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孤独と闇と希望と  作者: 普通人
第四章 零れ落ちる砂の粒
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78話 夢へ至る戦争 後編

皆様、風邪にはお気をつけください。

夏風邪コワイ。鼻水ズルズル。

「お逃げ下さい!」

 司令部に一人の兵が駆け込んできた頃には、何が起こったのかについて大体の予想はついていた。

 オルスロイ騎士長――エリック・リントンは、表情一つ動かさずに尋ねた。

「どうした」

「周辺の兵からの連絡が急速に途絶えています。何かがこの司令部に向かってきていると見て間違いありません!」

「……」

 エリックは黙したまま項垂れた。

 既にこの戦場での勝敗はついている。機械兵は全機再起不可。砲台は全て破壊された。兵の被害状況など考えたくもない。この状況をひっくり返す策など皆無に等しい。

 あとはこの首――このオルスロイ騎士長の首さえあれば敵の完全勝利となる。エリックは己の無力感に唇を噛み締めた。

「どうか……どうか騎士長だけでもお逃げ下さい」

「それはできん」

 この都市の兵たちの命を預かる者として。オルスロイ騎士長として。部下を見殺しにして自分ひとりだけ逃げるような真似がどうしてできようか。

「寧ろお前たちこそ逃げろ。私の命があればあるいは……」

「なりません!」

 鬼気迫る大声に、エリックは思わず動きを止めた。視界に入ってきたのは頭を垂れたまま叫ぶ男の姿だった。

「エリック様、あなたは私の命の恩人です。あなたがいなかったら私はとうの昔に野垂れ人でいた。他にもあなたを慕う者は大勢います」

 表情は見えない。

「皆……皆死んでしまった。あなたのために死ねるなら本望だと。エリック騎士長の未来の礎となるのだと。そう言って皆勇敢に死んで行きました!」

 その声は震えていた。

「あなたは! こんなところで死んで良いお方ではありません! 奴らのような蛮族に殺されるべき人間ではない! 私らの命など! いくら犠牲にしても生き残らなければならない! 生きて、そして奴らに復讐を! そのためならこの命、どうにでもお使いください!!!」

 心の底から絞り出したような願いを聞き、エリックは呆然とした。そして感謝した。自分はなんと恵まれているのだろうかと。

 こんなにも自分を想ってくれる部下がいる。自分のためならば死ぬことすら厭わないと誓う仲間がいる。そのことの何と誇らしく喜ばしいことか。これでは逃げることなどできないではないか――

 エリックは街に残してきた妻と子供のことを考えた。

 必ず生きて戻ると約束した。今年で五歳になる愛娘の頭を撫でた。不安そうな我が子を安心させようと笑いかけた。

 ――すまない。お前との約束、守れないかも知れん。

「兵を集めろ。迎え撃つ」

「騎士長!」

「命令だ。早くしろ!」

 エリックは戦闘着を着込んで武器を手に取った。

 まだ負けていない。まだ可能性はある。愛するこの都市と部下、そして家族を守るため、まだ自分にもできることがあるはずだ。

 エリックは歩き出した。大切なものを「守る」ために。


◆◇◆◇◆◇◆


 向かってくる者、全てを斬り捨てた。

 銃弾を弾き返し、大砲を避け、鉄の壁は雷で撃ち抜いた。

 月下衛は殺し(まもり)続ける。目的を果たすため、大切なものを守るため、屍の山を築いていく。

 その歩みを止めたのは、ある男の問い掛けだった。

「その姿……まさかと思ったが月下の剣鬼か?」

 その男こそ、オルスロイ騎士長にして衛の標的――エリック・リントンだった。髪に白髪が混じり始める年齢でありながら、服の上からでもその鍛え抜かれた肉体の凄まじさを知ることが出来る。

「まさかこのような形で再び会うことになろうとはな」

「お久しぶりです。エリック戦士長――いや、今は騎士長でしたか」

「何故だ。なぜお前ほどの男がこのような……」

 その表情は苦痛に歪んでいた。

 衛とエリックが初めて出会ったのは九年前の大戦時。その時もお互い敵同士だった。だが敵でありながらも、エリックは月下衛という男を高く評価していた。その意思、力、そして統率力。若くしてどれも一級と言って差し支えない彼を、「国に未来を背負う男」と評した。

「騎士長、この男をご存知で?」

「……かつて大戦時に東国の剣鬼と呼ばれた程の使い手だ」

「この男が!」

 冷ややかな目をした端正な顔立ちの男。決して体格が良いわけではないこの男が、まさかそれ程の人物だったとは。

「下がれ。私が出る。お前達では束になっても傷一つとしてつけられん相手だ」

「しかし騎士長!」

「下がれ! 命令だ!」

 この男を相手に大勢でかかっても意味がない。無駄な犠牲を払うわけにもいかない。ならば自分一人が行くべきだろう。同じ「武道五家」のひとりとして。

「……銃剣(ガンウェポン)の武術を修めた南の英雄と戦えるとは光栄です」

「私は残念だ。お前とこんな形で決着をつけることになるとは。私は、まだ若いお前に東国の未来すら見たというのに」

「俺は俺の守るべき者たちのため、今日までただ足掻き続けてきただけです」

「考え直す気はないのか」

「ありません」

「そうか。ならば……」

 瞬間、エリックが鬼の形相へと変わる。

「私とて負けるわけにはいかん。私にも私の守るべきものがある。九年前は見逃したその命、悪いが今度は討たせて貰う!」

 殺意が膨らむ。

「始めるぞ。互いの命を賭けた殺し合いを!」

 直後に放たれた銃弾は二発。直線的に獲物を狙う銃弾と、その影に隠れて回避の軌道上に置かれた銃弾。

 受けることも避けることもできないなら、衛の取るべき行動はただひとつ。正面からの突破のみ。

 ――月下流陽式「点突」

 神速の突きが弾丸を霧散させる。さらに突きの勢いを殺さず、そのままエリックへ向かって跳躍した。

「む!」

 受けるか退くか。一瞬だけ悩んで、エリックは即座に退くことを選択した。月下が操るのは雷を帯びた雷刀。迂闊に触れれば痛いでは済まない。紙一重の差で衛の突きを回避したエリックは、その呼吸のわずかな隙間を縫って返しの一撃を滑り込ませた。

 予想外のタイミング、しかも死角から放たれた不意の一撃に、衛の対応は一歩遅れる。「点突」の体勢のまま伸びきった腕を、遠心力で無理やり回転させた。

 ――キィン!

 甲高い音と共に、再び両者の間に距離が開く。お互いの体には決して浅くない傷ができていた。

 ここは達人の領域。一撃一撃が必殺。たった一つの読み違いがそのまま死に直結する世界だ。

 エリックの額に汗が滲む。即座に避けたつもりだったが、衛の刀はエリックの肉を確実に切り裂いていた。刀を避けても纏った雷まで避けるとなると至難の業。痺れる左腕を抑え、エリックは己の不利を悟る。

 ……ならば逃げるのか?

 ……部下たちの命を投げ捨てて醜く生き延びるのか?

 違う。

 それは間違っている。

 不利だから何だというのか。

 腕が動かないから何の問題があるというのか。

 大切なことは今ここであの男を――月下衛を殺すこと。そしてこの絶望的戦況をひっくり返すことだ。腕が動かなくとも指が動けば引き金は引ける。指が動かないなら蹴り殺せばいい。全身を封じられたなら喉笛を噛みちぎればいい。

 エリックは走り出す。鍛え抜いた肉体を、魔力でさらに強化して加速する。衛は猛スピードの突進に合わせてカウンター気味に刀を振り抜いた。

 ――バヂィ!

 弾ける火花。手には奇妙な違和感。

 衛の刀が切ったのはエリックの薄い皮一枚のみ。銃剣の先を使ってわずかに切っ先を逸らされ、衛の眼前に迫るのは黒い銃口。

「っ!」

 衛は体を思い切り仰け反らせる。鼻の先を掠める弾丸を見送り、なおも迫る複数の弾丸を躱し切れず肩に受けた。

 体勢を崩されながら、衛は刀を翻す。

 ――月下流陰式「花火」

 牽制と撹乱を目的とした雷魔法と刀の複合術式。バチバチと激しく散る閃光の前に、エリックは一瞬だけ足を止めた。

 この技の持続は長くない。術式が終わるのと同時に更なる追撃を――

「いや」

 それでは間に合わない。衛の体勢が崩れている今がチャンス。

 肉斬骨断。

 致命傷にさえならなければこの体、どうなろうとも構わない。

「この程度の攻撃、突破してみせる!」

 エリックは雷撃の中へ飛び込んだ。

 肉の焦げる臭いがした。

 電流が体を駆け巡っていくのが分かった。

 体の中を内蔵ごとゴリゴリ掻き混ぜられたような激痛が走った。

「ぐううぅ……おおおおおおおおお!!!」

 エリックを支えるのはただひとつの信念のみ。

 ――負けられない。

「おおおおあああああああああああ!!!」

 ――負けられないのだ。

 愛する都市のため。慕ってくれる部下のため。そして家族のために。


 エリックは雷嵐を駆け抜け、そして――越えた。


「な……!?」

 衛は驚愕する。なおも眼前に迫るエリックの攻撃に。自分の術式が真正面から突破された事実に。

「これで最後だ剣鬼よ!!!」

 渾身の力を込めた一撃が衛の首筋へ向かう。正真正銘の回避不可。後ろへ退いた所で弾丸が衛の頭を撃ち抜く。薄れる意識の中で、エリックは自身の勝利を確信した。



「すみません」



 気付いたとき、エリックは暖かいものの中に倒れていた。体はどうしようもなく重く、指一本も動かすことができない。

「あなたとの戦いは武人として決着をつけたかったというのが本心でしたが、どうやら覚悟が足りなかったのはこちらの方だったようです」

 ……この声は月下衛? いったい何が起こっている?

 状況を把握しようにも、エリックの瞼は重い。このまま眠ってしまいそうだった。

「命を賭して挑むあなたの『覚悟』を軽んじていたことをお詫びします。そしてありがとう御座いました」

 ……ああ。

 そこでエリックは理解した。自分は負けたのだと。この暖かいものは自分の血だと。

 熱と一緒に、命が体の外へ流れていくのが分かる。エリックは最後の力を振り絞って目を開けた。

「……お前…………その姿は」

「はい」

「そう……か」

 エリックは全てを悟った。

「……国を捨て、誇りを捨て…………人をやめてまでも、ただ一つの目的を果たす道を選んだか。それがお前の『覚悟』というわけだな。なるほど……悪くない」

 目を閉じる。

 ――すまない。

 自分を信じてくれた全ての者に謝罪する。最後に愛する妻と子供の顔を思い浮かべ、エリックの意識は深い底へと沈んでいった。


 ――オルスロイ陥落。

 この地を足がかりに、「牙」は首都シウルリウスを目指すことになる。


主人公って誰だっけ(すっとぼけ)

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