67話 スナーク
海中戦です。
各々の対応は素早かった。
「それじゃ、僕は行ってくるかな」
言い終わると同時に、マリクは姿を消した。数秒後に遠くの海で水しぶきが上がるのを見て、跳躍して海に飛び込んだのだと初めて分かった。
マリクの持ち物は身の丈ほどの大きさの巨大な鉄塊。名称――多変錬金剛。
ただひとり、マリク・グレイル・ネイミートだけが使いこなすことができると言われる特殊な武器だ。特定の波長の魔力を流し込むことによって、さまざまな形に変形する特徴を持っている。しかし、ただでさえ難しい魔力コントロールを要する上に、動き回りながらそれを制御しなければならず、人類には使用不可として製造中止されたはずの武器だった。
「では、あとは頼みます」
「あ、零さん」
「はい」
「えと……お気を付けて」
かけられた言葉が予想外で、少しキョトンとする。任務の前に他人に心配されるなど、いつ以来だろう。
「マリクさんには言わないんですね」
「零さんは病み上がりなんですから。マリクはほら、頑丈ですし」
「……ですね」
「です」
苦笑。
だがこれも、ひとつの信頼の形なのだろう。心配をする必要すらないということだ。
「では、いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
今度こそ、零も夜の海に潜っていった。
◆◇◆◇◆◇◆
潜った瞬間から、明らかに異質なものを感じた。
ピリピリと肌を刺すような、水圧が全身に絡み付くような、そんな違和感。それらを発している主は、そう遠くない位置にいると感じた。
水温は思ったよりも低くない。だが、視界は思ったよりも悪く、聴覚も当然機能しない。呼吸がどこまで保てるかも問題だった。
……悪い条件はいつものことか。
気持ちを切り替える。
神経が研ぎ澄まされる。
あらゆる感情が消え、戦闘のみに特化する。
広大な海の流れに身を任せ、周囲を警戒しながら漂っていった。
これはいわゆる「餌」だ。魚を釣り上げるための餌。マリクと自分の、果たしてどちらに食い付くか。
潮の流れが速くなった。
……こっちか。
表しようのない圧迫感を携えて、その「主」は姿を現した。
水中であるにも関わらず。
視界が最悪であるにも関わらず。
零の五感に働きかけるように、その存在は現れた。
呆気にとられた。
――鮫?
違う。
――鯨?
違う。
そんな次元ではない。話が違う。
確かに、正面から見れば鮫の骨格に類似している。異様に出っ張った顎。鋭利な歯。だが、体は蛇のように長く、自在にうねり、とぐろを巻いている。全身には黄色い斑点がびっしりと張り付き、ドクンドクンと脈打っていた。それは眼球だった。
snark。
かつて、鮫――sharkと、蛇――snakeを合わせた想像上の怪物を題材にした話があった。この魔獣を表すとしたらまさにその「蛇鮫」だろう。
Bランク以上だとは聞いていた。聞いていたが、まさかSランク相当の怪物が出てくるとは。
全身の黄色い目玉がギョロリと零を捉えた。
……まずい。
咄嗟に体が動く。脚力を最大限に強化し、海底を蹴って上昇。
体の自由が効かない水中で、真横に移動することは難しい。さらに横移動では、万一の時に呼吸ができなくなる恐れがある。それを見越しての上移動。
だが、蛇鮫は一旦直進すると体をぐにゃりと曲げ、零が上昇した方向に急スピードで突進してきた。
蛇のような体躯だからこそ可能な軌道修正。加えて、速度は零のスピードを遥かに上回る。
……追い付かれる。
術式を組み立てる時間はない。組み立てたとしても、あの巨体のあのスピードの突進を防げる術式となると限られる。
……フローラさんならこんな状況、なんともないんだろうけど。
零は魔力を練った。即座に足元に広く薄い氷の膜を創り、その上に乗る。
無論、防御のためではない。こんな薄い氷の膜で防げるとは思っていない。水流を利用するためだ。
急速な蛇鮫の接近。だがそれによって、上方に激しい水の流れが生じていた。零は氷の膜を創ることで足元の表面積を広げ、より強い水圧を受けることに成功した。
さらに蹴って跳躍。そのまま海の外へ飛び出す。蛇鮫は海水面に顔を出した瞬間、明らかに失速した。水の外では、持ち前の機動力も発揮できないようだった。
魔力を練る。
練り固めた魔力を放出し、天に魔方陣を描く。
――術式展開。
≪理魔法:雷:雷天鎚≫
雲を裂き、凝縮された雷の塊が蛇鮫の頭に落ち、突き抜けて体ごと貫いた。
蛇鮫が大きく身をよじる。唸りながら悶え、逃げるように再び海の中へ潜っていった。
いや、逃亡を楽々と許してしまうくらいにしか、ダメージを与えることができなかった。
――火力不足。
雷天鎚は攻撃範囲が狭い代わりに貫通力が凄まじく、今回のような縦に長い相手には爆発的な威力を発揮する術式だった。それでも大したダメージを負わせることができないとなると、零の単純なパワー不足ということになる。左腕に取り付けられたままの黒い制御装置を、恨みがましく思った。
宙に放り出されたままの体が落下し、零も再び海中に入る。
今の攻撃で、海上にいるフローラと海中にいるマリクには場所を伝えられたはずだった。
基本的な戦闘体系はごく単純。
接近戦のプロであるマリクは直接攻撃。遠距離戦のプロであるフローラは遠距離支援。零はその連携をうまく機能させるための橋渡し役。いわば中距離を担当することになる。
今の自分が圧倒的に決定力不足と分かった以上、もはや彼等の力に頼らざるを得ない。解放状態の彼等に。
その瞬間、流星のような速度で「何か」が蛇鮫に近付いていった。
◆◇◆◇◆◇◆
……見つけた!
マリクは口の端を釣り上げた。
……零くんにちょっと先越されちゃったみたいだけど。ま、いっかな、うん。
身体強化のために循環させていた体内の魔力を、さらに高密度で回転させる。暴れ狂う体中の魔力を押さえ付け、運動能力へと昇華させる。
人の身において「限界」といわれる臨界点へ。それをさらに突破し、さらなるエネルギーへ。
あまりに高密度な魔力を循環させたためか、マリクの周囲がクレーターのような窪みになっていた。
海底を蹴る。土台となった海底面は、そのあまりの圧力に耐えきれず、音をたててボロボロと崩れた。
迫り来る水圧をはね除ける。逆流をものともせず、常人では発狂しそうなスピードで弾き飛ばす。そのまま、手にした多変錬金術剛を振りかざした。
――転換。
ただの鉄塊だったものが光ながら形を変える。やがて、マリクの身長を越す巨大な大剣へと変わった。
……はっ!
そのまま振り下ろした。超速突進からの大剣の上段振り下ろし。
海が割れた。
たが。
……これを受け止めきるか。やるね。
海を割るほどのマリクの一撃は、見えない壁によって防がれていた。
黄色い目玉がマリクを凝視する。無数の目玉がひとつひとつ独自にバリアを展開し、それが重なり合うことで、強固な防御壁を作り上げているようだった。
……零くんの一撃を防いだのもこれかな。でもね――
マリクの体が変色する。
……だったらもっと出力を上げればいいんだろう?
血管が浮き出る。肌の色が赤黒く変色し、鍛え上げられた筋肉の筋が脈打つ。
――無限強化。
マリク・グレイル・ネイミートの能力。彼を人間という枠組みから弾く才能。
展開されたシールドを無理やり引き剥がし、潰し、貫く。蛇のような巨体が悲鳴をあげながらのたうち回った。
本来≪身体強化≫とは、精密に魔力をコントロールして体の器官を刺激。それにより、普段以上の能力を引き出す術式のことだ。そのためリスクも大きい。体を限界以上に酷使し、痛めつけて再起不能になった者も少なくない。
ただ、マリクにはその限界値が存在しなかった。
なぜだかは全く分かっていない。人間の体の構造上、あり得ないことだ。だが実際に、マリクには存在しなかった。パワーが足りないならより高密度で魔力を循環させる。魔力が続く限り、永遠に。
大剣が突き刺さった場所から、勢いよく血が吹き出す。周囲の海を赤く染めていく。
蛇鮫が暴れまわった。
切断しようと更なる力を込めるマリクに、蛇鮫の長い尾が巻き付いて締め上げた。さらに、身動きが取れなくなったマリクを、巨大な牙が襲う。
……そんなもので僕の動きが封じられるとでも?
――転換。
多変錬金剛が大剣から大槍へ形を変える。迫る牙を槍の柄で易々と受け止めると、勢いを殺さず、そのまま穂先を傷口へ食い込ませた。
吠える蛇鮫。拘束が弛み、その隙に抜け出す。
……さて、トドメは任せますよ、姫。
目の前に広大な魔方陣が現れたのは、その直後だった。
◆◇◆◇◆◇◆
光魔法を展開する。光の屈折度を操作し、誤差を修正する。
「こんなもんで大丈夫ですか?」
零は海に浸かった状態で、海上のフローラに確認した。
「えっと……はい! 問題ありません」
フローラは目を細めながら、零に向かってOKサインを出した。
そのままの体勢で魔力を練り始める。空間が軋むほどの膨大な魔力を練り込み、一つの魔方陣に注ぎ込む。なおも巨大化しながら、ゆっくりと遠くへ移動していった。
きっとフローラの目には、この暗闇の中、しかも2000メートル以上遠くの海の中であるにも関わらず、蛇鮫の姿がしっかりと映っているのだろう。それと闘うマリクの姿も。
「零さん」
「はい」
「あの魔獣の動きを止められますか?」
一瞬考える。今からあの場まで泳いで行って、力ずくで拘束しろ、という意味でないことくらいは分かった。
「……やってみます」
海に潜る。
あの魔獣は全身に眼球のようなものが着いていた。だが実際に戦ってみると、あの眼球は「視る」ためのものというよりも「武器」のようなものだと感じた。
つまり魔術媒体。魔力を体外に放出するための管のようなもの。
だとしたら、あの魔獣が「視る」ために使ってるものは何か。
――ィィイン!
超音波だ。
魔力を練る。
たった今感知した波長の特徴を情報として魔方陣に記録。そのまま展開させる。
≪理魔法:風:空鳴振動波≫
蛇鮫が出す超音波の周波数と、ほぼ同じ周波数の超音波を海中に流す。デタラメな音波が、方向感覚、距離、正確な判断力を狂わせる。
「さすがです、零さん」
対象が混乱したように動かなくなったことを確認してから、フローラはその術式の引き金を引いた。
≪理魔法:氷:極光波≫
鮮やかな色彩の術式が展開された。
防御壁はマリクに破壊されたために役目を成さず、回避能力も零によって狂わされ、フローラの術式を真正面から受ける以外に、道はなかった。
なんか魔獣の方が可哀そうかも……
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