ロイの事情
いつの間にマサ兄が帰ったのか私には分からない。
何の音もなかったから。
「魔導力、だよ」
「え」
「この世界環境に適応してきて、マサヒロにも力が宿ったみたいなんだ」
「な…適応って、マサ兄がそれ使えるの?」
「…ま、君の前では見せたがらないんだけどね」
ロイが察したように教えてくれたけれど、その内容に驚く。
魔導力なんて説明のつかない力をマサ兄が…、にわかに信じられない。
「皮肉なことなのかもしれないね。一番この世界を嫌っている人間が、一番この世界に適応して素養をみせるなんて」
苦い顔をしてロイがそう呟いた。
上手く隠そうとしたみたいだけれど、口の端から小さくため息がもれたことに気付く私。
ジッと見つめれば、今度は苦い顔のまま笑った。
「アヤ、聞いていたよね?」
「…なに、を」
「うん、怖いよねソレを受け入れるのは。けどね、聞かれちゃった以上なかったことにはできない」
…聞いてないなんて言葉は言えなかった。
ロイの顔はあまりに真剣で、そして少し苦しげだったから。
本当は決定的な言葉を本人に言われるのが怖い。
今まで築いてきた関係が壊れてしまう気がして。
そんな簡単なことで崩れるような信頼じゃないはずなのに、どうしてもそんな不安は消えない。
いや、きっと簡単なことじゃないんだろう。
案外人と人の関係というのは、たった一言で壊れてしまうものなんだ。
けれど、逃がさないとでも言うようにロイが私を見つめ続けるから拒否することなんてできなかった。
…ロイは強い。かつての私と似た状況なのに、彼は逃げない。
きっと私が1人で悩まず済むように。
一時的に逃げて安心するより、ちゃんと向き合ってケリをつけることを選んでしまえる芯を持った人。
だからこそ、私も聞く覚悟を決めた。
それを察したのか、ロイが優しく笑う。
「…うん、そういうアヤだから。俺は、アヤを愛してるよ」
「ロイ」
「大丈夫、答えは分かってる。だから、良いんだ。俺はアヤとこれからも繋がっていくために、心の整理をしたいだけなんだよ。巻き込んで悪いんだけどさ」
そっとロイの手が私の手に重なる。
その瞬間わずかに手が震えるけれど、相変わらず優しい手だと思った。
人を労ることのできる、綺麗な手。
「ちょっと、俺の話に付き合ってくれる?」
「それは、勿論」
「ありがとう。出来ればアヤに引かれないと嬉しいな」
そう言ってロイは私の手をそっと離した。
私の隣に座り両手を後ろに付いて天井を仰ぐ。
そしてゆっくり目を閉じると口を開く。
「前に話した心を壊した俺の大切な人。あれね、俺の母上なんだよ」
「え…」
「はは、うん。前にちらっと言ったかもしれないけど、俺は8番目に生まれた皇子でね母上は平民の出だった。父上…前皇帝陛下は器が大きくてそれまでと比べては良い治世をされたけど、女性関係が派手な方だった。正妃・側妃合わせて数は2桁にはなるかな」
初めて聞くロイの身の上。
私の生きてきた世界では、身分や側妃なんて制度が存在していなかった。
だからそれが一体何を意味をするのかなんて詳しくは理解できない。
けれど、きっと苦労はしたんだろう。
国のトップに貴族ではなく平民から嫁ぎ、礼儀作法もなにもかも違う所に飛び込んで、自分よりうんと高い身分の女性達に囲まれ。
それくらいの想像はできる。
「母上はね、人をあまり頼らない人だった。いや、頼れなかったのかな。ある日突然前皇帝に見染められ、気まぐれに後宮に押し込められ、たった数回の逢瀬で俺が宿ってしまった。子が腹に宿ると、前皇帝は別の側妃の元へと行ってしまったからね。…孤独だったんだろうと、思う」
「…酷い人だね、その皇帝」
「そう、だね。きっと前皇帝も孤独な人だったんだよ…身の上を何となくは聞いたことがあるから、同情する部分もあるんだ。けど…」
割り切れない気持ちをロイが持てあましているのが、分かった。
言葉の端々からその想いが流れてくる。
「母上は気丈な方だったけど、それでも耐えきれなかったんだろう。小さな子供を抱え独りで生きて行くにはあの後宮は毒に犯されすぎている。俺が5つになった辺りくらいから、少しずつ壊れ始めていった」
「壊、れた」
「…そうとしか言い様がない。始めは怒らなくなった、次に泣かなくなって、次第に笑顔も消えていった。周りが母上の異変に気付いた時にはもう死んだ目をして何も映さないようになっていたよ」
「ロイ」
「少しずつだけど着実に、全てを受け付けなくなっていったんだ。何を見ても吐きだすし、何を聞いても狂ったように体を掻きむしる。次第に起きていることも拒絶し始めて最後は…ね」
想像以上に壮絶な話だ。
わずか5歳のロイは、それをずっと見ていたのだろう。
きっと何もできずに。
無理もない話だ、自分のことすらよく分かっていないその年齢で、そんな状態の人を支えるなんて出来ない方が普通だ。
「俺は昔から何もかも分からなかった。なぜ母上がそうなってしまったのかも、どうすればよかったのかも、なにが良くて何が悪いのかも。…自分の存在意義すら、分からなかった」
「…」
「…ずっとね、ずっと俺は自分が何のために生きているのか分からなかったんだよ。皇族なんて言ったって平民の妾腹から生まれた俺は誰の相手にもされず腫れもののような扱いしかされない。母上が亡くなられてからは、まるで空気みたいな人生だった。この家の中で何をするでもなく、ただ生きているだけの人生」
ロイの目には何も映らない。
ただ淡々と言葉を続ける。
そうしてただただ自分の人生を思い返すロイの中にどれだけの葛藤があったのだろう。
それだけの辛い人生を送って、それでよくあんなに思いやりのある優しい人になったなと心底思った。
だってロイはいつだって優しく芯をもって人と接している。
全てが嫌になったって仕方ないくらいの経験をしているのに。
「兄上が皇帝になって俺を見つけてくれて、俺に仕事をくれた。俺を兄弟だと認めてくれた。やっと自分が生まれた意味を見つけた気持ちになって、兄上の為なら何だってやったよ。…君達の召喚を行ったのもアヤを自分都合のために救い出したのだってその延長だ」
「ロイ、私は」
「うん、君がそれで俺を責めないのは分かってる。でもね、俺はあれだけキツイ思いをしながら同じ様な目にアヤを遭わせた。それだけは許されちゃいけないことだし、一生背負わなければいけないと思ってる」
と、そこまで話して天井から視線を外したロイは私を見つめてきた。
いつもの優しい笑顔、けどどこかぎこちない。
緊張しているのだと、そう気付く。
きっと、この先の言葉が伝えたかったことなんだとそう思った。
「俺はさ、ずっと独りだったこともあって、どうにも人に異常に依存してしまうみたいなんだ。兄上に対してだってそうだよ、やりすぎだって言われることも多くてね」
「依存…ロイが?」
「そう。誰かに必要とされたくて、誰かに俺の存在理由を教えて欲しくて。だからアヤに献身的にしていたのも実際はアヤの為なんかじゃなくて、罪悪感だけでもなくて、俺自身に必要だったんだよ。俺がいなければアヤが生きられないという事実に溺れていた。…本当、最低だよね俺」
「…私は、どんな理由だろうとロイに感謝してるよ。最低なんかじゃない」
「そう、アヤがそう言ってくれるような子だって分かって今だって話してる。アヤがね、初めて涙を見せてくれた時、救われたのは本当は俺の方だったんだ。俺を必要として俺に縋ってくれたから。誰よりも俺を見てくれた気がした。それからだってアヤは理由を知っても俺のことを認めてくれた」
「…そんなこと」
「ないわけない。アヤと出会ってから俺は本当に色んな事を知った、アヤが俺を人間らしくしてくれた。感謝してるのは俺の方なんだ。俺はね、アヤに依存して縋っていたんだよずっと」
ロイの本心。
決して綺麗なわけじゃなくて、強いわけでもなくて、とても人間くさいロイの気持ち。
それでも、ロイはこうして笑える。
私のおかげだなんて言って、母親と同じ様に全てを拒絶し続けた私に感謝してしまえる。
それはロイの強さだ。
普通は気付けないことを、ロイはちゃんと気付いてしまえる。
辛かっただろうに。
「俺の気持ちはすごく歪んでいる。依存の上に成り立った愛だ、けれどアヤはきっとそんな俺との絆でさえ断ち切らないでくれるって思うんだ。そう、思えた。それなら、俺は前に進まなければいけない」
ロイ自身にも迷いはあるんだろう。
けれどロイはそんな感情を隠さず押しつけもせず、私にほほ笑む。
「愛してるよ、アヤ。だから、俺は君の背中を押すって決めた。今度こそアヤを助けたい」
凛とした声でロイがそう言う。
正直な話、そんな風に言ってもらえるほど私は出来た人間じゃない。
ロイが出来た人だからこそ立ちあがったのだ。
けれどあくまで真剣な声でロイが続けるから、私は口を噤んだ。
「…マサヒロは俺と似ているんだ。彼を助けだせるのは、きっと君だけだと思う」
ロイの口から出てきた言葉は、全く予想していなかったことだった。




