69話 いるはずのない少年
今回は瑠璃とヴァルターの視点です。
――大陸北西部。
神無月瑠璃とヴァルター・フォンタードは、目的地へ寄る最中に『リヴォフ』という街に立ち寄っていた。
ここは北方での商人の街であり、活気が溢れている反面、罪も溢れている。
表では一般的な食糧や衣服、他国からの輸入品、骨董品などが売られているが、一歩裏へ入り込めば、武器や禁制品が当たり前のように売られている。麻薬や火薬、毒や情報、そして人身など。これらは厳重に規制されているはずだが、法の網を掻い潜る人間と言うのは必ず存在する。
そして当然、需要もある。特に人身の需要は計り知れない。
労働力、戦力、愛奴隷。用途はいくらでもある。そして今も、裏路地を歩く瑠璃たちの横を、汚れた布で身を包んだ少女が、手を引かれて通り過ぎて行った。
買われたのだろう。
「……」
「どうした。やっぱりお子様には見慣れねー光景か?」
「……はい、何度見ても慣れません。胸糞悪いです」
ヴァルターの言葉を否定せず、汚い言葉を吐いた。
分かっている、仕方のないことだと。
あの子が売られたことで、どこかの家庭が救われたのかもしれない。中には食糧難に苦しむ一家を守るため、自ら進んで売られる者もいる。買った人間次第では、今までよりも待遇が良くなることすらある。
事情を知らぬまま、自分の勝手な正義を押し付ければ、助けたはずの子を逆に追い詰めることになる。だから、辛くても手を出せない。確かに人身売買は違法だ。公になれば関わった者は無期懲役か死刑の罰則を受ける。でもそれは自分たちの仕事ではない。
「オラ、とっとと行くぞイリス」
「はい……というかその呼び名ここではマズイですって。やめて下さい」
ズンズン歩いていくヴァルターの後ろを、小走りで追いかける。複雑に入り組んだ路地で、気を付けていないと、すぐに見失いそうだった。
「……ちょっと……待って……下さいよ。というかこんな場所、よく迷わず行けますね」
「あン? ったり前だろ。俺だって元傭兵だぜ?」
足を止めて振り返る。
「この場所には何度も来たことがある。物は溢れてるし、金さえあれば手に入らないモンはない。その辺歩いてみろよ。傭兵っぽい輩がいっぱいいるぜ」
確かに、少し周りを見れば、それらしき人物はいた。とは言っても、ほぼ全員が曰くつきのような格好だったため、ヴァルターの言うように正確に分かるわけではない。
ここでは売る側も買う側も、お互いの事情には触れず、利害の一致だけを目的に金だけが動いているのだ。
「やっぱり表で売られているものとは、代金の桁が違いますね」
「当然だ。まぁ、俺は金に困ったことはねぇが」
「……でしょうね」
ヴァルター・フォンタード。冠する称号は【業炎《カルマ》】。
炎魔法が優れているという一点のみで、組織に所属している人間だ。
瑠璃自身、炎魔法は生まれて初めて覚えた属性であり、自信もあるが、この人物と比べたらまるでお話にならない。次元が違うという言葉がお似合いか。
攻撃力や殲滅力のパラメータだけで言えば、《組織》の中でも最強。彼からすれば、一対一も一対千も大差ない。そんな彼が傭兵だったのだ。
「まぁ、俺を雇えばまず間違いなかったからな。戦だって用心棒だって魔獣討伐だって、俺一人がいれば充分だ」
「今はもうやってないんですか?」
「やる必要がない。お前だってそうだろ。もう金を稼ぐ必要はねぇんだ」
「……私たちが使うお金って、国民の税金ですけどね」
「才能の対価だ。誰にも文句を言われる筋合いはねぇよ。俺たちにしかできねぇ仕事を、命懸けでやってるんだ。報酬としては寧ろ少ないくらいだろ」
ヴァルターの言うことは正しい。ただ、そう簡単に割り切るのも難しかった。
やはり多少の後ろめたさが残る。それに、「命懸け」というほど大袈裟なものでもなかったからだ。本気で命を懸けたことなど数えるくらいしかない。
「いいんだよ。貰えるモンは貰っとけ……っと、ここだ」
ヴァルターが足を止める。やってきたのはコンクリートの朽ちた建物だった。周囲には何人か乞食が地面に座っている。瑠璃を見ると、物欲しそうな下卑た視線を向けた。
「……本当にここなんですか?」
「そうだ。あいつは絶対に表には出てこねぇ。いつもこの街の隅っこで隠れるように住んでやがる。以前の場所にいないとなると、一番可能性の高い場所はここだ」
ヴァルターは群がる乞食を睨んで威嚇すると、払いのけて建物の扉を強引に開けた。
バン!
大きな音に耳を塞ぐ。もうちょっと加減を知って欲しいと思った。瑠璃は乞食たちに軽く頭を下げ、急いでヴァルターの後を追った。
「……ビンゴだ」
ヴァルターがニヤリと笑った。
「よぉジジイ、生きてるか。久しぶりだな。俺を覚えてるか?」
「……小僧か。久しいな。覚えとるよ。貴様のような餓鬼の顔、忘れたくても忘れられん」
ホコリ臭い建物の中には、一人の老人がいた。ボロボロの布切れに身を包み、真っ白な髪も髭もボサボサで生やしっぱなし。表情は暗くてよく分からないが、かなり年を取っていることは分かった。
……この人がヴァルさんの探してた人?
意外だった。何より、誰に対しても不機嫌そうな顔をするヴァルターが、この老人相手には愉快そうな笑みを浮かべていることが。
「俺も傭兵やめてから、めっきり来なくなっちまったからな」
「……何人か若い傭兵から、お前さんが死んだのかどうか尋ねられた」
「ハッ! 俺が死ねば、自分の仕事も取り分も増えるからな。依頼主にも自分を高く売り込めるってもんだ。んで?」
「金を払えば教えてやると伝えた。そこから先はお前にも話せんな」
「なるほど。変わってねぇなジジイ」
ヴァルターの笑みが濃くなる。
……やっぱりこの老人がそうなんだ。
情報屋。
さまざまな情報を売ってお金にする商売。
情報は時として計り知れない価値を持つ。いつの時代も、大量の人間を死に追いやってきたのは、優れた武器でも暗殺者でもなく、情報だった。
だが、情報の価値は時間の経過に伴って著しく変動する。また、正確さが欠けていたら話にならないため、常に裏が必要になる。情報を買う側も、よく吟味しなければならなかった。
この老人は、ヴァルターが昔から利用している情報屋で、情報の鮮度と正確さにかけては一級品らしい。裏の世界ではそれなりに名が通った御人で、情報の仕入れるルートは誰も知らない。まさに情報を扱うプロというわけだ。そのためか、表に出てくることはまずないという。
「さて、要件は分かってる。わざわざこんな所まで来たということは、聞きたいことがあるんだろう」
「その通りだジジイ。金なら心配するな。欲しいだけやる」
「情報による。わざわざ《組織》の人間が二人も来たということは、どこかの違法テロ組織の殲滅が目的か? それとも――お仲間に何か不都合な問題でも起こったか?」
――ドクンと。
瑠璃の心臓が鳴った。この老人はどこまで知っているのだろう。
違法テロ組織――「牙」のことだ。仲間――「零」のことだ。ピンポイント過ぎて寒気がする。瑠璃は《組織》以外の人間で、初めて人を恐ろしいと思った。
「今回は後者だ。相変わらず薄気味悪ぃジジイだな。寒気がするぜ」
乾いた笑いを漏らした後で、ヴァルターは表情を一変させた。
「……最近、この辺りで何か変わったことはねぇか」
懐から真っ赤な宝石を取り出した。先に払うものを見せることで、お前の情報は信用していると伝えたのだ。
老人が頷く。
「先日、ある村が丸々ひとつ潰された」
「何処の村だ」
「キーリカ村。ここからはそんなに遠くない。とにかく酷い有様だったらしい。建物や畑は荒らされた形跡はないが、生き残っている人間は皆無。つまり皆殺しだ」
ひどい事件だと思う反面、瑠璃は首を傾げた。
それと、自分たちが求める情報に何の関係があるのか、と。
ここからそう遠くない場所で起こった出来事だ。それくらい調べればすぐに分かることだ。わざわざお金を払って聞くまでもない。ただ、ヴァルターは黙ったままだった。
――この話はまだ終わってない。最後まで聞け。
そう言っているように見えた。
「……だが、この事件には変わったことがある」
やっぱり。
何かあるらしい。
「殺された村人全員、一人残らず首だけがなくなっていたことだ」
ゾクリと。
嫌な予感が這い上がってきた。
「……首が?」
「そうだ。鋭利な刃物で綺麗に切断されていた。まだ詳しく調べられたわけじゃないが、どうやら東国製の刀である可能性が高い」
東国という単語が出てきて、嫌な予感はさらに強まる。
「……ひとつ、これはただ『聞いた』というだけで裏はないんだが、おかしな話がある」
「おかしな話?」
「事件が起こる二日前。黒髪の少年がこの街――リヴォフへやってきたらしい」
瑠璃の頭に、ある一人の人物が浮かんだ。
……そんなはずはない。
零は今、南東の地にいるのだ。こんな北西にいるわけがない。
「……ただの旅行者ではないんですか?」
「まぁ聞け。後から調べたんだが、その日に魔道列車を使用した中に、黒髪の少年なんていなかった。実は気になって、そのさらに数日前まで調べたんだが、黒髪の少年どころか東国の人間すらいない」
……そんな話は信じられない。
だが、この老人の情報の正確さはヴァルターが保障している。
「そして最後だ。これがお前たちに最も関係のある情報なんだが」
息を呑む。
横を見ると、ヴァルターも顔をしかめていた。老人の言葉を待つ。
「その事件があった晩、村の近くに住む老夫婦の家に、ある男が助けを求めてきたらしい。男はその付近じゃ珍しくもない乞食で、今までも何度かそういうことがあったようだ。老夫婦もいつものことで、男の助けを拒んだ」
「……それがどうした」
何が俺たちに関係ある?
老人は少し時間を置いた。こちらの聞く準備ができるのを待っているようだった。少しして話し始める。
「その男は錯乱した様にこう叫んだそうだ。『頼む、助けてくれ。殺される。あの化物に――万能者に殺される』と」
「…………え?」
思わず、瑠璃は声を出してしまった。
今なんと言った?
「そ、そんなはずは……だって零は今……」
「分かってるよ、お嬢さん。彼は南東の『セブ』にいるんだろう。儂だって知っている。知っている上で話したんだ。これは事実だ」
瑠璃が俯く。ヴァルターも黙ったままだった。
本来、あの文書が北から送られたものだと分かったから、調査のために来ただけだったのに。
何か、知るべきではない深い裏がありそうに思えた。
【補足】
38話の零が過去に起こした事件と類似しています。忘れている方も多いと思いますので説明を。