漏れ出る言葉
「お前なあ!」
「ま、マサ兄、落ちついて」
「誰のせいだ、アホ!」
「…ごめんなさい」
綺麗な夕焼けの一日だった。
この世界の空は昼は黄に近いオレンジ色、夜だと紫色だ。
その事実にも慣れてきて、“青天”なんて言葉も忘れかけている。
地球で言う青天を、私は夕焼けの日と呼ぶ。
とにかく、今日はそんな良い天気の日だ。
天気を見る余裕が出来た私は、良い天気なのが嬉しくてついつい気合が入ってしまったらしい。
マサ兄が毎日来る時間より前に練習して驚かせようと思ったら、気合を入れすぎて転倒。
足をグキッとやってしまった。
そして手当を受けながらこうして怒られている。
「余計なこと考えんなボケが。手間増えるだけだろが」
「で、でも」
「でもじゃねえ」
「う…」
マサ兄は手先が器用だ。
足を固定するために巻かれた包帯はきっちりと綺麗に収まっている。
テキパキと迷いなく巻かれるそれを見て、意外な特技を発見したと思った。
そんな変な所で感心する私を見て深くため息をついて、隣に座るマサ兄。
皇族であるロイの家にあるこの寝台は、人2人が乗ったくらいではギシリとも言わない。
「あの、マサ兄」
「あ?」
「…そんな心配しなくても大丈夫、だよ」
「黙れ、こんな足腫らして何言ってやがる」
距離がないくらいぴったり横に座るマサ兄に何だか落ちつかない気持ちになる。
そんな近くで見張らなくても大丈夫なのになんて思いは、反論されそうだから胸の奥にしまい込んだ。
この密着状態でも、私の体に異常は起きない。
一度大丈夫だと身心が納得してくれれば、そこからはグングンと大丈夫になっていった。
この調子だと普通に生活できる日も意外と早くくるかも知れないよなんてロイが言ってくれるくらい、驚異的な回復。
何だかんだでお姉ちゃんとマサ兄と会う恐怖が大きかったんだと思う。
そこの壁がきっと第二の大きな壁だったんだろう。
ちなみに第一の壁は、ロイとまともに接する所だ。
この2つの壁を乗り越えた時が一番私の中で大きく変化した。
…大事にしなくちゃ。
そういう思いが段々と強くなっているこのごろ。
この世界で新しく築かれたロイという絆。
一度壊れかけてからここまで修復されたお姉ちゃんやマサ兄との絆。
それは、間違いなく3人が私の為に努力してくれた証だから。
自分に対する自嘲の気持ちはどうしたって残ってしまっているけれど、それよりもこうして3人に対してプラスの方面で想えるようになったことが嬉しい。
この気持ちも3人のことも大事にしたいと、自然に思えるのも嬉しい。
と、そこまで気持ちを噛みしめたところで、私は思わず声をあげた。
「…ま、マサ兄?」
「何だよ」
「その、なにこの手」
「あー?何か悪いかよ」
「い、いや、駄目じゃないけど」
ゴツゴツとしたマサ兄の手が私の頬に触れている。
消えずに残ってしまった傷跡に沿うように。
脈絡なく触れられたから、びっくりしてしまう。
…嬉しいことは多い。
けれど最近戸惑ってしまうのはマサ兄のそんなところだ。
マサ兄のトラウマになってしまったのか、こうして唐突に傷跡に触れられることが多くなっていた。
まるで魔法でもかけるかのようなしぐさでそっと撫でてくる。
あっちの世界でされたことのなかったそれに、私はどう反応すればいいのか困ってしまうのだ。
「…なんであからさまに視線外すんだよ」
「や、だって顔近くない?なんかマサ兄最近おかしい」
「……」
「…ご、ごめん」
「訳分かってねえのに謝んな」
「すみません」
微妙な空気が部屋を包む。気まずい。
だいぶマサ兄との関係も改善されてきたと思っているけれど、まだちょっとしたところでぎくしゃくしてしまうのはどうすればいいのか。
出来るならば前みたいな気軽な関係に戻りたい。
我儘なことを言っているのは分かるけれど、こういう空気になるとふとそう思ってしまう。
だって、こんな状態になると今の私じゃ必要以上に頭を使ってしまってすぐバテてしまうんだ。
ただでさえ短い起きている時間が、さらに短くなる。
「おい、視点定まんねえなら寝ろ」
「う、ん…」
「……ずっといるから」
もう何を言っているのか分からない。
体が休息を必要とするのか意識がグイグイと引っ張られていく。
マサ兄の手を頭に感じた気がした。
「―…り?」
「――せぇ、―…こと……だよ」
「―ヒロ」
ぼんやりと膜がかかったまま何やら聞こえる。
体がまだ重くて、他のことなんて何も考えられてくて。
何度も経験しているから、それが目覚めの合図なんだと私には分かる。
それでも意識自体が回復しても、体が言うことを聞くには5分くらいかかる。
低血圧の人はこんな感じなんだろうかなんて、のんきなことを考えながら夢と現実の間を行き来する私。
「…最近機会すら設けようとしなかったのはそっちだろ。別に俺を嫌うのは良いけど、そのことでこの子を困らせるのだけは止めてくれないか?」
「だから、なんでお前にんなこと言われなきゃいけねえんだよ。黙れ」
「黙らない。俺はアヤに尽くすって決めた、アヤが不安に思うだろうことは全部潰すよ」
「……ぶっとばされてえか、てめえ」
「ぶっとばしたいならご自由にどうぞ。俺の意見は変わらない」
ある瞬間からいきなり意識がクリアになったのは、私の傍で繰り広げられているらしい会話があまりに刺々しかったからかもしれない。
ロイの声とマサ兄の声。
ヒヤリと背が冷たくなる。
「俺はこの子が好きだ。この子をドロドロに甘やかして何もかも俺無しじゃ生きられないようにしたい。俺だけを頼って、俺と同じくらい依存してくれるように」
「……てめえ」
「アヤは君と俺が似ていると言ったよ。確かにそうかもね、同じだ。好きになる人も求める愛の重さも。だから君なら分かるはずだ、この思いが」
「……」
「悪いけど、これ以上君が曖昧な態度を取り続けてアヤを困らせるなら遠慮なくいかせてもらう。アヤを大事に出来ない野郎にくれてやる気はさらさらないんだよ、俺も」
…言っている意味が分からない。
いや、分かりたくないのかもしれない。
聞き慣れない低い声のロイも、完全にロイを敵視しているようなマサ兄の声も、すごく怖い。
ロイが、私を好き…?
マサ兄がロイと同じ人を好きになる…?
その言葉が全く信じられない。
ロイは私を優しく見守ってくれる保護者で大事な恩人だ。
マサ兄は昔からぶっきらぼうだけれどいつだって手を引いてくれる兄貴分。
恋愛はもう良いと思っていた。
だって、恋愛なんて厄介な感情が絡んでくるとたちまち私の心は黒く塗りつぶされる。
大好きだと思える人のことが憎く思えてしまったり、無力でちっぽけな自分を痛感して苦しくなったり。
そのせいでマサ兄やお姉ちゃんとの絆は事実一度壊れかけたのだ。
やっとそのしがらみから抜け出せたと思ったらまた嵌るのだろうか。
自己中心的な考えなのは十分承知しているけれど、それはとてつもなく怖いことのように思えた。
私の自意識過剰な勘違いであってほしい。
そう思ってしまうのが正直な気持ち。
「…“くれてやる”なんて、さも自分のもののような言い方すんじゃねえよ。コイツは俺のものだ」
「けどいま現在この子を守る権利を持っているのは俺だよ、君じゃない」
「誰が決めたそんなこと。お前の存在全部潰して俺の傍に奪い返す。んな権利お前なんかに誰がやるかよ」
「へえ?ずっとこの子の想い分かって踏みにじってきた奴が今さら何言うんだろうね」
「うるせえよ。お前に言われる筋合いは無え。…もう俺だって後に退く気は無い」
「……そ。まあ、悪くない返事かな?でも、アヤを傷つける真似だけは絶対許さないから。色々覚悟しておくと良いよ」
「黙れ、それはこっちの台詞だこの腹黒猫かぶり」
「はは、お褒めに預かり光栄ですよ」
…信じられない、信じたくない。
けれど、こんなに真剣な声を聞くのは初めてなくらいで。
空気が異常に張りつめているのも、事実で。
どうすればいいのだろうか。
このままじゃ駄目なのだろうか。
一気に流れてきたモノで頭が混乱する。
目を開けられないまま、寝たフリをしたまま、パニック状態の心を必死に宥める。
それ以上の言葉をシャットアウトするように意識にだけ必死に集中させる。
「…アヤ。目、覚めてるんでしょう?話そう、ちゃんと」
先ほどまでとは打って変って穏やかな声が響いた。
心臓が止まるんじゃないかというくらい驚いて、真っ白になる。
張りつめた嫌な空気、背を流れる冷や汗。
それでも状況は変わらず、ひたすら視線を感じる。
バクバクと煩い心臓のまま、意を決して瞼を上げるとそこにはロイの姿だけがあった。
「安心して、マサヒロは帰ったから。ちょっと、2人で話したくてね」
ロイは苦笑して私の体を起こす。
私の背を支えるロイの手は、相変わらず優しかった。




