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キライ

残酷な描写、表現があります。児童虐待シーンあり、物凄く鬱なので苦手な人はご注意下さい。

レオナール十歳視点。

「どいつもこいつも、ふざけたことを抜かしおって!」


 三十代半ばから後半の男が、人形のように床に転がる七~八歳くらいに見える小柄な『少女』をゲシゲシと蹴りつける。『少女』は男に蹴りつけられても、呻き声も出さず、身動き一つせずに、何もない中空をガラスのような目で見つめていた。怒声と罵声と暴力を浴びながら、ぼんやりと考える。


(……おなかすいた)


 この三日間、何も食べていない。時折水を浴びせられるので、かろうじて水は飲めている。『少女』の飲食物に毒が混入していたり、腐っているものや干からびたものが出されるのは、日常茶飯事だ。

 本来は一応まともな食事が出されているはずだったのだが、『少女』に対する屋敷の主人の態度から、使用人達に軽く見られているために取り替えられたり、嫌がらせや悪意によって、異物や毒が混ぜられたりするようになっていた。


「あの奴隷商人め、約束と違うではないか! 足下を見やがって!! 多少肉付きが悪いくらいで何だ! あれでは下賤な混じりものの養育にかかった費用にもならぬではないか!! あいつめ、今更金を惜しむとは、これまでの恩を忘れたか!! くそっ、くそっ! わたしをバカにしおって!!」


 声を嗄らして、唾を飛ばして叫ぶ男の姿は醜悪だ。『少女』の両手は後ろ手に麻布で縛られ、両足は麻紐で三箇所拘束されている。


(ひもがとれないと、でられない)


 人の声はわずらわしい雑音だ。耳障りな無意味な音の羅列で、そのくせ目を閉じても、遠くから聞こえてくるものでも、耳をつく。何を言っているのか、理解できないのに。

 ハーフエルフの聴力は、余計な音を拾いすぎる。廊下で、あるいは階下・階上の人の気配や声まで聞こえている。


(うるさい。いいかげん、しつこい)


 男が人に好かれず、尊敬されない理由は明白だ。何かというとすぐ腹を立て、怒鳴り、叫び、暴力を振るい、食器や調度品など物を壊す。あと三年で四十歳にもなる成人した男が、家の中とはいえ日常的にそのような振る舞いをするのでは、敬遠されることはあっても、敬愛される事はない。

 隷属魔法と隷属の首輪によって強制的に縛った奴隷の愛人はいても、いまだ妻帯はしていない。シェリジエール子爵家の嫡男であるため、男の父が存命の頃に婚約の話もなくはなかったのだが、男が選り好みしたり、先方から断られたりして、結局どれも婚姻には至らなかったのだ。

 そして、愛人は複数いるのに、血を分けた実子は一人もいないため、他家へ嫁いだ妹の生んだ甥が後継になる事がほぼ確定している。

 『少女』は男、オクタヴィアンの四歳下の弟、ジルベールとエルフであるシーラの間に生まれた子であるが、二人は正式な婚姻をする前にジルベールが死亡し、出生届も出されておらず、国の保障がない元自由民の血を引く個人契約奴隷という扱いである。

 本来、奴隷契約は本人の承諾を得なければ契約できないのだが、承諾の文言の合間に他の言葉を入れても、その後に「はい」と言わせることができれば、契約ができてしまう。

 オクタヴィアンはそれを利用して、シーラとその子『レオノーラ』を己の奴隷とした。オクタヴィアンは嫉妬深く狭量な男だった。上には媚びへつらい、下には横柄に横暴に振る舞う小心者の暴君である。


 その時、部屋にノックの音が鳴り響いた。


「何だ!」


「……旦那様、セルヴィース伯の使者の方がお出でになりました」


「何!?」


 オクタヴィアンは慌てて乱れた身だしなみを整え、緩めたボタンを襟元までピッチリと留め直した。


「それで、応接室か?」


「はい。いつもの部屋にお通しして、現在歓待中です。旦那様は執務中としてあるので、ご希望であればお召し物をお着替えになったり、御髪を整える時間も取れますが、いかがいたしますか?」


「そうだな、替えた方が良いだろう。頼む、ロルト」


「承知いたしました、旦那様」


 使用人の男は出入り口の扉を開き、押さえた。慌ただしげにオクタヴィアンが部屋を出て行った。そして使用人の男はチラリと『少女』に目をやり、眉間に微かな皺を寄せると、無言で退出した。

 『少女』は身動きせずにじっと、空虚な瞳で何もない場所を見つめ続けていた。


(なんでもいいから、たべたい)


 周囲の音が、やけに響いて気持ち悪い。呼吸こそ不自由なくできるが、水の中にいるように、全てが不明瞭だ。脈拍は早いのに、体温は低く、心なしか寒気がする。指先が冷たくて、痺れているようだ。

 おそらく拘束を解かれても、もう自力では動けないだろう。水の中を浮き沈みしているような、不安定な浮遊感。周囲が雑音でうるさいのに、わんわんとこだまするように、幕一枚を通して聞いているように、音が揺らいで聞こえる。

 耳の奥が痺れるような耳鳴りがする。頭が鈍く痛む。やけに喉が渇き、生唾が湧く。


(きもちわるい)


 指がピクリとも動かない。見えているはずの天井も、近くなったり遠くなったり、歪んだりしている。


(……もしかして、しぬ?)


 これまで、一度も死んだことはない。死ぬということのは、生命の終わりのことで、それが来れば何もなくなり、感じることも考えることも、何一つできなくなるということは知っている。


(どうして、しってるんだっけ?)


 そうだ、誰かがそう言ったのだ。誰がそう言ったのかは覚えていない。シーラ以外に『少女』の名を呼ぶ者はいないし、己の名を告げる者もいない。

 だから、人や物には全て名前があるという事は知っているが、『少女』はそれらをほとんど知らない。知らなくてもこれまで生きてこられたので、問題はない。

 だが、さすがに、飲食も呼吸もなく生きているようには出来ていない。これまで日常的に食事が足りていなかったのに、三日間の絶食はさすがにまずかったようだと、ようやく気付いた。

 気付いたが、『少女』にはどうにもできない。既に指一つ動かせない状態なのだから。


(まあ、いいか)


 どうでも良かった。飲食に楽しみを覚えたことは一度もないし、こうやって生きることに苦痛を覚えることはあっても、喜びを感じた事はない。自分の生死すらどちらに傾こうと気にならない。


(いきているのと、しんでいるのと、なにがどう、ちがうの?)


 『少女』にとってそれは、大差がなかった。むしろ、煩わしいこと、面倒なこと、苦しいことや痛みを覚えることから解放されるのが死なら、そちらの方が良いことのようにすら思えた。


(どうでもいい)


 そして『少女』は眩暈を覚えて、目を閉じた。その時、部屋の扉が開かれた。何者かが室内に入って来たが、『少女』は動かなかった。

 その人物は『少女』をそっと抱き上げ、上体を起こさせると、口元に銀製のマグを押し当てた。冷たくひんやりした硬い感触に、『少女』は目を開けた。

 先程オクタヴィアンを呼びに来た老齢の使用人の男だった。『少女』が焦点の合わない目で男を見上げると、男がささやくように小さな低い声で言った。


「飲んで下さい。楽になります」


 『少女』はマグの中に果汁を搾ったと思しき液体が満たされているのを見て、吐息を洩らした。


(……めんどうくさい)


 男は『少女』が動こうとしないのを見て、深々と溜息をつき、代わりにそれを口に含むと、『少女』に口移しで飲ませた。


 それはオレンジ果汁に蜂蜜と生姜とぬるま湯を加えた、吐き出したくなるほど甘い飲み物だった。


(キライ。きもちわるい)


 若干涙目になる『少女』に、一口ずつそれを飲ませながら、男が窘めるように言う。


「全部飲んで下さい。後でオートミール粥をお持ちしますが、飲まないと身体が辛いままですよ」


 ただでさえ気持ち悪いのに、その飲み物の生温さが更に気持ち悪さを増しているように思える。


(ぜんぜん、らくじゃない。うそつき)


 体温は先程より上がってきたような気はしなくはないが、それにより全身の痛みや手足の痺れを顕著に感じるようになってきて、別の気持ち悪さや苦痛が増してきている。


(せんぶ、なくなっちゃえばよいのに)


 何一つ残さず全て消えてしまえば、きっと楽になるのに。そう思いながら、ぼんやりと『少女』は何もない壁を見つめた。しつこいくらい何度も飲まされた甘い液体がすべてマグから消えると、男はマグを床に置いて、『少女』の手足の紐を解き、毛布を敷くとそこに寝かせた。

 『少女』が普段閉じ込められている部屋には、家具や調度品が何一つない。部屋の隅に、毛布が一枚だけ置かれているだけだ。出入り口の扉は施錠され、窓は少女の肩先より高い位置にある出窓が一つきりである。

 普通の少女であれば、こんなところに閉じ込められれば、自力で外に出ることなど不可能だ。


「ではオートミール粥をお持ちしますので、しばらくお待ち下さい」


(キライ)


 今日は動けそうにないので仕方が無い。


(ほうっておいてくれたら、いいのに)


 中途半端な助けなら、必要ない。


(どうせ、たすけてくれないのに)


 身体が弱っている時は、食事するのも疲れるのだ。今日は手を動かせそうにないので、おそらく強制的に食べさせられる事になるのだろうが。


(……めんどうくさい)


 先週は、近くにある村で『狩り』をしたのだが、三回に一度くらいしか成功しなかった。しかも、最終日に屋敷の者に見つかり、捕まった。


(いつもは、みえてもみえないフリするのに)


 自分はいてもいなくても、どうでもいい存在だ、と『少女』は思う。普段はほぼ放置されている自分が何故殴られたり蹴られたりしたのか、理解できなかった。

 屋敷に幾人か見知らぬ顔が増減していても、それが何を意味するのか、わからない。母であるシーラが泣いていても、その事にすら気付いていない。


(ほんとうに、めんどうくさい)


 母であるシーラ以外に名を呼ばれない『少女』は、溜息をついて目を閉じた。





 『少女』の対外的な名前は、『レオノーラ』。だが本当の名前は『レオナール』。それが意味するものが何かも、『少女』は理解できない。

 ただ、わかっていることは、この世界は『少女』の『キライ』なものだらけだという事だけ。『少女』はまだ、自分が『すき』だと思うものに、出会えていない。


(ああ、おなかがすいた)


 食事をしたいと思わなくても、空腹や飢餓感は覚えるため、それが必要だと知っている。それを堪えるのは大変な苦痛だ。だから、生きるのは面倒臭いと思う。どんなに面倒でも、生きている限り、何も感じなくなる事はない。


(オートミールがゆって、ドロッとしてて、きもちわるい)


 『少女』はオートミール粥の味も匂いも苦手だったが、特に粘りけが嫌いだった。あれを食べる事を想像しただけで、憂鬱になる。


(キライなものばっかり)


 この時、既に、後に友人となる少年と出会っていることを、『少女』はまだ認識していない。

次話、「友達」更新します。


以下修正

×吐き出したくなるど

○吐き出したくなるほど

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