57話 魔獣を焼く光
急いで書き上げました。荒っぽい展開になってしまったのはご勘弁(汗)
空中から落下した渡風鴉は、もうその姿を保つことが難しくなったようだった。巨体がどんどん小さくなっていく様を、半ば無感情に見つめる。
暴風に鴉の白い羽が舞う。それは思いのほか幻想的な風景で、零は一瞬だけ我を忘れて立ち尽くした。やがて、渡風鴉がいた場所には、白が荒い呼吸で、膝をついて現れた。
魔獣の肉体へのダメージだったとはいえ、人の肉体の方がまるっきり無傷だったわけではない。白は時々激しく咳き込みながら吐血した。真っ白い羽の上に、赤い模様が描かれる。
悔しそうに、だがニヤリと笑いながら、白は悪態をついた。
「ったく、とんだ詐欺師だな……。うまく騙してくれるぜ。ゴボッゴホッ! 結局は自滅狙いか」
吐き捨てるように呟かれた白の言葉を、右から左へ受け流す。零にとって重要なのは、過程でなく結果だ。美しい武士道精神に興味はない。勝たなければ何も守れない。
「どうやら、俺たちの人体実験データはお前に無駄じゃなかったみてーだな。『牙』は間違いなく成功してたようだ」
「お前たちは俺を仲間にして何をするつもりだ」
「復讐だよ。人間に対しての」
冷静な言葉の裏に潜む明らかな憎悪を、零は確かに見た。細い糸がピンと張りつめたような緊張感が、その場に漂う。
「零号、お前とてないわけじゃねぇだろ。いや、もしかしたら俺たち以上なんじゃねえか? 自分を創った存在に対する怒りがよ」
「…………」
零は、否定することができなかった。
例えば、「私があなたを創りました」と面と向かって言われた時、衝動的にその人物の喉元を引き裂かずにいられる自信は、零にはない。だがその後で、それを後悔しない自信もなかった。
零は、もうひとりの「死」が生み出す影響力を知ってしまった。あまりにも多くの罪を背負ってしまったことを理解している。それでいて、尚それを増やすのか。
善と悪など、所詮それぞれの価値観によって大きく異なる曖昧なものでしかない。
戦争において、自軍の「英雄」は敵軍にとっての「悪魔」だ。戦争が終われば、例外なく「大量殺人鬼」だ。何千何万もの人間を屠る兵器も、平和な世においては悪魔の兵器だ。
善と悪は状況によって反転する。ならば、零にとっての「悪」も、誰かにとっての「善」かもしれない。それを、殺せるのか。
「確かに憎悪は残ってる。だけど、お前たちと一緒には行かない。俺の返事は最初と変わらない」
「……悪いな。俺も考えは変わらねえ。俺の目には焼き付いて離れねえんだ。体ン中弄られて、奇形になった俺の友の姿が」
強く握りしめた白の拳から、皮膚が裂けて血が滴る。耳をすますと、骨の軋む音がした。
「あいつらはな、生きてたんだ。あんな姿になっても、それでも生きてたんだよ。それを、まるでゴミみたいに!」
――失敗作は焼却炉へ入れておけ。
何の感情も籠っていない声が、頭の中で何度も再生される。
「てめぇらの勝手で実験して、てめぇらの勝手でそれを捨てて……俺たちは何だったんだ? 道具か?」
許せない。
「人間なんてどいつもこいつもそうだ。自分以外には無関心。自分の欲望さえ満たせれば他は知ったこっちゃない」
憎い。
「許さない」
憎い。
憎い。
憎悪が止まらない。
思考が、どす黒く塗り潰されたのが分かった。
――ああ、そうか。やっと分かった。単純な話だったんだ。
白は納得する。
生きることに意味なんてない。そうでなければ、事故でたまたま死んだ人間の説明がつかない。生まれて間もなくしんだ赤子に対する説明がつかない。
生きるというのはつまり、心臓が動いているということだ。生きる意味とは、生きていく中で見つけるもの。その意味を見つけるために、人は生きている。生きること自体に意味はない。
やっと見つけた。俺は復讐のために生きる。俺はただ、人を殺したいだけだったんだ――
直後、零は左肩から右脇腹を、バックリ切り裂かれた。
「――――」
零は、暗転しそうな意識を辛うじて繋ぎとめた。傷口を強く抑える。だが抵抗も空しく、体中から熱が流れ落ちていった。
……どこからの攻撃だ?
白の攻撃には見えなかった。まるで、闇そのものが体に入り込んだかのような錯覚を受けた。
白に視線を戻す。
そこには、異常としか言いようがない姿があった。人ではない、魔獣でもない。それらを足して割ったような姿。
不意に既視感を感じた。これは見たことがある。それどころかよく知っている。ヒトと魔獣が同一になった姿。
「ぐ、カ、カカ、ぎ」
白の口から洩れる音は、もはや人のものでも魔獣のものでもない。
壊れたオモチャ。そんな表現が適切か。
零は魔力を練る。氷魔法で創り上げたのは長槍。
嫌な予感があった。今の白に、まどろっこしい戦術は通用しない。下手な手を打てば、自分の首が締まる。
白は翼を広げた。いや、翼らしきものか。渡風鴉が持っていたそれとは違い、今の白が広げたのは歪な塊だった。あんなもので、まともな飛行が可能なのか。
疑問は一瞬でかき消された。
気付くと、白は目の前にいた。
「っ!」
反射的に軸をずらす。首筋を狙った一撃は、結果として零の肩を掠っただけに終わった。零は、傾けた軸をそのまま攻勢に移動する。曲げた左膝を限界まで伸ばし、横を通り過ぎようとする白を長槍の間合いに入れた。
狙いは軸足。正確に狙った零の一撃は、白の右足を貫通した。さらに、傾いた白の重心に、零は自分の膝を合わせる。
……もらった!
発動は突然だった。
≪理魔法:風:鎧風≫
全くの予備動作なし――魔力の練り上げ、想像、魔方陣の展開を無視した術式の展開。とっさに、零は無理矢理体を捻って躱す。
だが、無理な体勢からの無理な回避は、そのままダメージとなって自身に跳ね返った。
「…………ぅあ」
肩を抑える。大きく斜めに切り裂かれた傷からの出血が、より一層ひどくなった。滴り落ちた血液は、零を中心として大きな血だまりを形成しつつあった。
視界がぐらつく。熱が急速に奪われていく。
遠くで、幼い子供たちの乾いた笑い声を聞いた気がした。
◆◇◆◇◆◇◆
……ヒトと魔獣が同一?
明は、少女の言葉を頭の中で繰り返す。繰り返して、そして結局理解できないままだった。同一とはどういう意味なのか。
確かに、この世界で生きている生き物であるという点において、ヒトと魔獣は同一だ。だが、少女の語る「同一」とは、そういう意味ではないように思えた。
少女は両手を組んだ。まるで祈るように。そして歌い出した。
荒野に、美しい歌声が響き渡る。枯れた大地を潤すように、澄んだ歌声はセカイに広がった。
どこかで聞いたことがあるような歌だと思った。優しくて、美しくて、それでいて哀しい。
どこで聞いた歌だったか。明には全く覚えがない。とても小さい頃だったような気もするし、つい最近だったような気もする。曖昧な記憶を辿り、過去を振り返り、結局、明は分からないままだった。
少女は歌い続ける。哀しみと後悔と、そして懺悔を歌に乗せて。
彼女は一体何者だったのだろうか。とても不思議な少女だった。漠然とした予感があった。おそらくこの少女とはもうすぐお別れだ。
少女が笑いかける。風が吹いたらたちまちにして散ってしまいそうな、儚い笑み。
「じゃあね、アカリ。残酷なことをしてしまう私を許して。できることなら私が……」
言葉は途中で切れた。次の瞬間、明の脳内に流れ込んできたのは、溢れんばかりの情報の渦だった。
情報が洪水となる。さまざまな映像が、浮かんでは消えていく。見知らぬ人。見知らぬ土地。見知らぬ風景。
突然の情景の変化に、明は頭を抱えてうずくまった。頭が破裂しそうなくらい痛い。量が多すぎる。人間の脳の許容量を遥かに超えている。
痛い。痛い痛い痛い。
声にならない悲鳴を上げる。
それは、ある時は炎に身を焼かれる親子の叫びだった。
それは、ある時はガス室で呻く民族の怨嗟だった。
それは、ある時は全てを失った兵の嘆きだった。
悲痛の叫びは、直接的な痛みとなって明の身を蝕む。内臓をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられたかのような痛み。濃硫酸の海に放り投げられたかのような絶望感。
まるで、世界中の人間たちの、過去から現在に至るまでの苦しみを、全てぶつけられたような感覚だった。
―――これは全て過去。過去……けれど、間違いなく起こった事実なんだよ。
空を飛ぶ巨大な鉄の塊が、巨大なものを投下していく映像が見えた。
緑が生い茂る島が、一瞬で灰になる様子が見えた。
既に息絶えた我が子を庇い、覆いかぶさる母親の姿が見えた。
―――ヒトは高い知能を持ち過ぎた。だから……争っちゃうんだね。いつの時代にも、争いはなくならなかった。そして、自分で自分たちを滅ぼしてしまった。
マグマの中を逃げ惑う人々が見えた。
大津波で壊滅した村が見えた。
強酸の雨に打たれ、枯れてゆく食物が見えた。
不意に……明は思い出した。
そうだ。
ヒトは昔、一度滅んだんだ―――
そう納得するのとほぼ同時に、白い光が体から溢れだした。
◆◇◆◇◆◇◆
「カ、カ、ガカカ」
右足を潰されたからか、白は地を這って迫ってきた。その目から、理性は消え去っている。
……やばい。
体が動かなかった。心臓の鼓動に合わせて、血がドクドクと溢れてくる。どうやら動脈を傷つけたようだ。
その時だった。無限の隔絶世界の暗闇に、真っ白な光が入り込んだ。
闇に慣れた目には、その光は異常なほど明るく、また神々しく見えた。ふと感じた面影。それは、とても馴染んだ面影だった。
「……アカリ?」
光の奔流。それに包まれ、白は奇声を発した。体がボロボロと崩れていく。その様子は、水分がなくなってカラカラになった土くれを連想させた。
歌声が聞こえた。どこかで聞いたことがあるような歌だと思った。優しくて、美しくて、それでいて哀しい。
どこで聞いた歌だったか。零には全く覚えがない。とても小さい頃だったような気もするし、つい最近だったような気もする。曖昧な記憶を辿り、過去を振り返り、結局、零は分からないままだった。
……?
そこで気付く。いつの間にか、零は倒れていた。ついに限界が来たということなのか。だが不思議と、苦しみはなかった。
体が全く動かない。
……なんだ?
嫌な予感がする。遠くではまだ白が、奇声を上げながら身を焼く光にのた打ち回っていた。
思い出せ。白は何と言っていた? そもそも、「零号」だけを仲間とよび、「壱号」を敵だと呼んだのは何故だ?
――天戸明が、魔獣にとって危険な存在だったからではないのか?
そう思い立ったとき、零は、自分の体がカラカラになった土くれのように、ボロボロ崩れていくのを見た。
成す術もなく、零の体は真っ白な光に焼かれていった。
第三章も大詰め。急いだので誤字とかあったら教えてください。
いつものように、感想お待ちしております~~~