60話 無言の悪意
お久しぶりです。テスト終わったので更新しました。
「…………え、え、えええええええええぇえぇえ!!」
チャイムが鳴ったので出てみたら、予想外過ぎる面々が並んでいた。
時刻は午前六時四十分。
すっかり外は明るいがまだ早朝と言える時間帯に、神無月瑠璃は近所迷惑になることも忘れて大声で叫んだ。
「っせーなコラァ!! 人の鼓膜ブチ破る気かオイ!」
「アンタも充分うっさいわよ! 悪いわね瑠璃、少し上がらせて欲しいんだけど」
叫び声のボリュームに負けず劣らず大きな声を出したのは、白銀の髪を逆立てた大柄な男。それを制したのは赤毛の女。
「え、え、ちょ、ちょっと……」
状況が呑み込めず、瑠璃は玄関前であたふたする。それは、あるいは隙とも言える瞬間だったのだろう。手前の二人に隠れて気配を消していた残りの二人は、その一瞬の隙を見逃さなかった。
「や、どうも。それじゃ、お邪魔します」
最初の青年は体制を低くして駆け抜け、小さく前転しながら脇をすり抜けた。
「え、えと、すみません瑠璃さん。お邪魔させて貰いますね」
次の女性は瑠璃が気を取られた方向と反対方向から、素早く身を投げ出して内部へ侵入した。
「ええええええええええええええ!!」
「だからうるせぇっつってんだろうが!」
「そんな勝手に……というか四人? 四人ってまさか……」
そこで、瑠璃は重大な事実に気が付いた。
自分たちが守らなければならない唯一の掟。
四大国間で交わされた絶対の決まり。
「これ…… じ、条約違反じゃないですか!」
瑠璃が叫んだこの時ばかりは、何の纏まりも結束もなかったこの四人は、まるで申し合わせたかのようなタイミングで「シーッ!」と人差し指を立てた。
◆◇◆◇◆◇◆
戦争が終結した際に結ばれた四国同盟には、さまざまな制約があったが、中でも異質だったのは、武力を抑制する武力の結成を全面的に認めたことだ。
完全なる中立であり、且つ絶対なる強者である【組織】。これが四大国の上位に位置することで、戦争や反乱への抑止力とする。
だが、当時国民からは不満の声も多かった。
この体制はつまり、「反乱を起こしたら大きな制裁がある」ために戦争をしないのであって、平和のため、国民のためではないと宣言したようなものだったからだ。さらには「力こそが正義であり、力がない者は従え」という武力基本の風潮を加速させた。
それでも、次第にこの【組織】という存在が認められ、さらに若者たちの目標とすら言われるようになたのは、芸術という表現では生ぬるい凄まじい個々の能力のためだ。
彼らがその力を魔獣駆逐や土地開発などに使うたび、人々の警戒心は薄れ、次第に馴染んでいった。
だが、一つの問題が生まれた。【組織】に属する十三人。その全員が例外なく、あまりにも強大過ぎる力を持っていたことだ。
この十三人の内、過半数が一か所に集まってしまえば、大陸パワーバランスは大きく崩れ、その国だけが力を持ち過ぎてしまう。これは戦争への抑止力という存在目的である【組織】からすれば、本末転倒であった。
ここで、新たな条約が結ばれた。その条約とは、「【組織】の人間は大陸中央での接触を基本とし、一国に七人以上が存在してはならない」というものだ。
瑠璃の口から出た「条約違反」とはこのことだ。現在東国には、もともと住んでいる天戸零、神無月瑠璃に加え、マリア・フェレがいる。その三人に、さらに四人が加わるのだ。計七人で立派な条約違反、重罪人になる。
「……はぁ、それで私の家にきたわけですか」
エイダ・バース。
ヴァルター・フォンタード。
フローラ・シウルリウス。
マリク・グレイル・ネイミート。
四人の顔を順に見渡し、瑠璃は頭を押さえてうずくまった。
「ま、そゆことね。堂々と『私は【組織】の人間です』って国境を越えるワケにはいかなかったし、堂々とホテルに泊まることも当然できないワケ」
「……そこで私の家ですか」
「いいじゃん。零ちゃんは入院中だし、マリアはどうせマトモな所で寝てないだろうし」
赤毛の女――エイダ・バースは、頭を抱える家主に悪びれた様子一つ見せず事情を説明した。
「別に四人全員が泊まるわけじゃないわよ? 条約ったって、つまり六人までは問題ないってことでしょ? だったらここの四人のうち、三人は『旅行です』とか言えば何とかなるし」
……不法入国っていうれっきとした犯罪なんですが。
心の中でしっかりとツッコミを入れつつ、口には出さずに頷いた。
「じゃあ、残りの一人を泊めればいいってことですか?」
「そうなるわね。それを決めることにするけど。まぁ、常識的に考えたらヴァルとグレイルはまずいね。男だし」
「あン? 俺はお前みたいなお子様に興……」
「「アンタ(ヴァルさん)は黙ってなさい(下さい)」」
女二人から同時に言われ、さすがのヴァルターも口をつぐんだ。もう一人の男性――マリク・グレイル・ネイミートは、少し離れた位置から、微笑を浮かべて頷いた。
「でも、それなら何で四人全員で来たんですか? 泊まる予定の一人だけが来れば……」
「うーん、ちょっと事情があってね。それで今回、直接アンタに話したいことがあったのよ」
その顔が、少し曇っていたため、本能的に良い話ではないことを理解した。
「これは王女様が情報源だからかなり信憑性が高い話よ」
「はい」
「零ちゃん関連の話」
「っ!」
「待ちなさい。順を追って話すわ」
少しの間をおいてフローラ・シウルリウスとアイコンタクトを交わしたエイダは、口にする言葉を選ぶように、ゆっくりと話し出した。
「実は、数日前に大陸中央の連合本部に、ある文書が届いたらしいのよ。印刷文字が一行だけプリントされた、誰にでも作れるようなもので、それだけだったらただの悪戯で済んだんだけど、書かれてる内容が見過ごせないものでね。……ちなみにこれなんだけど」
エイダが封筒から取り出したものは、小さな一枚の紙。何の特徴もない、どこでも手に入るもの。だが、それを見た瞬間、瑠璃の背筋に寒気が走った。
――アナタ方ノ中ニ、ヒトニ化ケタ魔獣ガ隠レテマスヨ。
無言の悪意が、ぎっしり詰まった一行だった。
◆◇◆◇◆◇◆
――何かをしなければならない。
半ば脅迫観念に突き動かされるように、月下結衣はただひたすら刀を振っていた。
「ハッ」
短い呼吸と共に繰り出される一刀。ゆるやかに、しかし鋭く踏み込んだ太刀筋は、今までの修行の賜物といえるものだ。付け焼刃では決して成し得ない完成度。達人は素振りを見ただけで実力が分かるというが、結衣のそれは誰が見ても、一朝一夕の業でないことが明白だろう。
〝大気を動かさない太刀筋こそ最速〟
祖父であり師匠でもある月下重夫の言葉を、そのまま体現したような剣筋だ。
だが、当の本人の顔に、満足の表情はない。
何度も、何度も刀を振り、その度に顔を曇らせる。
――これじゃない。もっと速く、もっと鋭く……
脳裏に浮かぶのは先日の祖父の姿。自分たちが手も足も出なかった相手を、まるで赤子のように退けたあの強さ。
――何が足りないのだろう。
スピードで劣っているとは思わない。重夫本人からも言われたことだが、速さに於いて、結衣は重夫と肩を並べる。しかし、実際に剣を合わせてみると、重夫の方が圧倒的に速く感じるのだ。そのスピードに、全く追い付かない。
この「差」は何なのか。
実は、結衣はそれの正体に、随分前から気付いていた。
人間は殺気に敏感だ。自分に敵意がある存在を本能的に感じ取り、反射的に身を守ろうとする。
無意識こそ肉体の最速動作。
この動作は精髄反射であるが故に、通常の反応速度を大幅に上回る。特に意識せずとも敵の攻撃を防ぐことが出来るのは、これが原因だ。
だが、重夫の剣には殺気がない。ゆるやかに流れるように相手を切り裂く。それは相手の反射的な防衛を許さない。対峙していて、気付いたら斬られていた、ということが実際に有り得る。これこそが重夫を『剣聖』と言わしめる、最も大きな要因とされている。
ひとことに「殺気のない剣」と言っても、その難易度は想像を絶する。「斬ろうと思わずに斬る」などという矛盾を克服するということは、途方もなく長い時を、狂気に近い感情に身を委ねることによってのみ成し得る業だ。その境地へ至るまで、いったいどれほどの時を重ねればよいのか。それを考えると、重夫が至った場所に、たったの数年で登りつめた天戸零という存在はやはり特別なのだろう。
――どうすれば強くなれる?
焦る必要はないと祖父は言った。実際その通りなのだろう。ゆっくり時間をかければ、おのずと見えてくるものもあるのかもしれない。しかし、ただ普通の生活を送っているだけで、果たして彼らに追いつくことができるのか、という疑問は、結衣の中で日に日に大きくなっていった。
別に、祖父に及ばないことを不満に思ってるわけではない。自分よりも遥かに長いあいだ刀を振り続け、遥かに長い年月を剣術の探求に費やした重夫が、常人の及ばぬ領域にいることくらい、他でもない結衣が誰よりもよく知っていることだ。
だが、いつかは追いついてみたい。重夫や零がいる場所に。
「ハッ!」
護られるだけではなく、護る存在になりたい。誰も傷つかないようにするために。
結衣はひたすら刀を振り続けた。
刀を横へ縦へ薙ぐ。自分以外に誰もいない稽古場で、ひたすら素振りを繰り返す。額から滴り落ちる汗が目に染み、そこで結衣は我に返った。
「ふう…… いま何時、ってえぇ!?」
時計の針は、既に0時を回っていた。この稽古場へ入ってから、もう四時間以上経過している。普段ならもうとっくに切り上げて入浴を終え、布団に入っているところだ。
「やばい、もうみんな寝ちゃってるか……な……?」
慌ててドアを開けると、そこにいたのは意外な人物だった。その人物はにこやかに笑いながら、呆然とする結衣の顔をタオルで拭いた。
「ふわ~あ、お疲れ様~」
「お、お母さん……?」
「あんまり無理しちゃだめよ~ 気持ちは分かるけど、体調壊したら元も子もないからね。炊き直しておいたから、今日は早くお風呂に入って寝なさい~」
そのまま奥へ行ってしまう。
――いったいいつからいたんだろう。
偶然、結衣が扉を開けるタイミングでやってきたとは思えない。まさかずっと待っていたのだろうか。
渡されたタオルには、ずっと握られていた温もりがあった。
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