繋がり
彩美へ
お元気ですか?
いきなりのことで驚かせてしまってごめんね。
彩美のことを救いだせなかった私が今さら何書いても言い訳に見えるかもしれないけど、どうしても伝えたいことがあってお手紙しました。
私は何があっても彩美の姉であり味方です。
彩美がどんな彩美だろうと、私にとって彩美は大事な妹だよ。
マサはあんな奴だから手紙のひとつも書けないけど、彩美に対する思いは私と同じくらい強いはず。
だから、いつか会いたいと思ってくれたら教えて下さい。
いつでも会いに行きます、絶対。
長くなってごめんね。
またお手紙します。
美咲より
紙は2枚つづりだった。
その全てが見覚えのある細くて綺麗な字。
万年筆のようなもので書かれているそれには消しゴムの跡なんてなかったけれど、何枚も書かれた後のように文字の溝がうっすらと残っている。
少し他人行儀で、すごく気を遣ったのが分かる文章。
文面の端々から、お姉ちゃんらしさを感じる。
そう、お姉ちゃんはどんなに照れくさかろうと、どんなに綺麗事みたいな言葉だろうと、必要だと自分が感じたことはちゃんと伝える努力をする人だった。
誰に対してだって、そう。
だからすごく尊敬していた。
…この気持ちをちゃんと思い出せて良かった。
お姉ちゃんはいつだって努力家だ。
私より何でも出来て私より周りからの評価も高くて、私は何度も悔しかったり劣等感に悩んだりしたけれど、それだってお姉ちゃんが私以上に努力を続けた結果なんだ。
分かっていてもどうしたって割り切れてくれなかった幼稚な私の心は、マサ兄への想いを募らせる度に醜い感情を生んでいった。
八つ当たりをしたことも大人げない態度を取ったことだって山ほどあった。
それでもお姉ちゃんは昔から変わらない。
変わらず私をこうして受け入れる努力を続けてくれている。
私は、それに報いることができるような人間になりたい。
「どうせ」なんて卑屈になるんじゃなく、「さすが」と称えられる人間になりたい。
そうして受け入れることができれば、少し2人に追いつけるような気がするのだ。
いつだって私の前を歩いていて届かない場所にいた2人に。
「ロイ、人間ってそうそう悪いことばかり起こらないみたい」
「ん?」
「この世界に来て良いことなんて何一つないと思ってたけれど、そんなことなかった…と、思う」
「アヤ」
「…一度失わないと大事さに気付けないって本当だ。ここまでかかってやっと分かった」
皮肉なことだけれど、マサ兄への想いを諦めてやっとたどり着いた答えだ。
自分の中にしこりのように残ったしつこい程の想いを強制的に断ち切られて、今まで見えていなかったものが見えるようになった。
ロイに出会いお世話になって、当たり前のことがどれだけ尊いものなのか知った。
すごく心が晴れた気がする。
迷宮から抜け出したような気分。
「…強いね、アヤは」
「違うよ、私は弱い。だからここまでしないと理解できなかった。お姉ちゃんやマサ兄は理解してたのに」
「それを受け入れられるのが強いってことだよ。楽なことじゃない、自分の境遇や欠点を認めるということは」
ロイは私を支えるように私の背に手を添えながら苦笑していた。
いつだって私を褒めるロイ。
私からしてみれば、あんな状態の私をたとえどんな理由からだろうとここまで救いあげて文句のひとつも言わないロイこそが強い人なんだと思う。
お姉ちゃんやマサ兄と同じ様に、ロイにもしっかりと芯がある。
「俺ね、過去にアヤと同じ様に精神的に追い詰められた人を知っているんだ」
「え?」
「アヤと同じくらい酷い状況で、精神を壊した。少しずつ拒絶していったよ、目の前にあるものを。当たり前のこと、常識的なこと、普通のこと、何もかもが俺には分からなくなっていった」
唐突にロイがそんなことを言う。
珍しいと思う。
ロイが脈絡なく、そんな過去話をするなんて。
ぽろぽろと抑えていたモノをこぼしていくように吐きだされる言葉は頼りない。
けれど耳を傾け続ければ、ロイはフッと優しく笑った。
「救うなんて傲慢な考えなのは分かってるんだけど、それでもあの時あの人を救えなかったことがずっと引っかかっててね。とにかく、だから少しは分かるんだよ。心を折ってしまった人がまた立ちあがるということがどれほど大変なことなのか」
「ロイ…」
「アヤは、泣いてくれた。自分の気持ちを認めて、俺やマサヒロ、ミサキの気持ちをちゃんと受け止めて言葉にしてくれた。ありがとう、アヤ。アヤは自分で思っているより強くて優しい子だよ」
ロイの言葉を聞いて、ロイがどうして私の面倒をあんなに根気よくみてくれていたのか少し理解する。
ロイがどうして、こんなに私のことを認めて笑ってくれるのか。
改めて、ロイの強さの源に触れた気がした。
「シスコンの兄バカだね、ロイ」
褒められたことが照れくさくてついそんなことを言ってしまう自分。
ロイは変わらず笑う。
「…あー、これはマサヒロにまた恨まれるかな」
「ロイ?」
「兄貴分に収まるか、勝負に出るか迷うところだな。んー、マサヒロと喧嘩はあまりしたくないんだけどどうしようか…」
「え、なに」
「いや、ちょっと自分の位置取りに悩んでただけ。俺ずるいからね、どう転んでも美味しい位置を探してるんだ」
「は?」
「アヤは分からなくて良いの、これは男の問題」
男の問題?位置取り?
何を言っているのか分からなくて眉を寄せる私に、ロイが「なんでもない!」と声をあげてぐしゃぐしゃ頭を撫でる。
そしてロイは私の手にある封筒を指差した。
「そんなことより、封筒ちゃんと見てやらないとマサヒロが拗ねるよ?」
「は?マサ兄拗ねるとかしないよ、てか何」
「いいから、封筒の中見る!」
相変わらず分からないことを言うロイ。
けれど強調して何度も言う彼に従って、封筒に目をやる。
封筒にはお姉ちゃんからの手紙しか入っていなかったはずだ。
手にある封筒の感触はぺらぺらで。
「え…」
…けれど、底の方を見つめると何かが見えた。
ぺらぺらで小さくて、けれど確かに何かが。
封筒をひっくり返して手元にソレを引き寄せる私。
そこにあったのは押し花のしおりだった。
「これ、シロツメクサ…?」
「そ、こっちの世界ではセアリオって呼ぶけどね。マサヒロからの手紙だよ」
「…マサ兄?」
手紙とロイが称するそれに文字は一切ない。
花は不器用に曲がって、全体的にお世辞にもバランスが良いとは言えないしおり。
マサ兄がそんなことをするなんて全然想像がつかないのに、その何もかもがマサ兄らしい空気を発している。
私の趣味が読書なのを知っているのは、この世界ではもうお姉ちゃんとマサ兄だけだ。
「ロ、ロイ。ごめ…」
「え、うええ!?なんでそこで吐きそうになるわけ!?ま、まって、ほら、これ」
「う、ううううう」
「よしよし、よく頑張りました」
嫌悪で吐きだしたわけじゃない。
辛くなって気分が悪くなったわけでもない。
感情が一気に溢れたんだ。
まだ耐性のないこの体じゃ、受け止め方が分からなくて吐き気に変わってしまった、らしい。
「…マサヒロ、君が羨ましいよ本当」
どこかでロイがそう言った気がする。
けれどたくさん考えて多くの感情に触れたことですっかり疲労してしまっていたらしい私の意識は少しずつ落ちて行く。
「…るせ。こっちの台詞なんだよ、ボケが」
そんな声は、聞こえていなかった。