56話 狩る者と狩られる者 後編
ふう、ようやく書き終わりました。
とりあえず後編です。
誤字脱字等ありましたら教えて下さい~
……寒い。どうしようもなく寒い。
体が寒いのではなく、精神が寒い。生命が存在しない世界は、こんなにも温もりがない。
砂塵が吹き荒れる孤独な世界。
太陽の熱もなく、草木の柔らかさもない。あるのは静寂だけ。少し見渡せば、あちこちに死の静寂が散らばっている。
灰色の空。灰色の大地。世界にひとり取り残されたような孤独感。
八万年前の大陸。
……夢。これは、私の夢。
天戸明は、孤独に悲鳴を上げる自分を抑えつける。何故だろう。昔は孤独なんて怖くなかった。それが当たり前だった。自分に感情なんてものがあるなんて考えたこともなかった。いや、そもそも感情というものを知らなかったのかも知れない。
その時、上から明を見下ろす影があった。
「アカリ、大丈夫? 寂しいの?」
声を発したのは、明とまるで同じ容姿をした少女。白く長い髪。赤い瞳。唯一異なる点と言えば服装―――真っ白なワンピースを着ていることだけだった。
……わからない。
彼女は何者なのか分からない。どうして自分と同じ容姿なのか分からない。
少女は口元に微笑を浮かべると、荒みきった世界の中で、手を広げながら踊るようにくるりと回転した。
髪がふわりと流れる。
白く細い素足が、荒野の地に微かな軌跡を描く。
気付くと、明は泣いていた。
悲しいのか。―――わからない。
悔しいのか。―――わからない。
じゃあ……どうしてか。―――わからない。ただ、涙が止まらない。
「ねぇ、アカリ、ハジマリって何だと思う?」
少女は天戸明に問いかけた。聖母のような、自愛に満ちた顔だった。明はホッとする。ひとりではないことに安心する。ただ、問の意味は全くと言っていいほど分からなかった。
―――ハジマリ……始まり?
少女がくすりと笑いかけた。
「例えば、哺乳類は哺乳類のお腹から生まれるよね。他には、鳥類は鳥類の卵から、爬虫類は爬虫類の卵から生まれるよね。微生物は、体細胞分裂によって自分のコピーを作り出して繁殖するでしょ?」
少女は、一語一語丁寧にゆっくりと話す。優しく諭すように。
「だったら、その原点はどこだと思う? 全ての『ハジマリ』はどこからだったと思う?」
……そんなもの、分かるわけがない。
結局はニワトリと卵の理論だ。堂々巡りの果てに、答えはない。
「ふふっ。でもね、アカリ。貴女はそれを知らなくてはいけない。ごめんね。私にはどうしようもないことだけど、これに貴女の意志は介在していないの」
悲しそうな表情だった。
「そうね…… まず、ヒトと魔獣は同一であるということから知って欲しいかな」
◆◇◆◇◆◇◆
普遍的な正しさとは、決して存在し得ないものだと思った。
人間はひとりひとり考え方が違い、価値観も違う。誰もが皆、自分の中の「正しさ」に沿って行動し、その正当性を疑わない。強いて言えば、「正しさ」は人の数だけ存在するものかもしれない。
……では、俺の「正しさ」とは何なのだろう。
渡風鴉の自我に浸食され、徐々に薄れていく意識の中、白はしかし、驚くほど静かに物思いに耽っていた。
生きることに危機を覚えると、生物は自身の生存本能に従い、「生きること」が第一目標になる。特に何も考えていなくても、生きることに全てを捧げていられる。
だが、生存の危機が去ると、今度は「何のために生きるのか」を考えることを余儀なくされる。生きることには「理由」が必要だ。そしておそらく、その「理由」と「正しさ」は一致している。
白は、理由が見つからなかった。
そして、結局見つからないままだった。
確かに白は月下衛の考えに同意した。間違っているとは思わないし、寧ろ正しいと思う。「零号」を仲間に引き入れようとしたのもその一環だ。
しかし、心のどこかで「これは俺の『理由』ではない」と訴えかける自己がいたことも否定はできなかった。白は白の別の意志として、零号―――天戸零に会ってみたかった。何を考え、何を思って生きているのかに興味があった。
それを知れば、自分の存在意義も分かるような気がした。
渡風鴉の感覚から、零を見下ろす。
お互い目立った外傷はなかったが、体力の消耗具合を考えれば、優位に立っていることは間違いない。
にも関わらず、零に焦りは見当たらなかった。怖気がするほど、どうしようもなく冷静にこちらの様子を窺っている。虎視眈々と、スキあらば首筋に喰い付こうと牙を剥いている。
しばらく睨み合う。
先に動いたのは零だった。
右手に氷属性。左手に火属性。
相反するふたつの属性を無理やり繋げ、上から魔力で抑えつける。属性が融和する瞬間を狙って魔方陣の骨格を作り直し、新たな属性を練り直す。
……属性の複合か?
これが可能な人間の数などたかが知れている。そもそも本来存在しないものだった。数年前、神無月瑠璃が独自で編み出すまでは。
そんな前代未聞な技術すら習得している天戸零という存在に、白は純粋な称賛と恐怖を感じた。
術式が展開される。
≪理複合魔法:火、氷:無音白霧≫
アビスによる暗闇を、真っ白に染め直す。存在ごと包んでしまうかのような濃霧は、零の姿を完全に覆い隠した。
だが、それは白にも同じことだ。今の零の視覚から、渡風鴉の姿を捉えることはできない。
……ただの時間稼ぎか?
決して悪手だとは言えない。打開策がないなら、有効手が見つかるまで時間を稼ぐのは立派な戦術だ。相手が白でなかったならば。
……零号、それはミスだったな。
今の白には、零の姿は見えなくとも、どこにいるのかを完全に把握することができた。渡風鴉は、もともと夜間に行動する魔獣だ。確かに視覚は優れているが、それだけに頼って獲物を狩るわけではない。
失策を咎める。
翼を広げ、気圧を操って標的をその場に縛る。そのまま、大きくはばたいた。
≪理魔法:風:刃旋風≫
風圧で引き寄せ、広範囲の刃の渦に巻き込む術式。さらに滑空し、標的の付近で、大きく翼を広げたまま軸を回転させた。
確かな手ごたえと共に、鈍い音を聴く。右の翼に鮮血がこびりついているのを確認した白は、再び上空へと上がり、気配を探った。
……肋骨2,3本くらいいったか?
手ごたえに満足する。未だ消えない殺気の恐怖を振り払うように、今の攻撃による成果を確認する。
その直後だった。今まで鮮明捉えていた零の気配が、完全に消滅した。
―――なに?
疑問を感じたのは一瞬。直後、真下から大規模な魔方陣が展開される。
≪理魔法:氷:氷壁拘束檻≫
気付くと、白は分厚い氷の檻の中に閉じ込められていた。
◆◇◆◇◆◇◆
渡風鴉は夜間に活動する魔獣だということくらい、本来の渡風鴉が黒い姿であることと、知能が非常に高いことから、零には容易に想像できていた。
自身の姿が保護色になる夜間に、賢い渡風鴉が活動を起こさない理由はない。問題は、どうやって相手の動きを補足しているかだった。
視覚が優れていることはまず間違いないだろう。だが夜間において、視覚だけを頼りにしているとは思えない。
そこで、零はひとつの仮説を立てた。
イルカやコウモリのように、渡風鴉も音波を発生させて、その反射時間を計測しながら相手の動きを補足するのではないか、と。
水中で暮らすイルカや、夜行性のコウモリが、視覚を頼りにしていないことは、すでに科学的に証明されている。渡風鴉にもその習性があるのではないか、と予測した。
無音白霧は、視覚を潰しつつ、撒かれる音波を収集しやすくする役割があった。空気よりも、何か媒体となる物質があった方が観測は容易になる。
ここで、魔力を耳に集めて聴覚を強化する。
人間が捉える限界の20000Hzを超え、振動全てに意識を集中させる。捉えたのは通常聞き得ない音。頭がクラクラするほど高音の超音波。ここで、零は自分の仮説が正しかったことを知った。
仕組みが分かれば対応は容易い。
風魔法の応用―――音波。空鳴振動波。周波数を調節し、渡風鴉が拠り所とする音波による計測を誤認させる。振幅と振動数を、渡風鴉が発する超音波そっくりに擬態し、本来存在しないはずの位置に零がいると錯覚させる。本体である零自身は霧に紛れ込み、気配を消す。実は濃霧を張った数秒後に、零は白の知覚から雲隠れしていたのだ。
さらに零は、白を完全に油断させるためにもう一つの虚偽を仕掛ける。
練るのは氷魔法。創り出すのは等身大の氷人形。その首の部分に自らの血を塗り込む。
自身は霧の中に隠れ、やや放れた位置から、渡風鴉が氷人形を攻撃する様を見届け、その翼に零の血がついたところまで確認する。そこで、零は初めて行動を起こした。
渡風鴉の位置は、氷人形を攻撃した時に完全に把握してある。
真下を位置取り、術式を展開させる。
≪理魔法:氷:氷壁拘束檻≫
氷の監獄。脱出を拒む氷点下の強度な檻。
零は濃霧の術式を解く。
視界が透明になる。現れたのは魔獣の姿をしていて尚伝わる白の驚愕の表情。それは、零がほぼ無傷であったがゆえの反応だった。
魔力を練る。
動けない標的に向かって、大袈裟とも言える量の魔力を練り込む。
渡風鴉には恐怖の感情が現れた。当然だ。目の前で膨大な魔力が注がれているにもかかわらず、自身は動けないのだ。生存本能は警告を鳴らす。いち早くこの檻を破壊しろと本能が叫ぶ。渡風鴉はありったけの力を注いで、零が創った氷の監獄を破壊しようとした。
それすら、零の計算の内だった。
そもそも、ただの氷の檻でAランクを保有する魔獣を閉じ込めておけるなど最初から考えてはいない。冷静になって考えればわかることだ。利用したかったのは、この時の渡風鴉の「焦り」そのもの。練り込んだ魔力は単なる「脅し」でしかない。
だが、白は気付かない。暴れ狂い、魔力を暴発させる。
狭い監獄の中で、気圧が膨れ上がった。荒れ狂う風圧が氷の軋ませ、ひび割れを生じさせる。
パキパキと、徐々にひびは大きくなり、やがて、零の氷壁拘束檻は内側から破壊された。
破壊させるのが目的だった。
急激な気圧の上昇と低下。それらを繰り返した末、生ける肉体はどうなるか。
「ガ、ガ、ガ、ガガ……」
渡風鴉が悶える。
「ガァァアアアァアアアアア!!!!」
その直後、パァンと何かが弾ける音がして、巨大な鴉の魔獣は空から落下した。
気圧の急変による肺の破裂。
残酷だとは思わない。
今の零の魔力から考えて、渡風鴉に決定打を放つことは不可能だった。
自力で倒せないから自滅を誘ったまでのことだ。考えるべきは目的に応じた手段。その最短の道のり。
それが可能だからこそ、少年は最強と呼ばれた。
破壊力ならば【業炎《カルマ》】が優れる。
魔力ならば【虹の女神《イリス》】が優れる。
武力ならば【勇者の証《デュランダル》】が優れる。
天戸零の力は、所詮は二番煎じに他ならない。器用貧乏と言われても否定はできないだろう。だが、素早い判断力と決断力。そして状況に応じた柔軟さと相手の心を利用する戦闘の組み立て方。それらが、零の強さを揺るぎ無いものにしていた。
そして、零はそんな自己を嫌悪していた。
次回は……どうしよう。そろそろ第三章のまとめみたいになってきますが、具体的な予定は決まってませんね。
明ちゃんの話かな?
感想お待ちしております~