第一部分:RYU−YA
缶コーヒーのプルタブを片手で器用に開けながら、柳矢はコンビニを出た。片手に下げたおにぎり三個入りのビニール袋がシャナリと鳴る。自動ドアが閉まる音を背中で聴きながら、景気づけに背負ったギターケースを背負い直す。心地よい重さが肩にかかった。
「あの、すみません」
コンビニの再度開く音と同時に駆け寄ってくる足音に声をかけられる。コーヒーをすすりながら振り向くと、そこには女子高生らしい制服の二人組が立っていた。この深夜にコンビニにたむろするような、といっては固定観念に囚われすぎかもしれないが、茶髪にピアスのいかにもそれらしい高校生だった。
「モデルのリューヤさんですよね?」
しおらしく、おずおずと尋ねてくる。柳矢は内心、またかとうんざりしたが、顔には出さずに頷いた。
ワーだの、キャーだの、奇声を発しながら手を取り合って喜ぶ二人を冷ややかに見おろしながら、柳矢はあくびをかみ殺した。
「ファンなんです〜。サイン下さい」
二人の交歓が収まったところで、一人がそう言って、何かのマスコットキャラクターがジャラジャラくっついている鞄をあさって、ノートとボールペンを差し出してきた。もう一人も、慌てたように鞄をあさり始める。
サインを書いていると、二人はすでに何年来の付き合いとでも言うようにくだけた口調で話しかけてきた。
「ギターもやってるんだ。凄いですね」
「今度聴かせて下さいよ〜」
曖昧な笑顔で受け流しつつ、さっさとサインを書いて、二人に渡す。二人はありがとうございました、と言ってコンビニへと戻っていった。
住んでるのか? と皮肉りながら、冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干した。
「俺は歌手が本職だよ……」
舌打ちしながら、呟く。もう一度景気づけにギターを背負い直して、今度こそ柳矢は眠らない街へと繰り出していった。
アルファベットで、“RYUーYA”それが彼の芸名だった。
歌手としてデビューしたはずの彼は、たぐいまれなるルックスで多くの女性ファンを作ったが、結果として彼はモデルになった。歌を純粋に歌いたかった彼としてはひどく見当違いな事態だったが、せっかくメジャーデビューという場を提供してくれた事務所の意向に刃向かえるはずもなく、仕事と割り切りながら、どこか憮然とした思いをもって、彼は今を過ごしていた。
デビュー曲以来、曲を出してもらえる予定はなく、仕事の合間に街に繰り出して、ストリートで歌うのが唯一の慰みとなっていた。
かつて、デビュー以前のように、ただ己の心のままに夜中叫び続ける。本当はそれだけでよかったのかもしれない。柳矢は最近そう思うようになっていた。スカウトに声をかけられた時、自分の思いが多くの人に伝わればいい、そんな思いがあった。自分の曲を聴かないで生きてる奴らはバカだ。そんな風に思うことすらあった。
でも、想像以上に自分は世間に受け入れられなかった。ホントは、歌える、ただそれだけでよかったのだと思う。それで道行く人の誰かに何か感じてもらえるだけでいい。多くは望まない。
そう自分に言い聞かせながら、ギターをかき鳴らす夜はある程度の満足感を得られるものではあったけれど、やはりそれはかつての自分の感じた絶頂感とはほど遠いものの様な気がした。
昼にバイトし、夜に歌い狂う。とても苦しい生活だった。それを思うと、今、不本意とは言えモデル業でかなりの額を稼いで、その収入を捨てられない自分がいることも事実。
そんな中途半端さが自分をめくるめく快感に導けない要因だとはわかっていた。わかっていながら、どうすることもできないのだ。
――俺は、弱い人間だ。
悪態をつきながら、月を見上げて、汗を散らして、踊る。ふと、自分の世界に入り込みかけた柳矢を外から呼ぶ声が聞こえた。
「りゅーさん」
それは、ストリート時代に知り合った人だった。名前も年齢も知らない。ただ時折、歌っている柳矢の前に来ては二言三言交わす。それだけだったが、柳矢にとって大きな励みとなった。おそらく、歳は柳矢よりも若いだろう。初めてあった時は制服を着ていた。今は大学生くらいかもしれない。
「メジャーデビューおめでとうございます。買いましたよ」
柳矢が汗を拭きながら礼を言うと、彼は少し眉をしかめた。言ってもいいのかどうか、そんなためらいの表情だ。やがて、少しためらいがちに口を開く。
「メジャーデビュー後も、ストリートやってるんですか?」
「原点だからね」
それっぽいことを口実に言うと、彼はふうんと鼻を鳴らす。
「なんつーか、デビュー曲、りゅーさんらしくなかったスね」
かれの躊躇はこの言葉ゆえだったのだろう。言ってからもちろん良い曲には違いないんですけどとかなんとかフォローを始める。しかしその言葉は柳矢の耳には届いていなかった。
彼の一言は柳矢の胸をえぐりとった。自分でも感じているつもりだったが、昔の自分を知っている人間から改めて言われると、それはプロのボクサーに打ち込まれたように強く響く。
オレらしく……ない?
それもそのはず、彼の持ち歌やデビュー用にいくつか書いてきた曲は全てボツにされ、イメージ作りのためと普段の曲調よりも明るい、アイドル風の曲を作らされたのだ。
――君が書かないならプロの人に作ってもらうからいいよ。
どうあっても事務所としては彼のイメージをよくしたかったらしい。結果としては間違いなくそれは成功だった。歌ではなく、モデルとしての成功だが。
「今ここで歌ってたりゅーさんは良かったスよ。すぐに歌と感情がシンクロしちゃうんですよね。りゅーさんて」
「……今のオレ、どんな風だった?」
「ずばり、悩んでますね」
ずばり的中だ。重々しくため息をつく柳矢に、彼は言う。
「セカンド、楽しみにしてますよ。悩むことは悪いことじゃありませんから。その悩みを乗り越えて、人はひとまわり大きくなるんです」
「えっらそうに」
励ましてくれている彼に沈んだところを見せるのも快くないので、冗談めかして言う。上手く笑えてるといい。柳矢そう願った。
「そういえば、最近ストリートに現れたミュージシャンの噂、知ってます?」
彼は不意にそんなことを言った。柳矢が首をかしげると、彼は身を乗り出して、少し興奮したように話し始めた。
「オレも噂しか知らないんスけど、奇妙なんですよ。その女は、腰まで届く銀髪を振りかざす、狐の女」
「狐?」
「ええ、なんでも、和服に狐の仮面という風変わりな出で立ちで、ギターを携えて来たとか」
そこで言葉を一度きり、十分に間を持たせてから再度、彼は口を開く。
「その女は、突然路上に膝から下をぺたりとつけて、頭上の満月を仰ぎ、崇拝するように両手を伸ばした。その格好で、奇声を発して、そして帰っていったと」
「なんだそりゃ? ただの頭のおかしい奴だろ」
しらけたように、柳矢が言うと、彼は確かにそうかも知れません、でもと付け加えた。
「――でも、その声は、地の底からとどろくような大声で、不思議な抑揚で、その声を聴いた人達を魅了したと。甘美で粗忽で、やさしく、時に激しい。そして哀しい歌声だと」
「どっかの神話か?」
「その声を聴いた人達はみな、立ち止まり聞き惚れたと。女が歌い終わって、何処かへ立ち去った後もしばらく、佇む人達がそこかしこにいて、奇妙な空間を作っていた。ある人なんか人生変えられたみたいで、根暗だったのが突然明るくなったとか、自殺しようとしてたけど、そんな気も消え失せたとか」
「……ホントかよ」
柳矢がほとんど信じてないように言う。彼も、同意するように頷いた。
「ま、オレも友達の友達に聞いたっていう程度の噂なんですけどね。一応会う人会う人に聞いてるんですよ。特にりゅーさんならこの街のストリート事情に詳しいから」
「残念ながらオレも知らないな。もしいたら聴いてみたいけどな。そんなすげえ歌声」
話が途切れたので、彼はじゃあと頭を下げて去っていった。
柳矢は煙草に火をつけて、ギターを撫でる。ポロンと小さな音を奏でるそれは十年来の付き合いだ。エレキよりもアコースティック。ロックもやるが、まずはフォーク。そう思って中古屋で一番安いものを苦心して買った。なぜそう思ったのか、かつてオヤジが時々酒かっくらいながらフォークを歌っていたのが原因なのだろうと、柳矢は思っている。
それから話の女に想いを馳せる。
もし、そんなすげえ歌声を持っていたら、さぞや気持ちいいだろうなと思う。
他人の人生すら変えてしまうような大きなチカラ。それはやはり努力と言うよりも、才能という言葉が出てきてしまうのだろう。
オレにはそんなチカラがあるのか? 音楽に人生を捧げようと決めた時から突きつけられ続ける問いが、いつもより深く突き刺さる。
――知ったことか!
グルグルと渦巻く思考の水脈にはまりこみそうになるのをなんとか抜け出して、ギターをとる。舌打ちしながら、悪態をつきながら、ひたすら無心になろうとしながら、指を走らせる。
たとえオレに、一人の人間も動かすチカラがないとしても。
それでもオレは。
オレは歌い続ける。
それが。
それがオレの存在理由だ―――!
朝陽が目にしみる。いかに人工の光が弱々しい物かを感じられるこの瞬間が柳矢はわりと好きだった。もっとも、今痛いくらいに目にしみているのは、徹夜明けだからという理由が大きいが。
「感謝しなきゃな。彼と、いるかどうかもわからん女に」
ギターをケースに収めながらそう呟く。
少なからず、彼女の説話が柳矢に与えた影響は大きい。その話を聞いた後、グルグル回る思考の中から原点となっていた考えを引きずり出せた。忘れかけていた大事なことをなんとなく思い出した気がした柳矢はひたすら、声がかれるまで歌い続けて、久しぶりに恍惚に包まれた。長いこと感じていなかった本当の官能。
じょじょに高まる鼓動の中、額から流れる汗が目に入り、口に入り、路上を濡らしていく。頭の奥が痺れて何も考えられなくなる。腹から出ている自分の声が、ギターの鳴き声が、脳天から真っ二つに貫いて、脊髄を通ってその振動を背中に送る。ゾクリと通り抜けるそれに全身が総毛立つ。その瞬間があまりにも快感なのだ。セックスの絶頂感なんか目じゃない。あれが女との一体感に震える快感なら、これは世界の全てと混じり合う快感だ。
主観の中でしか生きられない人間が、自分の宇宙を飛び出して、何処かへ行ってしまう。
そんな感覚。
「まあ、感じてみなきゃわかんねえよ」
なんとかそれを言葉にしようとして、その快感を思い出そうとしても思い出せないことに腹が立つ。ただ気持ちよかったという感覚だけが後に長く余韻を残すのだ。
おかげでその一日はひどく幸せな気分で過ごすことが出来る。
一度やったらとめられない。麻薬ってもんはきっとこんな感じを味わえるのだろう。
副作用はないけれどな。
……いや、同じようなものかも。
俺はきっと社会的に見てひどくバカなことをしてしまうから。
その日、事務所に現れた柳矢は、きっぱりと仕事を辞めると言った。すでに入ってる仕事はやるけれど、これ以上はいれないでくれと。必要なら記者会見でもなんでもやると。
「君はいかれてる」
金づるを喪ったマネージャー他事務所の人たちはそんな風に悔しそうに言った。
「そうでしょうね」
さらりと言って、柳矢は事務所を後にした。
それから数ヶ月。柳矢は彼と再会した。引退後初めてのことだった。
「おにゃん子クラブですか? 突然引退だなんて」
「古いネタだな」
そんな何気ない会話のあと、彼は真顔で言った。
「歌、やめないでくださいね。俺りゅーさんに命救われたんですよ」
柳矢がマジマジとその顔を見据えると、彼は少し照れながらことの顛末を語った。
彼と初めて会った時、彼はひどく鬱で、世界中から見放されてるような気がして、いなくてもいいんじゃないかと思っていたという。電車を止めてやれば、少しは俺のこと見てもらえるかななんてことさえ考えながら夜の街を徘徊していた。
そんなとき柳矢を見つけた。たくさんの人が行き交っているのに、誰もちらりとも見ることなくその前を通り過ぎていってる。それなのに柳矢はただただ自分を主張して歌っていた。
誰かに聴いてもらいたいのはもちろんだけれど、誰に聴いてもらえなくてもいい。俺はここにいる。それだけで十分だ。そんな想いを心のままに叫び狂ってた。
「同類相哀れむって感じスかね。自分はもうダメになりかけてるけど、この人は大丈夫。俺みたいにならないようにするためには、誰かが気にしてることを示せばって思ってね。それで歌聴いて、話して、いつのまにか死ぬ気なんかどっかいってました」
その言葉が、どれだけ柳矢を救ったか、彼は知らない。柳矢は、ありったけの想いを込めて一言、礼を言った。
――ありがとう。
「やだなあ。礼を言うのはこちらの方ですよ」
不思議そうに笑う彼は、照れたように立ち去っていった。最後に、こう付け加えて。
「そういえば、例の女ミュージシャン。どっかの街にまた現れたらしいですよ」
今夜もストリートミュージシャン達は歌う。
自分を表現して。
誰かをほんの少しだけ揺らして。
高らかに響くその歌声は、夜闇を切り裂いて、強い光を呼び続けるだろう。
初めての連載です。なるべく週一くらいで更新したいのですが大幅に遅れても暖かく見守って下さい。催促のメールなどあると奮起します。評価感想心よりお待ちしています。