桜の散るころに
──四月の末頃のこと。
とある川を挟んだ、所謂、花見の名所とも言われる場所がある…ただ、もうこの時期にもなると、葉桜…もしくは完全に緑に染まっている桜がほとんどだ。
少し前には、奥ゆかしい和服の年配も、最近流行りの洋服を着た若者も、連日のようにドンチャン騒ぎを起こしていたのだが、今は見る影もなく、人の影も見えない…はずだった。
しかし、そんな常識からは少し、いや、多分にずれた変わり者も居る。
「…ん~、我ながらいい出来ですねぇ!次はちょっと、構図を変えて…」
…それが、この男。名を西行というのだが、その素行は奇人変人悪鬼憑き、その容貌すらも、前が見えているのかも分からない薄い糸目にぼうぼうに伸ばした髪、ひいてはそんななりで画家を名乗っているのだから、胡散臭いにもほどがある…正直、名すら本物なのか疑うほどだ。
そんな彼だが、その風評とは打って変わって、葉桜という、そこまで珍しくもないものを熱心に描いている…正直、葉桜をここまで熱心に描くものも珍しいのだが、普段の彼の作を知る者からすれば正気を疑うレベルの光景である。
…そこまでの扱いを受ける彼の作品については、敢えて触れずに置いておこう──世の中には知らない方が良いこともあるのだ。
さて、そうして、彼が一心に葉桜へ情動をたたきつけている時の事だ。彼が描いているのとはまた別の木の上の方──頂点にほど近い太い枝の上から声がかけられる。
「──そこの人間」
「…………」
「…おい!そこの──」
「…うるさいですねぇー聞こえていますよ、少し、静かにしていてください。すぐに終わります」
「………」
──何故か無視されて、怒られた…。
枝の上の、どこか浮世離れした容貌の少女は、西行の理不尽を困惑を持って受け止めた。しかし、この少女、妙に律儀であるのか西行に言われたとおり、口を閉ざすことにしたらしい。
…そして数分後。
西行は満足したのか、顔をキャンバスからあげると、少女の方に向き直した。
「…さてさて、そこのお嬢さんは小生に何か用でもあるのかな?」
「…まあ、いい。お前に少し聞きたいことがある!」
「おやおや、お転婆さんですねぇ~淑女がその様な言葉遣いをするものではありませんよ?」
「う、うるさい!そんなことお前に関係ないだろっ!」
「あーハイハイ、落ち着いてぇードウドウ」
「我は馬かっ‼」
「まあまあ、とりあえず落ち着きましょう?それで、質問とは一体?」
「…貴様と話すと調子が狂うな…」
…変人、それが少女の西行に対する第一印象に定まるのに、時間は掛からなかったようだ。
「…まあそれでだ、質問に入るが…何故、貴様は葉桜なぞ描いている?」
「何故…とは?」
「そのままの意味だ…他にいくらでも美しい物があるだろうに、どんな理由でこの、散りかけの半端な桜を描いていたのか、そう聞いているのだ…はっきり言って、先ほどのように一心に描くなどというのは、普通の人間とは変わっているぞ?」
「変わっている、ねぇ…そんなことを言ったら、わざわざそんな理由で声をかける方も、普通の人間とは変わっていますよー?」
「それは当然の事だろう?
我は──妖怪なのだから」
そう言い放ち、枝の上で怪しく目を光らし、その手に青白い人魂を呼び寄せる…よく見ると、彼女は浮世離れなんてものではなかったのだ…そう、明らかに 人とは異なる、不気味さを、畏れを、混沌を纏っている!…のだが、西行は、
「…ふぅーん」
と、興味なさげに返す。
「…もっと、何か反応はないのか?妖怪だぞ?人ならざるものであるぞ?」
「まあ、そんなことはどーでもいーんですよ。問題は質問の方です」
「我の正体がそんなことで済まされた⁉」
少女が割と軽く流されたことに驚愕していると、まったくそのことなど気にも留めず、西行が先ほどの答えを告げる。
「それで、さっきの質問の答えですが…簡単なことです、美しいからですよ」
「美しい?…これがか?」
少女は訳が分からなかった。
その葉桜は桜の花が中途半端に残り、葉の緑や幹の濁った茶と交じっていて、お世辞にも美しいと呼べる代物ではなかったからだ。
「…言ってしまうとなんだが、この時期の桜は最も見苦しいと思うぞ?それこそ、満開の桜などとは比べるのが失礼なくらいに」
「ん~、それもそうなんですがねぇ…」
そう言うと、西行は少女の居る木の方へ歩みを進め、そのまま話し続ける。
「…正直、満開の桜などには全く興味が湧かないんですよねぇ」
「…何故?」
「だって、考えてもみてくださいよ?満開の桜なんて、創作物のテーマとしてありふれた物、簡単に想像できてしまうでしょう?」
「まあ、そうだな」
「そんなもの、小生にとっては害悪でしかありませんねぇ。だって、自分の作品のその題名を観衆がまず、知るとしましょう。その中で『桜』なんてありふれた物をテーマにしていると、観衆は自分たちの中で勝手に、桜というとこんな物か、という『枠』に収めてしまうんです。こうなると、もう作品が上手くても下手でも、その観衆の心にある桜のイメージを壊すのは至難になってしまう…」
「…ふむ、それで?」
「そこで、小生は思う訳ですよ、そのテーマ自体をありふれた物から変えればいい、と。例えば、『葉桜』。パッとしない印象を持つ彼らですが、とんでもない、実は素晴らしい魅力に溢れています」
西行は言葉を切り、大仰に葉桜を指さす。
「まず、桜というのはほんの少しの間しかその花を咲かせない。ただ、その一瞬のためだけに自らの『美しさ』を全て使い切り、後のほとんどの時を凡百の木々のように平々凡々とした姿で過ごすのです。そして、彼らのその、満開から凡夫へと力尽きていく儚い姿、一瞬の時のために、これからの季節を耐えようとする健気な姿…それを、枠にはまっていない観客達に鮮烈に焼き付けてやるのですよ…貴女のような観客に、ね?」
そう言うと、西行は少女に先ほど描いていたキャンバスを手渡す。
「む…………これ、は…」
圧倒、絵の印象はその言葉に尽きた。
ただの葉桜、そのはずなのに何故か、胸が苦しくなるような愁い、そして、その愁いの中で小さいながらも、それでもはっきりと輝く生命の息吹に、絵の『枠』を超えた何かを感じ取ったのだ。
そして、その生命の輝きは──確かに美しかった。
「………」
「…葉桜なんて見飽きている、見る価値すらない、そう思っている人たちに『葉桜』の美しさを叩き付けた時のその顔、そういったような顔が見たくて、画家なんてものをやっていたりしちゃうんですよねぇ、小生は」
そう言いつつ、おどけたように首をすくめる。
「………ぷっ」
「…?」
「──くっくっく、わっはっはっは‼」
「…失礼ですねぇ、人が真面目に話しているのに」
「はっはっは、いやいや、失敬失敬。貴様のような面白い人間に会うのは久方ぶりでな?許せ!」
「はぁ…しょうがない方ですねぇ」
その後、暫く笑い続け、ひとしきり笑いが収まったところで、少女が口を開く。
「──貴様、名を何という?」
「人に名を尋ねる時には、まず自分から名乗るものですよ~」
「ククッ、本当に面白い奴だ……
──我は小町、そう呼ばれている」
「ご丁寧にどうも……
──小生は西行、しがない絵描きです」
──価値観の相違は、人間と妖怪、二つの異なる種の邂逅を呼んだ。
そして、この出会いが何を生み出すことになるのか…それはまた、別のお話だろう。
人物紹介
・西行
変人な画家。
見た目は浮浪者と引きこもりの間くらい。
絵に関しては割と真面目。
・小町
ちょっとロリめな妖怪さん。
言動はお転婆だが、見た目は和風美少女。
名前の由来は桜の妖怪から。
・後書き
筆者は葉桜割と好きです。
夜の川沿いとかだと花びらが流されてていい感じです。
でも正直、花より団子です。おうどんたべたい。