結束
声を発せなかったのは、言われたことが衝撃的だったからではない。
ロイに失望したとか、怒りがこみ上げたとか、そういうことでもなかった。
ただ本当に何と言えばいいのか分からなかったのだ。
私は本当にロイには感謝している。
あの陽の光すら射さない地下部屋から私を出して、根気強く面倒を見てくれたことは間違いのないことで。
変な話だけれど、今までの人生で一番素のまま何も気負わずいられる人だと思った。
マサ兄やお姉ちゃんに対してそう思えていたのは本当に小さな頃だけだったし、この先そんな存在に会うことなはいだろうと漠然と思っていたから新鮮で、少し嬉しかったのだ。
けれど、奴隷として過ごした日々の傷はすぐ消えるものではない。
この世界に来ることさえなければ、そもそもあの酷い苦しみを味わうこともなかった。
そう簡単に大丈夫だと言えるような辛さではなかった。
気にしないでと心から言えるほど私の心も体も回復なんてしていない。
ロイがどこまで私達の召喚に関わっているのかは分からない。
けれど、今の私にとってその謝罪を受け入れて許すということはとても重いことのように感じた。
ロイを責めるつもりなんてないけれど、こんな自分自身でも曖昧な状態で安易に言葉を返すことはできなかった。
だから言うことが浮かんでこない。
重い沈黙が部屋を包む。
「利己的な理由って、なに」
耐えきれず先に声をあげたのは私の方だった。
もう少し気のきいた台詞でも出れば良かったんだろうけれど、それ以外の言葉が思いつかなかったのだから仕方ない。
ロイは顔を下げたまま、小さく口だけを動かす。
「…世界を救うことだよ」
どこかのファンタジーみたいだ。
すでに自分の身に起きていることや目の前の風景自体がファンタジーなのに、今さらそんなことを思う。
何の言葉も発さない私に、ロイは言葉を続けた。
「この世界の生き物は、異世界にしか存在しない陽力がなければ生きていけないんだ」
「ヨウリョク?」
「ミサキの言葉で言うならオーラという言葉が一番近いらしい。その陽力を異世界の人から恵んでもらうことで何とか生き永らえているんだよ、この世界の人間は」
分かるような分からないような話。
陽力というものの定義自体がよく分かっていないから、難しい。お姉ちゃんがオーラというなら、目に見えないものなんだろう。
けれど、それにしたって私は物理科学第一主義な世界で生まれ育っているわけだから、すんなりそうですかとはならない。
そもそもそんな世界を救うような力があるだなんて、いくらあの2人でも思ったことは流石にない。
「住んでいる環境で勝手に蓄えられていくんだよ、身の内に。決して多くの量が必要な訳じゃなくて、世界に1人強めな陽力持ちがいれば世界は保てるんだ」
私の考えを見抜いたかのように、ロイは言う。
「伝承では異世界人は総じて1人でも世界を支えられるくらい強い陽力を持つと書いてあったけど、本当のようだね。ミサキもマサヒロもアヤも皆いままで見たことないほど強い陽力を持っている」
「…私、も?」
「そう。バネリア家は代々魔導一家で陽力を見分ける力を持つことから強大な権力を有してきた。俺にもその力は宿っているから、間違いないよ」
ロイはそう言って手の平を私の前に差し出した。
差し出されるまま目線を移すと、そこから淡く水色の光の結晶が生まれる。
装置なしに、CGがいきなり目の前で再現されたような感覚だ。
ロイが言うには、それが魔導の力らしい。
「バネリア帝国は巫女や勇者と呼ばれる異世界人を召喚して世界を守ることで権力を持ってきた国だ。代々、陽力が一定以下に減少すると血統伝来の召喚術を使って男女1組を召喚しその力を恵んでもらう。そうしてこの世界を守る役割を担ってきたんだ」
そこまで聞いて、何もかも分かっていなかった自分の中に疑問がひとつ生まれた。
「男女…?1人で支えられるなら何で2人」
「理由は2つ。ひとつは異世界に1人引きずりこんで精神を崩壊させないよう支え合う存在が必要だと考えられてきたから。そしてもうひとつは…」
まるで聞かれることが分かっていたかのようにロイはすらすらと答えをくれる。
視線はあくまで私に向けず、だけどはっきりと聞きとりやすいようにゆっくり話しているのが分かる。
けれどいきなり言葉を区切ったことで、嫌な予感がした。
言いにくいのだと分かったから。
「もうひとつは、子を成してもらうためだ」
言われた瞬間、何を言っているのか理解に苦しんだ。
けれど、それもほんの少しの話だ。
頭に浮かんだ考えを肯定するように声が響く。
「陽力を持った者同士が子をなせば、子供にも陽力は受け継がれる。この世界の者と結ばれ子を成しても陽力は継がれるけど陽力同士の子供よりは弱い。だから男女で召喚して、あわよくば力の濃い子を。それが駄目なら、それぞれが伴侶を選び子を成すことで陽力持ちを増やす」
「…子供」
「そう。けどね、陽力のないこの世界じゃ代を重ねるごとに力は弱まっていく。だから陽力が尽きかけるとまた異世界から人を召喚して力を補給する。それがこの世界のしくみなんだ」
ロイが細かく教えてくれたのは分かったけれど、頭に残った言葉は男女で召喚し子を成すということだけだった。はっきりと告げられたその言葉に、思考が凍る。
本来召喚されるべきだった女性側の人物が私だったのかお姉ちゃんだったのかなんて、もう分かり切っていることだ。あんな砂漠に独り落ちた私なわけないということくらい、誰でも分かる。
つまりこの世界が求めているのは、お姉ちゃんとマサ兄の子供。
そのことに気付いてしまった。
諦めたはずなのにいざはっきり示されるとショックを受けている自分がいる。
そしてやっぱり私は弾かれるべき人間だったのだと再認識して傷つく自分も。
そんなことばかりすぐ気付いてしまう卑屈な自分にもいい加減嫌気がさした。
「はは…」
思わず自嘲めいた笑いが出てきてしまう。
どこまで自分は邪魔者なんだろう。
イレギュラーとして金魚のフンみたいにこの世界にまでひっついてきて、その上勝手に奴隷に落ち、勝手に壊れてここまで手間をかけさせる。
召喚されて奴隷にされたこと自体は私に非があるわけじゃないと思う。
けれど、そもそも私が場違いな場所にいたのだと言われているような気持ちになるには十分な話だ。
ギュッと寝台のシーツを握りしめる私。
ロイがぽつりと言葉を落としたのはそんな時だった。
「…マサヒロが、ずっと君のことを探すと言って聞かなかった」
その言葉に、思わず視線を戻して反応してしまう。
「今まで3人目が召喚されたことなんてなかったから、誰も彼の言うことに取り合わなかったよ。だが、彼だけはずっと君がこの世界にいると主張して王宮から飛び出し続けた。俺は、そのマサヒロの願いから動いた駒だよ」
「マサ兄が?」
「初めからマサヒロはミサキと子を成すことを拒否していた。君が奴隷市場で見つかったと聞いた時の怒り様は尋常じゃなかったよ。今も彼はそんな理由から俺達バネリアの人間を拒否しがちだ。何度も王宮を抜け出してはここへ君に会いに来ようとしていた」
「そんな、そんなこと」
初めて知る事実。
自分の今までの考えとは全く反対のマサ兄の行動に、まともな言葉が紡げなかった。
「ミサキもマサヒロも君の話をしない日は1日だってなかったよ。ミサキは君の心が癒えて会いたいと思えるまで待ち続けると言っていた。マサヒロは君の傍で支えることを望んでいた。どちらも君の心が癒えるまでこの世界の救世主になどなる気はないと言っていたよ」
「…」
「…俺が君を助けて面倒見た理由はそんな2人の意志を変えるためだ。世界を保つために彼等が子孫を残すことは必要不可欠だから。君を散々振り回してあんな酷い目にあわせておきながら、俺はそんな利己的な理由のためにずっと動いていたんだよ」
ロイが苦しげに告げる。
やっと繋がった話、そして初めて私の元に届いた2人の想い。
話を聞いた後でも、ロイに怒りが湧くことは無かった。
ただただ頭に浮かんだのは、自分を卑下し続けたことに対して恥じる思いだけ。
2人がどんな思いで私のことを探し続けてくれていたかなんて考えもせず、ただ自分の不運な境遇を嘆いて何もしなかった。
「…私、本当最悪だ」
「やめて、アヤ。アヤは何も悪くない、悪いのは」
「ロイじゃないでしょ。気にしないでとも大丈夫とも言えないけれど、ロイを責めるのもお門違い。勘違いしちゃダメ」
…変わらなきゃ。
そう思った。
受け身なままじゃ、今までと変わらない。
自分は2人のオマケだ、自分は取りこぼされる側の人間だ、だなんて思ってるだけじゃ2人に追いつけないのは当たり前の話だ。
私を支えてくれた2人が、私を助けてくれたロイが、それぞれ前に進むために自分にできることをやりたい。できることがあるのならば、こんな私でも3人に何らかの影響を与えられるなら、それは嬉しいことだ。だって自分の存在意義を見いだすことができるから。
少し歪んだ気持ちなのは分かっているけれど、正直な思いはそうだった。
でもきっと、何もしないよりはマシだと思いたい。
「ロイが利己的な理由で私を助けるなら、私も利己的な理由でロイに甘える。それでおあいこ」
「アヤ?」
「…私、まだ人が怖いし近くにいるだけで気持ち悪くなるの。けれどロイだけは大丈夫みたい。だからもう少し面倒みて欲しい。買い取られた身分から図々しいお願いなのは分かってるけれど」
「図々しいなんて…っ、それにそんなの当たり前の話だし利己的なんかじゃ」
「あと私、同情されるの嫌い。けど素を受け入れてくれる人が好き。ロイを利用することも無意識でする自信がある程度には性悪だし、我儘だよ」
「だからっ」
「私はロイを信用する。だから私に罪悪感を持ってるなら、裏切らないでね?」
「…っ」
「裏切ったら、私さらにロイの罪悪感煽るような真似するから」
何とも性格の悪いことを言いながら、ニッと口の端を上げてみる。
長いこと使わなかった筋肉はガチガチで上手く表情を作ってくれない。
きっと引きつった笑顔にもならないような顔なんだろうとは思う。
けれど、上出来だと思った。
「…負けました。これから先、俺はアヤに尽くすことにしたよ」
「いや、そこまでしなくても」
「決めたの。悪いけど、俺しつこいから」
だって、ロイの顔がやっと晴れた。
ロイもまた色んな感情に振り回されたのか、泣き笑いのような笑顔で、それは決して綺麗だとは言えない。
でも、すっきりしたように吐きだされた言葉に私の心も晴れた気がする。
私の中の時間が、やっと動き出した瞬間だった。




