『神の愛し子』
何だか話を聞いていると、ファートゥスの神話によく似ている気がする。
あっちは建国の手助けをしたってことになってるけど、悪いものを倒して新しく国を作るってのは共通してる。この世界では、メジャーな神話体系なんだろうか。
「それで、話を戻しますと、ファートゥス信仰は、アルトロディアでもグランツィア王国とミルシャ公国の二国に限られているんです。だから、そのどちらかの国の方かな、と」
「流石商人だね。……僕たち、ミルシャ公国から来たんだ」
フェリクスがすかさず言った。
このところ崩れていたポーカーフェイスを復活させ、嘘など吐いていないような声色だ。
サラは疑いもせず、「まあ、そうだったんですね」と口に手を当てた。
「そう。国に帰る途中だったんだけど、シュルトに襲われて荷物を落とした上に、道に迷ってあの小屋にいたんだ。サラさんに会えて良かった。初めての旅だったから、僕たち二人とも不慣れなんだ」
スラスラと架空の経緯を説明したフェリクスは、ねえ、と俺に同意を求めてきた。
話を合わせるよう、俺に目配せすることも忘れない。
「ああ。本当に、サラに会えてラッキーだったよ。助かった」
「そんな、私こそ幸運でした。オスカーさんたちに会えたおかげで、シュルトに襲われても生きていられたのですから。それに」
サラは俺の目を見て、ニッコリと笑った。
非の打ちどころもない、綺麗な笑みだった。
「『神の愛し子』に出会えるなんて、夢のようです!」
「そう、それ!」
俺が指さすと、サラは首を傾げた。
「俺たちの国じゃあ、そういうの聞いたことないんだけど。それ、何?」
「私の故郷に伝わる、伝説のようなものです」
「サラさんの故郷?」
ええ、と頷くと、彼女は遠くを見るように目を細めた。
「鄙びた村で、皆が顔見知りってくらい人がいないんです。宿屋なんて気の利いたものも無くて、外から訪れる人も滅多にいません。そんな場所で、昔から語り継がれているんです。アルトロディアに神に愛された人が現れる時、世界が変わるって」
「それと俺が、何か関係するのか?」
自分を指さしながら尋ねる。
「オスカーさんのあの力ですよ! シュルトを寄せ付けない人智を越えた力は、まさに神が与えたもうた力。神に愛されている証です!」
『無敵モード』のことか。
あれがいったい何なのか、俺には見当もつかない。
だけど神様なんて、一度だって会ったことは無いし、存在自体も疑問だ。まあ、魔法みたいな力がある世界なんだから、いるのかもしれないけれど。
「きっと私の故郷に来たら、皆大騒ぎですよ! 立派な神殿が建てられちゃうかも」
「おいおい、やめてくれよ」
俺は頬を掻きながら言った。
そんな大それた存在ではないし、そもそも自分の世界に帰る予定なのだから、そんなもの造られても困る。
サラも本気で言ったわけではないようで、クスクス笑って俺の様子を見ている。
それに釣られて俺も口元が緩むとともに、どこか懐かしさを感じて、少し考える。
そっか、エルゼさんにちょっと似てるんだ。
すとん、と心に嵌まった答えは、意外とすぐに出てきた。
口調が似ているからか、それとも雰囲気か。サラはどこか彼女を思わせる。
顔とかは全く似ていないのに、不思議だ。
エルゼさんは今、どうしているだろう?
俺たちを探してくれているのか、それとももう遅いから、眠っているだろうか。
この世界に来てからいつも一緒にいたからか、たった数時間しか離れていなくても、ひどく懐かしい。
あの、湖の底のような碧の目がニッコリと笑うのを思い出し、早く帰りたいな、と心の中で思った。
足元を照らしながら星空の元を歩いていた俺たちは、しばらくして街道らしき道にたどり着いた。
今までの原っぱとは違い、人が歩きやすいようある程度均された道は、格段に歩きやすかった。時折石ころに躓いていたフェリクスは、それを見た瞬間安堵の息を漏らしたほどだった。
街道を歩いていると、たまにガサリと音がした。どうやら野生動物のようで、俺たちの前を横切るものもいれば、通り過ぎるのをじっと待つものもいる。
最初は驚いた。またシュルトかと思って、それこそ飛び上がるほど。その小さな動物が、野生の猫だった時の脱力感と言ったら!
しかも、一番驚いたのが俺だったのと分かった瞬間、燃え上がったかのように顔が熱くなった。二人の生暖かい視線が左右から刺さる。
何だよフェリクス、俺のオーバーリアクションに隠されただけで、お前も死ぬほどビビってたの知ってるんだぞ。この場で平然としてたのはサラだけだ。
「あ、あれ……!」
街道に出てから1時間は経っただろうか。
夜道を進むことに若干疲れてきた頃、サラが前方を指さした。
その先には黒い建物の影がいくつもあり、どうやら民家のようだった。
俺たちは、イリス村に到着したのだ。
イリスという村は、背後に高い山を抱え、その山から流れる清流が村を潤す、自然豊かな場所だという。
何十年も前は、グランツィアからの旅人が泊まる宿が軒を連ね、活気に満ち溢れていたらしいと、道中サラが説明してくれた。
グランツィアとの戦争が始まり、休戦しても国境が封鎖されたままだから、旅人がどんどん減って、見る影もなく寂れていったのだとも。
こうして村の中を歩いていても、全く人の気配を感じない。
石と木と半々で造られた家は、あちこちが空き家らしく、窓が割れたり戸が壊れていたり。蔦植物に覆われて、どこが玄関なのか分からないものもあった。
それでも、所々壊れて雑草が飛び出ているとはいえ、きちんと石で舗装された道や、しっかりとした造りの井戸、建つ家の多さに――半分くらいは空き家だったが――、昔の繁栄の残り香を感じてなんとも言えない寂しさと切なさが溢れた。
「教会に行きましょう。訳を話せば、一晩泊めてくれるはずです」
村の中心地まで来ると、サラがキョロキョロと辺りを見渡した。
そして、何かのエンブレムが掲げられた建物に目を留めると、ずんずん進んで行く。
俺たちも特段異論はないので、黙って後ろを着いて行った。
教会は、中心地にある広場とは目と鼻の先にあった。他の民家と同様に基礎は石造り、その上が木造で、華美な所はなく素朴な佇まいだった。一見すると、ただの民家にも思える。
教会、と聞けば、西洋の豪華で観光地にもなっているようなものばかり思い浮かんでいたから、何だか拍子抜けしてしまった。
三角屋根の角に付けられたエンブレムが無ければ、確実に見逃していたと思う。
教会の中は真っ暗で、こちらも人の気配を感じなかった。
ノックをしてみても、何の反応も無い。
サラが首を傾げながら扉を押すと、キイ、と音を立てながら、ゆっくりと開いた。普段なら小さな音でも、静かな夜には十分大きくて、ギクリ、と体を固くする。
夜中とはいえ、どうしてここまで静かなんだろう?
街道沿いの村といえば、クローデンへ行く時に立ち寄ったネルケ村はとても賑わっていた。夜中でも起きている人が多くて、酒場なんかも大盛況だった。
そうだ、酒場。いくら旅人が少なくなって、人口自体が減ったとしても、酒場くらいはあるのではないか。
まだ未成年だからよく知らないけど、大都会にしかないという物でもないだろう。実際、ネルケ村にもクローデンにもあったのだから。
そう思うと、この村がどんどん不気味に思えてきた。
村の入り口からこの広場までそこそこ距離があった。なのに、人っ子一人いないどころか気配さえ感じない。
よく、真夜中の町を「眠りに着いた」とか表現する人がいるけど、この村は眠るどころか死んでるみたいに静かだった。