変化と懺悔
泣き尽きると猛烈に眠気がやってきてそのまま意識を飛ばした。
まるで子供のように本能のまま。
「お休み、アヤ」
意識が途切れる寸前、頭を優しく撫でられた気がする。
それに対しても嫌悪感を抱かない私がいた。
皮肉なことに、マサ兄を拒絶したことがきっかけで私の時間が大きく前進したらしい。
それ以降ロイに対しては触れられても吐き気がしなくなっていった。
「…私、最悪かも」
冷静になってみると、自分が酷く性格の悪い女に思えてしまう。
いや、もともと性格なんて良くはなかったけれど更に悪化したと言う方が正しいかもしれない。
マサ兄が私の名前を呼んで探してくれていたのに、私は狂ったように泣き叫んで彼を拒絶した。
それなのにそんなことを忘れたかのように、私は自分に起きた変化の方が嬉しいと思ってしまった。
マサ兄やお姉ちゃんのことを考えるのはすごく体力を使う。
2人に悪い所なんて何一つないのに、私が今2人に抱いている感情はものすごく複雑だ。
良い意味でも悪い意味でも簡単に考えられないくらいに大きな存在。
会いたくないというよりも、会うのがとても怖い。
自分を見られることも、話すことも、すごく怖い。
前とあまりに変わってしまったからこそ、前の自分をよく知る2人と会う勇気がどうしても持てない。
こんな状況の私しか知らないロイの傍の方が正直な話、安心できた。
やっと、やっとまともに話ができるようになった自分。
やっと受ける好意にお礼が言えるようになった自分。
それがたまらなく嬉しい。
今の私は、自分の都合で勝手が良いロイに縋っているようなものだ。向き合うのが怖いからマサ兄を思考から追い出し、優しくしてくれるからロイの傍を望んでいる。
そんなのマサ兄に対してだってロイに対してだってとてつもなく失礼な話だ。
簡単な方へ、楽な方へと逃げている自覚はあった。
けれど、それは自覚だけであって変わろうと中々思うことも出来ない。
「…最悪だ、私」
嬉しいのに、落ち込んでしまう私。
感情の上下が常に激しく回っていて、自分でも戸惑っている。
前に進んだと思えば、また壁がやってきて前向きな気持ちをどんどん削いでいく。
「さっきからため息はつくわ、自分を罵倒してるわ、笑ったと思えば落ち込むわでどうしたのさ、アヤ」
「…ロイ?」
「あれ、今気付いたの?全く、アヤは本当マイペースだね」
いつの間にいたのか、ロイは扉に背を預け呆れたように私の方を見ていた。
そう、私の変化と共にロイも大きく変わった気がする。
笑顔しかなかったロイの他の表情にも触れる機会が増えてきたのだ。
私のことを一切否定しなかったロイが、最近ではからかったりもしてくるようになった。
からかうと言っても、ごくゆるいからかいだ。
優しいことには変わりない。
「やっぱりロイの性格変わったね」
「だっから失礼だな!どれもこれも俺だって。ただちょーっとアヤが気持ち悪くならないよう気配ってただけで」
「…ごめん、猫かぶらせて」
「おーい、なにさらっと2年近くの俺の人格否定してんのアヤ。あれも俺だって言ってるのに」
「そう、なの?」
「…なぜそう疑わしげな目で俺を見る」
きっとロイは私が最初思ってたより気さくな性格なんだと思う。
ひたすら爽やかで優しい人だと思っていたけれど、ここ最近はそういった印象が薄れている。
私があんな状態だった頃、ロイは極力私を怖がらせないよう口調にも言葉にも気を使ってくれていたらしい。でもまあ、どんな口調でもどんな表情でもロイはロイだ。
「で、何が最低なの?良かったら教えて?」
「…なんでもない、ただの独り言」
ロイがゆっくり歩いてきて、私のいる寝台に腰かける。
本当はもっと歩くスピードが速いくせに、まだ人との距離を掴み切れていない私のためわざとゆっくり歩いて心構えさせてくれてることを私は知っている。
こういう所が優しいと思う。
それなのに、そんなロイに対してすらマサ兄のことを話すのは何となく気が引けた。
これも自分の中の変なプライドなのだろうか?分からない。
けれど、息を張りつめて頭に糸をピンと張って腹を決めなきゃ話せない気がしたのだ。
マサ兄やお姉ちゃんのことになった途端、私の心はすごく扱いにくくなる。
「あー、ごめんねアヤ。気持ち悪くなったらすぐこの話題止めるから言って?」
「え」
「考えているのはマサヒロのこと?ミサキのこと?」
躊躇いがちに切りだされたその名前に私は目を見開き固まった。
どうして、ロイが2人の名前を知っているんだろうか。
そこまで考えて、やっと私はマサ兄があの時どうして私に声が届く所にいたのかを理解する。
長い奴隷生活は私の体だけじゃなくて脳みそまで鈍くさせてしまったらしい。
「知り合い、なの?」
心臓がドキドキと鳴っていた。
マサ兄に対して感じていたのとはまた別種の動悸。
気付けば握る手が白くなるくらい緊張している。
「お願い、ちょっと落ちついてアヤ。そんなに体ガチガチにしてたらすぐ気持ち悪くなっちゃうから」
「大、丈夫」
「大丈夫じゃない。体も心もまだまだ本調子じゃないんだから労らないとダメ」
「…ロイは私に優しくしすぎ、甘やかしすぎ」
「そんなことないのに。とにかくほら、深呼吸」
ロイに宥められ、一呼吸を置く私。
そうすると肺のあたりがなんだかパキパキと鳴った気がした。
思った以上に体が強張っていたらしい。
前進したと思った今だって、こうしてワンクッション置かないとまともに話ができない。
ロイはいつも私を褒めて甘やかすけれど、私の身心はなかなか思うとおりには前を向いてくれない。
それでも、何でもかんでも避けるわけにはきっといかない。
何回か深呼吸をして体の力を抜けるように意識してロイを見上げた。
ロイは眉を寄せたまま、視線をさまよわせている。
言おうか言わないか迷っている様子だ。
けれど、私にずっと見つめ続けられていることで覚悟を決めたのか、ゆっくりいつもより少し小さめな声で告げた。
「知り合いだよ、2人とは。もう3年近くの付き合いになるかな」
「3年…?」
「そう、もうそれだけ経つんだよ。彼等が…君がこの世界に召喚されて」
「…ロイ?」
「…ごめんね、すぐに助け出せなくて。こっちの都合で召喚したくせに、あんな酷い目にあわせて本当すまない」
突然の話に上手く反応できない。
そんな私に対して、ロイは土下座するくらいの勢いで頭を下げる。
寝台のシーツを強く握りしめて、何かに耐えるように。
私が異世界の人間であることをロイが知っているということ、お姉ちゃんやマサ兄とも知り合いだということ、そしてその召喚にロイが関わっているだろうこと、その事実は確かに衝撃的だ。
けれど、それと同時に納得もした。
それは、私を買い取ってずっと私の面倒を見てきた理由。
「ロイは、何者?」
気付けばそう尋ねていた。
不思議と心は凪いでいる。素直に事実が知りたいと、そう思った。
「俺は…俺の本名はロイシュ=バネリア。この国の名はバネリア帝国。この意味、分かる?」
「王族、なの…?」
「そ、当たり。俺の3番目の兄上が皇帝陛下なんだ」
苦く笑って、ロイは頷く。
ロイが、皇弟。
その事実が一番の驚きだ。
「まあ、俺は8番目の子供だし母親の身分も低いしだから大したことないんだけどね」
「ロイ」
「…とにかく、全部俺達のせいなんだよ。アヤがここまで苦しんだのは。面倒見たのも利己的な理由だ。俺は、アヤが思ってるほど優しくなんてないんだ」
ロイが苦しそうに告げたその言葉に、私は何を言っていいのか分からなかった。