一話 上 モノローグ
『諸君は本日をもってモンスター育成高等過程を卒業し、晴れてモンスターの一員として人間社会と魔物社会の相互発展にあたることになるわけです』
卒業式ではお決まりの、校長の長々とした式辞が続いている。
だが静かにそれを聞いているような学生はほとんどいない。なぜならば開式の直前に、私達学生の就職先が発表されていたからだ。
「ねぇシンゴ、あんたはどこの配属になったのよ?」
「『はぐれハンター』だ」
後ろから声をかけてきたのは、ネコマタキャットのチハヤだ。飛んできた質問に答えると、逆に相手のほうが萎縮してしまった。
だがそれも仕方がない。はぐれハンターに配属されるのは成績優秀な生徒と決まっている。
……でなければ成し遂げられない過酷な仕事だからだ。
「あー、でもシンゴなら納得かも。マジメだもんねー」
「チハヤから見たら、ほとんどの奴がマジメに見えるだろう?」
爪を伸ばしてガリガリと背中を引っかかれるが、ウォードッグの肌には心地いい。
気まぐれなネコマタキャットは、気が済むまで好きにさせるのが一番だ。
「仕方ないだろう、チハヤ。はぐれハンターは守秘義務が多く課せられる。君みたいなおしゃべりではなく、シンゴみたいな寡黙なやつじゃないと務まらないのさ」
横から声をかけてきたのは龍の眷属であるドラッヘンリッターのナオトだ。
魔物の中では、貴族と呼ばれる種族が存在する。
犬猫は地位が低く、龍や吸血鬼などに連なる魔物は高位の魔物とされている。
とはいえ、学内では建前上は同等と扱われるし、ナオトは己が上位種であるという矜持は持っているものの、私達と対等に学び、己を鍛えてきた仲間だった。
「あんたも一言多いのはほんっと治らなかったわね!」
「一言注意をさせる君の悪いところが治らなかったんじゃないかい?」
チハヤのひっかき攻撃の対象が横に流れていったことで、一つ息を抜いて周囲の声と、匂いを確認する。
毎年一言一句変わらない校長の式辞は昨年度に見送る側で聞き飽きている。
周囲の学生のぼやきと自慢、そして感情の発する匂い。
それらを覚えていくことは、卒業後に孤独な戦いを強いられる私には重要になるはずだ。
「うっわ、お前ミーア地区の巡回?やばいじゃん、あそこって確か人間の徹甲軍団とかいうのが居るだろ。即経験値(EXP)化だな、ゴシューショーサマー!」
「気落ちしてんだから言うなよ!お前の鳳峰地区と変わりてーよ!」
「いやいや、これは鳥類種族の特権ですよ。あそこは空とべねーと生きてけねーもの」
「いいなぁ、土竜系だから人界巡回じゃなくて、土木現場は確定っしょ?」
「うん……でも……アシロ湖近くの水道設備の補修員で……」
「まじか……。あそこって地主のマーメイド財閥がやばいっしょ……」
「……この前、また抗争が起こって作業員に死傷者が出たって……」
耳に入ってくる声音は悲喜こもごも。
安全な地域への配属を喜ぶ者もいれば、危険な地域で腕っ節を震えることを楽しみにしている者も居た。
【魔物として生まれてきたからには、力のみで自由に生きる】
そんな時代は百数十年前に過ぎ去っている。
人間に殺されて経験値を奪われることも含めて、それが僕達の生きる世界のルールなのだ。
『それでは、諸君が無事にモンスターとして己の務めを果たすことを祈ります』
式が閉められた。
そう、この時私は確かに心に決めていたのだ。
この命尽きるまで何かに尽くしていくのだ、と。
最後の最後だけ静かになって礼をする卒業生たち。もちろん自分も含まれているその全員を俯瞰しながら、心のなかで誓いを繰り返した。
暗転。
瞼をうつ雨が重くて、目を開く。
細い雨が降り続ける森の中で、私は無数の血に浸りながら、ゆっくりと空を見上げた。
● ● ● ● ●
顔にかかる、細かな霧雨がうっとうしい。
木に背中をあずけて上体を起こしているものの、体のどこにも力は入らない。体中の傷から血が流れ出て、熱と力が抜け落ちていく。
自分に油断は無かった。
単純に、敵が強かったのだ。
自分より強い敵と戦うことになった時に死ぬ。それが自分の運命なのだという覚悟は、既に決めていた。
だからこそ、反省はあれど基本的に後悔はない。
たった一つ。
己が何も残せずに、ただ世界からこぼれ落ちてしまうという事実だけは、少しだけ残念だったが。
学校を卒業してモンスターとなってから、必死に戦ってきた日々が脳内をよぎった。
人間と共存していくための管理社会を嫌って牙を向いた『はぐれ』モンスターの討伐。
それが自分の任務であり、この五年間、良くそれを果たしてきたと思う。
はぐれハンターの任期は五年ごとに更新か引退かを選ぶことが出来る。自分もあと数回任務をこなせば故郷に戻ることができたのだ。
共に武術を磨いた龍族の気さくな友人。
最後まで陽気だったネコマタキャットの恋人。
そして見事にはぐれハンターの任をこなして引退した両親。
流れては消え去っていく記憶に、私の理性はある言葉をしぼりだした。
それは、謝罪だ。
置いていってしまう全ての人に、心のなかで謝っていく。
最後に、魔物でも人間でもない、自分が尽くしてきた何かに謝って私の脳内に残っていたのは、最後の戦いの記憶だった。
集団を形成しているはぐれの討伐。
多少の数が集まった程度でも蹴散らせる自負はあったが、まだか三桁からなる軍隊のにまでなっているとは。
襲い掛かってくる刃の多さが、肌に残っている。全く洗練されていない太刀筋だが、向けられる悪意の数は莫大で、それらを愛剣で切り伏せていくのは―――楽しかった。
体の奥底を震わせた戦いの熱は体から漏れでてしまったけれど、己が辿りつけた武の境地は冥土の土産にはちょうどいい重さだろう。
満足して再び瞼が落ち始めてきたその時。
土を踏む軽い音が、私の注意を引きつけた。