攻略難度最高のダンジョン
目を閉じると、あの方のことが自然に浮かんできます。
どんな逆境にも立ち向かって、己の信念に従って敵に背中を向けたことはないと聞いていました。
敵対する勢力は少数ですが、個々の力は強大です。
いくらあれほどの地位にいるとはいっても、恐れを抱かないことなんてありえることではないと思っていました。
しかし、それは私の思慮が浅はかなことを表していました。
あの方は確固たる勇気を持っていました。
私が暮らしている区域に戦火が及んだときもそうでした。
襲われてから短い時間で救いの手を伸ばしていただきました。
私はその手をとりました。
そして私に笑みを浮かべて語りかけるのです。
もう大丈夫か、と。
敵の猛攻を意に介さず、私を安心させるようにしてくださったその時のあの方は、まるで後光が差しているかのようでした。
あの方に後光が差すなんて、本当にそんなことがあったらおかしな話なのでしょうけれど、私はそう感じてしまったのです。
圧倒的な力、他が霞めるような存在感。
私は目が離せませんでした。
背を丸めて私の頭をぽんとなでた後、あの方はこの地を去っていきました。
そうです、私は死地を乗り切っていたのでした。
この身が現に留まっていて、怪我をしたのはほんのわずかの擦り傷のみ。
全てはあの方のおかげです。
だから、私は誓ったのです。
あの方に私の全てを捧げようと。
憎いことに私からあの方に出向くことは叶いませんでしたが、恩を返す機会はやってきたのです。
私にとっては僥倖でした。
その日から私を取り巻く環境はがらりと変わります。
いえ、変えました。
一つの信念を胸に携えて、私は私の目的を果たすのです――。
「はあっ!」
がきんと金属にあたったときのような耳に痛い音を発しながらゴーレムはその機能を止めて崩れ落ちた。
一戦をたった今終えたソードは荒い息を整えもせず、ゴーレムの残骸の近くで腰を下ろして調査を始める。
魔物はどういう理屈かは解明されていないが、人間が使うことの出来る武器やらアイテムやらを落とすことがあるのだ。
ゴーレムから出てくるのは鉱石系のものであり、普段は気に留めない程度のものしかないのだが、今のソードにとっては生命線だった。
めぼしいものはないようで、地面に手を当てて息を大きく吐いた。
いつ魔物が襲ってくるかは分からないが、気を張り詰めすぎるのも身体に毒だ。
「キツイけど、無事にここまでこれたんだな……」
ゴーレムとの戦いでいくらか刃こぼれしてしまった剣を感慨深そうに見つめて、鞘に戻しながら呟く。
剣だけでなく鞘にも無数の傷跡が残されており、今までの道中が簡単なものではなかったことを思い出させる。
魔物たちとの戦闘で油断できるものはない。一つ一つの死線をくぐりぬけてきたのだ。
頬を軽く叩いてソードは立ち上がる。
同じ場所にいても魔物の格好の餌食になるだけだ。歩みを始めたソードの顔は歴戦を潜り抜けた戦士そのもので、精悍で力強さが浮かんでいた。
そして、何層も攻略を進めていって、最下層までたどり着いた今。
ソードの目の前には悪趣味な装飾に飾られた扉が立ちはだかっていた。
近くに行ってみると、その奇妙さはさらに浮き彫りになる。
開けられることがほとんどなかっただろうことに起因して、装飾のでこぼこに埃や砂がたまっている。
息苦しさに咳をすると、がさこそと小さな虫が壁が這い回る音がした。
ソードは思わず顔をしかめる。
(本当に気味が悪い)
それはこのダンジョンを攻略していく過程で何度も思っていたことだ。
始めの何層かは、地上に近いせいもあって小奇麗さが見受けられた。
しかし、ある層を境にダンジョンは雰囲気は変化して、一気に暗さを押し出すようになった。
気を強く持っていないと感情が負の方向に持っていかれてしまう。
それでもソードがここまで進んでこれたのは、己の目的を貫こうとしたからだ。
そうでないと、こんなダンジョンに一人で攻略を挑むことなどしない。また、ここまでたどり着くことも出来なかっただろう。
ソードは扉の取っ手に手を掛ける。
嫌な感触が手に伝わるが、今更この程度のことでソードはいちいちうろたえたりしない。
不安げに鼓動を早める心臓を安心させるようにできるだけ音を立てずに剣を抜く。
ソードの勘が全身に告げているのだ。
ここがダンジョン最後の砦だと――。
ここを踏破すれば、ソードはダンジョンを完遂できたことになる。
そして、目的を果たすのだ。
勢いをつけて扉を開け放ち、なにが起こっても大丈夫なように剣を構える。
しかし、それは杞憂のようで、扉を開けた際に起こった耳障りな音だけが響いていた。
(それでも油断できるわけではないのだがな)
ソードは足音を潜めながら部屋に進入し、形状などの状況を素早く確認する。
最後の場所だといき込んでいたわりには広くなく、大の大人が百人ほどしか収容できるスペースがない。
外と比べると砂や瓦礫などがなく少しは快適な空間であったが、特別な点はなさそうだった。
真ん中に鎮座する宝箱と思わしきものを除いては。
剣を構える手の力は維持しながら、ソードの今まで経験から疑問が湧き出てくる。
(てっきりダンジョンの主が出てくるものだと思っていたのだが……。見当が外れていたということか? いや、アレが罠だということもありえる。慎重に行動しなければ)
警戒を強めながら、ソードは宝箱へと近づいていく。その際に周りに注意を配ることは忘れない。
ダンジョンの攻略完了条件はダンジョンの主の撃破、もしくはそれに順ずる仕掛けの破壊である。
それゆえに、この宝箱に何かがあることには違いなかった。
ソードの肩幅よりもちょっと大きい程度の小さな宝箱。
これを開けることが何のトリガーになっているのだろうか。
そればかりは試してみないと分かりようもない。
知らぬ間に流れ出していた嫌な汗を袖でぬぐって、ソードは覚悟を決めた。
「はあっ!」
振り上げた腕をためらいを捨てて疾風のように下ろす。
シッと風を切る音がしたかと思うと次の瞬間には鍵が割れており、ソードは宝箱の蓋を足で蹴り上げる。
閃光を警戒して片目を閉じながら宝箱の中身を確認しようとするが、宝箱の中からまばゆい光が生じて目を手で覆って、即座に宝箱から距離を取る。
その光は一瞬の間に部屋全体に広がって、すぐに収束し始める。
あまりの輝きに、念のためと閉じていたほうの目もやられてしまいすぐには機能しない。
異変を感知する役割を耳に託して、ソードは視界が回復するのをじっと待つ。
背中には嫌な汗が流れ出していた。視界を封じられるとは、それほど恐ろしい。
何も見えないが、何も聞こえない。
実体がないものがここにいるのではないかぎり、ソードに近づいているものはいないと思われる。
やがて視界が回復して、周囲を確認しようとして、ソードは目を疑ってしまった。
ソードの視界の先、警戒しながらも開けようと決断した宝箱。
そこから――。
なにやら、この場にふさわしくないものが生えているような――。
そうだ。
あれは、まごうことない、人間の上半身――!?
「こんなダンジョン最下層で奇遇ですね。よかったら仲良くしませんか?」
ソードが驚愕と困惑で身動き一つもとれないで固まってしまっているなか、その宝箱から上半身を生やしているナニかは友好的な笑みを浮かべて甘くとろけるような妖艶な声でソードに語りかけた。
まともな思考をすることが出来ない状態のままソードはかろうじて声を絞り出した。
「……まずは、自己紹介からですかね?」
ソードは天才だともてはやされて育てられてきた。
じっさい、ソードの暮らしていた村では敵なしで、大人でさえもソードの相手になるものはいなかった。
そして、ソードは自分の力に誇りを抱いて、その力をもっと多くの人々に知ってもらいたくて、王都へと出向くことにしたのだ。
このときでまだ十五歳だった。
ソードが自分は天に愛されているのだと信じて疑わなかったのは若さゆえの傲慢であったのかもしれないし、負けたことがなかったゆえのプライドであったのかもしれない。
しかし、ソードの自信は王都で粉々に砕かれることとなる。
王都でソードが出会った人たちはソードよりも才にあふれて、カリスマ性も秘めていた。
その言葉には誰もが耳を貸して感心する。その容姿は端麗で誰もが息を呑んで見とれる。
ソードは始めて挫折というものを味わう。
何を競うこともなく負けを認めてしまって、自身を惨めに思ってくじけてしまいそうだった。
自尊心がずたぼろになってしまったソードがどのようにして立ち直ったかというと、それは別の場所で自分よりも才がない者を探すことだった。
それが冒険者という職業だ。
冒険者は己だけを頼りにミッションという形で魔物を退治したり素材を収集したりして、対価として報酬を受け取って生計を立てるものたちのことだ。
ソードが注目したのは冒険者のランクという制度だ。
冒険者に登録すれば誰でもどんなミッションを受けることが出来るわけではない。
強さごとにランクが決められていて、ランクが高いほど難易度の高いミッションを受理することが可能となる。
ランクとは強さの証だ。
分かりやすく明文化されたランクはソードにとって都合の良いものだった。
ソードが適わないと思った才あるものたちに届かなくても、ソードは村では天才だといわれてきた実力がある。そこらの人に劣る実力ではない。
ソードは下を見ることで満足感を得ようとしたのだ。
本当ならば、このような方法で満足感を得ようとしても、それは正解ではないだろう。
しかし、ソードの心は休まってしまった。安心してしまった。
自分は凡人よりも優れているのだと――。
そこからソードの調子はよくなり、日々を満喫して過ごせうるようになるが、その安息も長くは続かなかった。
あるとき、才あるものたちが冒険者の仕事場にやってきた。
彼らは冒険者たちをまるで汚いものを見るような目でうっとうしそうにしていた。
そして、ソードの目の前であろうことか、
「まるで人間の肥溜めみたいな場所だ」
感慨もなく、ただただ興味なさそうに言い放ったのだ。
その言葉に冒険者たちは愉快そうに笑った。
そもそも冒険者になる人種というのは金に困っているものたちか、そのほかには何の当てもないようなものたちで、全うに生きている自覚はなく性根が荒れているものが多かった。
だから多くの冒険者たちはそうに違いないと笑い飛ばしたのだが、ソードはそういうわけにはいかなかった。
(俺のことがそう見えるとでも言うのか……!?)
奥歯のほうでギリッと何かが欠ける音がした。
感情に任せてとってかかろうかと立ち上がったが、ソードの目の前には誰もいなくなっていた。
ソードが数瞬だと思っていた時間は才あるものたちがここを立ち去るには十分なほど経っていたのだ。
そこでソードは理解する。
自分は何も成長していなかったことを。現実から目を細めていただけだということを。
そしてソードは考える。
自分が力を伸ばすにはどうすればいいのかと。
(そうだ、ダンジョンに潜ろう)
ソードはダンジョンの攻略者になることを決意した。
攻略者は冒険者と違って求められている職業ではない。いわば、完全な自己満足の世界だ。
攻略者になるものといったら、ダンジョンに眠る秘宝を狙うハンターくらいだ。
それでも実力はつけることができる。
その一点のみを重視してソードは攻略者になり、様々なダンジョンを攻略していき、最近では若手の期待の星だと称されることもしばしばあった。
そうして、やっとソードも自信を取り戻した。
幼少期を思い出すような待遇を周りから受けることで頬がゆるむソードだったが、その心にはある欲が生まれてしまった。
それは自分も才あるものだともてはやされ、凡才なものから畏怖の念を抱かれることだった。
今のままでは二流で終わってしまうだろう。そのことが、ソードにとって不満に思えるようになったのだ。
そして、自分も才あるものたちの仲間入りを果たすために、攻略不可能だと言われているダンジョンへ挑むことを決めた。
そのダンジョンはもともとなんてことのないダンジョンとして手軽にお宝を求めるハンターが潜っていたものなのだが、近年になって生還者が目に見えて減少していた。
それだけだったらおかしな点はなく、魔物が一時的に凶暴化したのだろうとでも推測が経つのだが、ダンジョンでも行方不明者は減るどころか増加する一方だった。
さすがに不審に思った腕利きの攻略者グループが知り合いに声を掛け合って調査を開始したのだが、帰ってきたのは腕の一本のみ。のちに探索しようとした攻略者によって見つけ出されたものだけだった。
誰も帰ってくることが出来ない不気味なダンジョン。
その衝撃的な事件を最後に、挑んだものが生還することはなくなった。
それからは挑むものもいなくなっていたのだが――ソードはこれを完全攻略することを自らの目標とした。
これの攻略を完遂することによって、様々な人からの賞賛を受けたい。
その一心でソードはダンジョンにもぐり始めて幾多の戦闘をくぐりぬけてきたのだ。
そうしてやっとたどり着いた最終直面――。
たどり着いたものはごく少数ですらなく、自分、ただ一人のみ。
ここを早くでたい。
出て自分という存在を世間に知らしめたい。
しかし、ソードが宝箱を開けて、今目の前にいるのは……上半身だけ見ると、とても美少女な存在だった。
透き通るような白い肌、すらっとした鼻筋に、ぷっくりとした唇。そして、真冬の雪のような、見るものをとりこにするほどの綺麗な色の髪の毛を無造作にたらしている。しかし、それのおかげでなにも羽織っていない上半身、特に胸元を隠すことができているようだ。
年頃なので、そこに目が食いついてしまいそうになるのを、意識して視線をそらすソードに、その得体の知れないナニかはさらに声をかける。
「それもそうですね。第一声が仲良くしませんか、なんてずうずうしかったです」
「いや、そんなことなんてない。気にしないでくださいよ」
「お優しいのですね。あと、そんな堅い口調でなくて、もっと砕けてもらえませんか? 他人行儀なのは好きではないのです」
「そうか? じゃあ、お言葉に甘えて」
「ちなみに、私は癖ですのでお気にかけず」
「ははは。そうなんだ」
和やかに会話を交わして、相手の口元が楽しそうに笑っているのにつられてソードの頬もつい緩んでしまった。
なんだか、とても朗らかな性格で、周囲に暖かさを振るまいているようなよい印象を受けた。
「そちらにいい岩がありますよ」
「本当だ」
示された方向を見ると、確かにソードの膝丈よりも低い高さの岩が存在していた。ソードが彼女と目を見て話をするのにちょうどいい。
剣を鞘に戻して、軽く岩の汚れがないか手で払ったあと、岩に腰掛けた。
ソードの視界には屈託のない綺麗な笑顔を浮かべる相手の姿。
その姿にソードはなんだか、一瞬だけ胸が苦しくなり――。
――自分の状況を思い出した。
「いや、違う!! こんな朗らかに過ごしてる場合じゃない!!」
鞘から一気に剣を引き抜き両手に持って得体の知れない相手に対峙する。
敵意がなさそうな笑みと惚れ惚れしそうな上半身に毒気が抜かれてしまったが、状況からして魔物に違いない。もしくは、魔物に順ずるナニか。
キーであるだろう宝箱から生えているということは、このナニかがダンジョン攻略の重要なポイントであると断言してしまっていいだろう。
ソードはすり足で徐々に距離を縮めながら、感情を殺した冷たい声で問いかける。
「……なあ、お前は何者なんだ?」
「お知りになりたいですか?」
「さっさと答えろ!」
困った顔をして首をかしげるソレにソードはきつく叫んだ。
この状況で平然としているソレが気に入らない。剣を向けられている状況で、自身は防御手段を持っていないだろうのに、余裕の態度を続けるソレがソードは理解できなかった。
ソードの胸のうちで気味の悪さが渦巻いているなか、ソレは口を開いて説明を始めた。
「実は、私にもよくわからないのです」
「…………は?」
その言葉の意味が理解できずにソードは聞きなおしてしまった。
理解が出来ない? 自分自身のことなんだろう?
深く考えようとするほど、ソードをおちょくっているとしか思えなかった。
ソードは剣の切っ先をソレにずいと近づけた。
人間でいうと、おでこの部分。少し触れているのか、赤い血が流れてソレの顔をつたってぽたりと床に垂れる。
「斬るぞ」
「私は真実を言っているだけなのです。どうか、剣を納めて話を聞いてはいただけないでしょうか」
それにソードは返答しなかった。
どうするべきか、自分でも迷っていたのだ。
ダンジョンを攻略を最優先するならば、目の前のものなどさっさと切り捨ててしまえばいい。それこそがソードの悲願であるのだから。
しかし、ソードがそれをできずに心を揺るがしている理由。
それは、彼女の目がまっすぐソードを射ていたからだった。
淀みなく、混じりけなく、逃げることなく、ソードの芯に訴えるような。
そんな力強い視線を向けられて、ソードは戦いてしまった。気持ちが引けてしまった。
ここで話を聞かずに剣を浴びせて、次になにが起こるかを確認して何も起きなかったら?
絶対に話を聞かなかったことを後悔するだろう。この光景はソードの脳裏に焼きついてしまった。
無関心でいることはできなった。
ソードは剣を静かに下ろして、先ほどまで座っていた岩に座りなおして、彼女から視線をそらしながら、
「……まあ、話を聞くだけなら」
「ありがとうございます」
そう口にしていたのだった。
礼の言葉を口ずさむ彼女もうれしそうだった。
思わず頬を緩めてしまいそうになるソードは、気をしっかりと引き締めようと努力する。
そして厳しい面持ちで彼女に話をすることを促がした。
それに答えるように彼女は頷いてから、口をゆっくりと動かし始めた。
「私は気づいたら、ここにいました。どうしてとか、なんのためにとか、そんなことは一切も知らずに、意識があるときにはすでに生命があって存在を確立していたのです。周りにはなにもいません。知っていたのは、自分自身がここにいるということだけでした。だから、あなたのいう何者だという質問には答えることが出来ないのです」
「えっと、つまり……よく分からないけど、ここにいるってことか」
「その通りでございます」
ソードは頭が良いわけではない。
彼女の言った言葉を自分なりに解釈して噛み砕いた言葉に直してみて、それがあっているのかどうかを確認した。
噛み砕いた今であっても、正直なところ、彼女がなにを言っているのか理解できないのだが。
困惑しているソードに、彼女はさらに話を進める。
「はぐれものみたいなものだと思います。集団を知らないけど、個として存在していることを知っている。そのような理解でいいと思います」
「待って、分からない」
「私は私であることだけを知っているということですよ」
「ふうん、なるほど……」
「ちなみに、私の名前はフユウっていうんです」
「へえ」
彼女がなにを言っているのかが分からない。
彼女の名前がフユウということしか分からなかった。
フユウとしてはソードに伝わるように言葉を変えているつもりなのだろうが、効果は低いようだ。
しかし、フユウの存在がどうであれ、ソードにとって重要なことはただ一つだけで、彼女がダンジョンを攻略する上でどのような役割を担っているのかだ。
フユウがダンジョン攻略の最後の鍵であるのならば、そのときは――。
ダンジョンごとに攻略の条件を変えないで欲しいものだ、と心の中で悪態をつきながらソードは、
「それで、君はダンジョンのボスなのか?」
フユウの目をじっと見る。
サラサラしている髪も、穢れを知らない肌も、端正な顔も、すべてが魅力あふれる女性のような外見だが、それは上半身に限っての話だ。
ちょうど腰の辺りに魔方陣が怪しげな輝きを放っている。さらに下に目を向けると、宝箱なのだ。
宝箱からにょきっと身体を生やしている、そんなフユウが只者であるはずがない。
そして、このダンジョンが攻略者から危険視されて挑戦者がいなくなっている現状で、ダンジョンで出会う生き物はすべて魔物に違いないのだ――。
「さあ」
殺気を立てる寸前までいっていたソードの気迫にものともせず、フユウはお気楽にそう言ってのけた。
ものすごい胆力の持ち主なのか、それとも鈍感なだけか。
ソードはすっかり気をそがれてしまった。
「しかし、あなたも知っておいでの通り、私は誰かに外から開けてもらわない限り、活動をすることが出来ません。ちなみに言うと、一人では動くことも出来ないのです」
こんな身体ですからね、とフユウは宝箱をとんと叩く。
強く叩いたわけでもないし、動かそうとも思っていなかっただろうが、その仕草がソードにはとても悲しそうに見えた。
宝箱がとても重く、窮屈な存在に思える。
「ですから、このような身でダンジョンのボスだといっても、滑稽な道化師としか思えないでしょう? だから、ボスではないと思います」
自力では動けない。ほかの存在からの手助けがないと、活動することすらできない。
確かに、そんなフユウがボスだなんておかしな話だ。
フユウの話には説得力があるように感じた。
しかし、そうであるなら、新たな疑問が生まれることになる。
フユウと名乗っている目の前の存在はいったい何のためにここにいるのだろうか。
そこにいるからには必ず理由があるはずなのだが……。
ソードはにこにこと笑っているフユウの全身を見渡す。
敵意はないように見えるが、魔物であるからには何かしらの攻撃手段があるはずだ。
露になっている部分ばかりで物を隠せるようなスペースがないことから察するに、魔術をつかうタイプの魔物ということだろう。
(しかし、宝箱に化ける魔物の多くは自らの身を武器にして戦うことが多かったはず)
宝箱に化ける魔物はその特徴から早期決戦を余儀なくされている。
攻略者も素人ではなく、それこそ腕に自身がある攻略者の反応速度はすさまじい。
敵だ、魔物だと判断した次の瞬間には、己の武器を相手にぶち込むことが可能なのだ。
だからこそ、魔物のほうもそれに対応してか、速攻型の攻撃を仕掛けてくるのだが――。
フユウにそんな芸当が出来そうもない。
なにしろ、宝箱から飛び出してきて始めにする行動といえば、襲ってきているだろう相手に対して仲良くしましょうと声をかけることなのだ。
人間としゃべれることから知能が高いことも分かる。だから、魔術を使うのだろうと推測が成り立つのだが、
――果たして、どんな魔術を使うのだろうか。
「そのような難しい顔をされて、なにを考えているのですか?」
その声は思考の海に溺れかけていたソードを現世に戻らせた。
あまりに集中しすぎていたようだ。意図的に瞬きを幾度か行ってから、フユウに答える。
「なんでもないよ。ちょっとな」
「ふふふ。考え事なんかなさらないで、フユウとおしゃべりしましょう?」
「…………ああ、そうだな」
少し考えようかとも思ったが、屈託のない笑顔を向けられてしまって、自分の心が穢れていると言外に言われているような気がしてソードは快諾することにした。
ずっとダンジョンを攻略してきて、心がすさんでいたのかもしれない。
こんなにも友好的に対話を望んでいるフユウを無下にしようとしているなんて。
心のオアシス、というものに彼女がなってくれるかもしれない。
そう思うと、ソードは少し気分がよくなった。
「…………?」
ソードが何も言わずに笑いかけると、フユウはなにがなんだか分かっていないようでこまった顔で小首をかしげていた。
その様子は地上で見たなによりも、かわらしいとソードは思った。
そこからぽつりぽつりとフユウが求めることを不精ながらにソードは語っていく。
自分がここまで話を続けられるとは思っていなかった。
それとも、フユウが聞き上手なだけなのか。
――いや、そんなものはどうだっていいのだ。
目の前でフユウが笑ってくれている。
話をしているソードとしては願ったり叶ったりだ。
「それでその時のダンジョンで…………ふわあ」
「どうなさったのですか?」
「ああ、ちょっと眠気が襲ってきたみたいだ」
どれだけ話していたのかは意識していなかった。
心地よい時間は早く過ぎるとはよく言ったもので、フユウと雑談に興じ始めたのはつい先ほどのような気がするが、体の疲れからいって相当前のようだった。
ソードはあくびをかみ殺しきれずに口を手で覆った。
そんなソードを見て、こらえきれないというようにフユウは笑いをこぼした。
「なんだよ、わらうなよ」
「だって、おかしかったのですもの」
「……そんなこというなよな」
見麗しいフユウからそんなことを言われてしまうと、どうしても頬が熱くなるのだ。
ソードはフユウの顔がまともに見れなくなってしまう。
そんなソードの心境を分かっていてか天然か、フユウはある提案をしてきた。
「眠たいのだったら、一度寝てみてはどうですか。地面はこの通りごつごつとしていますが、目をつぶるといろいろなことも整理できますし、疲れもとれるかもしれませんよ」
「ああ、確かにそうだな」
ソードはフユウの台詞に何かがひっかかったが、その言葉に甘えて眠らせてもらうことにした。
体中がとても重く、まともに思考をすることもままならなくなってきた。
ダンジョンを攻略するにはやはりここまで根気をつめる必要があるよなと再確認しながら、ソードは目を閉じる。
しかし、何かを忘れているような……。
何をしにダンジョンの最下層まできたのだっけ……。
「さあ、おやすみなさい」
ソードの脳は甘くとろけるような声を聞いたのを最後に眠りに着いた――。
「今回は長かったですね……。まあ、それもどうでもいいことでしょう。終わったことですから。――さあ、顕現しなさい私の僕たち、『クリエイト』!」
フユウが呪文を放ち、呪文と同時に発光し始めた手を揺らめかせる。すると、手をかざした真下の地面からゴーレムが練成される。
それはソードが苦労して倒してきたゴーレムとまったく同じものだった。
フユウが宝箱をとんと叩くとゴーレムは重い足取りでフユウに近づいて宝箱ごとかかえあげた。
そして、フユウを支えているほうとは反対側の手で深い眠りについているソードを摘ませる。
その扱いは愛くるしく接していた先ほどまでとは似つかないもので、とても雑で感情が篭っていない。
「動いて」
その言葉を合図にゴーレムは歩み始める。
フユウは目的地を告げてはいないが、ゴーレムと動きに迷いはなかった。
それこそ、何度も何度も同じ動作をしてきているように。
ある壁際までたどり着くと、フユウは壁に手を当てて魔力を発動した。
フユウの手から光となって顕現している魔力が壁を伝っていく。それはいくつも枝分かれをしており、まるで模様のようだった。
そして鍵が外れるような音がした後、轟音を立てながらフユウの目の前で壁が左右に裂けていく。
そして、ゴーレムが完全に通れるほどの隙間になり、その中身の全貌が露になる――。
「あぁ……愛しい、魔王様」
そこにいたのは椅子に座ったやせこけた老人のような姿の魔物だった。
上等そうなロープで体全体を覆っているが、顔の衰えは隠し切れないようだ。
体は何一つ動かさないが、自分の名前が呼ばれたので顔だけがフユウを向いていた。
うっとりとした声を上げながら、フユウが魔王と呼んだ魔物に手を伸ばす。
ゴーレムはフユウの指示なしに望まれているように動いていた。
これも幾度と同じ行動をし続けた結果のことだろう。
「いつになったら、魔王様の魔力は満たされるのでしょうか……。魔王様、これが今日の食事です」
フユウはゴーレムに指示を出して魔王の前にソードを放り出させた。よほど深く眠っているのか、ソードはぴくりとも動かなかった。
ゆっくりとした動きで魔王はソードに手を当てる。
そして、呪文――。
「『ドレイン』」
フユウは目をきらきらと輝かせてその光景を見守っていた。
魔王が触れている部分からソードの生気が失われていくその光景を。
まず、水分が奪われる。
嫌な音を立てながら、ソードは干からびた魚のように薄い存在となってしまった。
努力をしてつけたたくましい肉体も、今はその面影を感じさせなかった。
次に、時間が奪われる。
これから歩んでいく予定だった命の残高。
それはソードの臓器や皮膚が一瞬で腐敗していくことから、魔王に奪われていくことが目に見える現象で現れるのだ。
残るのは、誰が見ても人間だったとすら分からないナニかだった。
「ゴーレム、片付けて」
フユウはそれすらがここにいることを許さなかった。
ゴーレムは命令されたとおりに、ソードだった肉体を渾身の力で踏み潰した。
轟音が起こって、ゴーレムが足を上げた時には埃や塵が舞うばかりで、ソードが生きた証は消えてなくなっていた。
「すみません、ゴミくずが舞ってしまいました」
そこにあるのは魔王に対する申し訳なさだけ。
フユウはすでにソードという一人の人間を記憶から抹消していた。
不敬になってしまうのではと体を震わせるフユウに魔王は、
「いつも……すまない……」
「そ、そんな! これは私が好きでやっていることなんです! だから、魔王様は私をこき使ってください!」
慌てた声でそう語るフユウに魔王は小さく唸るだけだった。
魔王の力は衰えていて、会話をすることさえもままならないのだ。
フユウは魔王に対して膝をつく。
そして、ソードに見せていたような顔に張りつけていたニセモノの笑顔ではなく、心からの本物の笑顔で魔王に宣言した。
「私は魔王様の側から、決して離れたりはしません!」
魔王様は側近に裏切られて敵である勇者から痛恨の一撃をもらってしまったようなのです。
そうでなければ、あんなにお強いのに敵に傷を付けられることなんてないでしょう。
私はその側近とやらがとても恨めしかった。
魔王様が傷つかれる原因となったその側近が。
しかし、その側近ももうこの世にいないのです。
私が殺しましたから――。
役に立たないと思っていた魔法がここまで有効に働くと思っていませんでした。
私が使える魔法はたったの二つ。それも軽視されている補助魔法です。
その魔法名は『カウンター』と『スリープ』と『クリエイト』です。
自信を持っていなかったその魔法。しかし、実際のところ、その効果は絶大でした。
相手が強い場合は『カウンター』で自滅してもらい、相手が弱いと『スリープ』で無効化させることが出来るのです。
相手が腕の立つ攻略者ならば、宝箱から現れた私に躊躇することなどなく攻撃を放ってきます。
宝箱に化けている魔物を倒すのならば、それが一番賢い策だからです。
しかし、それは普通の魔物を相手にしているときだけで……。
攻撃を放った攻略者たちは『カウンター』でわけがわからないという顔を浮かべながら沈んでいきました。
始めに攻撃をためらう人たちは攻略者として未熟なのです。
相手が魔物であり、自らの敵だということがはっきりしているのに攻撃をしない愚か者です。
ですから、そのような人たちには感情に歌えかけて時間を稼ぐことにしました。
ばれないように微弱な『スリープ』をかけて、眠った時が彼らの最後です。
まあ、『クリエイト』だけは攻略者に対して効果がなかったのですが、私と魔王様の身の回りの世話をやってもらっています。
恨みがましい側近は己の力を誇りに思っていらしいので『カウンター』でさくっと死んでもらいました。
ざまあないです。
ちなみに、怪我をした魔王様がここにいらしたのは偶然らしいです。まったくもって運命だと思います。
側近を倒して、魔王様をかくまうことにした私はダンジョンの構成を変えることにしました。
より強い魔物を配置して攻略者を殺し、魔王様の食料にしました。
たまに最下層までくる攻略者もいましたが、『カウンター』と『スリープ』のどちらかで倒せないものはいませんでした。
そして、その冒険者たちも例外なく魔王様の食料です。
――ああ、愛しい魔王様。
弱っちい攻略者じゃ、その体を満足させるのに時間がかかるでしょう。
しかし、諦めないでください。
私がついています。
どんなに時間がかかっても、私が餌を集めてきます。
その体が全回復なさるまで、私が責任を持って攻略者を狩ります。
だから、魔王様はなにもしなくてもいいのです。
すべて私に任せてください。
――――ああ、愛しい魔王様。
この身はあなたのためにささげることを誓いましょう。
一度魔王様に救われた命、いつ果てても構わないのです。
魔王様のためになること、それが私の生きる目的ですべてなのです。
だから、魔王様の調子が戻りなさって、私が不要となるのならば……。
そのときは、私も『ドレイン』して、未来永劫一緒につれていってくださいね。
そのときまではどうか、共に幸せな休息を――。