が何て言ったか通訳する義務がアンタにはあるでしょう!」
どこか抜けている悠貴にイザベラは大人気なく少し声を張り上げてしまったと咳払いして下がってもいない眼鏡のブリッジをさっと上げ直す。
悠貴の通訳の甲斐あってか、亜美が伝説の聖剣に宿る妖精という説が強くなった。
「俺だけにしか見えないって言うのもそれはそれでありかなって思ったけど、やっぱり色々問題があるよね」
「そりゃあ、おれも人間と獣族のハーフだけどよ、流石に剣と交尾は──……っいでででで! 尻尾! 尻尾を強く握るな!」
「んー? 聞こえないなぁ」
「ティーガさん、ティーガさん。剣ではなくて一応剣に宿る妖精らしいんで、頑張ればなんとかなるかもしれませんよ!」
「亜美、なんでさっきは嫁って言っただけで真っ赤になってたのにそんな恥ずかしいこと言えるの」
「えっ…… あっいやっ違うよ? べ、べべ別に深い意味はなくて、ほんとだよ! 私はただ剣じゃなくて妖精だって言いたかっただけでっ」
悠貴の一言で自分が凄く恥ずかしいことを口にしていたと気付いた亜美は遅れてその顔をまた赤く染める。
彼女にそんなつもりは本当になかったのだ。
「おっなんだ? ユウキの言葉察するに、アミィの方はヤる気満々──…… いでっ! いだいっ! だから尻尾! 尻尾握るの禁止!」
「この尻尾切ってもいい? 戦闘中ぷらぷらと邪魔だとは思ってたんだ」
「ひぃっ! ユウキの鬼! 悪魔! ちょっとした冗談じゃねぇか!」
ジタバタと暴れて悠貴の手から逃れたティーガは自分の尻尾を労るように触りながら悠貴を睨み付けた。
一方亜美はティーガの言葉で更に顔を赤くする。
「も〜! 二人共〜そんなことより早く魔王をやっつけに行こうよ〜」
「そんなこと?! おいリリィ! おれの尻尾を何だと思ってるんだ!」
「……アクセサリー? てかリリィじゃなくてリリー! リリーさま! 何度言えばちゃんと発音してくれるの〜」
手持ち無沙汰で痺れを切らしたリリーはここを出て早く魔王を倒したかった。それにはイザベラも同意なので彼女達は悠貴に何も了承をせずに出口へ向けて足を進めてしまう。
自身の大事な1部である尻尾をアクセサリー呼ばわりされたティーガは衝撃的過ぎてその場に立ち尽くしていた。
「尻尾…… おれの大事な尻尾が……。アクセサリー……」
「ティーガ、そう落ち込むな。あれはリリーの冗談だと思うぞ」
「カイル、ほんとにリリィのあれが冗談だと思うか?」
「……多分。いや! 間違いない! 大丈夫だ!」
カイルは変なところで浮き沈みの激しいティーガを励ますのに必死だ。その姿はまるで父と子である。
個性豊か過ぎる面々に亜美は思わず笑ってしまった。こんなに賑やかなのは彼女にとって本当に久々なのだ。
「楽しそうだね、亜美」
「だって皆さん面白いから。……それに大好きな悠貴とも会えたし」
「っ、もう可愛いな。うん、これはちゃっちゃと魔王を撃退して亜美を人間にしてもらわないと」
「……? 魔王を倒すと私って人間になれるの?」
「いや、正確には魔王が飲み込んだ宝珠が何でも願いを一つだけ叶えてくれるんだよ。詳しくはここを出てから宿屋で話すね。……なんで俺がこの世界にいるかとかも含めてさ。この剣に合う鞘も武器屋で揃えないとだな」
悠貴はそう亜美に言うと、まだ鞘のない伝説の聖剣を片手で持ち、未だに立ち尽くしていたティーガと彼を励ましていたカイルに声を掛けて先行くリリーとイザベラの後を走って追いかけた。
ちなみに亜美は悠貴の横で浮遊しながらついて行っている。どの道彼女があの場所から動かなくても悠貴が剣を手にしているので一定の距離を離れれば剣のもとに飛ばされてしまうのだが。
この世界で初めて見る外の景色に亜美は感動した。薄暗い洞窟にいたので照りつける日光が眩しく感じる。外の空気を思いっきり吸い込んだ。勿論、その空気が美味しいとも不味いとも亜美には感じられなかったのが残念だった。
道中、魔物が何体か出て来たが、苦戦することなく皆は倒していた。しかも1人ずつ交代制であっさりと倒しているのだ。
この地域の魔物が強いのか弱いのかは外に出たばかりの亜美には分からない。
それでもティーガは爪でひと掻きするだけで彼より数十倍も大きい魔物がどしんと音を立てて横たわり、戦闘不能になった。
イザベラは魔法を使うことなく分厚い本の角で殴って一撃で倒していた。
カイルは大剣一振りで周りにいた魔物まで一気に撃退。
リリーは片手だけで銃弾を1発放ち、魔物の弱点をそれぞれ見極めて的確に息の根を止めていた。
悠貴も同様に、聖剣ではなく自前の剣の衝撃波だけで魔物を切り裂いている。
それにしたって強過ぎではないかと亜美は身震いした。
彼女は悠貴がやっていたRPGを見たことが生前に何度かあったが、ああいうのは確か、主人公が仲間と力を合わせ敵を倒していくゲームだと認識していた。
では目の前のこの光景はなんであろうか。確実に個々のレベルを上げ過ぎてワンマンプレイである。
CPは身を守れと一種の動くな命令をされたお預け状態だ。
確かにどちらかと言えば悠貴はゲームにおいて慎重派タイプだったと思う。確実に敵を倒せるレベルまで上げてから挑んでいた。
彼の性格がこのゲームのような世界と思えなくもない世界で出てしまっているようだ。
これは多分魔王も瞬殺なので難易度をイージーからノーマルを飛び越えてハードまで引き上げた方が良いとラスボスであろう魔王に心の中で助言する亜美だったが、悠貴の手によって彼を含めたパーティーメンバーが既にレベルMAXまで上げられた所謂カンスト状態であることを彼女は知らない。
つまりは高難易度であったとしても縛りプレイをしなければ結構楽に勝ててしまえるのである。
亜美がいた場所から一番近い街に着いた勇者一行は宿屋で予約を済ませ、夕刻まではそれぞれ別行動ということで一旦解散した。
亜美は悠貴と共にまずは武器屋に向かう。お店の店員は伝説の聖剣を手にした悠貴を見て腰を抜かし、この剣の鞘を作ってくれと悠貴が頼むと歓びで涙ぐんで絶対に最高級の鞘を作って見せますと意気込んでいた。
勿論聖剣は長さや厚みを測るだけで武器屋には預けなかった。
武器屋を後にした二人は防具屋や道具屋を覗いた後、街を周ってから最後は人の気配がない丘の上にやって来た。
「さて、何から話そうか」
「悠貴は何でこの世界にいるの? ここってどう考えても私達のいた日本がある世界じゃないよね?」
「あー…… もうそれから聞いちゃう? ……実はさ、亜美が死んで半年後くらいに俺も死んだんだよね。車に撥ねられて」
「えっ……。そんな…… 悠貴が死んじゃったなんて…… うっ。ひぐっ。悠貴〜」
「ほら、泣かないで。まぁ、俺も亜美が死んじゃった時は号泣したけど」
ボロボロと涙を流す亜美に悠貴は困った顔をするが、自分も亜美の時はそうだったと泣きじゃくっていたのを思い出し、人のことは言えないなと彼女の涙を指で拭う。
「死んだと思ったのに気付いたら豪華な城にいてさ、いきなりお前は魔王を倒してこの国を救う勇者だとか訳の分からないことを王様に言われたんだ。話を聞くに魔王討伐は俺にとっても良い話だったから引き受けてやったよ」
「悠貴にとっても良い話だったの?」
「まぁね。王様は魔王を倒してくれれば魔王がドラゴン形態で馬鹿して飲み込んだらしい願いがなんでも一つだけ叶う宝珠をくれるって言うからさ。しかもそれとは別に王様が報酬もくれるらしいし。そっちはティーガ達に譲るけど。俺は宝珠で亜美をこの世界で生き返らせようとしたんだ」
「私を……」
「それなのに予想外にも亜美はもうこの世界に存在してたし、何故か妖精になってるから驚いたよ。だから当初の願いとは違うけど、宝珠には亜美を妖精じゃなくて人間にしてもらうことにした」
なんでも願いが一つ叶うというのにそんな願い事でいいのだろうかと亜美は思ってしまう。
人間ではないにしろ、亜美はこうしてこの世界で生きていた。
もう2度と会えないと思っていた悠貴にも会えたので今のままでも充分だった。
「ティーガさん達だって宝珠を欲しいかもしれないし、私を人間にするって願いを叶えてもらっちゃっていいのかな?」
「ああ、皆なら大丈夫だよ。ティーガは一族の繁栄の為に村の開拓、イザベラは新しい魔法研究所の開設、カイルは傭兵団施設の増築、リリーは銃の保管庫が沢山欲しいらしいから、その願いは王様の報酬でなんとかなるでしょ」
それはまたどれもお金が掛かりそうな願いだ。ここぞとばかりに自分が思い付く大金が必要な願いを考えましたって感じである。
「ど、どの願いもお金が掛かるね」
「こっちは魔王を倒すんだからそれくらい出して貰わないとね。まぁ、宝珠飲み込んじゃうくらい馬鹿な魔王だからたかが知れてるけど。……それにこっちは間違いなくカンストしてるし楽勝でしょ」
「カ、カンス……?」
「ああ、こっちの話だから亜美は気にしなくていいよ。さ、少し早いかもしれないけど宿屋に行こうか。鞘が出来次第、魔王の住む館に向かう予定だから今のうちにゆっくり休んどいて…… って剣に宿る妖精ってどうすれば休まるの? 磨けばいい?」
「さ、さぁ?」
*
コウモリやカラスがパタパタと飛び交い、いかにも不気味な雰囲気を醸し出す魔王の館。
ここまでの旅路も相変わらず悠貴達は交代制で魔物を瞬殺していたが、この館でうじゃうじゃと出て来る魔物も瞬殺だ。
魔王に関しては全員でフルボッコである。容赦ない怒涛の攻撃に魔王は成すすべなく倒れる。とどめの一撃は悠貴が伝説の聖剣でドラゴン形態の魔王の心臓部を一突きだった。
「やっぱあっけねぇー。でもこれで開拓出来るぜ」
「新しい魔法研究所新しい魔法研究所新しい魔法研究所……うふふふ」
「傭兵団施設の増設に伴って人材募集でもするか」
「リリーさまのコレクションを保管する保管庫〜」
魔王を討伐したティーガ達の頭の中では既にそれぞれが報酬を貰った後のことを考えていた。
悠貴は魔王が飲み込んでいた宝珠を取り出すと懐にしまう。
「それじゃあ早いところ、城に帰ろうか。……イザベラ、頼むよ」
「はいはい。1度城に行った際に転送陣を書かされたのはこの日の為だったわけね。全く、人遣いが荒いんだから」
溜息をついたイザベラは杖で地面にふにゃふにゃと謎の文字や記号を円形に描き始める。
暫くしてから皆が乗れる程大きな陣を描き終えた彼女は中心に集まるよう皆に呼び掛けた。
皆が集まったのを確認し、イザベラは呪文を唱える。すると聖剣が発するあの光のようなものに包まれ、身体が強い磁力で引き寄せられる感覚に陥った。
「おお、戻ったか、勇者一行よ。」
「只今戻りました、王様。無事魔王を倒して来ましたので約束通り、この宝珠は頂きますよ。仲間達もここまで頑張ってくれましたので彼等の望みを叶えてやって下さい」
「うむ。皆大儀であった。順番に望みを言いたまえ」
魔王の館とは打って変わって豪華絢爛なお城に皆でワープすると、王様が玉座で構えていた。
王様の前で膝をつく悠貴達を見た亜美も一応膝をついてみせる。
ティーガ達が自分の望み王様に告げている間に悠貴は亜美を人間にするべくさっそく宝珠を取り出してそれに伝説の聖剣を突き刺す。
「えっ。ちょっ。悠貴?! 宝珠壊しちゃっていいの?!」
「逆に壊さないと願いを叶えてくれないらしいよ。……ちょっと力加減ミスったけど」
粉々に砕けた宝珠の欠片を顔を真っ青にして集めようとしていた亜美だったが、びゅんっと中から謎の生き物が飛び出して来たので尻餅をついてしまった。
「やれやれ。誰だ? 我の住処を粉砕した輩は」
「な、何…… 羽生えてる…… 鳥人間?」
「鳥だと? 無礼な妖精だ。 いいか、よく聞け。我は高貴なる龍族だぞ」
「龍族? あの魔王もそれっぽかったよね。俺殺しちゃったんだけど大丈夫かな?」
「おい人間、 あんな闇落ちした人間魔物龍と一緒にしないでくれ。我はちょっと悪さをして宝珠に閉じ込められていただけだ」
「いや、違い分からないから。しかも前科持ちか。全然宝珠が住処じゃないじゃん。閉じ込められてたんじゃん」
見た目は人間でいうと5歳くらいの子供のようだが、やけにジジ臭い喋り方をする。
尖った耳に黒髪からはちろりと左右に赤い角が見えていて、大きな赤い翼と鰐の尻尾のような形をした赤い尾が生えた自身を龍族と名乗る男の子が宝珠から出て来た。
妖精である亜美が見えるのは彼が人間ではなくて龍族と呼ばれる特殊な種族であるからなのだろうか。
悠貴が言うようにその姿はドラゴン形態になる前の魔王に似ている。
それにしても、悪さをして閉じ込められていたのかとこの子の将来が亜美は心配になった。このまま悪の道に突き進めば魔王の二の舞いである。
「で、何を叶えて欲しいんだ? 我が何でも一つ叶えてやるぞ」
「え、君が叶えてくれるの? 大丈夫? 不安しかない」
「我はこの人間の願い叶えるのは至極嫌だ。しかし、宝珠を割った者の願いを叶えないと呪いで1人前の龍人になれぬ。ほら、人間。早く願いを言え」
男の子は空中で胡座をかいて座る。その姿は子供ながら貫禄があった。
「ここにいる伝説の聖剣に宿る妖精を人間にして欲しいんだけど、出来る?」
「そんなの朝飯前だ。だがこの妖精を人間にしたらその剣は何の加護もないただの剣になるぞ? 一応伝説の聖剣なのにいいのか?」
「問題ないよ。こんな剣に頼らなくても強いから。本来、伝説の聖剣は宝珠を割るのに必要だっただけだし」
「伝説の聖剣をこんな剣呼ばわりとは……。まぁ、良い。お前のその願いとやらを叶えてやろう」
男の子はそう言うと間髪入れずに翼を輝かせて亜美の身体の周りをくるくると飛び回る。
足元から頭部に向かって飛び回り終えた時には亜美の身体はいつもの透けた身体ではなくなっていた。
髪色だけは赤いままであったけれど、飛び跳ねて見てもふわふわと浮遊することも出来なくなった。
「願いは叶えてやった。今度は我の願いを聞く番だぞ、人間」
「はい? 俺そんなの聞いてないんだけど?」
「今言ったからな。其方が我の住処を壊したのだから最後まで我の世話をしろ。我を立派な龍人にしてくれ」
「だから宝珠は君の住処っていうか半ば封印されてただけでしょ。早く巣に帰りなよ」
「長は我が伝説の聖剣を引き抜くことが出来た強者に教育してもらい、心身共に立派な龍人にならねば帰還を認めてくれん。見よ、我のこの未熟な身体を。これではどう考えても門前払いである。呪いのせいで今まで身体の成長だけが止まっていたのだ」
龍族の男の子は悠貴に突然の要求を話しつつ、ちゃっかりと亜美の腕の中におさまる。
そんな彼に亜美は可愛いなと思いながらぎゅっと抱きしめるが、それを拳を握りながら苦い顔で見ている悠貴に気付かない。
彼が心の中で男の子の実年齢を人間年齢で聞くか龍年齢で聞くべきかで悩んでいるとは知らず、腕の中の男の子を愛でる亜美だった。
「おっ? なんだなんだぁ? お前がユウキの言ってたアミィか。んでその腕の中の餓鬼はお前等の子供? にしてはなんか突然変異だな。角とか羽生えてるぞ」
「ティーガ、違うから。こんなエロガキなのかエロジジイなのか分からない詐欺ドラゴンなんてどう考えても俺と亜美の子供じゃない」
王様と報酬に関しての契約が終わったティーガ達が亜美達のもとに来た。
彼女の腕の中にいた男の子を見たティーガはその子を亜美と悠貴の子供と勘違いした。
これには流石の亜美も無理があるだろうと苦笑いである。
亜美はそう言えばまだ彼等に自己紹介をしていなかったことを思い出したので、改めて彼等に自己紹介をする。彼等も笑顔で亜美に自己紹介をしてくれた。やはり皆良い人達だと亜美はしみじみと感じた。
「んで? その餓鬼の名前は?」
「我に名前はないぞ、トラの赤子よ」
「ト、トラの赤子ぉ?! お前おれよりチビだろクソガキ!」
「ふんっ。見かけに騙されるとは赤子だバカトラ」
「くっそ、馬鹿って言ったほうが馬鹿なんだよ! 馬鹿ドラ」
「待って、今見かけにって言ったよね?やっぱりエロジジイかっ。亜美の腕から離れなよ!!」
ティーガは男の子の頭をぐらぐらと掴み、悠貴も亜美の腕に尻尾を巻き付けてへばりついてるエロジジイを亜美から引き離すのに必死だ。
そんな必死な彼等を余所に亜美は強い力で揺すられながらも男の子の名前を考えていた。
「龍我、龍我なんてどうかな?」
「亜美? もしかしてこのエロジジイの名前だったりする?」
「え、うん」
「ふむ。リュウガか。気に入ったぞ、アミィ! これからよろしく頼む」
「よろしく、龍ちゃん。あと、アミィじゃなくて亜美だよ。ふふっ。なんだかティーガさんみたいだね」
「アミィ! どこがコイツと一緒なんだよ!」
「はぁ……。なんかもう亜美が育てる気満々だし……。こんな筈じゃなかったのに……」
悠貴は肩を落として項垂れる。これにはティーガを覗いた彼の仲間達も同情の目を送ってしまった。
ティーガはというと、やっと亜美の腕の中から飛んで出て来た龍我の尻尾でべしべしと頭を叩かれまくっていた。彼は完全に龍我に弄ばれているようだ。
皆の兄貴分でもある良心的なカイルは以前ティーガを励ましていた時のように悠貴の肩を優しく叩いて励ました。
「だーーーー!もうっ。分かったよ。育てればいいんでしょ。こうなったらスパルタ教育で直ぐにカンストさせて追い払ってやるよ」
「かんすとは我には良く分からぬが、頼んだぞ、ユウキ」
頭を掻きむしった悠貴は吹っ切れたのか、亜美と一緒に龍我を立派な龍人にする決心をしたようだ。
しかしながら彼の頭の中では亜美と自分の中を邪魔するエロジジイを早く追い出せる計画を企てているのだが。
結果的にそれは龍我を立派な龍人にすることとなる。
「で、お二人さん。結婚通り越して子育てに突入しているみたいだけど、挙式は挙げないのかしら? アタシが研究所に籠る前なら行ってやってもいいわよ」
「イザベラナイス! リリーさまも結婚式行ってみたい! アミちゃんのウェディングドレスの裾を持ってあげる〜」
イザベラとリリーの結婚式とウェディングドレスという言葉にピクリと亜美は反応した。
生前、亜美はウェディングドレスを着ることも、結婚式も挙げる前に死んでしまったのだ。
「……亜美、結婚しようか。今度こそ亜美にウェディングドレスを着せてあげたい。随分遅くなってしまったけど、俺と結婚して下さい」
「はいっ。喜んで!」
亜美は差し出された悠貴の手に泣きながら自分の手を重ねた。
教会で2人を祝福する鐘の音が国じゅうに鳴り響くまであと少し──……。