消えた傷
「どうして、昨日は確かに傷があったのに……」
「はい、血がいっぱい出て。大きな傷でした」
フェリクスとサラは、少し青ざめた顔で傷があったはずの場所をじっと見る。
特に傷の手当てをしたフェリクスは、逸らし気味ではあったものの、傷口を見ていたので、信じられないものを見るかのような目だった。
俺自身も、何が起こったのか分からない。
あの時は確かに痛かったし、グサリと刺さった感触もあったのに!
「――まさか」
俺はある事を思い付いて、着ているシャツのボタンに手をかけた。
震える手で、急いで脱いでいく。
シャツの下には、城下で怪我した跡が残っているはずだ。打ち身だけど、青あざくらいは。
「きゃっ!ちょ、ちょっとオスカーさん!?」
「何、どうしたの!?」
俺の突然の行動に、慌ててサラが手で目を覆った。
ボタンを半分外したところで俺は焦れ、シャツの裾を掴むと一気に脱ぎ捨てた。
まだ、背中には湿布が張ってあるはずだ。
「フェリクス、ごめん。背中に湿布って張ってるだろ? それ、剥がしてくれないか?」
「し、湿布?……あるよ、この布だよね」
震える声で懇願すると、フェリクスは俺の背後に回った。
「どうなってる? あざとか何か」
「あざって……。何も、無い。どこか痛いの?」
そんな馬鹿な。
俺は血の気が引く音を聞いたように感じた。
昨日だぞ? 昨日、あのゴロツキに蹴られて、あざが出来たのに。もう何も無いなんて、あり得ない。
頭の中を、思考がしっちゃかめっちゃかに動き回る。
何が起こってるんだ? どういうことなんだ?
まるで考えがまとまらず、俺は髪の毛をグシャグシャにかき乱した。
二人はどう思っただろう? 一日も経っていないのに、傷が治るなんて。これじゃあ俺、化け物みたいじゃないか!
誰も何も話さない。
二人が俺を見てる。
青い顔で、俺を見てる。
何か言わなくては。何を? 俺だって何も把握できていないのに?
でも、何か、何か――。
「分かりました!」
サラが場違いなほど明るい声で、高らかに言った。
その顔は先ほどまでと打って変わって晴れやかで、ふんわりとした笑顔を浮かべている。
対する俺たちは、いったい何を言い出すのかと、揃って彼女を凝視した。
「これは神様のお力に違いありません! オスカーさん、やはり貴方は神様に愛されているんですよ!」
キラキラと瞳を輝かせ、サラは興奮気味に言った。
何度も傷があったはずの場所を擦っては、「凄いです!」「やっぱり、私の思った通りですね」と興奮気味に言った。
俺とフェリクスは、彼女のテンションに付いて行けずに呆然としたものの、段々とサラに感化されていった。
そもそも、シュルトを弾いて攻撃を受けないことだって普通じゃないんだ。傷が自然に回復することだってあるのかもしれない。
それに、サラの言うことにだって一理あるかもしれない。
前に陛下が言っていたけど、俺がこの世界に来たのが偶然や事故ではないとしたら。
誰かが俺を呼び寄せたのだとしたら。
それが、所謂『神様』なのかもしれない。世界を越えて人を呼ぶなんて、そう言った存在にしかできないだろう。
なら、ちょっとくらい心配りをくれるかもしれない。自分の世界とは全く違う、それこそシュルトなんて化け物がいる世界に連れてきてしまった『お詫び』として、死なないようにこんな力をくれたのだとしたら。
俺としては、全力でお礼を言いつつ、渾身の力でぶん殴りたい気分だ。
俺がある程度納得すると、フェリクスも何とか折り合いをつけたようだった。先ほどよりも顔色が良い。
――どう思われたのか、聞きたいような聞きたくないような。フェリクスは俺の事情を何も知らないから、サラと同じような結論に至ったかもしれない。
それか、もっと別の理由を見つけ出したか。
エクラ=リラに着いたら、フェリクスに話そう。
俺は決心した。変な誤解を与えたくないし、彼はこの世界では唯一の友人だ。万が一化け物のように思われでもしたら、かなり辛い。
「さ、オスカーさん、フェリクスさん。ご飯にしましょ? 私、お腹空いちゃいました」
何度も元・傷を擦っていたサラは、ようやく満足すると立ち上がり、眉尻を下げながら腹を擦った。
俺が何か言う前にフェリクスが頷くと、彼女は我慢のできない子供のように教会へ駆け出した。
その背中を見送ったフェリクスは、俺に手を差し伸べて、「いこうか」と微笑んだ。
「な、フェリクス」
彼の手を取り、立ち上がりながら言った。
「エクラ=リラ着いたら、聞いて欲しい話があるんだ」
「ここでは教えてくれないの」
フェリクスは、俺が何を話すか感づいているな素振りで、静かに言った。
俺は教会の方をチラリと見た。
陛下は、俺の事情をあまり口外して欲しくなさそうだった。もちろん、俺だってベラベラ話すつもりはない。
ジャクロットを出る時に、あるいはそれよりも前に別れるはずの彼女には、何も言わないでおこうと考えている。
俺の視線を辿って納得したのか、フェリクスは仕方がないな、といった表情で、「分かった」と言った。
「ありがとな」
俺は口元を緩ませてお礼を言った。
フェリクスは肩をすくませながら、「いいよ。でも、必ず話して」と苦笑した。
「ああ、約束だ。――ほら」
「なに?」
俺が彼の目の前に拳を持っていくと、フェリクスはキョトンとした顔でそれを凝視した。
「俺の友達の間で流行ってたんだよ、約束のポーズってやつ。これをしたら、絶対に約束を破ったらいけないって」
それは、子供の頃に流行ったものだった。
誰から始まったかは覚えていない。テレビとか、漫画とかの影響だろう。お互いの拳を打って約束するというその仕草は、昔の俺にはカッコよく映ったのだ。
成長するにしたがって、使っているのは俺だけになったけど、友人たちは俺がこの仕草をすると、付き合って拳を打ってたのだ。皆良い奴だから。
フェリクスは数度瞬きした後、ゆっくりと拳を握り、俺の拳に近づけた。そして、コツン、と軽く打つ。
やっぱり、こいつも良い奴だ。
「よし、約束だ! じゃ、行こうぜ。腹減ったよ」
「うん」
俺たちは、揃って教会へと歩を進めた。