番外編 不安と疑惑と後悔と
予告通り書きあがった~!
主人公がまだ目覚めていない段階のお話です。
幼い頃から、自分は普通の子たちと違うということくらい分かっていた。
まず、家には母も父もいなかった。そもそも「家」という概念自体がなかった。帰る場所は薄暗い研究所だったし、そこが私の全てだった。
興味を持てるものは何もなかった。
時々連れ出される「外」という世界は、ひどく埃っぽくて暑くて寒くて、これっぽっちの魅力も感じられなかった。連れ出した「博士」という人は、やや残念そうな表情を浮かべていたけれど、それがどうしてなのか分からなかった。
「外」を歩いていると、話しかけられることが多かった。彼らが口にすることは決まって同じで、「今ヒマ?」とか、「一人なの? 良かったら一緒に来ない?」とか、わけのわからないことを聞いてきた。当然、道行く人々に関心なんてなかった。だから全て無視した。中にはしつこい人もいたけれど、徹底的に無視した。そして帰れば、私は再び全身に良く分からないものを取り付けられて、飼われた動物のように毎日を過ごすのだ。
それが私の日々。私の日常。モノクロの世界。
〝君と同種の人間に会ってみないかい?〟
それは誰の言葉だっただろうか。よく覚えていない。ただ一つ言えることは、その一言で全てが変わったということだった。
無関心な日々に興味が生まれた。白黒の世界が鮮やかに見え始めた。
……私と同種の人間?
会ってみたい。今すぐとは言わないから、いつか。
知りたい。何を思って生きているのか。どんな風に生きてきたのか。
そして私は出会った。彼―――天戸零という人間に。
彼は、今まで他人に無関心だった私の感情を、不思議なほど掻き乱した。
彼が他の女性と一緒にいるところを見ると、どうしようもなく腹が立った。そんなことは今までなかったのに。
彼が笑っているところを見ると、どうしようもなく嬉しくなった。それがどうしてなのか分からないけれど。
彼が我が身を犠牲にしているところを見ると、どうしようもなく悲しくなった。まるで自分が傷ついたみたいに。
だから、今はとても悲しい。失うことがどうしようもなく恐ろしい。
こんなにも空虚な気持ちを、私は味わったことがなかった。
◆◇◆◇◆◇◆
「落ち着いた?」
「……ええ、少しは」
「つまりね、アカリちゃんの能力は『敵対する者の排除』なんだ。確かに魔力の形が治癒に似てるね。ゼロちゃんだって間違えたくらいだから。でも決定的に違う」
「零はそのことを知っているんですよね。その……明ちゃんが自分にとって」
「当然知ってるだろうね。他でもない自分自身の目で、自分の体が崩れていくのを確かめたはずだから」
神無月瑠璃はマリア・フェレの話を聞いて、信じたくないと思った。
零の実力を、瑠璃はよく知っている。ずっと一緒に戦ってきた仲であるため、下手をしたら本人より良く知っているかもしれない。
だからこそ言える。はっきり言って、零の今回の負傷は有りえないものだ。見たときは瑠璃も取り乱した。あんなにボロボロになった零は初めてなのだ。
不可解な負傷は二つある。
一つ目は左肩から右脇腹を横断する斬痕。もう一つは全身を炎で炙ったような火傷。
「明ちゃんは自分の能力については……」
「何も知らないはずだよ。彼女は終始気を失っていた。けど、不思議と外傷はないんだよ。ボクが見た限りでは、どうも闇魔法か何かで昏倒させられてたみたいだけど、主犯は全く分かってない」
「もしまた明ちゃんの力が暴走でもしたら……」
「うん、今度こそゼロちゃんは危ないかもしれない」
マリアの鋭い一言に、瑠璃は背筋が寒くなったのを感じた。
「今回は偶々ボクがいたからゼロちゃんは助かった。けど、アカリちゃん自信はそんな力の自覚はない。いつまた暴走するか分からない。そんな時、都合よくボクがいるとは限らないからね」
「そうですよね。今回は偶然……」
偶然?
本当に偶然だろうか。
マリアさんは《組織》の人間だ。当然上からの命令で動く。そして、東国に行けと言われたから今ここにいるわけであり……
ちょうどそれと明ちゃんの能力の暴走が被ったのは偶然だろうか?
「あの」
「ん、どうかした?」
「……いえ、なんでもないです」
マリアに聞いてみようとして、やめた。この人が、私ですら想像できることを、予想できないわけがない。きっと、ある程度は裏が読めているはずだ。
零はどう思っているのだろうか。いや、もしかしたら何も思っていないのかもしれない。その時はその時だ、くらいのことを考えていても不思議ではない。
「取り敢えずボクの勘だけど、アレはそうそう暴走するものでもないと思う。何といってもエネルギー量が膨大だ。そう何度も立て続けに暴走してたら、肉体の方がもたないよ。もしかしたら今回のが最期の発動だったかもしれない。そう考えた方が納得できるほど、わけ分かんない現象だったからね」
今はまだ保留、ということだろうか。けれど不安は残る。仕方のないことなのか。
「でさぁ、ルリリン。聞きたいことがあるんだけど」
「何ですか?」
「ゼロちゃんは一体、何人の女の子を誑かしてるんだい?」
「へ?」
突如不機嫌なオーラを纏ったマリアの口から毀れた内容の意外さに、瑠璃は素っ頓狂な声を出した。
「いやね、来るんだよ、色んな子が。それも学校内外問わずに色んな子が。どういうわけなのかなと思ってさ」
「あぁ、たぶん文化祭で零が執事をやったからではないかと……」
「……そんなに良かったの?」
「さ、さぁ! 私は知りませんが」
慌てて目を逸らした瑠璃の心情は、果たして≪知の権化《ミネルウァ》≫にどれだけ隠し通せたか。マリアは溜息をついて、後悔したように呟いた。
「……麻雀なんかやってるんじゃなかったよ」
マリアは、瑠璃とは全く違うことで落ち込んだ。
◆◇◆◇◆◇◆
月下重夫が零の病室を覗き込むと、すでに先客の姿があった。
後ろからでも、その特徴的な白い髪を見れば誰なのかはすぐ分かる。
「アカリちゃんか。久しぶりだな」
重夫の言葉に反応し、無言のままペコリと頭を下げた明は制服姿だった。
あの学校を襲ったテロから一週間。国立カルディナ校が、驚くほどのペースで復興を遂げていることは各地で話題になっていたため、もう学校が再開していると知っても、別段驚くことではなかった。
あちこちから聞こえる会話の内容はいつだって決まっている。不幸中の幸い。負傷者は何名かいたものの、結果的に死亡者は一人もおらず、規模の大きさに反して奇跡的な結末だったと。
だが、裏は存在する。そんな奇跡が起こせたのは、あの場に三人の人外者がいたからだ。もし彼らがいなければ、今回のような結果は夢のまた夢だったことだろう。そして、その功労者は人知れず傷つき、公にされることは決してない。故に限られた一部の人間以外、誰にも知られることはない。
重夫はベッドに視線を移した。
そこには、まだ大人にすらなっていない黒髪の少年が横になっている。彼の腕からは何本ものコードが伸び、横にある心電図はピッピッと規則正しい電子音を刻んでいる。口には人工呼吸器が取り付けられ、無機質に送り込まれる空気が、不気味なほど単調に胸を上下させていた。
「こりゃあ…… なかなかひどい有様だな」
思わず率直な感想が口からこぼれる。それほどまでに痛ましい姿だった。壮絶という表現すら生温い。今まで零を見てきて、ここまでの負傷は初めてだった。
「先生は何と」
「……治療は成功したけれど、最低でもあと二週間は目覚めないだろうって」
「二週間……か。いやいや想像したのよりはずっと早かったよ。それもあの先生の力か。ともかく、もう目覚めないっていう心配はないみたいだ」
重夫はマリア・フェレという人物を曲がりなりにも知っている。大陸において右に出る者はいない頭脳の持ち主。天戸零に頭脳体術を教えた張本人。彼女が大丈夫だと言ったのなら、何ら心配することはないのだろう。
だが、目の前の少女にとっては違っていた。その双眸は、明らかに不安の色を宿している。頭では理解できても感情はそうそう簡単には追いつかない。恐怖を隠そうと、必死でその小さな体で、震えを押し殺している。
無理もない。重夫はそう思う。
たかだか15,6歳の少女に、この現実が受け止められようか。当たり前のように過ごしてきた平安が、今まさに崩れようとしているのだ。恐怖を感じないわけがない。このまま零が目覚めないという最悪のケースを、想像せずにいられるわけがない。
重夫は、明の頭に手を乗せた。
ビクッと震える。緊張で強張ったいることが、手のひら越しに伝わってくる。
「心配か? 大丈夫」
心配はいらない。決して悪い方向には転がらないから。
「安心しなさい。お前さんは零が戻ってきた時に備えて、うまい飯でも作って待っているといい。あいつの不健康極まりない生活を正してやれるのはアカリちゃんだけなんだ」
「…………ぁ」
安心感が伝わったのか。緊張の糸が途切れた明は、自然と涙を流していた。
それでいいと思う。強がっていても、抱えきれる不安と抱えきれない不安がある。そして、後者ならばどこかで発散するべきだ。壊れてしまう前に。
今回の件は、背負うには重すぎる。
「やれやれ、全く困った弟子だ。いつまでも世話の焼ける。あいつも、もう少し自分が周囲に与える影響ってもんを理解できないもんかねぇ」
それは昔からそうだった。自分の身を顧みない行動があまりにも目立った。なまじ実力があるために、大抵はそれでも無傷であることがさらに性質が悪かった。それで悲しむ者が、他に何人もいるということをまるで理解していない。さらに重夫は、結衣と芽衣という二人の孫まで抱えているのだ。
重夫は明の頭を撫でながら、自分の弟子を相変わらず罪な男だと思った。自分の想い人がボロボロになって帰ってくることの何と哀しいことか。かつて妻を亡くした重夫は、それが何よりも辛いということを理解している。護った側と護られた側。果たしてどちらが幸福か。
今、目の前で泣いている少女のことなど、この馬鹿弟子は知りようもないのだろう。その事実が煮え切らず、重夫は苦笑を漏らした。
やはり私は頼れるおじいさんキャラが好きなようです。
芽衣や結衣よりも重夫を書くってどういうこと?(爆)
さて次回から第四章です。目下の問題は章タイトルを何にするか……
現在思案中です。
感想お待ちしております~