3話 入学式という試練
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四月八日午前九時。
国立カルディナ高等学校入学式開催。
約八百人の新入生が、真っ直ぐ伸びる絨毯に沿って入場し、大規模なホールは、在校生と合わせて三千人を超える人間で埋まった。
その中には少年――天戸零もいる。
カルディナ王国において、彼のような黒髪は珍しくない。いや、よく見れば彼ほどの塗り潰したような黒い髪は稀有であるが、それでも注意して見れば、という程度のものでしかない。にも関わらず、彼が新入生の中で目立っている、もしくは浮いていると感じた人間は少なくなかったであろう。それは、彼が持つ類まれな容姿と、醸し出す独特の雰囲気が、新入生の中で異彩を放っていたからである。
やや緊張したような表情が多い中で、零はただ一人憂鬱そうな、疲れた表情をしていた。
ちなみに彼は式の最中、こんなことを考えていた。
入学式とは何のためにあるのか、と。
にゅうがく-しき【入学式】
『入学に際して行われる儀式。主に新入生を歓迎する儀式』
(大陸中央認定東国大辞典コウジーエンより)
新入生を歓迎するため。
学校を挙げての祝いの儀式。
零はさまざまな定義を順に頭に思い浮かべ、しかし首を左右に振る結果となった。零から言わせれば、入学式というのは、祝いの儀式というよりも試練や罰ゲームの類に近いように感じた。
繊細な頭――例えるならばガラス細工だろうか――をした校長の話を長々と聞かされ、頼んでもいないのに「おめでとう御座います」と繰り返され、しかもその間身動きができない。
何が楽しくてこんなことをするのか、と思わざるを得なかった。
周囲を見渡した。皆、若干緊張したような面持で、真剣に話を聞いている。それを見て、ふと「習慣」という単語が頭に浮かんだ。
おそらく零以外に、このような疑問を抱く生徒はいないだろう。彼らからすれば、式を挙げるのは、区切りという意味合いにおいても当然の事だからである。学校というものに通ったことがない零には些か理解し難い事実であるが、楽しいか楽しくないかの問題ではなく、やることが「ルール」なのだ。
一つの結論に辿り着いた零は、直立不動のまま動かない周囲の人間に、まるで他人事のように感心した。退屈を紛らわすように、今朝の王の言葉を思い出す。
〝学校には【虹の女神《イリス》】がいるぞ〟
……探してみるか。
零は目を閉じると、三千人以上の生徒がいる大ホールの中から、目的の人物の気配を探り始めた。
あたかも空間に溶け込むように、一体化するように。
身を漂わせ、それでも我を保ったまま意識を肉体から遠ざけると、後方五十メートル程の地点に、うまく隠してはいるが、明らかに他と違う魔力の持ち主を発見した。それは、赤色の中に一つだけ青色が混じっているかのようなもので、見つけることは割と容易いものだった。
零は口の端を吊り上げると、密かに魔力を練った。体内にうねる魔力の渦を一本の細い糸に凝縮し、目的の人物へと密かに伸ばしていく。本来なら言語として発せられるはずの電気信号を、魔力の糸を伝わらせて相手の脳に直接流し込む。
意思疎通、念話。
――もしもし、リリ?
「うわあっ!」
後方から、零のよく知る声がホール中に響いた。
◆◇◆◇◆◇◆
……はぁ、退屈。
少女――神無月瑠璃は周りに気づかれないように小さく溜め息をついた。
長い髪は美しい藍色で彩られ、赤いカチューシャを付けている。瞳の色は髪色よりも薄い水色に輝き、神秘的な雰囲気を漂わせている。大勢の生徒の中でも一際目立つ、整った容姿を持つ彼女は、しかし気怠そうな表情で欠伸を噛み殺していた。
今日は入学式である。
朝から大ホールへ集められ、頭の薄い校長の話や、聞きたくもないPTA会長の話を聞かされていた。
瑠璃は左手で長い前髪をかき上げると、周囲の人間をチラッと見渡した。どの人間も気怠そうな表情で、中には居眠りをしている人間も居る。
……みんなも昔は、今の新入生みたいにガチガチだったのにね。
時の流れは無情。心の在り方もまた無常である。
小さく苦笑してから、瑠璃は小さく背伸びをして壇上へと向き直った。相も変わらず、どこかの会長やら代表者が話を続けている。国立の、しかも最高峰の学校なだけあって、やはり関係者も多く、毎年のことながらも長引きそうだと感じた。
瑠璃は先程から、誰かに見られているような感覚を味わっていた。それはほんの僅かな気配だったが、誰かから探されているような気配だ。
周囲を見渡す。自分を見ている人間は愚か、振り返っている人間すらいない。
……?
気のせい?
しかしそれ以上に、瑠璃は怠さから来る眠気に抵抗するのに精一杯だった。正体不明の人間からの視線を感じたら、普段はもっとピリピリしてしまう筈なのに、今回は何故かまるで緊張感が働かない。それどころか、安心感さえ感じるほどだ。
そう、これは自分に馴染みがある人間の視線。
嫌悪感はまるで感じず、愛しささえ感じてしまう視線。
徐々に視界がぼやけ、意識が落ちていく。
その時だった。
――もしもし、リリ?
突然頭の中で声が響いた。それは瑠璃にとって、完全なる不意打ち。電撃のように走った驚きは、反射的に彼女に大声を出させた。
「うわあっ!」
大声が大ホール中に響く。瑠璃が、しまったと思った時にはもう遅かった。悲しいことに、入学式の最中で瑠璃の声はとてもよく響いてしまっていた。
周りから向けられる不思議そうな視線に、瑠璃は顔がカァーっと赤くなるのを感じた。
「ご、ごめんなさい。なんでもないです」
必死に首を振って、どうぞ続けて下さいとアピール。意図を察したのか、教頭はコホンと咳払いをしてから式を再開した。
瑠璃はその様子に、ホッとしたように胸を撫で下ろすと、先程話しかけてきた人物について思考を走らせる。
そもそも念話が使える人間自体が、四年制のカルディナ学校の中でも数えるくらいしかいないのだ。しかしその中で、入学式の最中に話しかけてくる人間に心当たりはなかった。
そこで気づく。さきほど頭の中に響いた台詞の中に、彼女にとって特別な固有名詞が含まれていることに。
……リリ?
「ルリ」が呼び辛いという理由で、瑠璃を「リリ」と呼ぶ人間を、彼女は一人だけ知っていた。まさか……と思いつつ、繋がったままの魔力の糸に念話を走らせる。
――えっと……もしもし?
――あぁ、ごめん。驚いた?
半笑いになっているであろう様を想像させる少年の声。それを聞いた時、おぼろげな予想は確信に変わった。
――れ、零!?
――正解。
――ええ! ど、どこ?
――リリの前にいる新入生の列の中。今日の朝、王に言われてね。一応は『任務』ってことになると思う。大した理由はなさそうだったけど。
瑠璃は深呼吸をすると、気持ちを落ち着けた。先程の眠気は、すでにきれいさっぱりなくなっていた。零が新入生の列の中にいる。それはつまり、そういうことだと、瑠璃は答えにもなっていない解答で納得した。
――そっか。私と同じような理由でかな。
――これからよろしく“先輩”。
――なんか……変。違和感しかない。
それからの二人の会話は、入学式が終わるまで続いた。ただでさえ「退屈」ということで意見が一致していた上に、話し相手としてもお互いに申し分ない仲であるため、この結果は当然と言えた。瑠璃の話によると、この学校の校長はやはり、いつも話が長いらしい。
式が終了し、また後でと伝えると、零は念話の糸を切った。ゾロゾロと歩く新入生達に連なり、これから自分が一年間過ごすであろう教室へと向かう。
一方の瑠璃は、急に上機嫌になったことを彼女の友人によって指摘され、我ながら単純だと思った。
学校生活の幕が上がる。
イリスさん登場。
2011/09/06 改訂