運命の神様
話終わり、パタン、と本を閉じる。
彼が顔を上げたのと同時に、パチパチ、と拍手をする。
「上手いなあ、フェリクス。ありがとな」
フェリクスは賛辞の声を聞き、少し照れたように微笑んだ。
「昔は、よく読み聞かせをしたことがあったから」
彼は立ち上がり、本を書棚へ戻しに行く。
その姿を目で追いながら、疑問を投げかける。
「なあ、物語にでてきた神様って、誰なんだ?」
「本には名前は出てきてないけど」
本を戻したフェリクスは、こちらに向かって歩きながら、「ファートゥス様じゃないかな」と言った。
「ファートゥス様?」
聞きなれない名前だ。
いったい誰だろう。
フェリクスは俺を呼ぶと、書庫の入り口に向かう。
俺は立ち上がり、後を追った。
「これが、ファートゥス様だよ」
フェリクスが指し示すのは、一枚の絵画。
微笑みを湛えた金髪の男性が、まるで鑑賞者を抱擁するかのように、両手を広げている。
背景は白と金で彩られ、赤い鳥が彼の肩に降り立とうとしている。
天からの光に照らされた、正しく宗教画であるそれ。
神々しく、見るものを惹きつけ、そして心を揺さぶる傑作だ。
有名な美術館に展示されていたとしても、おかしくない。
――それなのに、どうしてだろう。
俺には薄気味悪く感じるのだ。
ファートゥス様の笑みも、伸ばされた手も、赤い鳥でさえ、俺にはゾッとするほどの嫌悪感を引き立たせる。
フェリクスはそんな俺の様子に全く気付かず、絵の説明を始めた。
「ファートゥス様は運命を司る神で、信じる者には良い運命を、信じない者には悪い運命を連れてくると言われてる」
フェリクスは腕を組み、目を細めて絵画を見ている。すがるような視線だ、と感じるのは気のせいだろうか。
「この国の初代国王は、ファートゥス様に導かれて建国したと言われてる。……まあ、ただの神話だけどね」
「あの鳥は?」
俺は、絵画の鳥を指さした。
フェリクスは指先を目で追うと、「ああ」と頷いた。
「ファートゥス様の御使いだよ。――ファートゥス様が降臨する時、前兆として赤い鳥が現れる。それを邪険にしてはいけない。それが肩に留まったら、その人の運命は大きく変わるそうだよ」
「運命が、変わる……」
俺は赤い鳥から目が離せなかった。
広げた羽は、羽毛の一本一本に至るまで、丁寧に描かれ、王冠のような鶏冠は、燃え盛る炎のように。
長く伸びた尾羽は金色に煌めき、神の鳥であると観るものに訴えかけている。
「もちろん」と、俺はフェリクスに問いかけた。
「実在の鳥じゃないんだよな?」
「うん、いないよ。でも、モデルはいると思う」
「モデル?」
頷いたフェリクスは、書庫の奥に行くと、一冊の本を持ってきた。
なかなか分厚いそれを開くと、中には鳥の絵がみっしり。
……どうやら、図鑑のようなものらしい。
フェリクスはパラパラとページを捲っていたが、お目当ての鳥を見つけたのか、ピタリと止まった。
「これだよ」
そこにあったのは、立派な鶏冠を持った鳥だ。何処となく鶏に似て、可愛らしくも思える。
だが、赤い鳥と同じなのはそれだけだ。他は似ても似つかない。
俺が鳥の絵を見たのを確認したフェリクスは、再度ページを捲り、別の鳥を指し示した。
「それと、これ」
長く、美麗な尾羽の鳥。
「次に、これ」
大きな翼を持った、鷹のような鳥。
「最後に、これ」
胸元の羽毛の色が鮮やかな小鳥。
「この鳥、『フラムマ』っていうんだけど、実在する鳥の集合体みたいなものなんだ。おそらく、想像上の鳥を描となると、完全に想像よりもモデルがあったほうが描きやすかったんじゃないかな。でも、完全に同じにするわけにはいかなかったから、パーツごとに色んな鳥から貰ったんだと思う」
「それじゃあ、まるで」
キメラじゃないか、と言いかけて、俺は思い出した。
陛下の部屋の扉にあった紋章を。
あの、ドラゴンもどき。あれもそうなんだろうか。
「なあ、前に城に行ったときに、羽が生えた蛇みたいな紋章を見たんだけどさ」
「ああ」と合点がいったように頷くフェリクス。
再び書棚へと歩き、図鑑を戻すと、別の本を手に戻ってきた。
「これでしょう?」
「そう、それ!」
フェリクスが持った本には、俺が城で見た紋章が描かれていた。
緑がかった蛇のような長い体に、大きな翼が生えている。まるで、ドラゴンのようだ。
だけど、この翼。何だか違和感がある。
まるで、調子の外れた歌を聞いているような。あるいは、ボタンを掛け違えたシャツを見た時のような、そんな違和感。
「これはファートゥス様の紋章を、少し作り替えたもの。さっき言ったように、初代国王はファートゥス様の力を借りて建国したから、その証かもね」
フェリクスは、紋章を軽く撫で、翼の部分を指さした。
「この翼は、フラムマのものなんだ。この国の運命が、より良い方へ向かいますように。そんな願いが込められてる」
翼。
赤い鳥の羽根。
翼を切り取られた、赤い鳥。
何でこんな想像をするんだろう。
紋章上の話しだ。実際の鳥の話じゃない。
だけど。
ああ、気持ち悪い。
何故こんなにも悪寒が走るのか。
城で見かけた時は何とも思わなかったのに。
あの鳥の翼だと思うと、吐き気が止まらない。
俺が思うよりも顔色が悪かったのだろう。本に目を向けていたフェリクスが不意にこちらを見ると、ギョッとしたように目を見開いた。
「ねえ、どうしたの?」
フェリクスが俺の腕を軽く掴む。
「顔が真っ白だよ」
俺の顔は、真っ青を通り越して白くなっていたらしい。
無言を貫く俺を見て、体調が優れないと判断したフェリクスは、さっきまで座っていたソファまで俺を誘導した。
俺を座らせると、ハンカチを取り出して額を拭う。
「汗をかいてる。今、誰か呼ぶから――」
「待ってくれ」
我ながら弱弱しい声だ。
普段なら、恥ずかしさに耐えられないだろう。
だけど、一人にしてほしくなかった。
あの鳥。
鳥。
鳥。
翼をもがれ、血を流して倒れ伏す、赤い鳥。
俺は自分の想像を振り払うように、頭を振った。
変な想像だ。
あんな神話みたいな話。そりゃあ、現物の鳥に同じことをしたら、グロテスクだろうよ。
でも、現実じゃないんだ。
落ち着けよ、何動揺してんだ!?
俺は深呼吸し、体の震えを止めようと試みる。
フェリクスは俺の隣に座り、落ち着かせようと背中を撫でた。
その目は、俺を心配する色で満ち溢れていた。
コンコン、とノックの音がする。
扉が開き、エルゼさんが顔を覗かせた。
「オスカーさん、まだ起きて――お兄様?」
彼女はフェリクスを見つけ、顔を強張らせる。
次いで俺の様子に気付いたのだろう。足早に近寄ってくる。
「どうしたんですか! 酷い顔色ですよ」
彼女はひとしきり俺を心配すると、自らの兄を睨みつけた。
フェリクスが緊張で体を強張らせる。
「お兄様、彼に何を――」
「違うんだ!」
俺は震える声で叫んだ。
剣呑な雰囲気の兄弟は同時に俺に振り向く。
もう一度、小声で「違うんだ」と言って俯く俺に、フェリクスは「大丈夫」と囁いた。
「ねえ、エルゼ? 悪いけど、誰かにいって飲み物を持ってきてくれない? 僕が言ったんじゃ、何時になるか分からないから」
感情を見せない声色で、フェリクスが言う。
エルゼさんは、少しの間逡巡したものの、「少し、待っていてくださいね」と俺に声をかけて出ていった。
書庫の中に、沈黙が落ちる。
フェリクスは黙って俺の背中を擦り続け、様子を伺った。
「ごめんな、ビックリしただろ?」
俺は、まだ震えの残る声で言った。
「なんかさ、あの鳥の……羽根をもいだって思ったら、気持ち悪くなっちまって。軟弱だよなあ、想像だけでさ」
はは、と笑ったつもりが、乾いたものになってしまう。
恥ずかしさに黙りこんだ俺に、フェリクスが言う。
「又聞きだけど。訓練された兵士でも、戦場のことを事細かに伝えられると、気分が悪くなったりするらしい。どんな風に、その……味方が、亡くなったのかとか」
言いづらそうに、顔をしかめる。
「君は一般人なんだから、グロテスクな想像をしてしまって、気分が悪くなるのはおかしくないよ。ほら、その手を解いて」
手?
そう言われて自分の手を見ると、固く握りしめられていた。
認識したとたん、痛みが走る。
慌てて手を開くと、あのネックレスを握っていたようだ。T字の部分が掌に食い込んでいたらしい。そりゃ、痛いよな。
「どうしたの、それ」
フェリクスが手を覗き込みながら言う。
俺は一声発して、震えがマシになったことを確認してから、その疑問に答えた。
「今日、行商人に貰ったんだ。綺麗だろ?」
フェリクスによく見えるよう、持ち上げる。
彼は興味津々にネックレスを見つめている。
ーーそう言えば。
はた、と気づく。
俺は、これをズボンのポケットにしまったんじゃなかったか?
ポタリ。
雫が落ちる。
ポタリ。
俺の手を伝い、カーペットに染みをつける。
ポタリ。
まるで、涙を流すように。
ポタリ。
あの、青い石から水がーー。
「オスカー! 早く捨てて!」
異変に気付いたフェリクスが、鋭く言う。
その声で我に帰り、ネックレスを投げ捨てようとするも、何故か指が動かない。
それどころか、より強く握りしめた。
ならば、とここから離れようとしても、今度は足が微動だにしない。
自分の体なのに、まるで誰かに操られたようだ。
フェリクスが立ち上がり、俺の手からネックレスを剥ぎ取ろうとするも、固く握った手は全然解けやしない。
その間にも、足元には水が溜まり始めた。
もはや雫なんてもんじゃない。ちょっぴり強めのシャワーくらいの勢いだ。
「フェ、フェリクス! 早く逃げろ! 何かおかしい!」
「でも、君は……!」
「いいから……! うわっ」
とうとう水たまりと言ってもおかしくないくらいに成長したそれは、俺の足を飲み込んでいく。
それを見たフェリクスは、俺の手を引っ張り、脱出させようとする。
それでも、凄まじい力を発揮した水たまりは、どんどん俺を飲み込む。
膝、腰、胸まできて、後は頭だけになったとき、コンコン、とノック音がした。
それを聞いたフェリクスは、出来る限りの大声で叫んだ。
「エルゼ! 早く、こっちへ!」
実の兄の悲鳴にも似た叫び声に、エルゼさんは素早く反応した。
乱暴にドアを開けると、滑り込むように部屋に入る。
そのままの勢いでこちらに走ってくきた。
――俺が見えていたのは、そこまで。
体の全てが沈み、真っ暗な世界へと落ちてしまったから。
ただひとつ確かなのは、俺の手はずっと握られていたということ。
俺を助けようとした、友達の手で。
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