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平穏と拒絶




「マサ兄ってお姉ちゃんのこと好きなの?」


「ああ?いきなりなんだよお前」


「…だって、皆お似合いだって言うから」


「ブッ、お前幼稚園児かよ!ガキだとは思ってたけど、本気でガキだな」


「な、なにさ!もういい、知らないもん」


「おらみろ、そういうとこがガキなんだっつの」



彼に出会ってから15年くらいの時間で、一度だけ2人の関係について聞いたことがあった。

私は当時まだ中学生で、2人は高校生で、ちょうど皆がそういった恋愛事に敏感になる時期だ。

いくら幼馴染と言えど、四六時中一緒にいたマサ兄とお姉ちゃんが噂の的になるのは必然で。


人の目なんて気にならないような淡い恋心から少し抜け出して、一丁前に嫉妬だとか焦りだとかそんなことを感じるようになっていた私は、当時すごく勇気を出してその真相を聞き出そうとしたのだ。

結局、そんな私の想いなんて知らんぷりしてマサ兄は馬鹿にしたように笑っていたけれど。




「心配せんでも、お前が俺の妹分なのはずっと変わんねえんだから拗ねんなアホ」


「…妹分」


「ああ?俺が兄貴分なのは不満なのか?贅沢言い過ぎなんだよ」


「違うし。そういうことじゃない」


「お兄ちゃんとられて嫌だ~!ってヤツじゃねえのか?」


「な、そ、そんな子供っぽいこと思ってないもん!」


「ムキになってるあたりガキっぽいけどなあ」




想いは中々伝わらなくて、マサ兄の性格から自分も言いにくくて、すごく歯がゆい思いをしたのを覚えている。

あれよりちょっと時間が過ぎた今なら、それが伝わらなかったわけじゃなくて上手くかわされていたんだと分かる。

そんなに鈍くないマサ兄が、あんなに直球だった私の想いに気付かないわけがきっとなかった。


それはマサ兄なりの優しさだったのかもしれない。

人によっては中途半端で残酷だと思うかもしれないけれど、マサ兄のあの態度はきっと最善だった。

だって私は、あの頃ひどく我儘で臆病者だったから。

あの兄妹のような近い距離を手放す覚悟もないくせに、兄妹では成立し得ない関係性を望んでいた。

私が一歩踏み込んでしまえばそれまでのお姉ちゃんも含めた3人の居心地いい関係性が崩れてしまうなんて考えてもいなかった。

マサ兄は、それをきっと考えてかわし続けてくれたんだと思う。


俺様だけれど言い訳せず恩着せがましく押しつけることもなく、周りを思って動く人だ。

あの時だって、完全にへそを曲げた私の頭をぐしゃぐしゃと撫で回して意地の悪い笑みを浮かべていた。

そうすると私が呆れながらもつられて笑うことを知っているから。

結局、全部がバカバカしくなって居心地の良いポジションに戻る。そうやって大した取り柄もない私の居場所をちゃんと用意してくれていたと気付いたのは最近だ。


とにもかくにも、マサ兄の本心は私には最後まで分からなかった。

それでも、決してお姉ちゃんへの想いを否定しなかったことやずっと付かず離れず私達姉妹の傍にいたことから、周りの人達が噂することはあながち間違いでもないんじゃないかというのがたどり着いた結論だ。


高校生になりそう気付いて以降は、20歳間近の今に至るまで怖くなって聞けずじまい。

結局私達の関係は何一つ変わらない。

いつか壊れる時がくるんだろうか、離れる時がくるんだろうかなんて毎日のように怯えながら、それでも臆病な私は何一つできないまま時間だけが過ぎた。




まさかここまで理不尽に突然引き離されるだなんて思ってなかったけれど。

こうなるなんて分かっていたらもう少し勇気を出していたのになんて思うのは、所詮負け犬の言い訳であってきっと分かっていても私は何もできなかっただろうとも思う。


想像以上に理不尽な現実は、容赦なく私を追い詰める。

何かの呪いのように糸を引いて付きまとっていた想い、ただただ押しつけ続けた気持ち。

プチっと切れる音がして行き場を失った感情。

私自身、確かに諦めという感情を受け止めたけれど、それじゃあこの漠然としたマサ兄への想いが何なのか分からなくなってしまっているのが正直な気持ちだ。


マサ兄は大好きだ。たとえ恋愛感情がなくたってそう断言できる。

お姉ちゃんだって好きだ。複雑な思いを抱えてしまってはいるけれど、それは私の自分勝手な気持ちがあるからであって、お姉ちゃん自身に問題があるわけでは断じてない。


なのに、いざ自分よりも2人が優遇されているのを見ると醜い感情が溢れてしまう。

諦めや自嘲の隙間を縫って、なんであの2人ばっかりなんて馬鹿みたいな嫉妬心が生まれる。

自分が惨めで、無理やり作りあげていた脆くて紛い物のプライドも粉々で、そして壊れてしまった。



もう、何もかも嫌だ。

この世もあの世も、誰もかれも捨ててしまいたい。

私が奴隷として過ごした時間は、そう思ってしまう程度には長かった。



だから、誰か他人を信用できるような気持にもなれなくて。

私を買い取ったあの褐色の男性に対してだって正直嫌悪感しか抱けない自分がいる。

…明らかに、彼は私を救い出してくれた人だというのに。





「あ、起きたお嬢さん?ゆっくり眠れたかな」


「……」


「さ、薬塗ろうか。痛いし嫌なのは分かるけど少し我慢してね。大丈夫だから」


「…いらない、離して」


「だーめ。俺がその傷放置すんの耐えられないの」




目が覚めた時に目の前に広がっていたのは、それまでいた場所よりはるかに清潔感に溢れた淡い淡い水色の部屋だった。

人2人くらいは寝れそうな大きいベッドの上で、縄もかけられず真っ白くて温かいネグリジェのような服を着せられ横たわっていた私。


奴隷として買われたはずなのに、この世界に来て一番の好待遇だった。

窓からはさやさやと風が流れていて、夕方みたいにオレンジな陽の光も淡く入ってきていて、とにかく健康的な雰囲気が漂う空間。


私を買い取った男性は、私の姿を認めるとにっこりと笑って近づいた。

乱暴をされると身構えていた私の前に膝をついて、そっと傷だらけの足首に触れ「痛かったね、もう大丈夫だよ」と優しく言う。


ひょろりと背が高くて細身なのにしっかりと筋肉が付いているのが分かる。

褐色の肌に、アラビア物語にでも出てきそうな服。ゆったりしたズボン、上半身裸の上に直接ストールをぐるぐる巻きつけたような格好。装飾品が耳や手首に多く付いているあたりお金持ちなんだろうと思う。


男性にしては丸っこい目に、小さな鼻、形の良い口。

サラサラな髪は真っ黒で、瞳の色は透き通った水色。

中世的で爽やかな雰囲気を持つ、正真正銘の美青年だ。


そんな彼に拾われてどれくらい経ったのか。

自分の感覚では1週間くらいだと思うけど、いつが昼でいつが夜かも分からない生活を送っているからそこの辺りは曖昧だ。





「なかなか良くならないね、傷。早く治ると良いんだけど」


「…どういうつもり」


「ん?なにが?」


「私を買ってこんな扱いしたってメリットないでしょ」


「あるよ、メリット。だけどまだ内緒。大丈夫、悪いようにはしないからさ」


「…」


「ふふ、信用できないよね。自覚はあるから無視してくれても良いんだよ」





ロイと、その青年は名乗った。

優しい目で優しく笑いながら、自分が秘密事をしていることを一切隠さない。

私に無視されようと睨まれようとその顔色を崩さず、せっせと私の世話をする。


怪しいところはもちろんあるけれど、それを踏まえたってこの世界で現在一番私に優しさをくれている人物であることは間違いがない。

悪い人か良い人かなんて分からないけれど、この人があの奴隷市場にいた商人達とは別のところにいることくらいは分かっていた。



それなのに、私の心は一切彼を受け入れようとしないのだ。

触れられると気持ち悪くなり鳥肌が立つ。声をかけられると耳をふさぎたくなる。

近くに寄られるだけで体がガチガチに強張ってしまう。

自分でもどうしようもない。

気付けば体が勝手にそう反応してしまう。


どうやら人間そのものが生理的に受け付けなくなってしまったらしい。

自分だって人間のくせに、独りじゃ到底生きていけないくせに、私の体は拒絶しかしない。

そんな自分も気持ち悪く感じてしまうし、正直どうすればいいのか分からない。

ただひたすら気持ち悪いのだ、それこそ消えてしまいたくなるほどに。


ずっと張りつめていた何かが、環境が劇的に変ったことで崩壊してしまったらしい。

今まで何も感じなかったことが負の方向にひっぱられて恐ろしいくらいに膨れあがっていく。




「あまり思い詰めなくて良いんだよ。人は想像を絶する過酷な環境に身を置くと、自分を守ろうと全て拒絶してしまう。君の体が上手く順応してくれないのは、仕方のないことだ」


「…うるさい」


「うん。けど大事なことだから何とか耐えて。ゆっくりでいいから、当たり前の生活に慣れていくんだ。俺も努力するから君も少しずつ前を向こう?こればかりは君の意志がないと進まない」


「黙って、気持ち悪い」


「了解、よく頑張りました。何か吐き出したくなったらこれ使って。ゆっくり休んでね」




ロイは蓋のついた置物をそっと近くに置いて、まっすぐ去っていった。

パタンと扉が閉まった瞬間にその置物めがけて胃からせり上がって来たものを吐きだす私。



…分かってるんだ。

あの人はきっとどんな理由があろうと私を何とか救おうとしてくれている。

どんな計略があろうと、その中でも少しでも私が立ちあがれるよう支えてくれている。

きっとあの人はマサ兄みたく優しい人。


なのに、体や心が受け入れてくれない。


苦しくて、悔しくて、辛い。

自己嫌悪する感情はどんどんと積っていく。

一向に出口が見えなくて、いっそのこと狂ってしまいたくもなる。




『なにらしくない無茶してんだアホが。頼れる人間がいんなら頼れ、それが妹分の特権だろが』



ふと頭に響いたのは、マサ兄の声だった。

諦めた想いに嘘はないのに、こんな時ばかり声が響く。

狂おうとする時に限って、引きとめるように言葉が流れ込んでくるんだ。


結局恋をしていたっていなくたって、自分の想像以上に縋ってしまっていたらしい。

呆れたように、暴言混じりに、それでも決して手を離さずいてくれた元想い人。

私の人生はそんな彼に拾い上げられっぱなしだったんだと、こうなってしまってやっと気付く。



もし。

もし、この先マサ兄を見る機会があったなら、その時こそは素直に感謝できる自分でありたい。



自分の中に残ってくれた真っ直ぐな感情は、情けないことにそれだけだった。





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