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孤独と闇と希望と  作者: 普通人
第四章 零れ落ちる砂の粒
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62話 笑顔

「では、お世話になりました」

「……特別だから」

 事情を聞いた後も、マリアは不満であることを隠そうともしなかった。

「本当は完治するまでじっとしてて欲しかったんだけど、そうも言ってられなさそうだし」

 はい、と頷いて頭を下げる。

「寂しくなりますね。また是非いらして下さい。天戸さん、小さい子からお年寄りの方まで大人気でしたから」

「そうですね。私たち看護士の間でも評判でしたよ。また是非どうぞ」

「……次はなるべくお世話にならないよう努力しますよ」

 退院の許可を貰った零は、荷物をまとめ、病院関係者の方々に挨拶をした。確か、病院関係者は「また」という言葉が禁句ではなかったか。そんなことを考えながら、冗談混じりの看護士たちに頭を下げた。


◇◇◇◇◇◇◇


 ――数時間前。

「なんでいきなり海なんですか」

「最初に言っただろう。お仕事の話だって」

 怪訝な顔をした零に、マリクは飄々と答えた。その表情に特別な変化はない。フローラに視線を向けると、こちらは真面目な表情で頷いた。

「先日、大陸東南地方のリゾート地『セブ』で、新種の魔獣が発見されたそうです」

「海上魔獣ですか」

「そうなりますね。新種ですので、まだ中央(セントラル)からの公式なランク付けはされていません。事前情報もまるでない状態です」

 大陸は周りを海で囲まれている。海には人類がまだ見たこともない新種の魔獣が無数に暮らしており、そのため新種の発見記録が海上生物であることは、別に珍しいことではなかった。

 新種の魔獣というのは、過去のデータもなく、特性も未知なため、戦略が非常に練りづらい。そればかりか、どれくらいの戦力を投入すればいいか見当がつかない。それらの理由から、《暗部》では手に負えないとして、《組織》に回ってくることも多い。

「外形については?」

「鮫に似ているとのことです。ただ、大きさは比にならないほどで、少なくともBランク以上は確定と父が言ってました。『セブ』は大陸有数のリゾート地です。経営者の方からも、評判を下げないよう、なるべく目立たないように処理してほしいとのことです」

 夏場は特に稼ぎ時だ。客足が途絶えるほどの大事にはしてほしくないらしい。

 つまり少数精鋭。

 一般客のフリをして、誰にも知られずに新種の正体不明の魔獣を殲滅する。

 確かに、《組織》に回ってくるだけの難易度はあるようだ。

「でも、零さん…… 体の方は本当にもう大丈夫なんですか? 随分ひどい怪我だったとお聞きしてますし、無理なようでしたら……」

「ああ、そのことならほとんど問題ありませんよ」

 体はそれなりには動く。まだ本調子にはほど遠いが、一人で戦いに行くわけではない。頼れる人物が他に二人もいるのだ。サポートくらいなら問題にならない。

「そういうことならよろしく頼むね、零くん。お友達とかも誘ってみたらいいんじゃないかな」

「……マリクさん、完全に遊びに行くつもりじゃないですか?」

「当然だろう零くん。お仕事とはいえ海に行くんだよ? ですよね姫」

 マリクは大袈裟な動作でアピールした後、やや困惑気味のフローラの耳元で、何かを囁いた。

 フローラは何か焦ったような様子で、零の方をチラチラ窺い、隠れるように顔を背けた。

「……何を言ったんです?」

「いやぁ何も」

 清々しいまでの嘘だった。


◇◇◇◇◇◇◇


 八月の日差しは、外へ出るなり、容赦なく零を突き刺した。

 久しぶり――正確には三十八日ぶりの外だ。ずっと涼しい病院の中で過ごしていた零は、そのあまりの温度の差に、今まで世界に置いて行かれていたような感覚を味わった。

 さまざまな人とすれ違う。

「……ふぅ」

 大きく息をついて、零は一度足を止めた。

 人に酔う。

 会話の内容。視線。足音。

 いらない情報が洪水のように頭に流れてくる。しばらく外界との接触を遮断していたせいか、零の感覚神経は、自分でコントロールできないほど鋭敏になっていた。

 今日の退院は急なことだ。当然見送りはない。連絡しようかと提案されもしたが、それは丁重に断った。堅苦しいのは好きではない。だが、この時ばかりはその判断を悔やんだ。誰かと話でもしていれば、少しは気にならなかったかもしれない。

 眩暈を覚える。

 退院したその日に倒れたりしたら話にならない。零は少し早足で、自宅へと向かった。



 久々の自宅は、とても綺麗に整理されていた。別に今まで汚かったわけではないが、それは単に物が少なかったからという部分が大きい。それを考えると、零の自宅は、間違いなく整理されていた。

 ……これをアカリが?

 それ以外には考えられない。だが、つい疑問に思ってしまうほどだった。

 中へと足を進める。

 零の同居人は、居間のソファーに座って本を開いたまま、静かに眠っていた。

 服装は零が見たことがない白いワンピース。零が入院している間にどこかで買ったのか。それとも前から持っていたのか。いずれにしろ、目を奪われるほど良く似合っていた。

 開いた窓から通る風が、眠る少女の髪をゆらす。

 まるで人形のようだった。明のことを知らない人間が見たら、本気で間違えたかもしれない。それほど現実味がなくて、神秘的とも言える光景だった。

 しばらく眺める。

 静かだった。

 外は相変わらず凄まじい熱気で溢れているというのに、明の周囲だけは、夏であることを感じさせないくらい清涼な空気が満ちている気がした。

「…………」

「おはよう。そしてただいま、アカリ」

「……………………」

 ぱちりと、明は目を丸くしていた。急な退院の事など、あの場にいなかった明が知る由もない。

 貴重な明の珍しい表情を脳裏に焼き付ける。

「零……? どうしてここに……」

 未だに困惑気味な明。

 零は、どこから説明するべきか迷った。そもそも、退院が早くなった理由は何だったか。

「えーっと」

 一度言葉を切る。

「海へ行くことになったんだ」

「………………」

 悩んだ末の説明は、盛大な絶句による空白を生んだ。

 色々と省き過ぎた感がしなくもない。

 自覚していることなのだが、零は複雑な事情が絡み合った事柄を、一言で説明しようとする癖があった。

「…………海?」

 たっぷりと間をおいて、「何言ってるのこの人」とでも言いたげな視線が向けられる。確かに、退院してすぐに言う台詞ではないことくらい、百も承知だった。

 一から説明する。

 病室に《組織》の仲間が来たこと。任務(しごと)のこと。急な退院のこと。

「ということで、ただいまって言ったばかりなんだけど、数日後またしばらく空けることになると思う」

「……そう」

 明は僅かに顔を歪めた。それがどういう意味を持っていたのかは、零にはよく分からない。

「……体は、もう平気?」

「大丈夫。曲りなりにも許可は下りてるし」

 つい先ほど、眩暈が起こったことは伏せておく。

「……病院(むこう)では、ちゃんと食べてた?」

「まぁ、看護師の人が無理矢理でも食わせるし」

 いらないと言っても引き下がらない。最終的に零が折れた。

「本当に……大丈夫なの?」

 明は無言のまま立ち上がって、零が据わっていたソファーの真横へ場所を移した。そのまま、零の服を握る。

「アカリ? どうかし……たの……か」

 そこで、気付いた。

 気付いてしまった。

「…………」

 明は震えていた。

 ――ああ。

 この目は知っている。

 不安。恐れ。

 自分が明に、どれほどの心配を掛けていたか分かった。

 明は、零が意識を失っていた時の姿を知っている。見るも無残な重症で、辛うじて息をしていた状態の零を知っている。その光景は明の中で、深い傷となってしまっていた。

 それを理解しないまま、零は再び戦いに行くと言った。

 無神経にも程がある。その一言が、どれほど明にとって不安を煽るかを考えていなかった。

 心配されることに慣れていなかったのだ。

「……ごめん。心配かけた」

「…………」

 謝罪の言葉を掛けても、少女の震えは止まらない。

 零は、その時に何を考えていたかよく覚えていない。あとから考えても、何故そうしたか分からない。おそらく本能的な行動だったのだろう。

「……え?」

 零は明を抱きしめていた。震えを抑えるように。恐怖を和らげるように。

「……ぁ、れ、零? あ、あの」

 明が珍しく狼狽する。今日は珍しい明が沢山見られたな、などと心の片隅で思いつつ、零はここ一か月の自分を振り返っていた。

 勘違いしていた。あの戦いで、「重症者はひとりだけ」と聞く度に、全てを守り切ったつもりになっていた。

 ――俺だけだったなら良かった。

 ――みんな無事で良かった。

 そう思って。

 自分を心配する人の側に立って考えたことなど一度もなかった。心配(そんなもの)とは、無縁の人生を送ってきたから。

 少なくとも今抱いている少女は、自分の身を案じてくれている。

「……俺は死なないよ。心配いらない。どんな怪我をしても絶対に戻ってくる。これからもそうだ。怪我をするなって言うのは……ちょっと自信ないけど」

「…………」

「それでも、必ずここに戻ってくるから。俺は死なない。だからずっと、これからもよろしく、アカリ」

 それは誓いにも似た約束。傷ついた少女にかけられる言葉と言えば、これくらいしか思いつかなかったのだ。

 その言葉は少女の耳にどう聞こえたか。

 ただ、ギュッと固く握られた手は、少しだけ緩んだ気がした。

 零の腕に抱かれたまま、明が顔を上げる。

「……零? あの」

「ん?」

 目が合う。普段とは比較にならない距離に、お互いの顔があった。呼吸すら感じられるほどに。まさに数センチの距離だった。

「…………あ、あ」

「ん?」

「~~~~!!」

 明がすぐさま目を背ける。さすがに恥ずかしいのか。彼女にしては落ち着きがない。何となく小動物を抱いている気分になり、零はその頭をぽんぽん叩いた。

「……れ、零」

「ん~?」

 ぽんぽん叩く。それに抗議をしようと顔を上げると、目がばっちり合って再び顔を下ろす。その繰り返しが、しばらく続いた。

「…………海」

「ん~?」

 相変わらずぽんぽん叩く。

「……海、私も行くから」

 そこで、零は腕をピタリと止めた。

「……何だって?」

「私も海へ行く」

「なんで。なんのために。別に遊びに行くわけじゃないんだけど」

「分かってる。それでも、私もついていく。それが駄目だと言うなら、私も零を許さないから。さっきの謝罪も全部帳消し」

「う」

 それを言われると弱い。成す術もない。

 返答に詰まる零を見て、明の目の奥がキラリと光る。仕返しとばかりに、フフと笑った。

「重夫さんや鏡花さんにも言っておく。『零は反省もなく、懲りずに戦いに行くらしい』って」

「……それだけはやめて欲しい。本当に」

「じゃあ私も行くから」

 何故そんなことを急に言い出したのか。零には分からない。単に海という場所を見てみたかったのか。それとも他の理由でもあるのか。ただ、しぶしぶ頷く以外に選択肢は残されていないことだけは分かった。

「……はい」

「芽衣や結衣さんも呼ぶ?」

「……任せます」

 このとき、苦い表情で頷きながらも、零は少なからず驚いていた。

 明の心からの笑顔を、初めて目の当たりにしたと感じたのだ。

 幸せそうな、柔らかい笑顔だった。


次回から海編です。色んな人物が思いがけずに集まる場所。それが海。

では感想お待ちしております~!

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