74話 零のトラウマ
復活ッ!
セブから戻った零は、明や重夫達に一旦の別れを告げ、一人で中央へ向かった。
立ち並ぶ巨大な建物。行き交う大勢の人々。その人々は、みな多種多様の肌の色、髪の色をしており、統一性がまるでない。まさに大陸の中央と呼ぶに相応しい場所だ。
零の向かう場所はそのさらに中央。一際大きくそびえ立つ宮殿。そこに《組織》の人間が唯一集まることができる場所がある。
初めてここに連れられてきた時のことを思い出した。ニーメ・クライメルを相手に暴れ回り、精も根も尽き果てて捕らえられた後のことだ。
嫌な思い出だ。相手が悪過ぎる。
空間転移、反射、方向変換。
ありとあらゆる空間魔法の前に零は為す術もなく無力化され、最終的には無数の手によって亜空間に引き摺り込まれた。今考えれば、恐怖という感情を初めて知ったのは、彼女との戦闘が初めてだったように思う。
そもそも、ニーメを相手に何の捻りもなく刀一本で突っ込んでいくなど、正気の沙汰とは思えない。無謀を絵に描いたような、ただの命知らずが取る行動だ。実際、あの時の零は正気ではなかったわけだが。
賑やかな街道を過ぎると、一転して静かな場所に出る。目的の場所はもうすぐで、すでに厳か且つ神秘的な空気が辺りに漂い始めていた。
到着。
大陸連合本部宮殿。
厳重な警備が敷かれた敷地内を歩いていく。ここでは零たち《組織》の人間は顔が割れているので、子供だからといって引き止められることもない。
宮殿に足を踏み入れると同時に、よく見知った姿が目に入った。
「……リリ?」
「あ、零」
神無月瑠璃だった。何やら大きめの包みを持ったまま、何やらチェックを受けている。彼女が中央にいるという話は初耳だったので、零は少なからず驚いた。
「何だ、そっちも任務あったのか」
「まあね、あったよ」
「それで? 何やってるのさ」
何人もの警備員に囲まれながら、厳重に持ち物のチェックを受けている様は、とてもではないが場違いだ。
「……いや、お腹すいたから、さっきお弁当買ってきたんだけどね」
ふむ。
少しだけ要点が見えてくる。
「つまり、何か不審なものを持ち込んだと思われている?」
「……そういうことです」
何とも下らない理由である。
一応ここで警備をしている人間なら、瑠璃が《組織》に所属している人物だということくらい分かっているはずなのだが。
「申し訳ありません。こちらとしましても神無月さんが、変なものを持ち込むとは全く思っていないのですが、規則ですから」
警備員のひとりが頭を下げる。服装からして、この場の取りまとめ役だろうか。
確かに分からなくもないかも知れない。それだけ重要な場所なのだ。各国の統治者が集まる場であり、テロでも最も狙われやすい。それを考えれば、警備は過剰なくらいで丁度いい。
要するに、
「宮殿で飯食おうとする方が悪いな」
「分かってるってばあああああ!」
瑠璃は恥ずかしそうに大声で叫んだ。
※
「……ただいま戻りました」
「おかえり。どうしたんだい、随分と疲れてるね」
宮殿内で書類仕事をしていたニーメは、若干げんなりした様子の瑠璃を見て不思議に思った。というのも、出掛ける前とは大違いだったからだ。
「なんか入り口で足止めされてましたよ。どうやら持っていた弁当を『不審物』と認識されたようで」
「ん?」
続いて聞こえた少年の声に、ニーメは視線を後ろへずらす。
「おお、零じゃないか。いつ到着したんだい。長旅ご苦労様だったね」
「お久しぶりです、ニーメさん。お変わりないようで何よりです」
「そりゃこっちの台詞だよ。病み上がりにキツイ任務させて済まなかったね」
「まぁ、三人がかりでしたから。随分と楽させて貰いましたし、いいリハビリにもなりました。お気遣いありがとう御座います」
零とニーメが直接会うのは数ヶ月ぶりになる。
ニーメの目から見ても零の体調は良さそうで、先月まで寝たきりだったようには思えないほどだった。これもマリアが付きっきりで診たおかげか。
普段からそのやる気を維持して貰えると大助かりなのだが。
「それはそうと足止めだって? 弁当を不審物?」
先ほど聞き流した言葉の並びが、今になって脳裏に疑問符をつけ始める。
疲れてる理由はそれか。
「……ええ、まあ」
「はぁ、だから言ったろうに。昼食くらい買いに出ずとも、ここでいくらでも用意でいるんだから」
「確かに。寧ろどんな店よりも豪華で高級な料理が出てきますよね。何でわざわざ弁当? リリってそんなに宮殿の高級料理嫌いだったっけ?」
双方からの言及に、瑠璃は唇を尖らせて答えた。
「だってせっかく中央にいるんだもん。色んな国のお洋服とか食べ物屋を見て回りながら、独特の料理が食べたいじゃん」
………………。
…………。
……。
「くく、ふーん、なるほどね」
「なにその生温かい笑み!?」
「いや、随分と子供っぽい……いや可愛い理由だなと思って」
「本音隠す気さらさらないよね!? というか言い直したところで大して意味合い変わってないし!」
「……くっくっく、あまり苛めなさんな。いいじゃないかその子らしくて……くくく」
「ニーメさんも、笑いながら言ってもフォローになってませんから!」
瑠璃は顔を赤らめながらぜーぜーと息を切らすと、唸りながら勢いよく椅子に座り、持っていたお弁当を食べ始めた。
途端に拗ねた表情が綻ぶ。
「美味しい?」
「……うん」
「そりゃ良かった」
「全く、分かりやすい子だねぇ。何にせよ、これでやっと瑠璃も東国へ帰れるってもんだ」
「ん? やっと?」
ニーメの言葉に疑問を覚えて、零が首を傾げた。さすが、細かい台詞を聞き逃さない。
無心に弁当を頬張っていた瑠璃がピタッと箸を止めた。
「おっと、口が滑ったね」
「まさか瑠璃、しばらく中央に滞在してたのか?」
「そのまさかだよ」
「んー! んー!」
口に物が入ったままの瑠璃が、必死に手を突き出して「ストップ!」と訴えかけてくる。
ニーメはそれを華麗にスルーした。
「零がもうすぐ来るって言ったら、『だったらそれまで中央にる』ってさ。妬けるじゃないかい」
「なんだ、そうだったんだ。リリってそんなに一人旅嫌いだったっけ?」
「そうじゃないよ。この子はどうせなら一緒に……」
「んぐ。ちょっと待って下さい! 勝手に話を進めないで!」
急いで飲み込んだ瑠璃が静止に入る。慌てふためく様は、年相応の少女にしか見えなかった。
これが【万能者】やら【虹の女神】などと呼ばれ、大陸戦力の頂点に君臨しているとは思えない。
ニーメは、今のこの現場を国のお偉いさん方に見せてやりたいと思った。この子たちを「兵器」としてしか見ていない、あの連中に。
いくら世間から尊敬と畏怖を抱かれ、人外者と呼ばれようと、年相応の望みや感情を持っているのだ。それは一般的な人間と何も変わらない。決して使い捨てにしていい道具ではない。
だが悲しいことに、兵器として扱われる《組織》の人間達自身が、己の「兵器」としての価値を誰よりも理解してしまっていた。自分が異常であることを嫌というほど見せつけられてきたのだ。それこそ、生まれてからずっと。
だから、みな口を揃えて自分たちのことを化物と呼ぶし、兵器と呼ぶことに躊躇いもない。零など、最初から兵器として用いるためだけに造られた存在だ。ニーメはそのことに、少しやり切れなさを感じていた。
――ババア、かつてあんたが零を捕らえたときのことを教えてくれ。
先日、ヴァルターが発した言葉を思い出す。
「零、アタシと初めてやり合った時のことを覚えてるかい?」
「え」
珍しく、零が言葉を詰まらせながら苦い顔をした。
「……き、奇遇ですね。ちょうどさっき回想してたところですよ」
そんな零に興味を示したのか、さきほどのお返しと言わんばかりに瑠璃が食いついた。
「あ、私その時の話って聞いたことないんですよ」
「話したことないからな。トラウマだし」
「教えてくださいよ、ニーメさん」
「あれは随分と苦労させられたねぇ。まさかこのアタシが、子供ひとりにあそこまで苦労するとは思わなかったもんさ」
「……よく言いますよ」
げんなりしたように零が頭を抱える。
「ボロ負けする零もあんまり想像できないけど」
「たぶんこの子の中で悪いイメージが拡大してるだけさ。実際はそんなもんじゃなかった。アタシの『断絶』を打ち破ったのは後にも先にもこの子だけさ」
――断絶。
周囲の空間を捻じ曲げ、不連続地帯に変化させることによって、あらゆる攻撃が永久に届かなくなる空間防御魔法。
フローラの永久氷壁や、クォンの風圧壁などと違い、直接の突破方法が存在しない分、真の意味で絶対防御と呼べる代物だ。
当然、この防御が突破されたことは今まで一度もなかった。
零に出会うその日までは。
「アタシが長年かけて編み出した、最も信頼してる『盾』をアッサリ斬ったんだ。アタシのプライドはボロボロさね」
「……まさかあの非情な攻撃は、その腹いせですか?」
「さて、覚えてないね」
「絶対そうだ! 大人気ない!」
「なんというか、零って昔から色々やってたんだね……」
ニーメは未だに、どうやって零が「断絶」を越えたのか分からない。おそらく、当の本人ですら分かっていないのではないだろうか。
不可能なのだ。刀一本で突破するなどということは。
それから、零と瑠璃は中央を去り、自国へと向かった。
直後のことだった。
南国から急な知らせが届いたのは。