祖神、ラズルシェニ
「ええと、これ……じゃないな。これも違う。これも……。あっ」
「あった!」と大声を出した瞬間、すぐそばに瓦礫が落ちてきた。
俺は体をビクつかせると、目当てのものを手に取ってそろりと小屋から抜け出した。
やれやれ。危ない、危ない。
シュルトを倒したは良いものの、身を寄せていた小屋はもはや廃墟と化し、一夜を過ごすどころではなくなってしまった。野宿も厳しいし、シュルトは一体とは限らないので、近くの村まで歩くことにしたのだ。
幸いにも地図は小屋に有った。――ただし、中はぐっちゃぐちゃ。建物自体も倒壊の危険性があったので俺一人で探したのだ。
フェリクスは最後まで自分も探すと言ってきかなかったが、絶対に怪我するからと止めた。なんせ、何もないところで足を引っかけていたし。
俺は小屋の外で待っている二人に地図を掲げると、彼らはホッとしたような笑顔を見せた。
「えーと、ここ何処だっけ?」
二人に近寄り、バサリ、と地図を広げる。月明りに照らされたそれは、何とか読めるようだ。隣から覗き込んだフェリクスが、地図を指さした。
「ここ。一番近くの町は――」
「イリスですが、小さな田舎町です。もう少し進んだところに、エクラ=リラという大きな町がありますよ」
サラは頭上の星を見て、方角を確認し指さした。
そちらを見ると、暗い草原が続いていて、特に明かりなどは見当たらない。
「地図を見ると、イリスまでは大体一時間くらいで着きそうですね。エクラ=リラは、夜通し歩かないと……」
「そりゃしんどいな。ひとまずイリスってとこに行こうぜ」
サラとフェリクスが頷いたのを見て、俺はもう一度小屋へと引き返した。
「何処に行くの?」と慌てたような声に、振り向いて答える。
「何か、使えそうな物がないか探してくる。ちょっと待っててくれ」
「僕も」
「いいって、危ないしさ」
フェリクスはまだ何か言いたげだったが、俺は手を振って小屋の中へ入っていった。
***
「ひとまず、これくらいかな」
「結構色々あったんだね」
数分後、俺が抱えて、原っぱに転がしたものを、二人はしげしげと見つめていた。
ちょっと割れてるけど、まだ使えそうなランタン。薄手のコートは人数分無かったけど、二人に渡すことにする。少しボロいけど、無いよりはマシだ。
後はマッチと小さいナイフがあったので、これも持って行く。鞄があればいいけど、見当たらなかった。持ち出されたのか、元々無かったのか。今となっては分からない。
無断で持ち出し、確実に返せないことを考えると良心が痛んだが、背に腹は代えられない。
俺たちには、何の装備も無いのだから。
「じゃ、行こうぜ。あ、これ着とけよ。冷えるしさ。――で、どっちだっけ?」
「あっちですね。あの、オスカーさんは?」
コートを受け取った――フェリクスは、その汚れ具合に若干顔が引き攣ったが――二人は、それを羽織ろうとして、手を止めた。俺が羽織るものを持っていないことに気付いたらしい。
「ああ、俺暑がりなんだよ。羽織ると逆に暑すぎるからさ、二人で使ってくれ」
余計な心配をかけないよう何でもないように答えると、納得したのかちゃんと羽織ってくれた。
良かった。フェリクスはくしゃみをしていたし、サラは女性だ。あまり体を冷やしてはいけないと、何処かで聞いた気がする。
ランタンへ火を灯すと、ぼんやりとした光が辺りを照らした。
俺の世界の街灯や、グランツィアの篝火とはまるで違う、小さな光だったけど、今の俺にとっては、何よりも頼れる光だった。
「ありがとう、オスカー」
「良いって。さ、今度こそ行こうぜ」
俺たちは三人並んで、闇夜の草原へと足を踏み出した。
そう言えば、とそよ風の吹く草原を歩きながら思った。
俺達、碌にサラに自己紹介とか、そういうのをしていない。名前を名乗ったのと、旅人であると言っただけだ。
ちらり、とサラを横目で見る。彼女はフワフワとした足取りで、時折笑顔を見せながら歩いている。そこには、名前しか知らない男二人と夜道を歩く不安など、一かけらも感じない。
もちろん、俺たちは無害中の無害だけど。
それに、さっき言ってた『神のなんとやら』って、いったい何だろう。
「なあ、サラ?」
サラがこちらを見た。
いきなり『神のなんとやら』について聞くのもなんだし、世間話からいったほうがいいな。
「サラって、今まで商人としてあちこち行っていたんだろ? じゃあ、町に着いたら戻るのか?」
「いいえ」
サラは眉を顰め、口を尖らせた。
彼女を置いて行った仲間の事を考えているのだろう。よくよく考えれば、若い女性を一人置き去りにするなんて、最悪だ。
「私の事、忘れて行ってしまうなんて。酷いと思いません? 一度や二度ではないんですよ。もう彼らには愛想が尽きました」
彼女はそこまで言うと、ニッコリと笑った。両手を胸の前で組み、祈るような仕草で続けた。
「でも、いい機会です。きっと神様が、独り立ちをしなさいと言っておられるんです」
「神様って」
脳裏に、シュトラール邸書庫の宗教画が浮かぶ。この世界の、運命を司る神。
「ファートゥス様?」
「……いいえ!」
サラはキョトンとした後、コロコロと声を上げて笑った。
よほどおかしいのか、その笑い声はしばらくの間絶えず、俺は若干の居心地の悪さを感じた。視線でフェリクスに助けを求めても、こちらも何故サラが笑いだしたのか分からないらしい。
「ふふ、ごめんなさい。――お二人とも、この国の方じゃなかったんですね」
「えっ! な、何で」
俺はギョッとして、サラを見つめた。
自分たちも旅人だとは言ったが、外国から来たとは一言も話していないはずだ。
もし、俺たちがグランツィアから来たとバレたら、どうなるんだろう? 戦争状態にあるんだ、というフェリクスの言葉が脳内で反響する。冷や汗が、額を伝う。
フェリクスの冷えた手が、俺の腕を掴んだ。
俺達の動揺っぷりを見て、サラは少し慌てたようだった。
彼女としては、ちょっとからかっただけなのに、こんなにオーバーリアクションをされるとは思わなかっただろう。
「いやあ、ごめんごめん! ちょっとビックリしてさ。どうして分かったんだ、サラ? もしかして、――名探偵?」
その場の空気を換えるため、少々おどけながら言うと、彼女はホッとしたように乗ってきた。花のような笑顔を振りまいた。
「――いいえ、名探偵だなんて! この国では、ファートゥスなんて信じてる人、ほとんどいませんもの。いたとしたら、よっぽどの変わり者だわ! 教会だって、みーんなラズルシェニ様の物ばかりですよ」
「ラズルシェニ様?」
初めて聞く名前だ。
もしかしてこの世界、国によって信仰している神が違うのか?
だとしたら、ファートゥスの名前を出したのは拙かったか。
「ラズルシェニ様は、私たちジャクロットの民の守り神です。――その昔、強大な悪魔がこの地を血と恐怖で染め上げていました。人々は何百年の間打ち震え、身を寄せ合って暮らしていたそうです。そこに!」
サラはまるで子供に絵本でも読んでいるかのように、大げさな口ぶりで言った。
「ラズルシェニ様が南の草原からやってきて悪魔の軍勢と戦いました。ラズルシェニ様はとてもお強く、悪魔の手下は傷一つ付けることが出来ません。そして、ついに北の果てで悪魔を打ち取ったのです。その後、ラズルシェニ様は輝ける帝国を築かれ、その子孫が私たち――と、言うことになってます」
伝説ですけどね、と彼女はウインクして語り終えた。




