表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/19

拒絶の先




何日も何日も、同じ様な日は続いた。

一度付けられた傷がそうそう簡単に癒されないというのは本当の話だ。

頭では理解していても心は拒絶以外の答えを導かない。


時間がどれだけ経ったのか、どれほどの日数が経ったのか分からない。

けれど、奴隷として過ごした時間とロイに買われてからの時間のどちらが長かったのか分からなくなる程度には時間が経った。


感覚的にどれくらいと聞かれてもはっきりとしないけれど、あえて言うとするならば半年から1年くらいだと思う。それよりもっと短いかもしれないし、長いかもしれない。

とにもかくにも、私にとって決して短くない時間が経ったというのは確かなことだ。


その短くない時間中、ロイは何も変わらなかった。

変わらず私の世話を焼き、変わらず笑顔を崩さず、変わらず私に語りかける。

それに私が耐えきれず体調を崩すことだって多々あったけれど、彼はその度に「よく頑張りました」と褒めて嫌な顔ひとつせず面倒を見てくれる。


もう、それだけで十分だと思った。

もし仮に彼に何らかの思惑があったとしたって、十分すぎるほどのことを彼はしてくれた。

一切彼を受け付けられない私に長いこと優しさをくれたのは間違いない。


そう思う気持ちは日々強くなっている。

それなのに、未だ拒絶を続ける体と心。

思うとおりに動かない自分が悔しくてもどかしい。




「おはよう、アヤ。今日も良い天気だよ、気持ち良いね」


「……」


「ほら、ご飯の前にコレ。ミサナの花だよ、やっと外も暖かくなってきたからね」


「ミ、サナ…」


「そ、ミサナの花。この花の香りは人の心を癒す効果があるんだってさ」


「…気持ち悪い」


「えー、残念。俺、この花好きなんだけどな」




ロイが今日も笑顔で部屋にやってくる。

私達の関係は一向に変わっていない。

私達の関係が一体何なのかすら分からないところだけど、お互いのことをお互いほとんど知らないという点においては何も変わっていないんだ。


それでも何もかも変わらなかったわけではなかった。

私の名前をロイが知って、アヤという愛称で呼ぶようになったこと。

ロイと一緒にいても、かろうじて吐き気を耐えられる時間が増えたこと。

それくらいの、本当に微々たる変化はあった。


しかしその程度の変化でも、私の思考には影響があったらしい。

例えば一日中私の世話を焼くこの青年は一体何者なのかということとか、そもそもここがどこなのかということとか。

そんなことを考えられるようになるくらいには、変ったと思う。


まあ、いまだ人と接するのはずいぶんストレスになっているようで長い話が必要そうな会話なんて全くできないんだけど。




「お、ごめんごめん疲れちゃったかな。できればご飯食べてから休んでくれるとありがたいんだけどな」


「む、り」


「吐きそう?ほらこれ」


「…うっ」


「良い子、よく頑張りました」



まだ、そんなロイと一緒にいても深く何かを考えようとすれば吐き気に襲われる時がある。

まともに人として生きることすらできていない今の私。

精神的にも肉体的にも脆すぎる自分。

日々、自己嫌悪との戦いだ。



「うん、ちょっと休んだ方が良いね。起きたら頑張ってご飯食べようか」




ロイはそう言って、静かに扉を閉めた。

相変わらず一切私のことを責めもせず。



「ありがとう、ロイ」



たったの5文字すら、なかなか言えない私。

言いたいのに、言おうとすると喉が詰まる。

簡単に人間を許すなというように体中が拒絶する。

一番に伝えたい言葉は、独りきりの広い部屋に虚しく響くだけだ。


いつこの言葉を彼に届けることができるのだろう。

こんなゆっくりすぎる変化具合じゃ、下手すると5年10年はかかるかもしれない。

嫌だな、それは。

そう思っても私自身、この体や心がどうすれば前に進んでくれるのか分からないのだ。


小さくため息がこぼれる。

突然、人の声が耳に届いたのはそんな時だった。





「離せっ!彩美に会わせろ!!」



怒鳴るような切羽詰まった声。

扉を何枚か隔てた先で確かに響いた声。

その声の主を忘れるほど私は馬鹿でもない。



「マサ、兄…?」



突然の出来事に真っ白になる。

なんで突然マサ兄の声が聞こえたのかとか、何が起きてるのかとか、そんなの分からない。

けれど気付いた時には、手が声の方に伸びている自分がいた。


完全に無意識の内に手が動く。

私の名前を呼んで、私に会おうと声を張り上げている。

余裕なマサ兄しか私は知らない。こんな必死な声は知らない。

だから全てはじけとんで、体が動いたのだ。

衝動的に足が動いた先は寝台の外。

声の方に導かれるように体を向けて寝台から立ち上がる。



「…っ、いっ…!」




ぐにゃりと足が折れて地べたに這いつくばるのは、それとほぼ同時だった。

勢いよく体が崩れて、体に衝撃が走る。

そしてその振動でやっと私は我に返った。


会って、どうするつもり?

私は、まともに話すどころか人と長い間顔を合わせることすらできないのに。


もう、マサ兄と私は違う世界の人間になってしまった。

私は自力で立ちあがることすらできない。

そこら辺の石ころと変わらず扱われ、お金で取引されてしまうような惨めな奴隷。

ロイの治療のおかげで傷自体は癒えたけれど、体中顔にまでその跡はくっきりと残っている。


世界の救世主と、奴隷。

会ってどうするの。

惨めなこの姿を晒して、同情でもしてもらうつもり?




「…いや、いやあああああああ」



絶望感だけが襲った。

奴隷として過ごしたあの惨めな記憶が一気に溢れ出てくる。


色々と諦めた私ではあったけれど、それでも私の中にもくだらないプライドは存在する。

マサ兄にだけは、こんな無様な自分を見せたくなかった。

見られたくなんて、ない。


そう思った途端、何もかも怖くなってかな切り声を上げていた。

喉が切れるような痛みを訴えても、耳に何かが入り込むのが怖くてひたすら悲鳴を上げてシャットアウトする。

耳にあてる手はガクガクと震えていて役に立たない。




「アヤ!落ちつけ!」


「あああああああああああ」


「…怖かったね、ごめん。もっと早く寝かせてやるべきだった」




駆けつけたのは、ロイだった。

私の肩を両手で掴んで、焦ったように私に何かを言っている。

目には映っていたし、耳にもその声は届いていた。

けれど、糸が切れたかのように恐怖感が溢れ出ていた私の頭は、ちゃんとそれを認識してくれない。



「やだ、やだああああああ、あああああああ」


「うん、ごめんね。辛いね。大丈夫だ、大丈夫だよ」


「あ…あ…」


「そう、良い子だ。よく頑張りました、偉い偉い」




そんな私を、ロイは辛抱強く宥めてくれた。

どれだけ自分が壊れていたのか、それは分からない。

けれど、喉が痛くて声も枯れ頭がひどく重くなっていた。

空の色はあんなにはっきりとオレンジ色だったのに、今はもう濃い紫色になるくらいだ。

半日は裕に過ぎている。

私がロイの存在をちゃんと認識できるまで、それぐらいの時間がかかった。らしい。




「…ロ、イ?」


「はは、初めて名前呼んでくれた。ありがとう、アヤ」


「わ、わたし」


「こら、余計なこと考えない。俺今気分良いんだから、それで良いじゃない」


「で、も」


「良いの。アヤは良く頑張りました。大丈夫だよ、もう十分頑張ったからこれ以上頑張らなくて良いんだ」


「う、う…」


「よしよし、良い子」




まるであやすようにロイは私に優しく語りかける。

ガラガラになってまともに声になっていない私の言葉をちゃんと読み込んで、いつもと変わらず私を褒めるロイ。


…何も頑張ってなんかいない。

何もできないまま、ただただ自分勝手に狂っただけだ。


なのに、ロイはそんな私を「大丈夫」だと言う。

よく頑張ったねと、笑顔を向けてくる。

このままで良いわけないのに、受け入れてくれている。


その事実は、私の中にあった何かの糸を緩めてくれた。



「うう、ううううううう」


「…っ、アヤ。泣いて、いるの?ちゃんと、泣けている?」


「うっ、うあああ」


「……ありがとう、アヤ。綺麗な子だね」




なぜか、ロイまで涙を流している。

その理由は私にはちっとも分からない。


けれど、ロイは静かに涙を流しながら、そっと私を包み込むように抱き込んだ。

そして、そんなロイを綺麗だと思いはすれ、嫌だとは思わなかった。



人の温もりに拒絶反応が起きなかったのは、本当に久しぶりのことだった。












評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ