82話 侵略する者される者
僕たちの生活は一変した。
農村都市ジャーニアと工業都市オルスロイを手に入れてから、まず、屋根がある立派な家で眠ることができるようになった。次に、明日の食べ物の心配をする必要が無くなった。温かい布団で目覚めて、朝から温かい食事が食べられるようになった。本当に夢みたいだ。こんな贅沢は今までなら考えられない。
月下衛さんと華嶋依人さんは約束してくれた。この生活が、今後もずっと続くようにしてくれると。
僕は銃を突きつける。オルスロイの元兵隊さん――今では僕らの奴隷になった大人たちに向かって。
奴隷の人たちは、布切れ一枚の格好で枷をはめられ、ほぼ休みのない労働を課せられていた。抵抗する者は撃ち殺していいと言われている。僕もここ数日で三人殺した。こちらが本気だと悟ると、奴隷たちは日に日に大人しくなっていった。
隅で休んでいる人に銃を向ける。
「ほら、休んじゃダメだよ。まだ全然足りないんだから」
「……き、貴様ら」
「なに?」
「……他人を踏み躙って得た幸福は満足か」
僕は思わずキョトンとする。
「何言ってるの? 満足に決まってるよ」
「ッ! 悪魔め!」
銃を構える。圧倒的な暴力を前に、奴隷の人は口を紡ぐ。
「これはさ、立場が入れ替わっただけなんだよ」
「……立場だと?」
「今までは僕たちが虐げられてきた。君らの幸福は、僕らの不幸の上に成り立っていた。それが逆になっただけ。別に僕は『自分のために他人を犠牲にしてはいけない』なんて思わない。だって当然でしょ? そうしなきゃ生き残れなかったんだから」
「馬鹿なっ! 我々は貴様らに危害を加えたことなど一度もない!」
「へぇ……」
銃を握る手に力が入る。イライラしてきた。何も知らないんだなと思った。少なくとも、今ここで奴隷と化した人間たちは、自分のことを哀れな被害者としか思ってない。
「お前らが普段、僕たちをどんな目で見てるか知ってるか……?」
「なんだと?」
「教えてあげるよ。ゴキブリだ。お前らは、僕たちをまるでゴキブリを見るような目で見てるんだ。驚いて、恐怖して、目を背けて、そして大勢で排除しに来るんだ。直接手を出してなくても目が物語ってる。寄るな、触れるな、消えろってね」
「……ぐ」
「無言で訴えてくるんだよ。本当に冷たい目で。存在価値なんて、これぽっちもないって決めつけるような目でね。お前は一度でもあの目で見られたことがあるか?」
僕と母さんは、あの目に晒されながら、怯えて隠れるように生きてきた。
僕の母さんは、戦争時に軍の人たちに連れて行かれた。父さんは軍の偉い人で、僕はそんな父さんを誇りに思っていた。母さんが軍に呼ばれたのも、何か大切な話があるからなんだと思った。
でも違った。
帰ってきたのは、僕の知っている母さんじゃなかった。
顔の半分は水ぶくれのように歪に膨らんでいて、目の周りは紫色に腫れていた。背中からは妙な突起物が何本も出ていて、毒々しい色をしたそれは、時々膿のようなものを吹き出しながら、ドクンドクンと脈打っていた。歩き方もどこかぎこちなくて、よく見ると関節が色々な方向に曲がっていた。
母さんは泣いていた。ただひたすら、「ごめんね」と僕に謝った。何度も何度も、泣きながら謝った。その声すら、僕が知っている母さんの声じゃなかった。
母さんの噂は、すぐに街中に広まった。
気味悪がる者。祟りだと恐れる者。伝染病の類を疑う者。
僕らは街に住めなくなった。
僕は理解した。父さんは、僕たちを売ったんだと。
さらに悪いことは重なった。母さんは妊娠していた。連れて行かれる前の母さんは、妊娠なんてしていなかった。きっと誰かに孕まされたんだ。でも、病院になんて行けるわけがない。僕は悲鳴を上げる母さんの横で、どうすればいいのか分からず、ただ泣いていた。
奇跡的に出産を無事に終え、僕たちは再び絶望した。生まれた赤ちゃんは、三つ子――正確には顔が三つあった。皮膚は紫色に染まっていて、ぬるぬるとした体液を滴らせていた。背中からは妙な突起物が何本も出ていて、ひどく嫌な臭いがした。
母さんは泣いていた。私のせいだと言って自分を責めた。僕も泣いた。どうすればいいのか分からなかった。でも、そんな僕たちを受け入れてくれる人はいなかった。僕たちは残飯を漁り、泥水を啜り、身を寄せあって眠った。その度に、母さんは泣きながら「ごめんね」と謝った。僕を抱く手は震えていた。
「どうして母さんが謝らなきゃならないんだ!」
悔しい。悔しくて涙が止まらない。危害を加えたことはないだって? どの口が言うんだ白々しい。ふざけるな。殺してやる。
「お前らの中で、一人でも僕たちに手を差し伸べてくれる人がいれば!」
「ひいぃぃ!」
指が震えて引き金がうまく引けない。こいつを殺したいのに。僕と母さんを侮辱した罰を与えてやりたいのに。
僕が守るんだ。
僕が母さんを守るんだ!
声は横からやってきた。
「おいおい、やめろ少年」
「――え?」
僕の銃を取り上げたのは、僕にとって恩人にあたる人物。
「労働力は貴重なんだ。あんまし無闇に減らすんじゃねえよ」
ボサボサの髪。だらしなく着崩したダボダボの服。見るからに捻くれていそうな、人を食ったような笑み。
「依人……さん」
「言ったはずだ。抵抗する奴だけを殺せとな。コイツは今抵抗していたか?」
「……いえ」
「だったら殺すな。働かせろ。……おら、テメェもいつまで腰抜かしてやがるんだ。情けねぇ野郎だな。さっさと働け。死にてぇのか!」
「は、はいぃぃぃ!」
奴隷の男は死に物狂いで走り去っていった。何度も転びながら、不自由な腕を懸命に動かして。
依人さんが僕を見る。怒られるかもしれない。僕は依人さんが言ったルールを破ってしまった。僕らは依人さんたちのお陰でこれまで生きてこれたのに。本当は凄く感謝をしていて、たくさん働いて恩返しをしなくてはいけないのに。
「焦るなよ、クソガキが」
「……え?」
「衛が言ったことを忘れたか。俺たちは約束したはずだ。『この生活をずっと続けさせてやる』と。同時に頼みもしたはずだ。『そのために力を貸せ』ってな」
「……あ」
そうだ。僕は僕のため、母さんのため、みんなのために衛さんたちに協力することを誓ったんだ。僕は今、それを忘れて一時の感情でみんなの不利益になることをやろうとした。
「これだからガキは嫌なんだ。後先考えねぇで突っ走りやがる」
「ご、ごめんなさい」
「はぁ、この分じゃ他の場所でも無駄な殺生が出てるんじゃねぇのか? やってられねぇな全くよぉ」
大きな溜息を吐きながら、依人さんは頭をガリガリと掻き始める。ひどく機嫌が悪そうだった。僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。依人さんは僕を信頼して仕事を任せてくれたのに。僕はそれを裏切ってしまった。
「……明日だ」
「え?」
「明日で全ての決着が着く」
依人さんの表情を見る。依人さんは、ここではないどこか遠くの方を見ていた。その表情は、今までに見たことがないものだった。
「だから焦るな、クソガキ。安心しろ。この生活はこれからもずっと続くと、俺と衛が保証してやる。テメェは安心して自分の成すべきことを成せ」
「……」
「自分の母親を守りたいんだろ?」
「あ……はい!」
僕の返事を聞くと、依人さんは僕の頭をクシャっと撫でてくれた。どうしてなんだろう。何故か涙が溢れて止まらなかった。嬉しかったのか、それとも安心したのか。僕は謝らなきゃいけないのに。
――明日。
全てが終わると言った。
僕ができるのは、ほんの些細なことだけど。
みんなのため、一生懸命働かなくてはいけないんだ。
次回は王都侵略編の予定です。