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兄貴分




私はいつだって“できない”と言われる方の人間だった。

お世辞にも優秀とは言い難いスペックを持って生きてきた人間だ。


単位は日本とか県とかではもちろんなく、市とか町とかそんなモノですらない。

そんな世界の隅っこに無造作に存在する数の中ですら確実に埋もれてしまう…それが私。


お姉ちゃんやマサ兄だってそこまで大きな何かを持っている訳じゃない。

けれど少なくとも、小さな世界の中では間違いなく埋もれることなく輝ける存在なのだと私は思う。



たとえば生まれて初めて読んだ絵本。

その絵本に登場するヒーローやヒロイン。

目に映る狭い世界しか知らない幼子が、その2つのポジションに一体誰を投影するのかを考えれば話は簡単だ。

その片方は自分だとして、相方に思い浮かべる顔は一体誰なのか。


間違えても私ではない。

けれど、お姉ちゃんやマサ兄はなり得る。

小さな世界でなら2人はヒロインでありヒーローなのだ。

少なくとも私の中ではそうだった。

私と2人、何が違うかと聞かれれば私は真っ先にそう答える。

ヒロインになれるかなれないか。



けれど、そんな私にだってマサ兄は価値を見いだしてくれた。

オマケだと自分を蔑んでみたって、金魚のフンだと自分を嘲笑してみたって、それでも自分に期待を抱かせてしまうくらいには彼は私の近くにいてくれた。

今にも切れそうな細い糸を残酷なくらい繋ぎとめていていた人。

マサ兄は、だからこそヒーローなのだ。

そのヒーローは、いつも言っていた。

ヒロインじゃなくても良いじゃないかと。



…その事実をひたすらに拒んでいたのは私の方なのかもしれない。



こんな私にもくだらないプライドや自尊心は存在した。

ヒロインのように優しく輝く人だけが全てじゃないと口では言いながら、結局のところずっとずっとヒロインになれない自分がコンプレックスだった。割り切ることもできず、誰よりも劣等感を持ち、誰よりもそんなことを気にする。だからこそ私は自嘲することを止められない。


“どうせ追いつけないなら自分を冷静に見極め身を引く”

結局たどり着いた答えは、「自らの引き際くらいは分かる身の程に合った人間」を演じて自分を守るという方法で。


醜い自分。

何もできないくせに、性格だって良くなってくれない。

惨めな自分に酔っていたんだと気付いたのは、身心が本格的に壊れてから。

本当に惨めな思いをしてみて、やっぱり自嘲ばかりで自分を慰める自分。

どうあがいても絵本で見たようなヒロインとは程遠い自分に吐き気がした。





『ボロボロだろうが怪我だらけだろうがアヤはアヤだろうが!!お前自身がそれ否定すんな、こんな時まで俺らのこと考えて無理すんじゃねえよ!!』




けれどそうなのだ、どんなに滑稽だろうと性格が悪かろうと、私は私でしかあれない。

この先だってずっと、このお世辞にも出来るとは言えない頭と体で生きていかなきゃいけないのだ。


2人に少しでも追いつくためになんて言って、今の自分を否定し続けた自分がどうして前に進める?

駄目な自分を認めて、自分で自分を貶める馬鹿な自分を認めて、そこから始めなきゃいけない。

届かない人々に見合うようになんて考えて無理して飛び出したところで、足場がなきゃただただ落ちていくだけなのだ。


そして、そんなことすら理解できていなかった自分のことを、彼はとっくの昔に理解して認めてくれていた。

私がやっていたことは、そんなマサ兄の気持ちを踏みにじる以外の何物でもない。





「…ロイの言葉も、そういうことだったのかな」



泣き疲れ意識を飛ばした私。

目が覚めて起きたことを反芻してみると、そんなことが頭に浮かんでくる。

ロイは「そのままでいい」と言っていた、「それ以上無理して頑張るな」とも。

マサ兄と口調はまるで違うけれど、言っていた事は同じだ。

やっぱり2人は似ているんだろう。





「…寝ても覚めてもロイシュかよ」


「…っ!?」




と、そこまで考えて唐突に響いた声に驚いた。

そして、そこで初めて自分が寝台の上で眠っていた事、いつもはない天幕が寝台の内と外を隔てていると言うことに気付く。


外から響いた声は、懐かしい幼馴染の声。

この世界に来て、想うことを諦めた人のもの。


そう認識すると、どうしても体が強張る。

喉が引きつってしまう。

嫌なんじゃない、本当はちゃんと凛として対応したい。

なのに、そんな思いとは正反対に体中が緊張していく。

無意識に縋れる何か…ロイを探してしまう私。


怖くない、体の震えもない。

それだけで今までの私にとっては大きな進歩なはずなのに、焦ってしまう。

けれどどうしようもなくなるこの体は仕方がないのだ。

ロイとまともに過ごせるようになるまでにだって、長い時間を要した。

ましてや彼の前だとなおさら緊張してしまう。


情けないけれど、それが今の私だ。

無理して見栄をはるんじゃなくてそんな自分を認めようと思えたのは、きっと怒鳴りつけてくれたこの兄貴分のおかげなんだろう。





「ったく、マジで腹立つわ。ざけんじゃねえよ、あの野郎」


「マサに…」


「お前も、ふざけんなっつの。なにしっかり懐いてんだよ、あの野郎はお前をそんなにした元凶の1人だぞ」



呼吸が下手くそだし、上手く喋れない。

いくら顔が見えなくとも、この距離じゃ私の様子がおかしいことくらい分かっているだろう。

けれど、マサ兄の口調は昔と変わらない。

優しい言葉をかけるどころか、変わらず荒い口調で私に怒りをむける。


それが当たり前のように。

私がおかしくたって何一つ変わらず、指摘してくることもなく、自然に。


一回意識を飛ばして、いくらかマシになった思考回路でそこまで認識できた。

その途端、体中の力が少し緩んだ気がする。

再会した時のような緊張感はほんの少しだけ和らいでいた。




「お姉ちゃ、は…?」


「ああ?お前ちゃんと話聞いてんのか?なんでここで美咲の話なんだよ、ボケ」


「う…」


「…美咲は帰った。というよりリズの野郎に引きずり戻された」


「リ…」


「リズっつのはこの国の頭だ。美咲に粘着質に付きまとってる変態だよ」




私の中途半端な言葉を正確に拾って教えてくれるマサ兄。

マサ兄やお姉ちゃんの面倒を見ている皇帝陛下の話を聞くのは、初めてだ。




「っとに、ふざけた野郎だらけだこの世界」


「ま、マサにい」


「変態はいるわ、石頭だらけだわ、能天気なのもいるわ……人のモン勝手にかっさらってく奴はいるわで」




マサ兄が言葉を選ばないのは今に始まったことじゃない。

時々火種を生む程度には口の悪いマサ兄。

けれど対象に対して放ったその言葉が、決して本心ではなく、いや、本心ではあるのだけれど、蔑むように使われたモノでは断じてないということを私は知っている。

だからいつもはサラリと流している言葉。


けれど、今回はピタリと思考が固まった。

なにか、すごく聞き慣れない言葉を聞いた気がしたのだ。




「…お前本当いい加減にしろよ。あんなんを頼りやがって」


「え、あ…」



なぜだろう、いつもと口調はまったく変わらない。

変わらないのに、声の質がいつもと何だか違う気がする。

漠然とした違和感に私は首を傾げる。


思考を巡らせると、ふと天幕越しの影が目に写った。

枕元近く自分の視点からすると左下のあたりが黒くなっている。

そのシルエットはそこから聞こえる声と共に、マサ兄のものだと断言できる。


…何故だろう、あんなに顔を見ることを拒み続け怖がり続けた私だったのに、今は彼の表情を見たいとそう思った。



口調は怒っているのに、怖さ以外の何かを感じるその声色。

いま彼はどんな顔でそんな声を発しているのだろうか。

なぜだか、気になったのだ。


手を伸ばせば、手はやっぱりガチガチに強張る。

拒絶するように緊張で固まりつづける体。

それでも、手は止まらない。



相変わらずマサ兄の口からこぼれているのは、愚痴だ。

こんな近距離で愚痴り続けるその言葉が自分に届いてないはずはない。

ないのに、左から入ったそれらはあっさりと右へと流れていく。

人から見たらずいぶんスローペースな速度で、私は天幕をそっと掴む。




「…アヤ?」



そこでやっとマサ兄も私の動きに気付いたらしい。

きっちりと閉められた天幕の隙間から私の手がはみ出たことで、彼の声はパタリと止まる。

それはそれでひどく緊張してしまう。


けれど、ゆっくり…本当にゆっくりと私はその天幕を引っ張った。


恐る恐るといった感じでマサ兄のいるあたりの幕を引っ張った私をどう思ったのだろうか。

3年ぶりにじっくりと見たマサ兄の顔は呆然としていた。

何のために上げられたのか分からない右手、半開きのまま動かない口、片膝立てたあぐら座り。

そのどれも形が完全に停止している。




「…違、う」



思わず呟いてしまった。

私が見たいと思った顔と違うと思ったからだ。目に映った彼の顔は怒りでも何でもなく、ただただ無に近い驚きだ。

感覚的には3年ぶりの顔合わせというそんな時に何考えているんだと自分でも思うけれど、素直にそう思ってしまったのだから仕方ない。


そして、幕を引っ張っていた右手の力を緩めようとした瞬間。

そこでやっと別のことに気付く。




「あ、あ、あ…」



吐くべき言葉は“あ”から始まる言葉ですらない。

けれど、頭がぐるぐるにこんがらがって、そんな声しかでなかった。

きっと私が元気な状態でも同じ様な反応になるんだろうなんて、それこそ一番どうでも良いことを考える。


一方私の目線と反応から原因を理解したらしいマサ兄はやっとそこで我に返ったらしい。




「…んだよ、悪ぃか男が顔に傷つくっちゃ」


「だ、だ、だれ」


「ロイシュ以外誰がいんだよ、ボケ。くそが、あの腹黒クソ野郎」


「ロイ…!?」


「……なんで、ロイシュの名前だけはすんなり言えんだよ」




マサ兄の左頬は真っ赤に腫れあがっていた。

殴られたのだと明確に分かる腫れ方だ。

漫画なんかではよくみるけれど、実際のものを見るのは初めてだった。

本当にこんなに真っ赤になるものなんだという妙な関心と、ロイに殴られたというマサ兄の言葉に信じられない気持が頭を占める。


けれどマサ兄はそれ以上言うつもりもないらしく、不機嫌そうな顔のまま黙り込んだ。

そして、頬の傷跡に当てていた手を今度はこちらに向けてくる。

ビクンと大げさなくらい肩を揺らすと、一瞬その動きを止めるマサ兄。

けれど、それ以上距離を置かない私に対してまたこっちに手を伸ばした。

やがてたどり着いたのは、天幕を掴んでいる私の右手。


…温かいと、そう思う。





「覚悟しとけ。奪い返すから」


「マサ、に?」


「…誰が逃がすかよ」





その言葉の意味は私には理解できなかった。





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