第二部分:あるライターの雑記
まったく、今日ほど自分の無力さを思い知らされた日はない。
ライターとして生きてきてはや十年。それなりに文章力もついたと井の中の蛙が天狗になっていた。こんなにも歯がゆい思いをしてパソコンに向かうのはいつ以来だろう。わたしが大作家になると息巻いて文章をひたすら書き続けた時もこうだった。
自分は天才のはずだ。根拠のない自信を持って書いては投稿し、落選しては書いて、選考委員の目が節穴なのだと悪態をつきながら、ふと頭の片隅で思ってしまった。
もしかしたら自分はどうしようもないほどの凡人なのではないか? そのことにすら気づけないバカなのではないか?
そんな疑念を振り払いながらキーボードを叩き続けたあの日々。
今再び、わたしは己の矮小さを突きつけられて、おののきながらこうして筆を進めている。
おそらくわたしが出会った感動を伝えるのに、幾千言重ねたところで意味をなさないであろう。読者は“彼女”についてかけらも知ることなくこの駄文をゴミ箱へと捨てるのだろう。
それでも、わたしは書かなければならない。
なぜなら、わたしがライターだからだ。
数多ある自己表現の方法から文字という媒介を選び出し、それによってしか世界に何も残せない人間だからだ。
わたしから文字を奪えばわたしはもうこの世界に存在する理由はない。
そう、レーゾンデートルだ。
わたしに文字がそれであったように、“彼女”にとっては音楽がそれだったのだろう。
――わたしはここにいる。
――誰か見て。わたしを見て。わたしを知って。わたしの全てを受け止めて。
――わたしはここにいる。
そんな切なる願いが余すところなく乗せられた叫びだった。
とある街に現れた彼女は、稲荷様のような狐の面をかぶり、赤を基調にした派手な和服にギターという奇妙な出で立ちで、立っていた。
腰まで届くかと言うほどの銀色の髪が、月の光を受けてキラキラと輝いていた。
好奇な目を一瞬だけ向けて、行き過ぎていく人達を眺めていた彼女は、突然膝から崩れ落ち、ぺたりと膝から下をアスファルトにつけた。ギターを膝の上に載せて、両手を高く掲げた。
その姿はまるで、頭上に蒼く輝く満月を崇めるかのようだった。
そして叫んだ。
それは、ただの叫びだった。歌詞もなくメロディもなく、抑揚だけがある、いわば発声練習のような。
地の底から轟くような大声で、空気を揺らし、鼓膜がちぎれんばかりに震えた。幾重もの音の波が間断なく脳を襲い、わたしは目眩にも似た感覚に襲われた。背筋を舐められるような官能に鳥肌が止まらない。それは涙腺を刺激して、わたしは赤子のように泣いた。声を上げることはなかったけれども、こんなにも泣いたのはおそらく幼児期以来だろう。 一呼吸、時間にして数十秒、彼女の咆吼はそれで終わった。
彼女はゆらりと立ち上がり、去っていった。
その声を聴いた多くの人は、まるで夢の世界に入っていったようにしばらくボウッとして、やがて我に返ったように首を振りながら歩き出した。
彼女の声には様々な感情があった。怒り、優しさ、不安、喜び、憎悪、迷い、慈しみ……およそ人間の心情を表す単語は全て含まれるだろう。しかしてその大きな根幹となる感情は哀しみだった。そしてあきらめだ。
どうにもならない感情を抱えてどこかにぶちまけたいけれども、それを理解してくれる人はいないのだと。
ライターという職業、あるいは歌手、いやおよそ全ての人は、誰かに自分を知ってもらいたいという欲求を抱えている。
しかしそれが百パーセント理解されることはあり得ない。
人間は絶対的に孤独で、それを感覚的に察知しながらそれでもなお他人を求める。
あまりにも救えないジレンマを抱えた存在なのだ。
それを打ち破った人間が彼女なのだと言えば、少しはその凄さがわかってもらえるだろうか。彼女のわずかな時間の訴えが、わたしに全てを理解させた。
だが、なんという悲劇か!
彼女を理解しても、彼女は理解されたということを信じられないだろう。わたしや、多くの人がそのことを行動や言葉で示そうとしても、私達にはそのチカラがない。百パーセント伝えられない。気休めに言ってくれてるのだと思うだけだろう。
彼女の心を安らかにさせるには、彼女と同じだけのチカラをもった天才がいなければならない。その一挙手一動作で己の思いの全てを表現し、そしてそれが真実なのだと圧倒的な説得力をもって伝えられる人間が。
そんな人間が、同時代に二人も現れるだろうか。そして同じ場所にいるだろうか?
天才は孤独だという真理を彼女ほどその身に背負っている人間はいないだろう。
わたしは、彼女を生涯追い続けるだろう。そして、なんとかして、彼女という人間がいた証を残してやりたいと思う。
少しでもその哀しみが癒えますように。その苦しみが癒えますように願って。
わたしがライターをやってきた理由は彼女の為にあったのだと、素直に言える。天命とでも言おうか、こんな感動を与えてくれた彼女に感謝する。
最後に、勝手ながら彼女に一時的にだが呼び名をつけようと思う。何かと不便だからだ。
赤い和服と、彼女の咆吼が立ち上る炎に見えた。全てを巻き込みながら自らを劫火におとしめ、踊り狂う彼女を“炎”と表記しよう。呼び方は好きにすればいい。“ほのお”でも“ほむら”でも“えん”でも“サラマンダー”でも。文字に生きる世界の人間にとって発声はあまり意味をもたないモノだ。
炎という漢字一文字が相応しい気がした。それだけだ。
縁があれば、続報を目にすることもあるだろう。その時までしばしのお別れを。