不思議な少女
少女に案内されたのは、一軒の薬屋だった。
薄暗い店内には所狭しと壺に入った薬草や、吊り下げられたトカゲの干物、いったい何なのか考えたくないような代物まであり、筆舌に尽くしがたい臭いで満ち溢れていた。
鼻にちり紙が入ってなければ、真っ先に鼻を摘まんでいただろう。
少女は怯むことなく奥に進むと、安楽椅子に座って眠り込んでいた白髪の老女に声をかけた。
「いつまで寝ておる。早う起きんか。客が来ておるぞ」
「ううん。何だい、騒々しいねえ」
老女が目を擦りながら言う。
結構恰幅のいい体系だ。下町の元気なばあさんって感じ。
「あたしゃ遅くまで調合してたんだ。もう少し眠ったってバチはあたりゃしないよ」
「ドロテア!」
少女が鋭く名前を呼ぶと、老女――ドロテアさんはため息を吐いた。
「仕方がないねえ。……ほら、こちらにおいでな」
そう言って、彼女は手招きをした。
迷っていると、少女が服の袖を引っ張った。
「心配するでない。こう見えて、ドロテアは腕のいい薬師じゃ。わらわが知る中で一番の、な」
そう言われると、もう行くしかない。
こんな小さな子が言う「自分が知る中で」は少々不安だったが、怪我を放置していても痛いだけだし、腹を括ることにした。
ドロテアさんは俺を椅子に座らせ、背中を見せるように言った。
俺、どこが痛いか一言も言ってないのに。
驚いていると、少女が胸を張った。
「良い薬師じゃといっておろう?ドロテアに任せよ」
「あはは! 褒めたって何も出ないよ」
カラカラと笑って、服を脱ぐように言った。
俺は「お願いします」と言ってシャツを脱いだ。
「まかせな」と頼もし気に答えて、ドロテアさんが患部にを手触れた。
「いってえ! も、もうちょっと優しく……」
「おっと! 悪いね。――うん、少し腫れてはいるけど骨は大丈夫だね。打ち身の薬を塗っておくよ。分けたげるから、毎日塗りな」
そう言って、ドロテアさんは立てつけられた棚の方へ行くと、瓶を手にして戻ってきた。
どうやら塗り薬のようで、それを背中に塗ると、何かを張り付けた。
「さ、これでいいよ。――ほら、これとこれ、持って帰りな」
そう言うと、小瓶とガーゼのような布切れを俺に手渡した。
「3日は使いなさい。晴れが引いて、痛みもないようだったらやめてもいいよ」
「あ、ありがとうございます。――あの、料金は」
そう言って、そういえば無一文だったと気づく。
彼女は笑って、「いらないよ!」と言った。
「この子の連れから金を取ろうなんて思ってないよ、わたしゃ! ああ、あんまり無理するんじゃないよ。治りが遅くなるからね」
ドロテアさんはそう言うと、安楽椅子に座りなおした。
ギシ、と椅子が鳴る。
「さあさ、わたしゃ寝なおすことにするよ。また機会があったらおいでな」
「うむ、感謝するぞドロテア。――さあ、行くとしようかの」
少女が手を引く。
俺はドロテアさんにお礼を言うと、玄関へ進む彼女に付いて行った。
「そなた、そろそろ鼻の物を取ったらどうじゃ? もう血は止まっておろ」
「ん? ああ。そうだな」
少女に付いて大通りに出ると、一気に賑やかになった。
どうやらさっきの通り――カメーリエ通りだったか――とは違うらしく、街路樹が整然と立ち並んでいた。
行き交う人々も、何だか多国籍のような感じだ。
「ここはマッセルのメイン通りの一つと言ってもよいじゃろう。この都に来た旅人の4分の1は、この道を歩くことになるのじゃ」
「4分の1?」
「うむ。マッセルは二つの城壁があるが、外側の城壁――つまり、この庶民街と外界を隔てる壁じゃな――には4つの門があって、そこからしか出られないのじゃ。」
「じゃあ、この通りって」
俺が聞くと、少女は「うむ」と頷いて右手を指さした。
「あちらへ進むと門の一つ『ヴェスト門』じゃ。だから、旅人が多い」
「へえ、良く知ってるんだな」
ふふん、と少女が得意げに笑った。
「もっと褒め称えるがよいぞ。わらわの知性、わらわの美しさ! 余すことなくな」
「ハイハイ。……そういえば君、名前は?」
自己紹介をしてないことに気づき、尋ねる。
少女は目を瞬かせると、ジト目になって口を尖らせた。
「レディーに名を尋ねる前に、そなたが名乗るべきではないかえ? 紳士の風上にもおけぬぞ」
「紳士って、そんな柄じゃねーけど。……まあ、そうだよな」
少女に目線を合わせるため、しゃがみ込む。
「俺、オスカー。助けてくれてありがとな」
そう言って、手を差し出す。
少女は俺の手を見ると、不敵な笑みを浮かべた。
「ファリナセアじゃ。よい名前であろ? ――そなたもよい名じゃ。大切にするがよいぞ」
そう言って、手を重ねてくれた。
本名じゃないけど、それを言っちゃあ無粋だ。
(それに、結構嬉しいしな)
お礼を言おうとして口を開くと、後ろから「オスカーさん!」と呼びかけられた。
エルゼさんだ。
立ち上がって振り向くと、エルゼさんが息を切らしてこちらへ走ってくる。
俺は彼女に手を振った。
「エルゼさん! こっちです」
「こっちです、じゃありません!」
彼女は俺の近くまで寄ってくると、肩で息をしながら鋭い声で言った。
「あちこち探したんですよ、もう! 迷子になってしまったかと。……怪我してるじゃないですか! 何があったんです?」
「す、すみません。ちょっと色々あって」
そう言うと、そうだ、と思い付く。
ファリナセアの事をエルゼさんに頼めないだろうか。どうやら憲兵にも顔が利くようだし、彼女を保護してもらおう。大人びてるけど、子供が一人で旅するのは心配だし。
良い考えだ、と自画自賛しながら振り向いた。
「ファリナセア、このお姉さんは――あれ?」
いない。
さっきまでここにいたはずの少女は、跡形もなく消え失せていた。
「オスカーさん? どうしたんですか?」
「いや、さっきまで小さな女の子と一緒だったんですが……。いなくなっちゃって」
そう言って、辺りを見渡す。
いない。
「ファリナセア?」と呼びかけてみるが、返事もなかった。
「おかしいな……。小さいのに一人で旅してるって言ってたんです。憲兵の人に保護してもらいたかったんですが」
「一人で?」
「はい。親もいないって」
「それは――」
「心配ですね」とエルゼさんも一緒に探してくれたが、結局ファリナセアは見つからなかった。
仕方がないので憲兵の詰め所に行って、事情を話して保護を頼むことにした。
その後、エルゼさんには怪我を心配されたが、もう治療したから、と庶民街の散策を続けて貰った。ちょっと時間を食ってしまったが、まだ昼過ぎだ。もう少しくらい大丈夫だろう。
***
そこは、カメーリエ通りから20分くらい歩いた広場だった。
あちこちにテントや屋台のような簡易店舗が乱立し、客寄せの声が響きわたる。
「ここはカオフマン広場。様々な国からきた行商人が商いをする場所です。珍しいものばかりですが――」
エルゼさんは俺の耳元でこっそりと言った。
「たまにぼったくりに遭ったりするので、気を付けてくださいね?」
「はは、気を付けます」
俺は頬を掻きながら苦笑した。
この世界の国はグランツィア王国しか知らないが、確かに多国籍な雰囲気に満ち溢れていた。
民族衣装や、変わった柄の絨毯。アクセサリーに武器や防具。鼻に付く臭いに目をむければ、香辛料の店もある。
干からびたトカゲは……。さっきも見たっけ。
商人たちも、正に老若男女といったところ。
魔女みたいな老婆が店番をしていたり、駆け出しの商人なのか、俺と同じくらいの歳の少年が一生懸命客を呼び込んでいる。
あっちでは、若い親子がアクセサリーを前に値引き交渉をしている。
相手は中々のやり手商人のようで、あんまり捗ってはいないようだが。
もの珍しさから客足は絶えないようで、商品を見るのも、前に進むのも一苦労だ。
そう言えば、大学入学してすぐの家族旅行で京都に行ったときも、こんな感じに込み合っていたな。
「ここでは、品物を買うだけでなく、売ることもできるんですよ」
「ああやって」と、エルゼさんは一軒の店舗を指さした。
そこでは、物を売りたい客が店主と値段交渉をしているらしい。
「……俺も、売ろうかな」
ぼぞりと呟く。
何せこの世界では一文無し。
こうやって店を回っても、買えるものはないのだ。
……エルゼさんに借りるのは、絶対に却下だ。
「あそこの店、寄っていいですか?」
エルゼさんは快く頷いた。
「こんにちは、いらっしゃいませ!」
弾けるような笑顔で、少年行商人が出迎えた。
まだまだ若い。エルゼさんと同じくらいかな。
彼は「どのようなご用件ですか?」と聞き取りやすい声で言った。
「えっと、物を売りたいんですが」
「買取ですね! お品はどちらですか?」
少年が俺の手元をチラリと見る。
俺は、ズボンのポケットから財布を取り出し、チャックを開けた。
「これ、なんですけど」
「あのう、これは……?」
彼は怪訝そうな顔で俺を見る。
まあ、それはそうだろう。彼にとって、全く見慣れないものだからだ。
俺はそれを掌に乗せ、彼がよく見えるように持ち上げた。
「これは、ここから遠い国で使われているお金です!」
そう、財布に入っていた五円玉を。
金色に輝く稲穂の意匠。真ん中に空いた穴。日本人なら、日常的に見るそれ。
だが、異世界人には、紛れもない珍品になる。
「俺の国では、五円玉と言います」
「ゴエン……?」
少年が首を傾げる。
エルゼさんも、興味深そうに俺の掌を覗き込む。
「そうです。五円とは、ご縁に繋がるからと、縁起の良いものと考えられてます。ほかの国では、まず出回らない、幻のお金です!」
俺は力説した。
嘘は言っていないし、詐欺ではないぞ。
……まあ、ちょっと誇大広告気味ではあるが。
「へえ……」と少年は目を輝かせ、手に取ってまじまじと見た。
「確かに、こんなもの見たことない。金色に輝いて、とっても綺麗です」
ほう、と息を吐き、彼は言った。
さあ、どうだ?買ってくれるのか?
ドキドキしながら待っていると、「分かりました」と少年は言った。
「こちらを1000Sで買い取らせていただきます。よろしいですか?」
1000S? いったいどれくらいだろう?
エルゼさんを見遣ると、微笑んで頷かれたので、それなりの値段らしい。
俺は「では、それで」と彼に言うと、お金を受け取り、店を出た。
広場は、先ほどと変わらぬ喧噪で、俺たちを出迎えた。
心なしか、人通りが多くなっているように見える。
俺たちは、気になる店を覗きながら、歩を進めた。
「……うん?」
「どうしました?」
何かが目の端を過る。
見覚えのあるものの気がして、立ち止まる。
それに気づいたエルゼさんも、足を止めた。
キョロキョロと周りを見渡すと、「あ!」と声を上げた。
「ファリナセア!」
「え、ちょっとオスカーさん!?」
エルゼさんの慌てた声を背に、俺は駆け出した。
あの服、あの髪型。確かにファリナセアだ。
いつの間にここに来てたのだろう。
人ごみに消えそうな後姿を必死で追う。
時々肩が通行人に当たってしまって、謝りながら進んで行く。
名前を呼んでいるのに、彼女はまるで聞こえてないかのように振り返らない。
それでも、子供の足だ。俺の方がもっと速い。
ほら、あと少しで追いつく。
ファリナセアがテントの裏に回り込んだ。
「ファリナセア! ……あれ?」
ようやく追いついた、と思ったが、その姿は何処にも無かった。
おかしいな、と周りを見て、ギョッとした。
人っ子一人いやしない。
さっきまであんなに買い物客で溢れかえっていたのに。
この一角だけ、何も無かった。
「いらっしゃい」
いや、ただ一つだけ。
俺は声のする方へ顔を向けた。
「どうぞ、見ておいで」
そこには、胡散臭い笑みを浮かべた小男が、手招きをしていた。