64話 海へ 中編
随分とお待たせしました。色々と立て込んでしまって。なかなか書く内容が思い浮かばなかったことも要因ですが。
何はともあれ、待って頂いた方々には本当に感謝の一言を!
――大事なことは夢を持つこと。そして夢に向かって努力をすることだ。
――生まれは関係ない。人間は努力次第で運命さえ変えることができる。
何と美しい言葉か。これは、誰でも夢を叶えることができる力と可能性を持っているという意味の台詞で、多くの若者に希望を与えてきた。
これらの言葉を証明する一例としてシウルリウス王国で挙がる人物の一人が、マリク・グレイル・ネイミートである。貧しい家庭に生まれ、それでも努力を重ねて王家の近衛騎士団長まで登りつめた彼の人生は、多くの者のお手本とも言える代物になっている。
だが、マリク自身はこの称賛を全く受け入れなかった。彼が友人に向かって語った言葉はこうである。
「例えば、ここに二人の人間がいたとする。
一人は丸太小屋で生まれ、生きるために毎日知恵を振り絞って生活していた。
一人は宮殿に生まれ、生きることに何の不自由もしてこなかった。
さて、この場合。果たしてどちらが不幸と言えるかな。考えるまでもなく、多くの人間は前者だと答えるよね。当然の意見だよ。丸太小屋と宮殿。差は歴然だ。生まれる場所は自分では選べないと言えども、あまりにもひど過ぎる格差だね。
でも、一概に前者の方が不幸だとは言い切れない。場合によっては寧ろ、圧倒的に後者が不幸だよ。
もし丸太小屋に生まれたとしても、それが愛情に包まれているのならばそこは天国だ。愛されない子供として宮殿に生まれるよりもずっと幸せなはずだ。楽しいはずだ。充実しているはずだ。
ただし、そのことを誰が理解してくれる?
宮殿に生まれた子供が自身の不幸を主張して、いったい誰がそれに同意してくれる?
いるわけがないよ。そんなこと認める人間がいるわけがない。
理解者がいないという点において、宮殿の子供は丸太小屋の子供よりずっと不幸だ。そして、それこそが人間として最大の不幸だということに、多くの人間は気付かない」
こう語った直後、マリクはフローラ・シウルリウスの護衛を自ら申し出た。彼の中では、自分は所詮「幸福な丸太小屋の子供」でしかなかったのかもしれない。
◆◇◆◇◆◇◆
「ほら姫、早く行きますよ」
待ちに待った時。いざ出陣とばかりに、駆け出しそうな勢いを無理やり抑えて手を引くマリク。
「ま、待ってください……」
それとは対照的に、フローラ・シウルリウスは、やや構えた様子だった。
「どうしたんです。さっきまではあれほど楽しみにしていたじゃないですか」
「私にも……こ、心の準備というものが」
形式的には主従関係。だが、困った顔をする主人とニヤニヤ笑っている従者の図は、客観的には別のものに見えた。
零が到着してから数時間後、フローラはマリクに手を引かれながら海辺へやってきた。
幼い頃、海の近くに住んでいたマリクにとって、海はとても馴染み深いものだ。今でこそ社会的な地位を得て、任務でもなければ来る機会もなくなってしまったが、昔は砂まみれになるほどよく遊んでいたものだ。
それに対し、フローラは海というものにまるで馴染みがない。王宮に住む人間、特に「フローラ・シウルリウス」にとっては、まるで縁のないものだ。それ故に、他人に水着姿を晒すことにも抵抗があるのだろう。
「大丈夫ですって。良くお似合いですよ。可愛いです。きっと彼もメロメロですって」
「か、彼のことは関係ありません」
「嫌だなぁ。僕は『彼』と言っただけですよ? 姫は誰を想像したのかなぁ」
「そ、それは……」
ぎこちなく目を左右に動かした後、表情を隠すためか、深く麦わら帽子を被って俯いた。
フローラが外出する時に、その麦わら帽子を手放すことはない。シウルリウス族王家特有の、クリスタルパープルの髪が原因だ。いくら顔は知られていなかろうと、その特徴だけは大陸中で有名であるため、見られれば一発で南国の王族だと知られてしまう。それはフローラ本人にとっても南国にとっても避けたいことであった。
だが、零と接触することさえできれば問題は解決する。
彼が習得済の光魔法の中には、プリズムによる光の分散を応用した「視認色変化」がある。それさえあれば、一時的に髪色を誤魔化すことくらい、造作もないことだった。問題は周囲に気付かれぬよう、どうやって接触するかだ。
「いっそのこと、全身ごと覆っちゃいますか」
「は、はい?」
「僕が今日持ってきた荷物の中で、面白い着ぐるみがあるんですよ。これさえあれば髪色どころか、全身が隠せます」
「な、何故そんなものが……」
理解が出来ないとでも言いたげに、フローラが首を左右に振る。王宮育ちの彼女にとって、マリクの感性を理解することはハードルが高すぎたようだった。そもそも着ぐるみというものを見慣れていない。
その着ぐるみはペンギンだった。縫いぐるみのようなモコモコした素材で作られたそれは、確かにとても愛らしい外見をしていた。ただし、見るからに動きづらそうだった。さらに言うと暑そうだった。常識がある人間ならば、この暑い真夏日に、これを着て外を出歩こうという発想はまず浮かばない。
ただし、フローラは暑さに関して言えば例外である。彼女の二つ名は【雪の女神《ポリアフ》】。着ぐるみの中であろうと、冷気を纏って適温を維持することくらい何ら難しくないことだ。
つまり、マリクは最初からこれを、フローラ以外の人間に着せるつもりがないことは明らかだった。
「ま、まさか……」
「さぁ、着ましょうか姫様」
マリクがにじり寄る。
「こんな姿で会えと……?」
「ええ、可愛いじゃないですか」
「最初の『可愛い』とニュアンスが違……ちょっ……きゃあああああああああああ!」
そこは人気のない場所だったため(これを想定してマリクが誘導していたため)、彼女の悲鳴は誰にも届かなかった。
◆◇◆◇◆◇◆
最初に認識できたのは、それが着ぐるみだということ。
次に認識できたのは、その着ぐるみがペンギンだということだった。
「…………」
今まさに全速力で泳いでいた芽衣は、動きを止めてそれを凝視した。後から泳いできた結衣も、不審そうに芽衣の視線の先を追った後、同様の動きをとった。
「……姉さん、アレ、何だと思う?」
「……さ、さぁ。ペンギンじゃないかな」
二人の会話は、要領を得ないまま無言へと繋がる。
遠くの出店の前で、「かき氷あります」と書かれた旗を一生懸命左右に振っているのは、モコモコしたペンギンの着ぐるみだった。
「砂浜にペンギンっていうのはちょっと……」
「うん、さすがに無理があるよね」
そもそも暑くないのだろうか。
今の時間帯はちょうど昼。太陽が真上にある時刻だ。日中の最高気温は三十五度を超え、水着の状態でもその暑さからは逃れることが出来ない。
そんな状態の中、全身着ぐるみで客引きをするなど、正気の沙汰とは思えない。いくら旗に「かき氷」と書かれていても、見た目の暑苦しさがそれを半減しているように思えた。
しかし、芽衣たち以外に、その着ぐるみに気付いた者はいない。とても目立つ光景であるにも関わらず、この海に来ている人間の関心は別のものに向いている。
砂浜にいる零と明の二人組だ。
ただでさえ人目を引く二人だ。加えてその二人は、やたらとクオリティーの高い砂の城を作っていた。どのくらいのクオリティーかというと、わざわざカメラを海に持ってきた怪しいカメラマンが、水着美女そっちのけでそちらを撮るほど。色が全て砂色でなければ、本物と言っても差支えなさそうな出来栄えである。これでは周囲の興味、関心は掻っ攫われ、ペンギンに向かないことは明白だった。零の「本気を出してくる」発現は伊達ではなかったと言える。
だが、必死で旗を振って宣伝しているペンギンの姿は、妙に芽衣たちの心を打った。場違いではあれど、全く興味を向けられていないことを不憫に思ったのだ。
「なんかアタシ、かき氷食べたいかも」
「あ、私も」
同情を誘って客を引くという点では、ペンギンの努力は実ったのかもしれなかった。
◆◇◆◇◆◇◆
「もっとここのレンガ目は細かくした方がいいんじゃないか?」
「……それよりも、門番を二人くらい付けるべき。あと、中庭にもう二、三本は木が欲しい」
零と明の城作りは止まらない。先ほどから二人の間には、およそ「砂の城」という次元を超えた会話が繰り広げられていた。
最初に作ると言い出したのは零だ。地魔法が魔力で土を固めることで成立することに目をつけ、それを応用して、極限まで細かいデザインができる「固まる砂」を作り上げた。
零も明も、チョコレートで本物そっくりの動物を作れるくらいには、超人的な手の器用さを持っている。この砂は、そんな二人の創作意欲を掻き立てたようだった。明は日光に弱い体質なため、日陰に移動して長時間耐えられる体制を整え、今現在に至る。
「せっかくだからこの兵士には甲冑を着せるか」
「頭は? 表情が隠れるのは良くないと思う」
「じゃあ首から下まで」
「分かった」
意見が一致したところで、再度作業に取り掛かる。そんな彼らの頭上に、二人分の影が落ちた。
「…………い、一瞬何の話してんのか分かんなかったよ……」
「というか二人とも、どんだけ細部まで作り込む気よ」
驚き半分、呆れ半分といったように声が降り注ぐ。顔を上げると、そこにはかき氷を四つ持った結衣と芽衣がいた。
「はい、これ。大丈夫? さすがにこの暑さで水分補給なしは無茶じゃない?」
「さすが、気が利いてる」
「……ありがと」
熱中していて気付かなかったが、喉はカラカラだったため、零と明は素直にそれを受け取る。細かく砕かれた氷の粒は、口の中に入ると同時にすぅーっと喉の奥に吸い込まれていった。シロップの爽やかな甘みが広がる。
「……うまい」
「ね! 私たちも驚いてたんだよ~」
本当に絶品と呼べるほどのものだった。その秘密は氷の質か。サラサラの氷。それでいて溶けずに原型を留めている。これならシロップをかけずに食べても、何ら問題なく食べられそうである。
だが、一つの違和感があった。零はこの味を知っている。どこかで食べたことがある味だと思ったのだ。
「どこでこれを?」
「あそこのペンギンさんから買ってきたんだよ。この暑いのに頑張るよね~」
「…………ペンギン?」
キョトンと聞き返す明に、ホラあそこよ、と芽衣が指で示す。階段を上ったそのさらに奥には、ポツンと一軒の出店と、場違いなペンギンがいた。
「………………」
明が、数分前の芽衣たちのように無言で固まった。
「……フローラさん、何やってんの」
零は、頭を抱えて唸った。
というかもうすぐ冬なんですがねっ!
この季節から外れた感じ(笑)
感想お待ちしております~