決意
それから、お姉ちゃんとは文通をするようになった。
私はまだまだ体力が戻ってなくて、短い手紙ひとつ書くのにも3日かかるほどだったけれど、お姉ちゃんからの手紙は定期的に届いている。
精神的なものも体力的なものも酷く削られていた私は、1日の中でも寝ている時間の方が圧倒的に多い。
その寝ている合間を縫ってロイがお姉ちゃん達のいる王宮と行き来していたらしい。
手紙のやり取りもロイがやってくれた。
本当に何から何までお世話になりっぱなしだ。
そうして、私はやっとお姉ちゃん達がどういう状況にいるのかを詳しく知ったのだ。
お姉ちゃんが今いる場所、それはなんと皇帝陛下の後宮らしい。
「…ロイ、お姉ちゃん皇妃になるの?」
「いやー、それは兄上の努力次第かな。まあ、あとはアヤの回復次第」
「う…」
「こら、そこで焦らない!そっちはちゃんと前進してるでしょう」
初めてその事実を知った時、ロイとそんなやり取りをした記憶がある。
ちなみに、マサ兄は皇帝陛下の客間にいるということだ。
まあ、本人はそこでジッとしていることを嫌って、お姉ちゃんに会いに行く以外はほとんど王宮から抜け出しているらしいけれど。
といっても警備が厳しいから、大抵敷地の外にまでは出られず連れ戻されているらしいとお姉ちゃんからの手紙に書いてあった。
なにはともあれ、ちゃんと聞いてみないと分からないものだと実感する。
勝手に私はマサ兄とお姉ちゃんが常に行動を共にしていると思っていた。
けれど、お姉ちゃんの手紙によると2人が顔を合わせるのは1日1回あれば良い方で、それも大抵5分~10分程度のものだという。
「ヒマつぶしにくらい付き合ってくれても良いと思わない?」なんて手紙で愚痴っていたのを思い出す。
ふと思い出すのは、マサ兄が私を探すために王宮を何度も抜け出していたというロイの話。
マサ兄は別にジッとしていられない性格でもない。
というより、どちらかと言えば面倒事には首を突っ込みたくないタイプだし、用事がある時は自分が行くというより相手に来させるような俺様っぷりを見せていた人物だ。
そんなマサ兄が、自分からあちこち動いている。
…きっと、私を心配して。
「…行動力はあるからなあ」
ぽつりと呟く。
俺様で言葉も行動も態度も荒いといえばすごく悪い人みたいに聞こえるけれど、マサ兄はいつもいざという時には真っ先に動いてくれる人だった。
いざというとき最も頼りになる彼だからこそ、私は彼を慕っていたのだ。
手を差し伸ばした相手のことは絶対に見捨てない彼をずっと見てきたから私は…。
…ああ、嫌だな。
思考が回復してくると、今までの自分がどれだけマサ兄に頼りっきりでひっつき過ぎだったのかを痛感する。
盲目的に慕って、マサ兄が私みたいな人間相手でも見捨てられないのを分かって頼りきりだった。
マサ兄にだって苦労や葛藤は当然あったろうし、欠点だって勿論あるんだろう。
なのに私がそんな依存の仕方をしたから、一切そんな所を見せてこなかったんだと今なら分かる。
そんな状態でマサ兄に振り向いてほしいなんて、ムシが良いにもほどがある。
少し距離をおいてみてそれに気付くことができたのは大きな収穫だけれど、それ以上にここまでしないと気付けなかった自分が恥ずかしい。
やっとマサ兄に対してもお姉ちゃんに対しても真っ直ぐな目で見られるようになったのだ。
また昔に戻ってギクシャクするのは嫌だ。
自分を卑下して、2人を妬むように崇めて。
そうして距離を開いたのは私の方だったのかもしれない。
「…ちゃんとしなきゃ」
決意が声になってこぼれ出る。
「そんなに頑張りすぎなくてもいいと思うんだけどね」
独り言のつもりだったのに、返事があった。
視線を声のした方に向けると、ロイが立っている。
腕を組んでため息を落とすと、いつも通りゆっくり近づいてきた。
「アヤはいつもしっかり頑張ってる。それ以上なにを頑張ろうとしてるの。君はそのままで良いんだよ」
相変わらずロイは私をそうやって甘やかす。
とても優しい人。
けれどそれじゃ…
「それじゃ何も変わらない」
そうなんだ。
変わらないままじゃ、私の劣等感や醜い感情に勝てない。
勝てなきゃ私はずっとあの2人と正面から向き合えない気がするんだ。
「…正直、俺はこれ以上無理して頑張って欲しくない。ごめん、我儘だけど」
「前を向けるよう頑張れって言ったのはロイだよ?」
「それはアヤが生きるだけの気持ちを持てるようにってこと。性格とか人格とか、そこについては全く言っていないよ」
「でも…」
「…ごめん、忘れて。これ以上は俺の押しつけになる。けどねアヤ、そのままのアヤでも俺は十分好きだってことは覚えておいて。アヤが頑張るって言うなら俺も応援する、けど焦らずゆっくりね」
…ロイは優しい。
言葉の端々から心配してくれていることが分かる。
ありのままの…いや、ありのままより更に酷い状況の私でさえ受け入れてくれる器の大きな人。
「うん、ロイありがとう」
「どういたしまして」
そんなロイがいてくれたから、ここまで考えられるようになったんだと実感した。
何があってもロイはちゃんと私を見てくれるという安心感があるから。
やっぱり何かを頼らなければ前にも進めない私が情けないと思う。
けれど、だからこそその優しさを無駄にしたくない。
無駄にしたなら、それこそお姉ちゃんやマサ兄とのあの苦い思い出の二の舞だ。
「ロイ」
「うん?」
「私…ちゃんと会わなきゃいけないと思う。あの2人と」
「アヤ」
「早いかな…私自身よく分かってない。けど」
「アヤ、ちょっと落ちつく。ゆっくり息すって」
知らず知らずの内に体中に力が入っていたらしい。
ロイに止められ、ゆっくり息を吸って吐きだす私。
それとほとんど同じタイミングでロイも大きく息を吐き出していた。
「反対はしないよ、ただ」
ふいにロイはそう言った。
ハッとして勢いよく見上げれば、苦笑した顔が目の中いっぱいに映る。
「アヤはまだ自分で思っているより心も体も回復していない。直接彼らと顔を合わせるのは流石に早いと思う」
「そう、だよね…」
「だから、とりあえずは間に何か挟む。幕か何か、とにかく直接顔が見えないように。まずは会話がちゃんとできるかどうかからやってみよう」
「!」
「あとひとつ条件、会う時は俺も立ち合う。なにか異変を感じたら面会はすぐ打ち切るよ」
「ロイ、でもそれじゃロイに負担が」
「余計なこと考えない。俺が一方的に言い付けてる条件なんだから」
こればかりは引かないとばかりに真剣な表情のロイ。
「…心配なんだよ。アヤの為とかじゃなくて、俺が安心したいだけ」
弱々しく言うロイの言葉の裏には、きっといつだか話してくれた“救えなかった大事な人”との経験があるのだろう。そう思った。
そして、そこまで言われて駄目と言える私でもない。
本当はロイが大丈夫だと言える私になるまで待った方が良いのかもしれない。
けれど、時間をかけてやっと会いたいとまで思えるようになったこの気持ちは急かすように私に強く訴えてくる。
我儘を言っている自覚は私にだってあった。
「ロイ、ありがとう」
結局口からこぼれたものは感謝の言葉。
謝るのもただ返事するだけなのも何か違う気がして、気付けば出てきていた。
そんな私を見たロイの表情は、苦笑いと泣き笑いを混ぜ合わせたような、決して綺麗ではないけれどとびきり温かい笑顔だった。




