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第四部分:凛々香

 終業のチャイムが鳴ると同時にクラスの緊張が解ける。先生がまだ話をしていようがいまいが関係なく、チャイムを目処にスイッチがオンオフするようになっている。

 桐原凛々香もその一人だった。まとめの言葉を早口で喋る先生を尻目に教科書を鞄に詰め込み、早く終わらないかと欠伸を手で隠した。

 つい二日前に席替えをして隣になった子をちらりと見ると、その子はまだ教科書ノートを開き、先生の話を熱心に聞いているようだった。

(マジメなこって)

 ほおづえをついて、つまらなそうな顔で黒板をぼんやり眺める。一瞬の先生の話の途切れ――次の言葉を探る間をついて、凛々香は閃きを実行に移した。

「きりーつ」

 大声でそう宣言すると、早く終われとうずうずしていた多くのクラスメートが立ち上がる。話など聞いていないで本当に終わったのだと勘違いしている者や、凛々香の企みを知って半笑いで立ち上がる者もいる。もちろん凛々香も宣言と同時に立ち上がった。隣の子は少し躊躇いながらもほとんどの人が立ち上がってしまうのを見て、慌てて立ち上がった。 先生が顔をしかめて何か言おうとしたが、凛々香は済ました顔で儀式を済ませた。

「きょーつけ、れーい!」

 一斉に、ヤクザの挨拶みたいに腰から深々と頭を下げて、それが終わるとめいめい好きなように動き出す。壇上であきらめたようにため息をついて教室を出て行く先生の姿がおかしかった。

「凛々香ナイス」

 次々と現れてはそんなことを述べるクラスメート達に笑顔で応える。

「あの先生話長いからさぁ」

「話を切られたあいつの顔。もぉ最高!」

 笑いあう、人々。

 凛々香は表面では共に笑いながら、その奥に乾いた目で彼らを見つめる自分がいることを最近感じ始めていた。

 ファッションの話も、芸能人の話も、ドラマの話も、楽しい。話を盛り上げてみんなが笑うのを見るのは楽しい。盛り上げるために大声を出したり、ちょっと変わったことをするのも楽しい。みんながわたしを見てくれるのは楽しい。

 でも、なんだか空虚だ。

 凛々香は頭にくっついて離れないそんな思いを振り払って、目の前のクラスメート達との会話を楽しんだ。

「そういやさ、モデルのRYU―YA、引退したんだよね」

「あ、知ってるよ。昨日記者会見してた奴でしょ?」

「そうそう、実は歌手だったんだって」

「あたし知らなかった」

「あたし持ってる」

「マジ? 今度貸してよ〜」

「でも惜しいよね〜。あんなカッコイイのに」

「そうだよね。あたしあの人になら何されてもいい!」

「うわ、なんかエッチぃ」

「そ、そんなことないよぉ」

 顔を真っ赤にして手をばたつかせるクラスメートの姿がおかしくて、みんなで笑う。

 凛々香が話を振れば、勝手に話が進行していく。先ほどの会話で、凛々香は初めの言葉と、「エッチぃ」のツッコミしかしていない。一つ会話に段落が出来ればまた話を振る。凛々香はそれが上手かった。会話が止まらないようにスムーズに話を展開する才能。それは雑多な知識が必要不可欠とも言える。話題を多くの引き出しの中から取捨選択し、上手く放り投げると、会話が進みオチがつく。オチをつけるのも上手い。それだけで、凛々香の周りには人が集まる。

 凛々香はいわゆる、クラスの人気者でありムードメイカーだった。

「でね、そのRYU―YA、この街に住んでるらしいよ」

「うっそ、マジで?」

「それ聞いたことある。デビューする前はこの街でストリートミュージシャンだったって」「そうそう、それ。で、引退するちょっと前から、またこの街でストリートやってるって噂があって」

「え、じゃあ夜行けば会えるの?」

「すごくない? 行こうよ今度」

「えぇ、そこまでするぅ〜?」

「だ、だってもしかしたら、お友達になれるかも知れないんだよ?」

「あ、またエッチなこと考えてるでしょ」

「そ、そんなことないよぉ」

 先ほどとまったく同じ仕草で否定するクラスメートに、同じようにみんなで笑う。凛々香はおもむろに立ち上がり、まだ顔の赤いクラスメートを抱きしめる。

「君のこと、一目見た時から忘れられないんだ。激しく燃える太陽を見つめてしまったが如く、瞼を閉じても君の姿が離れない」

 芝居がかった身振り仕草でのたまう。声が大きいので、教室にいた人たちが一斉にこちらを見る。

「聴いておくれ、この鼓動を。君が離れてしまう恐怖で張り裂けんばかりのこの心の悲鳴を。君をあまりにも近く感じてしまっているばかりに惑い戸惑う幼い心の高鳴りを。君の前ではぼくは生まれたての赤子のようになってしまう。」

 凛々香は抱きしめる手に力を込めて、天井を振り仰ぐ。ちらりと時計を確認したことを悟られてはいけない。

「身分も地位も名誉もいらない。無邪気な独占欲のままに、君が欲しい。僕と一緒になってくれ。行こう。ここにいてはダメだ。どこか、どこか遠い僕たちだけのエデンの園を探しに。ほら、遠くに響く鐘の音も僕たちを祝福してくれている」

 そう凛々香が言い放って、教室に設置されたスピーカーを指差した瞬間に、タイミングよく始業のチャイムが鳴った。

 偶然の一致にみな一様に目を丸くし、手を叩き、笑う。凛々香が深々とお辞儀をして、それから満面の笑顔で投げキッスをおくった。

 やっぱり楽しい。凛々香は心からの笑顔で余韻にひたっていた。先生の授業を受けながら、ついついにやけてしまう。私がしたことに対して、反応してくれる。ドキドキする。「如月、次の問い、答えて」

 凛々香の隣で立ち上がる気配がした。そういえば隣の子の名前は如月円というのだった。と思って首をあげると、おどおどした様子で教科書を一心に見つめている女の子の姿が見えた。答えがわかってから立ち上がればいいのにと思いつつ、凛々香は教科書に目を落とした。先生が示した問題はかなり難易度の高い奴だった。凛々香は基本的にバカなことをやっているが、根は真面目な人間なので、常日頃勉強もきちんとこなしていた。予習していなければわかるはずのない問題だったが、昨晩頭をひねらせたおかげですでにノートには解答が書かれている。

 なんとはなしにその解答を確認してから、凛々香はいまだ一生懸命に問題を解く女の子に思考をよせた。

 如月円。一言で説明するならば目立たない子。人と話しているのを見たことがない。勉強も運動も人並み以下。全然ダメというほどでもないからやっぱり印象に残らない。

 でも凛々香は最近、なんでか彼女のことを気にしていた。なんとなく、漠然とした同類意識を感じるのだ。表面的にはまったく正反対の2人だけれど。

 凛々香は自分のノートを、先生が気をそらした隙に円の方へ投げた。泣きそうな顔で悪戦苦闘する彼女を見ていられなかったからか、ただの気まぐれか、漠とした親近感からか、それは凛々香自身にもはっきりしなかったけれど。

 円は一度凛々香を見る。凛々香は笑って親指を立てた。ありがたいけど、迷惑かも、といった表情で笑って、円はそのノートを持って黒板へと歩み出た。

 答えを書き終えて戻ってきた円は、閉じたノートを凛々香の机に置いて、目も合わせずに席についてしまった。

 言うべき言葉があるのではないかと少し不満に思いつつ、凛々香がノートを開けると、その片隅に小さく『ありがとう』と書かれていた。

 一瞬の気落ちの後に来たその言葉はなんとなく、普通に礼を言われるよりも嬉しかった。


 凛々香は安さが売りのハンバーガーショップでバイトをしていた。まだ初めて一週間ほどだが、学校生活での世渡りのうまさはここでもいかんなく発揮され、バイト仲間からも客からも人気を得ている。

 始めたのに特別な理由はない。強いて挙げるなら暇だったからと凛々香は思っている。多少の差異はあれど、学校と家の往復で過ぎていく日常に飽きていたのかもしれない。とにかく、彼女には家と学校以外のステージが必要だった。

 スタッフの更衣室で着替えていると、もう1人のバイトの子が入ってきた。シフト表には如月と書いてある。凛々香がまだ一緒に仕事したことのない人だった。挨拶のために振り向いて、凛々香は目を丸くした。

「如月……さん?」

 声に反応して上げられた顔は、凛々香のクラスメート、如月円その人だった。向こうも驚いたらしく、一瞬目を広げてから、慌てたようにぺこりと頭を下げて、入り口近くで着替えていた凛々香をすっと通り過ぎ、更衣室の最奥で着替え始めた。

 円がそういうタイプの人間だということはもうわかっていたので、特に気にすることもなく、凛々香は「お先」と声をかけて仕事場に出た。何人かのバイトが慌ただしく駆け回る中を歩き、途中途中で軽く挨拶を交わす。凛々香が笑顔で明るく声を出すと、みんなも笑ってくれる。士気もあがるような気がする。それが嬉しかった。

 レジ打ちをしていると、ふと客足が途絶える瞬間が、そう頻繁でもないがやってくる。そんなとき、隣でレジをやっていた女子大生のバイトが、凛々香に声をかけた。

「ね、今日バイト同士で親睦会するんだけど、あなたも来ない? 新人みたいだし、歓迎するよ」

 気さくな笑顔で話しかける彼女に愛想笑いで答える。

「え〜、どうしようかなぁ」

 もちろん断る気はない。断れば彼女らとの関係は悪くなるだけだろう。職場環境を円滑にするための付き合いという奴だ。慎重に見せるのは、まあ常套手段というか、セオリーだろう。

「みんな来るんですか?」

「そうね、今日来てる人は大体来ると思うけど」

 凛々香は裏でハンバーガー作りに精を出す円を示した。

「彼女も?」

「そっか、同年代くらいの子がいた方がいいもんね。じゃあちょっと」

 そういうと、彼女は仕事を放り出して、店の奥へと消えた。同時に、入り口が開き、部活帰りの中学生が大勢押しかけてくるのが見えた。凛々香は奥へ消えた女子大生を恨めしそうに見てから、一度ため息をついて、営業スマイルで彼らを迎えた。


 本来なら高校生がうろついていい時間帯でもないが、そんなことを咎める人はこの場にはいない。高校生は円と凛々香の2人だけ、残りは大学生で、バイトの人間でもない男女まで入り交じって、大騒ぎしている。いわゆる合コンという奴だろう。

 選択を誤ったようだと、凛々香は居心地の悪い思いをしながら、長机の――通路側ではなく、窓側に押し込まれている――に座ってオレンジジュースをすすった。隣にはもっと所在なげに手元のジュースを眺めてひたすらうつむいているだけの円がいた。

 最初のうちは、まだ懇親会だか歓迎会だかの様子で和気あいあいと進行していたのだが、第二陣としてどっかの大学生達がやってきてからはただの宴会と化していた。高校生は対象外なのか、まるっきり無視されているのが逆にありがたいくらいだ。

「なんか、ミスったね」

 仕方なく凛々香が円に話しかけると、円は曖昧に笑って頷いた。少し、申し訳ないという気持ちが起こる。円がこういうところに参加するのかどうか単純な興味から、バイトの時に話を振っただけだったのだ。女子大生は、あれから学生グループが最後まではけるのをきっちり見届けてからレジに入ってきて、こういった。

「みんな来るよっていったら、じゃあ行きますって」

 それでわかった。凛々香と円の何が似ているのか。

 凛々香も円も、対応は違うが、やってることはつまるところ付和雷同なのだ。なるべく普通と逸脱しないように、なるべく孤立しないように、人の顔色をうかがいながら生きていく。話はなるべく当たり障りのないテレビのこと、流行のこと。ちょっと面白いことをしてみるのも、それが人に受け入れられることを知っているからやるだけで、明らかに異質な行動を取ることはない。

 凛々香は、クラスという単位のなかで、『ちょっと変だけど面白い奴』という役割を演じているに過ぎない。

 円は、目立たないことで社会と上手くやろうとした。目立たないということは逸脱しないということだ。なるべく普通に見えるように、生きていく。

「もう、帰ろうか?」

 長い時間かけて飲んでいたためぬるくなったオレンジジュースを飲み干して、円に問いかける。円は困ったように、おずおずと言う。

「でも、勝手に帰ったりしたら……」

「かまわないよ。誰も気にしないよ。男は女を、女は男を狩るのに必死だからさ」

 悩んでいるのか、うつむいて押し黙ってしまう円に凛々香は問いかける。

「それにもう結構遅い時間だよ? 両親は心配しないの? 私んとこは気にしないけど」「うん。今日はお母さんもお父さんもいないから」

「でも、帰りたいでしょ?」

「…………桐原さんが、帰りたいなら」

 なるべく自分の意志を出さずに、人に任せる。目立たない第一条件。人に疎まれず、気にされない。そういう世渡りの方法ももちろん否定しない。

 でも、凛々香は思う。彼女の心がそれを受け入れてなかったら? 本当はもっと思っていることを口にしたかったら? それは悲劇にしかならない。

 最近感じ始めた違和感の正体はまだ漠然としていたけれど、凛々香は思う。私は私の思うことと違うことをしているのではないだろうか? 本当はもっと――。その先はわからない。凛々香自身まだ自分が何をしたいのかよくわからなかった。クラスを盛り上げてる自分ももちろん嫌いじゃない。むしろ好きですらある。

「如月さんはそれでいいの?」

 意地悪な問いだと思う。でも聞かずにはいられなかった。

 円は、曖昧に首を斜めに振っただけだった。表情も見えない。

 もうやめよう。これ以上苦しめることはない。凛々香は机をバンと叩いて、みなの注意を引いて立ち上がった。

「私達高校生は、門限が近いので、失礼させて頂きマース!」

 努めて明るく、おどけてそう言う。それから体育会系の人がやるようなおおげさなお辞儀をする。

「本日は呼んで頂いてまっこと、あざーっした! また呼んでください。今までの会計は私に任せてください。それじゃ」

 さっと円の手を掴んで、ついでに酒やら何やらで汚れてしまっている会計を掴んで、大学生達の膝をまたぐように足早に立ち去る。

「あ……私も払うよ」

 レジで控えめにそう提案した円に凛々香は微笑みかける。

「いいの。これは私が勝手にやったことなんだから。それにお金はあまってるのよ。使い道もないし」

 財布から札束を見せる。お金に関わる時の特有のいやらしさを微塵も感じさせないそぶりだった。

「あの、ありがとう」

「いいって」

「……あこがれちゃうな」

 本当に小さな声で呟いた彼女の言葉。

 違うんだよ。憧れるようなことはなにもないよ。本当はもっと違う何かになりたいはずなのに、それを偽ってる哀しいピエロなんだよ。

 そんな言葉が頭によぎりながら、それでもただ笑って応えてしまう自分に嫌気がさした。

 自分をさらけて嫌われることが恐いのだ。だから多くの人が抱くイメージに乗っかってそれを忠実に再現するのだ。好かれることはなくても嫌われることはないから。

 凛々香が強くそういうことを意識したのは初めてだった。そういう考えもあるかもしれない、から、きっとそうに違いない、への意識の変化。

 凛々香と円の小さな関わり合いは、本当に些細な出来事だったけれども、凛々香にとって少なからず大きな意味を持った。

 そして円にとっても、そうなのかもしれない。

 それはまた、別のお話。

    

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