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あるはずのもの

「あら? おかしいですね」


 さっさと教会内に入ったサラが、不思議そうに言った。

 室内は祭壇と、説教用の卓みたいな台、信者の方が座る長椅子など、正しく教会といった備品が並ぶが、人は見当たらない。夜の闇に染まってしん、と静まり返った教会は、まるで俺たちを拒んでいるかのように佇んでいた。

 

 少しビクつきながら室内へ入ってみると、サラはあちこちの扉を開けて人を探している。さほど大きい建物でもないから、すぐに首を傾げながら戻ってきた。


「司祭様が見当たりません。教会にいらっしゃるはずなんですけど……」

「別に家があるんじゃないのか?」

「いえ、司祭様は教会に住み込みのはずです。あちらに私室らしきものもありましたし」


 サラが指さす部屋を覗いてみると、簡素なベッドと本棚、机があった。綺麗に掃除されていて、窓枠にランプを近づけても埃一つ見当たらない。

フェリクスが本棚に収められた本を一冊取り、ざっと目を通す。


「これ、宗教本だね。ラズルシェニに関する教義が書かれてる」

「じゃあ、ここが司祭って人の部屋か。でも、こんな夜中に何でいないんだ?」


いくら考えても、疲れた頭は何の答えも導き出せない。

結局、司祭が戻ってきたら謝ることにして、俺たちは長椅子に寝ころんで眠ることにした。

 ベッドらしきものは司祭の部屋にしかなかったし、まさかここに潜り込むわけにはいかない。

 サラは慣れていると言っていたし、俺も畳の上でよくごろ寝していたからわけないけど、フェリクスは最初戸惑った様子だった。

 まあ、ずっと貴族として質の良い寝具で眠っていたのだから仕方がないけれど。

 それでも、かなり気疲れしていたんだろう。予想よりもはるかに早く寝着いたようだった。


 二人の寝息を聞きながら仰向けになってみると、天窓がある事に気が付いた。

 ガラスを通して、金色に輝く月を見つめる。


 ――フェリクスには、話さないといけないかもな。俺が、異世界から来たってこと。

 ここまで巻き込んだわけだし、今はそれどころではないから聞いてこないだけで、本人も疑問に思っているだろう。

 普通なら、パニックを起こしてもおかしくない状況なのに。それでも俺を信頼してくれている彼の友情を考えると、これ以上嘘を吐きたくない。

 でも、サラの前では言えないな。あまりベラベラ話すことではないし。

 ……いつ、言おうか。


 だんだん目蓋が重くなってくる。俺自身も、疲れていたようだ。 

 結局、考えがまとまらないままに、目を閉じた。


 深い眠りの底に沈む前に、扉が開く音を聞いた、気がした。


                    ***

 眩しい。

 チチチ、と鳥の声が聞こえる。

 もう朝か、起きなくてはと思う自分と、まだ寝ていたいと思う自分で大合戦。

 ゴロリと寝返りをうったところで、俺は宙に浮いた。


「――いってえー! う、腕! 腕打った!」

「何してるの」


 俺が痛みに悶えていると、頭上から声が降り注ぐ。

 横になったまま上を見ると、心底呆れたようなフェリクスが俺を見下ろしていた。

 

「あー……。おはよう、フェリクス」

「おはよう。顔、洗って来たら? 外に泉があるから」


 彼はそう言うと、扉に目を遣った。

 どうやらとっくの昔に起きていたようで、身支度も整っている。

 立ち上がって伸びをすると、起きたばかりなのに欠伸が出た。疲れは完全に取れていないみたいだ。


 ふ、と祭壇が目に入る。

 美しく彫刻された四角い木の台の中央に、氷のように透明な青の人物像が置かれている。

 その人物は、巨大な剣を地に刺し、雄々しい咆哮を上げている。神様というから、穏やかな顔をしているのかと思えば、全く違う。この神様に追いかけられでもしたら、泣いて謝るしかない。それくらい、迫力があった。


 というか、本当に神様かよ。この形相、悪魔って言われた方がしっくりくるけどな。


 像が置いてある台に敷かれた布が黒色なのも、その印象を後押しする。

 分厚く、丈夫そうな黒布は、これまた水のように薄い青色の糸で刺繍されており、幾何学的な紋章があちらこちらに描かれている。

 美しく整えられた祭壇は、この神様がいかに大事にされているかが良く伝わった。


 しばらく祭壇を見ていた俺は、グウ、と腹が悲鳴を上げたことでようやく祭壇から目を離した。

 シュルトと闘ったり、長い時間歩いたせいで、すっかり腹ペコだ。

 でも、まずは顔を洗わなければ。

 

 教会の扉を開けると、一気に朝の陽ざしが降り注いだ。手をかざし、目を細めながら空を見上げる。

 突き抜けるような雲一つない青空を、大きな鷹が弧を描くように飛んでいる。それよりもっと低い所では、小鳥たちが囁き合いながら飛び交っていた。


「あ! おはようございます、オスカーさん」


 広場の隅にあった泉には、先に来ていたサラの姿があった。

 半円形に整えられた広場の直線部分には、石を積んで作った泉があり、背後の山からの湧き水を引いて来ているらしい。澄んだ水が太陽の光を反射して、キラキラと輝いていた。


「ああ、おはようサラ。俺が一番寝坊したなあ」

「疲れてたんですよ。昨日はシュルトと……。そういえば」


 ハッとした顔で、彼女は俺の足を見た。

 何だろう? 何かついてるか?

 俺も同じように目線を下げて、あ、と思った。

 

 昨日の怪我だ。

 

 シュルトと闘った時に出来た怪我。

 丁寧に巻かれたが、所々歪になった布は、ほんのりと赤黒く染まっている。

 おそらく、ちゃんと止血しきれていなくて駄々洩れだったんだろう。流石に今は止まっているだろうけど。

 

「痛くないんですか?」


 しゃがみ込んで俺の足を見るサラは、自分が怪我をしたかのように顔を歪ませた。

 恐る恐る触ろうとして手を止め、少し考えた後に触らず戻した。


「いや、それが全く。怪我したの忘れてたくらい」


 そうなのだ。

 こんなに血が出て、ざっくりと切れていたはずなのに、全然痛くないのだ。

 脳内麻薬ってやつかと思ったが、シュルトと闘っている時ならともかく、こんなにリラックスしてる時も出るもんなのか? それって最早死にかけてるんじゃあ?


 昨日は簡単な手当てしかしてないし、せっかく水もあるから洗ってみることにした。

 消毒とかが無くても、せめて巻いている布は変えなくては。

 

 

腰を下ろし、グルグル巻きになっている布を、ゆっくりと剥がす。

 途中、固まった血がパリっと取れて、結構な怪我だったんだなと今更な感想を抱いた。

 痛みが無いからか、俺の方は何処か他人事のような感じで、そばで見ているサラの方が眉間にしわを寄せて、「大丈夫なんですか」「痛くないですか」と盛んに聞いてくる。

 その度に「大丈夫」「平気だよ」と答えて、いざ御開帳。


「うわっ、滅茶苦茶汚れてる」

「水で洗いましょう。……はい、かけますね」


 バケツを水で満たしたサラは、丸ごとかけるのは拙いと思ったのだろう。手でバケツの水をすくって、ゆっくりと俺の足にかけた。

 足に着いたままだった土汚れや血が、湧き水で綺麗に落とされていく。

 その水があんまりにも冷たくて、俺は「ひえっ」と素っ頓狂な声を上げた。一応夏なのに、氷のように冷たかったのだ。

あの水でスイカとか冷やしたら……。と明後日の方向に飛んでいた思考は、フェリクスの「どうしたの」という声に引き戻された。

 俺が変な声を上げたので、どうしたのかと気になって身に来たらしい。

 「包帯を替えようと思って」と告げると、俺の足を見て真一文字に口を引いた。


「……痛い?」

「いいや、全然。ビックリするくらい痛くない」

「なに言ってるんですか。こんなに血が出てたのに!」


 サラがこびりついている血を、傷口に触れないように指で優しく取っている。微妙な力加減なので、ちょっとくすぐったい。顔には出さないけれど。

 だが、徐々に変な顔になって俺を見上げてきた。

 まるで真近で手品を見たような、あり得ないものを見たような、そんな顔。


「どうしたんだ? 変な顔して」


俺は首を傾げて言った。

 サラは、「いえ、その」とまごまご言って、もう一度俺の足を見た。


「オスカーさん、怪我してましたよね?」

「え? ああ、したけど……?」


 何だろう、と足を見るが、傷口がサラの手で隠されて見えない。

 サラは「ですよね……」と呟くと、何かを考えるように目を閉じた。


「オスカーさん、ビックリしないで下さいね」

「へ? ビックリ?」


 いったい何だろう?

 

 サラは一瞬躊躇して、それでも手を俺の足から離した。

 三人分の視線が、その場所を刺した。


「……は? あれ?」


 俺は大口開けて絶句した。

 そこには、飛んできた木片が刺さった傷があるはずだった。

 結構血が出たし、あの時は凄く痛かったから、無傷であったはずがない。


 それなのに、ここには傷一つ無い。

 普通の、綺麗な皮膚があるだけ。


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