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孤独と闇と希望と  作者: 普通人
第四章 零れ落ちる砂の粒
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80話 愛欲の口づけ

瑠璃ブチギレ回。

 何も見えない。

 何も聞こえない。

 身体の感覚は無く、暑さも寒さも感じない。指一本すら動かず、まるで自分の身体ではないようだった。

「……っ……ぅ」

 天戸零は闇の中で呻く。

 声が出ない。言葉を発そうとしても、ヒューヒューと掠れた吐息が漏れるだけだ。脱力し切った顎はだらんと下がり、口の端からは涎が垂れている。何とも醜い有様だ。

 生きているが死んでいる。そんな状態だと思った。

「……フーッフーッ」

 心肺機能が著しく低下している。長時間に渡る無酸素運動を行った後にように呼吸が苦しい。

 アシドーシスだ。

 徐々に悪化する頭痛と、眠気にも似た目眩に危機感を覚え、零は極力息を吐き続けるよう心掛けた。


 しばらくしてある程度落ち着くと、真っ暗だった視界が微かに光を取り戻してきた。

 ある程度身体が慣れてきた、ということだろうか。モザイクを何重にも重ね掛けしたような色彩のない世界だが、それでも自分の置かれている状況を把握することはできた。

 目の前には重々しい鉄格子。周りは分厚い石の壁。両手は天井から吊るされた手錠――制御装置(リミッター)によって固定され、両足も同様に固定されている。

 身体機能の約九割を抑え込む手錠だ。《組織》に属する者は例外なく、通常一つの装着義務がある。それが四つも着けられているのだ。最早生命維持に支障をきたすレベルだと言っても過言ではない。

「……」

 些か過剰ではないかと考えてしまう。ここまでしなくても、閉じ込めておくだけなら容易だろうに。せいぜいが両手の二つ分だけで事足りる。そもそも最初から逃げるつもりなど毛頭ないのだ。

 それだけ危険視されているということなのだろう。天戸零という存在は。


「―――――」

 声が聞こえる。

「――――――。――……、―――――――」

 どれくらい時間が経っただろう。あれから何度も気を失い、その度に酸素を求めて痙攣し、繰り返す内に感覚が狂ってしまった。

「――――。―――――? ―――、――――――……。――――――」

 誰かが語りかけてきている。誰だろう。ただ、敵意はないように感じた。愛情に似た――寧ろそれ以上の感情が伝わってくる。

 かつて、似たような状況に置かれたことがあったような気がする。あれはどこで、いつの出来事だったのだろうか。思い出せない。

「――……、――――――。―――――――――――」

 ふわりと。

 暖かいものに包まれた。

 不思議とそれは、懐かしさすら感じさせるものだった。


◇◇◇◇◇◇◇


「見つけたわ」

 日の光を拒絶した冷たい地下の牢獄。周囲を石で囲まれ、侵入も脱出も堅く拒む無機質な檻の中で、天戸恵(あまとめぐみ)は幼い少女のように興奮した声を上げた。

 ほんわかした雰囲気の、可愛らしい女性だ。ふんわり膨らんだ髪を肩で切り揃え、白を基調とした明るいワンピースに身を包んでいる。

 あまりにもこの牢獄には場違いな存在と言えた。こんな生命の息吹をまるで感じさせない無機質な場所に、居て良い存在ではない。彼女には色取り取りの花園こそ相応しい。

「愛しい私の零。ああ……、会いたかったわ」

 一面に咲き誇る美しい薔薇のような笑顔だ。見るものを惑わせ、釘付けにし、魅了する魔性の美しさ。いや、薔薇というには刺が足りない。

 どこまでも純粋で無邪気な笑顔。この世の醜さを未だ知らず、美しいものしか存在しないと本気で信じているような、そんな穢れなき少女の笑顔だ。

「可哀想に。苦しいのね? 酷いわ、なんてことを……。少し待ってて」

 恵は牢の中でぐったりと衰弱する我が子(れい)の姿を見て顔を歪めた。両手両足を鎖で繋がれ、天井に吊るされる様は、さながら大罪を犯した死刑囚のようにも見える。

 天戸恵は鉄格子を(・・・・)すり抜けて(・・・・・)牢の中へ入った。

 その現象を理解することは、恐らくあのマリア・フェレですら不可能だっただろう。空間転移などの魔法を用いたわけでもない。正真正銘、天戸恵は鉄格子をすり抜けた。まるでそんな人物は初めから(・・・・)存在して(・・・・)いなかった(・・・・・)とでも言うように。

 ふわりと。

 優しく、慈愛に満ちた表情で零を抱きしめた。

「ああ……、会いたかった。本当に会いたかったのよ」

 それは母のものというより、紛れもない女のもの――牝の表情だった。

「喋ることすらできないなんて。ごめんね、今の私じゃ制御装置(これ)は外せないの。せいぜい効果を弱めるのが精一杯」

 熱い吐息が零の髪を微かに揺らす。

「でも大丈夫、全部私に任せてくれればいいの……」

 上気した頬。

 潤んだ瞳。

 耳元で魔性の色香が囁く。

「ね? 零、全てを私に委ねて?」

 そのまま、天戸恵は零に口づけをした。


◇◇◇◇◇◇◇


 音速を超えるスピードで、神無月瑠璃は黄昏の平野を駆ける。

 足に魔力を集中し、且つ周囲の風を魔力で操り、風圧そのものを加速装置として用いる。もはや瑠璃は、空中を飛んでいるのとほとんど変わらない状態になっていた。

 明の部屋に残っていた微かな魔力の残り香から、零が連れ去られた方角は分かっていた。加えて、零を連れ去った連中は【暗部】の者である可能性が高い。ならば答えは一つ。

 ――あそこ(・・・)しかない。

 この速度なら、日付が変わる前には余裕を持って辿り着くことができる。

 伝えなければ。

 証明しなければ。

 天戸零には、今回の件とは全くの無関係であるということを。これ以上、零が傷つかないように。彼から何も奪わせないために。

「絶対に……――っ!?」

 瑠璃は急ブレーキをかけて地上に降りた。

 不意に前方に現れた透明な分厚い壁。このままぶつかっていたら、下手したら全身バラバラになっていたかも知れない。大砲以上の速度で自分から突っ込んでいくようなものだ。

「これ以上先へは行かせるわけにはいきませんよ」

「……お前らか。お前らが零を」

「おお、怖い。なんという禍々しい表情。虹の女神(イリス)ともあろうお方が、それではまるで神話の復讐の女神(メガイラ)のようではありませんか」

 芝居がかった仕草で以て現れたのは仮面の男。その両隣には同じく仮面を被った二人の人物。黒いマントのせいで体格も見分けがつき辛く、今言葉を発した人物以外は男か女かすら分からない。

 ――暗部。

 姿だけは何度か見たことがあったが、言葉を交わすのは初めてだ。

「貴女が何のために来たのかは分かっていますよ。予想通り――と言うにはあまりに時間が早かった気がしますが」

「煩い。そこをどけ」

「おやおや、汚い言葉遣いだ。随分と焦ってらっしゃいますね。哀れな魔女の子。素が出て(・・・・)いますよ(・・・・)?」

 ――知っている?

 この男は昔の神無月瑠璃を知っている。

「我々がここにいることが何を意味するのか、貴女ならお分かりでしょう?」

「……」

「お察しのとおり、我々が属するのは暗部。これは国の直属です。つまり、我々の行動は国の意思そのものなのですよ」

 つまり、東国――下手をすれば大陸のトップ達が、天戸零を拘束しろと命じた可能性がある。

「世間では敬われ、目標とすらされている貴女方ですが――」

 ククッと喉を鳴らす。

「所詮は《組織》という小屋に入れられた奴隷だ。首輪を繋がれ、生かして貰っているだけの忠犬だ。犬が主人に向かって牙を剥きますか? 貴女のやろうとしていることはそういうことです。」

 魔法陣が展開する。

 瑠璃の周囲に鋭利な土の槍が無数に浮かび、狙いを定めた。

「それでも先へ行こうというなら、我々が貴女を止めることになります。如何致しますか?」

 従わなかったら国家反逆罪にでもなるのだろうか。相手の力は未知数。数は三対一。しかも、その三人が全員達人級であることは確定。

 ――犬、か。

 的を射ている表現だと思った。全く別種の生物が互いに共存しようとした時、その方法は詰まるところ二通りしか存在しない。

 管理するか、管理されるか。

 そして、圧倒的少数たる我々は「管理される」ことを望んだ。人の手によって管理され、許可された時だけ本来の力を振るうことを許される化物。本来、飼い主の手を噛むようなことをするのは厳禁なのだけれども。

「……止める? 私を? たったの三人で?」

 だが、瑠璃には関係なかった。

 何のために生きていこうと思ったのか。どうして生き続けたいと願ったのか。その根幹は揺るがない。彼女が捧げるものは今も昔も変わらない。

 あの時。

 全てを失ったあの時。

 そして救われたあの時からずっと。

 ――零と。この人といつまでも一緒に。

 それが神無月瑠璃という化物の生への渇望の全て。

 依存していると言われても構わない。否定しない。国に命を捧げたことなど今までに一度たりともない。

「やってみろよ一般人(ノーマル)組織(わたしたち)を舐めるなよ」

 瑠璃の右手が揺らめく。

 炎、氷、風、雷、土。

 五本の指に五色の魔力(いろ)が灯る。虹の女神(イリス)とは全ての理魔法を使いこなし、理の頂点に君臨する者。魔法という現象の根幹を極めし者。

「私の生きる意味を奪うなら、全て排除する。邪魔するなら消えろ!」

 空気が振動し、弾けた。


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