二話 上 穴蔵の中で
内部が大きく広がった穴蔵が、私の隠れ家だ。
入り口は狭く、内部は上り坂と広い空間が広がっている。外敵から身を隠しつつ、雨などの侵入も防げる良い作りだ。ここを見つけた時、内部は既にもぬけの殻だったため、ここの主は既に亡くなっているのだろう。どんな魔物だったのか分からないが、熱の逃げない構造に感謝を捧げる。
焚き火の反対側で行儀よく座る少女を見下ろして、はや一時間。その間に交わされた会話は皆無だったのだから、今まで考えたこともない寝床の製作者のことを考えてしまうのも仕方ない。
だが、会話が生まれなかったのも同様に仕方がないことだったのだ。
私と彼女(魔物使い)が結ばれた瞬間、我々はお互いの記憶をあらかた共有しつくしていた。
だがそれでも、会話の必要性はなくならない。
私は彼女のほとんどを知りながら、最初の質問を投げかけた。
「まずは、名前を聞かせてくれないか」
私の言葉に、彼女は『理解できない』という顔をした。
なるほど、と私はひとつの理解を得る。記憶を共有しても、感情や思考を共有できるわけではないのだ。
ならばますます、会話の必要性は増してくる。
「私はマスターの名前を知っている。君が知っている君を、私も知っている。だが私の中に、私の知る君はまだ居ないのだ」
「……むずかしい」
「そうだろうな。だが、ヒトが仲良くなるためには、まず挨拶からだ」
君も母親に習っただろう、という言葉は飲み込んだ。
習ったことは私も知っているが、あの記憶を掘り起こす必要はない。
「私の名前はシンゴルファル。二足歩行する獣、いわゆる獣人の犬族だ。君も知った通り、世界を荒らしている『はぐれ』のモンスターを狩るのが、私の仕事だ」
「鼻は、凄くいいの?」
「私が嗅いだ匂いの記憶はないのか?」
「ない。自分は鼻がスゴイ強いとか、彼女さんの匂いがスゴイ好きだとか、そういう知識はある」
「ふ、ふむ。なるほど……」
なんだかとても恥ずかしいことまで把握されているのだな、と恐ろしくなったが、分かってくることがたくさんあった。
例えば、知識や把握した五感への認識は記憶として授受されているが、五感の記憶自体は連携されないのだろう。
意識して彼女の記憶を思い返してみると、私も彼女の記憶にある匂いを分からなかった。
人間の嗅覚レベルだから、ではないだろう。
そんなことを考えていると、少女がゆっくりと自分の名前を口にしていた。
「わたしは……ラーナ。ラビアン村から出たことないけど、最近モンスターが増えてて、お父さんたちが狩りに出かけたら……」
「わかっている。その先は言わなくてもいい」
留守を突かれて、村は全滅した。
待っても父親達は帰ってこず、少女は家で最も長い刃物を持って家を飛び出したのだ。
「あなたが、少しだけ知っていたことを、わたしも知ってる。私には、魔物使いの素質があるのね」
「おそらく、という推測が入るがな。生まれつきなのか、遺伝なのかも分からない。なにしろここ百年ほどでは記録に現れていない存在だからだ」
「細かいことはどうでもいい。私はただ、アイツラへの復讐以外のことなんてどうだっていいの」
それだけで、いい。
呟いた少女の瞳に、再び炎がゆらめく。
申し訳ない、と思った。
彼女の悲劇を救えた可能性があるのは、自分だけだ。
もしも人間を犠牲にせずに奴らを倒せていたら。
もしも『はぐれ偵察』の仕事が的確で、こちらも複数のハンターで仕事にあたれたら。
こんな後悔をしたのは『はぐれハンター』になったばかりのころ、最初の数回だけだった。
無駄な後悔だと切り捨てたはずの『感情』を再び感じるようになったのは……私が少女に魅入られたことと無関係ではないはずだ。
私の中にも、思うことは色々ある。
だが、彼女と記憶が繋がったのは光に包まれたその瞬間までで、今はまったく、彼女の思考や記憶を読み取ることは出来ない。
だから、私は覚悟を決めた。
「ラーナ。君は私のマスターになった。私は君が望んだことを忠実に実行するだろう。これも推測だが、君に忠誠を誓った際に感じたアレを思えば、反抗することはできないはずだ」
ラーナが私の目をしっかりと見返してくる。
同時に、聞いたはずのない言葉が私の中で語りかけてくる。
人の話を聞くときは、相手の目を見なさい。相手の声を聞きながら、相手の目の中にあるものを見なさい。
それは私の母の声だった。ラーナの母の言葉が、私の母の姿を借りて、記憶を呼び起こす。
これほどまでに強いテイマーとの繋がりに、恐れを通り越して関心を覚えつつ、私は話を続けた。
「君の願いと、私の願いは一緒のはずだ。『はぐれのリーダーを殺す』。その後は私にモンスターを無秩序に殺させても構わんが、そこまでは、はぐれハンターとして、私に最後の仕事を果たさせてくれ」
言うと同時に、頭を下げる。
これが、私なりの償いと、私の最後のわがままだ。
彼女の気の済むまで、私を使い倒してくれればいい。私が倒れたら、次のモンスターをテイムして、気の済むまで魔物に復讐するのも構わない。
ただ最後に、組織をつくり上げるまでに至った謎の『はぐれ』と、それに勝ったという『やりきった』実績が欲しかった。
少女は私の申し出を断ったりしないだろう。私の目的は、彼女の復讐に道具として使われるだけでも果たされるのだから。
しかし、私の期待は裏切られた。
「……シンゴルファル。私は、モンスター全てを憎んでなんかない。『はぐれ』殺す。アイツラのリーダーは、必ず殺す。だけど、あなたの記憶にあるような、優しい人は『はぐれ』なんかとは全然ちがう」
十歳の少女が、復讐の炎を飼い慣らしていた。
全てを燃やし尽くすことなどないのだと、理解り、鎮めたのだ。
なんという意志力だろう。なんという清らかな心なのだろう。
私の心の中に生まれる畏敬は疑わずにはいられないが、かと言って止めることも出来なかった。疑う辞典で、私の心には既に彼女に対する敬意がカタチになってしまっているのだから。
「だからお願い、シンゴルファル。わたしの復讐のために戦って。だけど、それはあなたの友達のためにもなるの。だから……わたしと一緒に、あなたの尽くしたナニカのために戦い続けましょう?」
少女に微笑みを向けられて、鎧の下に隠した尻尾にむずむずと力が入るのがわかった。
まったくもって、はしたない。
背中を隠すようにして、私は再び、彼女に頭を垂れた。
「分かった、ラーナ。君の思うがままに、私の為に戦おう」
「えぇ、あらためまして、よろしく、シンゴルファル」
「……私の愛称は知っているのだろう。シンゴで構わんよ、ラーナ」
やはり、言葉による会話は必要だった。
私達は理解と納得を経て、明朝の襲撃を決めてからわずかな睡眠をとった。