75話 絶望をプレゼントするために
零が中央に戻る少し前のこと。
「死体は向こうだ。向こうの土に埋めろ! 間違っても燃やしたりしようとか考えるなよ。貴重な肥料になる。それと、頭だけは別に埋めて弔ってやれ。せっかく綺麗に頭だけ飛ばしてくれたことだし、それくらい大した手間でもねえだろう。臭い? 気にすんな直に慣れる。
女子供は飯だ。とにかく飯を作り続けてくれ。備蓄してあった食材まるごと使って構わねぇ。みんなで協力して飯を作り続けるんだ。
手が空いてる奴はこっちに来い! 人手が足りねえんだ。急げよテメエら、時間は残り少ねえぞ! 休んでる暇はねえ。間に合わなかったら俺達は揃ってあの世行きだ。死にたくねぇならひたすら手を動かせ!」
最南端の地で、華嶋依人は声を張り上げていた。それに呼応し、大勢の人間が老若男女問わずに働き続けている。
ある者は粗末な布切れを体に纏った少女。
痩せ細った体は明らかに栄養不足で、スラム街にいる子供達と何ら変わりない。体中には至るところに痣の跡があり、所々に注射痕もある。しかし周囲の人間は誰も彼女を特別扱いせず、そして少女自身も自ら率先して働いていた。その小さな体を懸命に動かして。
ある者は屈強な肉体を持った男性。
彼は元々大国の軍に所属する元兵隊で、その中でも一ニを争う実力の持ち主だった。だが一度の失敗によって離隊を余儀なくされ、家族も戦争で失い、自身は酒と薬に溺れた。そんな彼が、再び忠誠心を持って労働に組していた。ある人物に助けられた恩を胸に抱いて。
多くの人物の思いを率いて、華嶋依人は上から指示を出し続ける。
今、依人たちは最南端の地に理想的とも言える居を構えていた。これは数日前、月下衛が天戸恵に頼んで実現したことだ。
条件は自給自足の村であること、ある程度の面積があること、できるだけ南であること。
これらの条件に合う村を探し出し、誰にも気づかれず事件にもならないように、村民たちを排除して村だけを手に入れる。
一見不可能に見える依頼を、天戸恵は難なく達成してみせた。
まずは注意を逸らすために、天戸零が過去に起こした事件である【血塗れた十字架】を模して北で村を丸々ひとつ滅ぼす。ここで、わざと周辺の乞食に目撃させて噂を広め、最終的にフローラとマリクが不在のタイミングを突いて一晩で村を壊滅させる。
鮮やかすぎる手並み。過去に多くの死地を乗り越えた依人も、これには顔を引きつらせた。やろうと思ってできることではない。依人自身、戦略をたてるのを好む人間であるからこそ、その異常性が良く分かる。
だが、これで終わったわけではない。寧ろ依人たちにとってはこれからが本番だ。そのために今できることは全てやっておかなくてはならない。今でこそ、この村には「瞞し」の闇魔法が掛けられ、外部の目を欺いていられるが、それはいつまでも保つものではない。直にこの国に住まう二人の怪物が帰ってくるのだ。
フローラ・シウルリウス。
マリク・グレイル・ネイミート。
彼らが戻ってくれば、こんな即席の結界など一目で看破されてしまう。そうなれば全てが終わりだ。抵抗しても無駄だろう。全員皆殺しにされ、骨も残らない。
こちらの勝ち筋はたったひとつ。奇襲。
これ以上ない万全の状態で一斉に勝負を仕掛け、不意を突いて《組織》の二人と同程度の戦力をぶつける。制御状態であることを利用して「全力を出すことによる弊害」を押し付け、その強大な魔力に枷をはめる。マリクがフローラから離れられないことを利用して、それ以外の兵を救援が来る前に片付ける。
依人はこれでようやくギリギリ五分の戦いができると踏んでいた。つまり、全てが順調にいって全ての局面でアドバンテージをとって、それでやっと互角に戦えると。
「ハハッ、笑える話だ」
――組織。
人に非ざる者を人が倒そうとするならば、それほどの覚悟が要るのだ。
一息ついて腰を下ろした彼の元へ、一人の少女が現れた。
「お疲れ様です、依人さん。これ差し入れです」
黒髪をショートにした、端正な顔立ちの少女。
素羅だ。
「おう、サンキューな」
依人は素羅から手の平サイズの握り飯三つと、コップ1杯分の水を受け取ると、そのままガツガツと食べ始めた。
「……もぐもぐ、若干パサついてるが……もぐもぐ、まぁ普通に食えるな」
「それがここのお米なんです。贅沢言わないで下さい」
「……もぐもぐ、いやいや十分だぜ。というか素羅……もぐもぐ、お前飯作ってんのか?」
「ええ、私も一応は『女子供』ですから」
「ハハッ! テメエに限っては適応外だぜ。向こうで武器でも磨いてこいよ!」
「……おにぎり没収」
「あーコラコラ、待て」
依人は奪われる前に急いで握り飯を口に詰めると、そのまま水で流し込んだ。
その様子を冷ややかな目で見ていた素羅は、ふと何かに気付いたように周囲を見回した。
「今日は衛さんはどちらに?」
「ああ、アイツはちょっと所用があるみたいでな、今はここにはいねえぞ」
素羅は驚いた顔をした。
「珍しいですね。あの衛さんが仕事以外のことをしているなんて」
「まぁ、アイツにも色々と思うところがあるんだろうさ」
クックックと、おちょくるやように喉の奥で笑う依人を見ていると、狂人めいた外見も相まって本物の極悪人にしか見えない。
月下衛と華嶋依人。
二人が親友だと説明されて、一度で納得する人が少ないのも、こういう所が原因だろう。
「まぁ、そんなわけで、今は俺が代わりに指揮をとってやってるわけよ」
「意外と得意ですよね、こういうの」
「あぁ? 意外でもねえだろう。俺は衛の野郎より頭いいんだぜ? 考えてもみろ、俺は理論派、衛は感覚派。ほら分かりやすい。戦闘スタイルからも明らかじゃねえか。知的な俺様が現場の指揮が上手いのも当然だ」
「……ええ、まあ確かにそうですね。失礼しました」
言葉を詰まらせながらも、何とか肯定と謝罪を口にする。
依人を「知的」と形容するのは少し無理があった。確かに戦い方は戦略的だし、先の先まで見通して緻密に立ち回る人だ。感情的になることもなく、不意討ちや騙し討ちなどの駆け引きにも優れる。
それでも、知的かと問われると何かが違う。あまりに禍々しい。それが「華嶋」の血なんだと思った。生まれが生まれならば、依人はきっと誰よりも出世していたのではないだろうか。
そういう意味で、彼もまた「血」に縛られているのだ。
「……愛してる人間に軽蔑されると知りながら、犯罪者になる道を選ぶってのは……どんな気持ちなんだろうな」
「え?」
依人が唐突に呟いた台詞があまりに意外で、素羅は思わず聞き返した。
「いや、衛のことだ。知ってんだろ? アイツは東国に嫁と子供がいる」
「……知ってますよ。確か娘さんが二人いらっしゃるんでしたよね」
「そうだ。俺もこの前に会った。ちょうどお前くらいの歳だ。いやぁ可愛かったぜぇ? 確かに衛と顔立ちが少し似てやがった」
「……そうですか」
何故今になってそんな話をするのか。
素羅は少しだけ分かるような気がした。
「俺はよぉ、こんな性格だし、愛情なんてものとは生まれてからずっと無縁だったんだ。だから失うもんはねえし、ここ以外に俺の居場所はねえ。だが……」
一度言葉を切る。
「衛は違うだろ」
月下衛。
月下家に生まれ、幼少より刀術を教わり、「剣魔」と呼ばれ恐れられた人物。
だが一方で、夫であり父親でもある人物だ。
「後悔してねえのかな」
「……今更でしょう」
「だな。今更だったな」
苦笑する。もう引き返せない所まで来てしまった。その実感を、依人や素羅は強く感じていた。特に衛はこの集団の中心人物だ。ここに集う人間は依人も含め、みな彼についてここまでやってきた。今は亡き白も。
「素羅、お前は白の野郎と一緒にきただけなんだ。抜けたかったら抜けていいんだぜ? まぁ、抜けたいと言われても引き止めるけどな!」
「言いませんよ。それに、私はこの世界が憎いんです。私の大切な人が消えても、知らん顔で回り続けるこの世界が憎い。白さんを殺してのうのうと息を吸ってる連中が憎い」
「ほぉ、復讐に生きるか? いいねぇ、悪くないと思うぜ」
素羅の氷のように冷え切った殺意を見て、依人はゾクゾクを心が躍るのを感じた。やはりこの少女は良い。怒り狂えば狂うほど、思考回路が研ぎ澄まされる性質を持っている。それは狙撃手にはとても必要なものだ。
「ならその怒りをぶつけて来い。迫り来る雑魚の頭を撃ち抜け。喚き、悲鳴を上げてのたうち回る屑の心臓に風穴を開けろ。勇敢にも銃口を向ける身の程知らずに絶望をプレゼントしろ。恐怖のどん底へ突き落とせ。一人残らずだ」
「はい」
素羅は敬礼する。
残虐な命令を下す依人に対し、精一杯の敬意を込めて。
「分かりゃいいんだ。さーてと」
休憩終了と言わんばかりに立ち上がった。
「帷、いるか?」
暗闇に向かって呼び掛けた。
暗紫色とでも表現すべき空間から、うっとりするほど美しい三つ子が現れた。
「いるよいるよ」
「ぼくらはいつもここに」
「どうかしたの? なにかあったの?」
クスクスと、可愛らしく笑う。
美しい、純粋な瞳。
人々の恐怖を引きずり出す瞳だ。
「もうすぐでタイムリミットになる。俺が合図したらこの『瞞し』を消せ。楽しみにしてろよ、とんでもない化物と戦わせてやるからな」
「とんでもない?」
「ばけもの?」
「たたかう?」
三つ子の表情がどんどん明るくなっていく。
「ねぇ、それってもしかして」
「れいのこと? れいとたたかうの?」
「れいがくるの?」
気に入った玩具でも見つけたかのように目をまん丸にして尋ねた。
「ハハッ、悪いが零じゃねえんだ。でも、奴と同等の獲物であることは間違いねえぞ」
「なーんだ」
「よりと、きらい。いじわる」
「でもいっか。たのしそう。たのしそう」
否定されて、三つ子は一瞬だけ頬を膨らませた。年相応の、子供らしい拗ね方。
だが、次の瞬間には笑みを浮かべていた。
無邪気な、それでいて背筋が凍る笑みを。
お米はタイ米を想像して執筆。
一般人の認識は組織=ラスボス