72話 模倣犯
【神々の黄昏】が集結してから、大陸の中心である四大国は同盟を結び、中立地として大陸中央を設置した。
中央の目的は平和と安全の維持が第一であり、その後各地の小国が次々と加入。今では大陸連合となって、新たな戦争への抑止力になっている。また、中央自体が一つの国として機能しており、各国の特産品が行き交う巨大な貿易国ともなっている。
その中でも一際高く、大きい建物が存在する。
大陸連合本部宮殿。
各国を治める代表者が集い、決議を行う場。そして、零たち《組織》の人間が集う場所でもある。
《組織》は連合直下の集団だ。彼らへの任務は主にここで決定される。余程のことがない限り《組織》に属する人間が動くことは厳禁とされているのだ。その扱いは、重宝されているというよりは、腫れものを扱う感覚に近い。かつて「ひとりひとりが核兵器」と口にした代表者がいたことからも、向けられている感情は推測できる。一般国民からは憧れのような感情こそ抱かれているものの、やはり一国を背負う重責者からすれば、彼らの存在は恐ろしい以外の何者でもないのだ。
ちなみに、この連合の話し合いの場には、《組織》からも代表者がひとり出席している。
見た目はただの老婆にしか見えない。何も知らない者から見れば、いささか場違いにも見えるだろう。しかし、 彼女こそが《組織》をまとめる人物であり、最古参のメンバーでもある。
ニーメ・クライメル。
冠する称号は【冥界の案内人《カロン》】。時空を操る空間魔法の第一人者であり、無尽蔵の魔力を誇る「魔女」としても知られる。《組織》に属する人間が口を揃えて「絶対に戦いたくない相手」として挙げる人物だ。あの好戦的なヴァルター・フォンタードですら、苦い顔をして戦闘を避けるほどに。
任務の内容は全て、まずはニーメが確認し、それをエイダ・バースが各々へ伝達するという流れになっている。そして結果を上に報告するのもニーメの役目だ。そのため、任務を終えた《組織》の人間は、中央へ足を運ぶのが義務になっている。
瑠璃とヴァルターはその義務に従い、北東の地から中央へ帰還していた。任務の内容は、中央へ送られてきた謎の文書の調査。
収穫はあった。が、瑠璃は素直に報告する気にはなれなかった。
黒髪の少年。刀。首だけを切断。そして乞食の命乞い。
――助けてくれ。万能者に殺される。
そんなはずはないのだ。零は南東の地にいた。その前は病院でずっとマリア・フェレの監視を受けていたのだ。零に可能だったはずがない。
しかし、だとしたら零以外の何者かが、万能者を名乗っているということになる。見た目や武器を合わせ、過去の事件までも模して。
質が悪いと思った。
一体何のために――
深い思考に陥りそうになったとき、奥の扉が開いてニーメが姿を現した。
白髪が混じった髪を後ろで束ね、いつものように穏やかな笑みを浮かべている。正確な年齢は知らないが、かなり高齢だろう。顔はもちろん、手の先まで皺だらけで、車椅子に乗って移動している。彼女自らが任務を受けることはごく希で、瑠璃が知る限りでも過去一度きりしかない。
「二人共、ご苦労様だったね」
「あ、いえいえそんな……」
慌てて後ろに預けた体重を元に戻したところで、ヴァルターは「おいババア」と割り込んだ。
「前置きなんかどうだっていいんだ。伝えなきゃならねぇことがいくつかある」
何の遠慮もなくズカズカとニーメの前まで歩いて行く。彼のそんな態度はいつものことだったので、今更気に留めることでもない。しかし、気のせいかいつもより機嫌が悪いように見えた。
「……お前さんにしちゃ随分と余裕がないみたいじゃないか。どうやらあまり良い話じゃなさそうだね」
ヴァルターは軽く舌打ちしてから、「面倒なことになってきやがった」と続けた。
「ババア、かつてあんたが零を捕えた時のことを教えてくれ」
ピクっと、ニーメが反応した。視線をゆっくりと瑠璃に移す。瑠璃は、北西の地で得た情報を簡単にニーメに伝えた。話を聞き終わると、再びゆっくりと視線をヴァルターへ戻した。
「それで、ヴァルター。お前さんはその情報通り、あの子が村を壊滅させたと思ってるのかい?」
「そんな! 有り得ませんよ!」
黙っていられず、瑠璃はつい大声を出した。
「ヴァルターさんだって知ってるでしょう! 零はずっと入院してたし、その後はセブへ向かってる。事件があった村とは反対方向じゃないですか。それに……」
理由がない。零にはそんなことをする動機がないのだ。
「……ババア、あんたは零に空間魔法をいくつか教えてたな。あいつのことだ。空間転移くらいアッサリ使えんだろ」
「確かに使えるけど、あんたが思ってるような大移動は無理だよ。そもそも今は制御状態だろう?」
空間魔法は魔力の消費が他と比べ物にならないほど激しい。以前に零が「燃費が悪い」と語っていたことを、瑠璃は思い出していた。
「今のあの子じゃあ、魔力全部を消費したとしても、せいぜい数百メートルが限界だね」
「そうか……いや、確認したかっただけだ。俺だってあいつが犯人だとは思ってねぇよ。そんなチンケなことする奴じゃねえ。だが、そいつが零を完全に模倣してるんだとしたら、だ」
最後には、ニールと戦うことになるかも知れない。ヴァルターはそう言っているのだ。
「……現時点では何とも言えないね」
その通り。こちらにはどうすることもできない。全く動きようがないのだ。
文書が送られてきたのは北西の地。そして北西の村で事件が起きた。これは偶然ではない。だが、その意図が分からない以上は動けない。
「この件は保留にしよう。他の任務の報告を待ってからじゃないと判断ができないね」
「ニーメさん、その……このことを、上に?」
瑠璃の不安な点はそこだった。
この事件のことが連合の会議の場で公になれば、間違いなく零の立場は悪くなる。ただでさえ零の存在は異端だ。疎ましく思っている国は一つや二つではない。この件をが切っ掛けで、零を排除しようとする動きが活発にならないとも言い切れなかった。
「いや、それも含めて保留だ。王様方への報告は……まぁ、もう少し全体像を掴んでからでも遅くはないだろうからね」
「……そうですか」
ホッとする。事情がわかる人で良かったと思った。
それでも、胃に釘が引っかかったような嫌な気分は、晴れそうもなかった。
◆◇◆◇◆◇◆
それは水面下で、静かに、しかし確実に動いていた。
――南大国シウルリウス王国南部農村地帯。
一人の少年が、とある村に足を踏み入れた。
綺麗な顔立ちの少年だ。見る人が見れば、少女と間違えるかも知れない。真っ黒なその髪を伸ばし、背をもう少し小さくすれば、男であると見破れる人物はごく少数になるのではないだろうか。
そんな可憐な容姿に反し、彼の手には些か不釣り合いな物が握られていた。布に包まれてはいるが、ソレを知る者が見れば一目で分かる。
刀だ。
東洋剣とも言われるその片刃の剣は、無駄を削った美しい見た目と、武器としての有用さから、大陸中でも知名度が高い。
では武器としての有用さとは?
何を以て武器は有用であるという評価を下されるのか?
決まっている。武器が優れているかを判断する基準とは一つしかない。
殺し易いか否か。
武器とは命を奪うためのもの。その対象が人間であれ、魔物であれ。
少年は歩みを進める。武器として優れた刀を手に。
ある老婆が少年に声をかけた。
その老婆はこの村で生まれ、この村で育ってきた。他人への親切は必ず自分に返ってくると信じ、彼女自身人との繋がりを誰よりも大切にして生きてきた。決して豊かな暮らしではなかったが、多くの友人に囲まれ、幸せに暮らしていた。とても充実した毎日だった。
少年に声をかけた理由は単純。珍しかったから。この国で黒髪の人間は珍しい。それだけでも、他人と関わることに楽しみを見出だす老婆にとっては、声をかけるに十分たる理由だった。
――あんた、観光かい?
柔らかい笑みを浮かべながら、少年に歩み寄っていく。
――どこの国から来たんだい?
その瞬間、老婆の首は無くなっていた。
あまりにも綺麗過ぎる接断面から、ワンテンポ遅れて赤い液体が噴き出す。
まるで赤い噴水。
生々しい鈍い音と共に首が落ち、赤い水溜まりが形成されていく。首だけになった老婆の表情は、生前の人懐こい笑顔のままだった。
異様な音と気配を感じた警備兵が、曲がり角から顔を出した。
その兵は村と馴染みのある人間だった。シウルリウス王国で、僻地農村部の警備強化が決定された際には、彼は自ら進んでこの村の警備を申し出たほどだ。
幼い頃に世話になったあの村に恩返しがしたい――
出発する前日に、同僚の仲間に向けてそう語り、晴れやかな笑顔を向けていたという。
彼は田舎の出身ながら、その熱意と努力によって、一般兵の中でも高い評価と地位を得た、未来ある若者だった。
……この瞬間までは。
顔を出したとき、この若者の未来は永遠に奪われてしまった。
老婆と同様に一瞬のことだった。その一瞬で、彼の未来は首と同時に斬り落とされていた。何が起こったのか、終始理解できなかっただろう。もしかしたら、自分がもう死んでいることにすら気づいていないかも知れない。首だけになった彼は、いつも通りの勇敢な表情だった。
少年は止まらない。
村人と擦れ違う度に、また一つ生首が増える。無駄な動作は一切しない。派手な動きも派手な技も使わない。だって、そんなことをせずとも人は殺せるではないか――
そう言っているようにも見えた。
人間の防衛本能と生存欲は凄まじい。そしてそれらを引き起こす「恐怖」という感情は、わら半紙に垂らした墨汁の如く急速に広がり、伝染する。
ならば、相手に恐怖を抱かせなければ良いのだ。そして伝染する前に種を消してしまえば良いのだ。警戒心を抱いていない人間ほど殺すのが容易な生き物はいない。無警戒の人間の急所を断ち切ることほど簡単な動作はない。
その日、村は静かだった。
その日、一つの村が滅んだ。
跡には死体だけが残った。
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