恐怖に打ち勝て!
まるで地鳴りのようなそれは、徐々に大きさを増す。
間違いない、こちらへ近づいて来ているのだ。
見つからないよう、慌てて火を消し、部屋の奥で息を潜める。
サラさんはかなり怖がっているのか、腕が若干痛い。
どうしたらいいんだ。
ここには武器も無いし、誰も家法術を使えない。
それどころか、武術の心得さえも。
万が一、シュルトが俺たちに気付いたら。
ひと際大きく足跡がして、俺たちは一斉に窓を見た。
瞬間、息を呑む。
ああ、そこにいるのだ。
そのシュルトは、もはや巨大な壁のようだった。
二足歩行で、がっしりとした体に、小さい頭。真っ黒な棍棒のようなものを持ち、さながらトロールだ。
他のシュルトの例に漏れず、全身が影のように黒く、目は血のように真っ赤に輝いている。
外が暗いせいで、その目だけが浮き出て、より一層腹の底から恐怖が湧きたつ。
奴が窓を覗いた瞬間、サラさんがか細い悲鳴を上げた。
慌てて口を手で押さえるも、後の祭り。
その声を、シュルトは聞き逃さなかった。
巨大な腕を振りかぶり、窓に突き刺す。
甲高い悲鳴を上げながら、窓枠ごと飛び散る窓ガラスたち。
その手は、真っ直ぐに俺たちを捕まえようと向かってくる。
「下がれ! 速く!」
俺は半ば怒鳴るように叫ぶ。
二人とも恐怖に顔が引き攣り、サラさんは腰が抜けてしまっている。
俺は彼女を抱え込むように持ち上げると、なるべく遠くに退かせた。
シュルトの手はすんでのところで届かず、空を握りしめて戻っていく。
その隙に、へたり込む彼女をフェリクスに任せると、シュルトを睨みつけた。
この小屋の入り口は一つ。シュルトのいる方向しかない。
かといって、このまま手をこまねいていたら、小屋ごと潰されかねない。
何とかして、シュルトを引き離さなければ!
シュルトは黒板を爪で引っ掻いたような、鳥肌の立つ奇声を上げた。
凄まじい嫌悪感を抑え込み、俺は吹き飛んだ窓枠を引っ掴むと、シュルトに向かって構えた。
全く型も何もあったもんじゃ無いへっぴり腰だが、無いよりましだ。
「オスカー! 無茶だよ!」
背後から、フェリクスの焦った声が聞こえる。
だけど。
「無茶でも、やらなきゃいけねーだろうが!」
シュルトは右手を振りかぶり、再び窓から腕を突っ込んできた。
デカブツの癖に、中々のスピード。間一髪でよけられたが、風圧で髪が乱れる。
犠牲になった木製の机が、断末魔の叫び声を上げながら破壊されていく。
続けて、左腕!
棍棒を持ったそれは、入り口の壁ごと俺を薙ぎ払おうとする。
吹き飛んでくる木材が足に当たり、俺はすっころんだ。手に持った窓枠が、届かない場所まで飛んでいく。
ああ、足が死ぬほど痛い。破片が刺さってしまったのか?
「オスカー! 横!」
悲鳴のような声に従い、横を向くと――。
目前には、黒い腕。
壁を破壊した威力そのまま、俺に迫ってくる。
弾き飛ばされた木くずが、カラカラと音を立てたのを遠くで聞いて。
俺の人生は終わる。
はずだった。
「と、止まった?」
俺に死を齎すはずだった腕は、ほんの数センチ前で止まっている。
いや、これは――。
「あの時と、同じ?」
そう、俺が最初にシュルトに襲われた時。
あの時も、あいつは俺に触れられなかった。まるで、ゲームの『無敵モード』のように。
理由は分からないが、今はそれどころじゃない!
俺は足を引きずりながら立ち上がると、適当な木片を手に取った。
痛む右足を無視し、外に向かって全力で走る。
奴は俺を握りつぶそうと、両手で俺を掴もうとする。
でも、無駄な行動だった。奴の力より、『無敵モード』の方が強かったから。
自分を包み込む両手ごと、入り口に向かって全力疾走した。
俺を止められないシュルトは、けたたましい怒号を上げる。
堪え切れす、ついに隙間が開いた手の内から逃げ出し、もう一度、木材を構える。
先ほどとは違い、堂々と。もやは、こいつに殺されることは無いのだ。
そのアドバンテージは大きい。
「いくぞ、化け物!」
ザリ、と地面を蹴り、シュルトに向かう。
脳みそからアドレナリンが滝のように出ているのか、もはや痛みも感じなかった。
木材を握りしめ、体を捻り。全体重をかけて、奴に突き刺した。
手ごたえはあった! あったけど。
シュルトは奇声を上げるだけで、全く効いている素振りも見せない。
どうして、と思った瞬間。エルゼさんの一言が頭を過った。
――家法術を使えば、シュルトを倒すのは難しくありません。剣で何度切り付けても絶命しないシュルトが、家法術の一撃で沈黙することも多々あります。
家法術。
そうだ、家法術じゃなきゃこいつは倒せない。
歴戦の勇者とかなら別だろうけど、少なくとも俺じゃ無理だ。
なら、退治なんて贅沢言わず、ここから離せば。
そう思った、瞬間。
シュルトは俺に興味を失ったかのように、顔を背けた。
俺の攻撃が、自分を脅かすものではない。そう判断したのだろう。
俺たちは、お互いに相手を倒せない。いくら頑張っても。
シュルトは、俺を無視する選択肢を取った。
そうして、最早廃屋と化した小屋に目を向ける。
「まてよ! こっち、こっちだって!」
慌てた俺はシュルトに呼びかけるものの、奴の興味を引くことは無い。
奴は、むしろ恐怖を倍増させるような緩慢な動きで、棍棒を振り上げた。
「やめろ、やめろっつってんだろ!」
シュルトの前に回り込み、『無敵モード』で押し出そうとするも、奴の棍棒は小屋をかすめて地を抉った。
小屋の中から二人の悲鳴が聞こえる。
ああ、どうしよう。どうしたらいい?
このまま森へこいつを押していくか?
でも、俺が戻ろうとした瞬間にこいつも付いてくるだろう。それじゃあ、元も子もない!
ガラリ、小屋の屋根から木材が落ちていく。
早くどうにかしないと、小屋が崩れてしまう!
早く、こいつを。
こいつを、倒さなくては!
ジワリ、と何かが滲みる。
俺のズボンのポケットから、何かが垂れていく。
血か? ……いや、違う!
俺はズボンをまさぐり、それを取り出した。
ネックレス。俺たちを、こんな場所に連れてきた原因だ。
それが、あの時のように水を滴らせている。
俺はムカムカして、ネックレスに向かって怒鳴りつけた。
「おい、骨董品! お前のせいで俺たちこんな所に飛ばされて、こんな目に遭ってんだぞ!」
物に当たってもしょうがない。
分かってはいるが、止まらない。
「馬鹿やろー! 責任、取りやがれー!」
そう言った、瞬間。
ネックレスは青い光に包まれた。驚いて、思わず放り投げる。
しかし、それは地面に落ちることなく、空中に浮いた。
零れ落ちた水滴はターコイズブルーに輝き、連なっていく。
ネックレスの部分は徐々に巨大化し、俺の顔ほどになった。
呆然とする俺をよそに、完成したそれは、正しく剣であった。
所謂バスタードソードと言うべきか。
ターコイズブルーの刀身はまるで水面のように揺らめき、こんな状況でも美しいと思えるほど。
柄となったネックレス部分は月の光のような銀。青い石は、柔らかな光を纏いっている。
空に浮いたままのそれは、ふわりと漂い俺の目前へ。
ああ、どうすればいいか、今ならわかる。
俺は迷わず剣を握り、シュルトに向かって降り下ろした。
刀身が柔らかいものに食い込む感覚。
夜空に飛沫が舞い。
この世のものとは思えない、最後の叫び声を全身で聞いて。
恐怖の化身は月に融けるように消えていった。
シン、と静まり返る空間。
聞こえるのは、荒々しい俺の息づかいだけ。
剣は役目を終えたかのように、元のネックレスへと戻っていく。
それを首からかけると、俺は地べたに座り込んだ。
今更ながら足が痛い。
緊張状態から解放されたからか、ズキンズキンと響くように。
全身も、絶えず汗が溢れてくる。
「ああ、オスカーさん!」
声に振り向こうとすると、背中に抱き着かれた。
この柔らかな感触。サラさんだ。
「わたし、どうなってしまうかと……! ご無事で良かった」
安心したのか、涙声の彼女に内心慌ていると、フェリクスもやって来た。
その手には、小屋を漁ったのか大量の布が掴まれている。
「怪我は!? 無茶だって言ったのに」
「まあ、何とかなっただろ?」
ニッコリ笑って見せると、気が抜けたように「そうだけど……」と言葉を濁した。
彼は側にしゃがみこみ、傷の手当てをしようと試みた。
……大丈夫だろうか。すでに顔が真っ青だけど。
「なあ、無理しなくても自分でやるぜ?」
「み、見くびらないで」
フェリクスは強めに言った。
そうはいっても、血なんて見慣れないだろうに。
たどたどしい手付きにこっちがヒヤヒヤしながら見ていると、サラさんが感激したように言った。
「オスカーさん。貴方はきっと、『神の愛し子』に違いありません!」
「か、神?」
なんだその中二病みたいなネーミング。
呆気にとられる俺を尻目に、彼女はますますヒートアップする。
「『神の愛し子』とは、神々より特別の加護を戴いた人のことです。わたしの故郷では、ずっと語り継がれてきました。世界が大きく変わるその時に、必ず現れるという存在。神の力を借りてアルトロディアを導くお方……!」
「いや、待って待って! 俺はそんな大層な」
「でも、シュルトの攻撃を防いだではありませんか!」
たしかに、そうだが……。
困惑する俺をスルーし、彼女はこう言いはなった。
「ええ、間違いありません! オスカーさん、よろしければわたしの故郷にご一緒しませんか? みな大歓迎です!」
いやいや、話を聞いてくれ。




