(前編)
昭和12年12月7日
三重県の久居市でO家の次男として誕生したのがオレのオヤジだ。
………この話は一人の男の人生を息子の目線でとらえた実話である。
子供の頃のオヤジは、よくいじめられていたらしい。
O家は元もと血の気の多い血筋で祖父も伯父達も喧嘩三昧の日々をおくってきた。
負ける事が嫌いで勝つまでトコトンやりぬく性格の中、オヤジだけは違っていた。
いつも、いじめられバカにされて、それを伯父達が助けてくれていた。
そんなオヤジでもオレが子供の頃は大きくて強くて頼れるスーパーマンだった。
何時しかオヤジの存在は自分の成長と共に変わっていった。
オヤジは中学を卒業すると技能学校で技術を学び、そして祖父が和歌山県で経営する観光ホテルへ就職した。
そこではバーテンダーとして夜の仕事だけをしていた。
手先が器用という以外、才能が無いオヤジはバーテンの仕事をしていく中でお洒落に興味をもっていった。
しかし、オヤジのセンスの無さは輝く程だった。
しかも、オヤジの体形は背も低く丸々していて、めったにない不細工な顔をしている。
これがどういう事かわかるだろうか?
何より、その事に本人が気付いていないのが致命傷であった。
そのズレたセンスの無さは今も引き続いている。
オヤジの服装の基準は全てスラックスなのだ。
これだけは欠かせず譲れないアイテムな為、バランスが崩れていく。
スーツならわかるがスラックスだけに拘り、それ以外の拘りがない為、Tシャツにスラックスにスニーカー等の組み合わせをするのだ。
これだけはオレの意見も頭ごなしに却下され、今もオヤジは、これで町に出掛ける。
そんなオヤジも才能を秘めており、バーテンダー協会が主催するオリジナルのカクテルを競い合う大会があり、その日本酒部門で県で二位の実力を認められた。
今でも、その時のトロフィーが部屋に飾られている。
それがオヤジの人生、最初で最後のたった一つのトロフィーだ。
時は過ぎオヤジが二十九才になる時、突然お見合いの話が舞い込んだ。
相手は愛知県に住む六歳年下のシボリ屋の娘で学歴も少しはありスポーツも得意で人の価値を内面で決める西田敏行が大好きな人だった。
それが後の母である。
お見合いは祖父のホテルで行なわれた。
母は両親と一緒に旅行気分で和歌山へ向かった。
そしてホテルに到着し、その器を見て母方の祖父と祖母は前向きに考えた。
娘の幸せを祈ったからこそである。
ホテルに入ったが昼間だったので誰も姿がなく少し時間もあったので母は両親と館内を見て回る事にした。
するとゲームコーナーがあり、そこにはマッサージチェアーが置いてあった。
祖母は長旅により疲れていたので、そこに腰を下ろしお金を入れた。
動かない!
そのマッサージチェアーは、まだ営業前だったのでコンセントが抜かれていたのだ。
そこへたまたま従業員が通りかかりコンセントを入れお金も返してくれた。
そして祖母が母に言った。
「親切な人やったなー」
母はうなづくと祖母は再び口を開いた。
「今から見合いする相手ってかなり不細工な人って言っとったけど、いっくら何でもあの人よりひどないわな?」
二人は笑った。
後に待ち受ける現実も知らずに。
そう、その親切な従業員こそがまさにオレのオヤジなのだ。
母達はミスをしていた。
写真が間に合わなかったを理由にオヤジの顔写真を手渡されていなかったのだ。
お見合いの場で母達が驚いたのは言うまでもない。
そして母はオヤジと2回デートを重ねた。
母は運転免許を持っていたのだが、やはり男としてリードしないわけにはいかずオヤジが運転をしてドライブなどを楽しんだ。
手先以外は不器用なオヤジは伝え方も下手で、
「退屈ですね」
と言ったりデートを重ねる度にダメっぷりをアピールしていた。
会話もなく静まりかえった空気の中、オヤジは突然口を開いた。
「僕はお洒落です」
……と。
まるで尊敬に値する名台詞だった。
オレには地球がひっくり返っても言えないセリフだったからだ。
自分から言ってしまったオヤジに母はキツく返した!
「私、お洒落な人、大嫌いです」
最初から犬猿の仲であった。
気取った人が大嫌いだった母だが、オヤジは気取る事が世界一似合わない男だったので、気取ればそれが笑いになった。
ただ本人は“決まった”と思っている。
母が結婚を決意したのは祖父と祖母が娘の幸せを思い嫁いでくれる事を望んでいた。
それに気付いたからであった。
実はホテル業とは華やかな表舞台とは違い、裏はドロドロとして癖のある人たちの集まりでもあったが祖母は今だにそれを知らない。
母が裏口の隅で泣いていた事も。
「旅行気分で行ってみて嫌になったらいつでも戻ってこやい〜が」
祖母の優しい言葉に母は応え、今年で40年になる。
今も母は長い旅の途中だ。
二人は新婚旅行に出掛け思い出を作った。
旅行中、オヤジはバスの中から景色を眺めていた。
バスガイドがオヤジの横を通り過ぎようとした時、突然オヤジはガイドに質問をした。
「あの山は何ていう名前の山?」
ガイドは答えた。
「はい。あちらに見える山は阿蘇山でございます」
次の瞬間、母は耳を疑った。
「あっそー」
…。
バスガイドの引きつった笑い、まわりの白い目、何を言ったか気付かぬオヤジ、母が脂汗をかいていた事などオヤジは知らない。
そんなオヤジに巻き込まれる母の厳しい人生はここから始まった。
二人は生活の中でお互いを知っていった。
そう、オヤジに運転免許がなかった事も後々知った。
オヤジは字を書くのが苦手で書類などはいつも母が書いている。
ある日、母は役場で書類を突き返され
「ご主人の生年月日が違います」
と言われた。
母は確認しても間違いがなく
「いえ!これであってます。12年12月12日です」
と強く突き返したが、
その書類は通してもらえず母は一度帰宅した。
帰宅後、母はオヤジに生年月日の件を説明した。
オヤジは悪怯れもせず
「生年月日は12年12月12日やけど本当に生まれた日は12年12月7日やから」
母は理解に苦しんだ。
「どういう事?」
「生まれたのは12年12月7日やけどワシが12年12月12日って決めたんや」
母は怒った!
「生年月日っていうのは自分で決めれるもんじゃなく生まれた日が生年月日やろ!何で勝手に変えた!?変える必要がなんである!?」
激怒している母にオヤジは
「121212やったら覚えやすいし格好ええから」
それが理由だった。
何とも子供じみた理由であった。
母の頭は活火山の様に噴火した。
これがオレのオヤジだ。
母はその後、全ての書類を申請しなおした。
犬猿の夫婦生活は続き、母は前から気になっていた些細な事を聞いた。
「その前歯欠けてるのどうしたん?」
オヤジは自慢気にこう言った。
「喧嘩して殴られた時に欠けたんや!」
喧嘩なんか出来ない人って思ってた母は不思議に思い何度もオヤジに聞いた。
だが答えは同じであった。
ところが、仕事場の誰に聞いてもそんな事実はなく母はそれをオヤジに伝えた。
すぐにバレる嘘であった。
オヤジは恥ずかしくて言えなかったらしい。
空マメを食べてて歯が欠けた事を。
そんなオヤジも母の強い希望で昼間、調理師として働く事になった。
運転免許は無いが調理師免許はもっていた。
手先が器用なオヤジはホテルでの料理を綺麗に飾り、それにはオレもさすがだなーと感心した。
そんなオヤジだが家では母が食事を作る。
オヤジには作らせない。
理由は母としての役目だから…じゃない。
オヤジの飯は何でもチャンポンなのだ。
ご飯にアラレをかけトーストをちぎってのせる。
その上から牛乳をかけ食べるのだ。
最高に気持ちの悪い食物だ。
青汁でご飯を炊いた事もあった。
これが作らせない理由なのだ。
時々、山に行き色々な物を採取してきては母に晩飯の材料として提供する。
オヤジはキノコにもハマり二度ほど採取して来た事がある。
一度目は家族みんなが半信半疑で食べたが美味しく頂けた事からオヤジは味をしめた。
自信のついたオヤジは又、喜んでもらいたくキノコ採取に出掛け大量に収穫してきた。
母は疑ったがオヤジは
「大丈夫、大丈夫」
と、
余裕をかます。
一度大丈夫だった、
あの前振りに母は気を許してしまった。
まさに毒キノコだった。
鍋全体に染み渡った毒は、キノコを避けて食べてた姉や弟にも容赦なく襲い掛かりオレ以外の家族4人が流し台と洗面所とトイレを取り合い何と流し台の3分の2が吐き出したもので一杯になった。
4人は一週間ほど緊急入院し点滴生活となった!
家族で入院、しかもこんな情けない入院の仕方はめったに経験出来ない。
したくもない。
さすがに団体割引はなかった。
疑問は残った。
なぜ同じ物を口にしたオレだけが何もなかったのだろう?
それは今でもわからない。
それ以来オヤジは二度とキノコを採らなかった。
オヤジは母と幼い姉を連れ故郷の久居市に行く事になった。
土地勘の無い母に対しオヤジがめったに出来ない亭主関白っぷりを発揮出来るチャンスであった。
幼き頃生まれ育った地元に帰って来たオヤジは故郷の自慢もしたく、また慣れている事もアピールしたかった。
地元近くの駅に着き、後は各駅に乗り換えるだけ。
オヤジの出番だった。
自慢気に先頭をきりオヤジは母を誘導する。
「乗り換えの電車はあっちのホームや」
持ちきれない程の荷物を片手に、もう片方は子供を抱いて母は階段を下り、そして登り、目的のホームへ移動する。
「おいおい。ここじゃないわ。そっちのホームやった」
母は再び階段を下り、また上がる。
「違うわ。やっぱりあっちや」
またオヤジが言った。
母は眉間にシワをよせながら必死で走り階段を下り、登りきるとオヤジが遠くを指差し言った。
「あれに乗らなあかんのや」
指差した先には、走りさる小さくなった電車の姿があった。
母はオヤジに言った。
「乗れるもんなら、乗ってみなっ!」
オヤジは母に惚れられるチャンスを失った。
オレが子供の頃、両親はよく旅行に連れて行ってくれた。
旅行は必ず電車をつかう。
当時は、ここ紀勢本線をはしる特急はくろしおと南紀しかなく、今みたいに特急オーシャンアローなどなかった時だった。
くろしおは時間も結構かかり停まる駅も多かった。
オレが子供の頃は電車の旅が楽しく、トイレに行ってみたり、探険気分で車両の端から端まで行ったりきたりしたものであった。
その度
「迷惑になるのでじっとしときなさい」
と、母に怒られたものだ。
そういえばオヤジも必ず電車で母に怒られていた。
駅に着く度、毎回ホームに降り店で何か見ては買ってくるのだ。
戻って次の駅に着く間はトイレに何度も行ったり車内販売を呼び止めて再び何かを買う。
そして駅に着けば又ホームに降りウロウロしている。
「じっとしときな!」
オヤジはオレと同じ怒られ方をしていた。
当時、母の中では子供はオヤジを含め4人居たのかもしれない。
そして宿泊先に着きテーブルには会席料理が並ぶ。
家族みんながその雰囲気だけで楽しめた。
食べていたら仲居さんが様子を伺いに顔を出し
「どうですか?お味のほうは?」
母は
「おいし〜」
と言った矢先に
「うまい、うまい、今日は何にも食べてなかったから、何を食べても旨い」
オヤジのその言葉に母は慌て仲居さんに謝っていた。
そして、帰りの電車でもオヤジはウロウロして、また母に怒られていた。
そんなオヤジも普段は仕事が忙しく中々旅行に行けない為、家族4人で行く事が多かった。
そんな時はオヤジが駅のホームまで送ってくれる。
こんな事件もあった。
家族4人で電車に乗り、特急が発車する。
オヤジは
「気をつけろよ!」
と言葉をかけてくれた。
そして駅のホームから手をふりながら追い掛けてくる。
オレはオヤジに一生懸命手を振った。
家族みんなが手を振った。
手を振りながら追い掛けてくるオヤジの姿が突然消えた!
人間が全力で走って無防備に鉄柱に激突した時の衝撃と痛みは子供のオレにもわかり、心配であったが、そのオヤジを置いて、その姿を最後にオレたち家族はどんどん離れて行った。
オヤジの無事を確認出来たのは4時間後だった。
それは母の実家からかけた電話で知った。
もう一つある。
その時もオヤジは仕事でオレたち家族4人だけが旅行に出掛けた。
オヤジはオレたちを見送りに来てくれた。
オヤジはドジだったが親切な人だった。
いつも電車の中まで荷物を運んでくれてギリギリまで世話をやいてくれる。
“プルルルル〜”
発射合図のベルがなる。
オヤジは扉が閉まる間際に絶妙なタイミングで母に急かされて降りようとしたがオヤジが降りる前に扉が閉まり無常にも走りだした。
なぜかオヤジは突然焦りだし、走ってる電車の中を逆走した。
そして二つ先の扉まで走り諦めて戻ってきた。
オヤジ…焦り出すのが遅かったな。
それに、いくら後ろに下がっても走ってる電車の扉は閉まってよる。
残念だけど次の駅までは……。
ありがとうございます。現在もオヤジは日々、伝説を作ってます。番外編なども書いていきたく思います。是非、あたたかい応援宜しくお願い致します。




