50話 剣聖 前編
お久しぶりです。約一か月ぶりの投稿になります。
一つにまとめても良かったのですが、とても長いので前編と後編に分けます。
一撃一撃を打ち合う度に、相手の刀を握る力が弱まっていることを、華嶋依人は確かに感じていた。
依人の剣撃は、そのひとつひとつが鉛のように重く、同時に蛇のようなしつこさで相手の剣に絡みつく。ガードの上から着実に体力を削るこの剣は、従来の華嶋家の剣技に、独自のアレンジを加えたものだ。
戦闘狂の華嶋家の人間の中で、依人は唯一、戦闘中に冷静な思考ができる人間。「戦いたい」という内なる欲望に抗い、理性的に物事を判断できる人間だった。今や滅んだ一族の中で、彼だけが生き残ったのはそのためといってもいい。
もしこの場に零がいたならば、戦闘中に思考をフル回転させるという点で、自分と似通ったところがあると感じたかもしれなかった。
「お? どうした、もう終わりかい」
肩で呼吸をする結衣と芽衣を挑発する。
明らかな疲れが見えているが、瞳の力に一切の衰えはなく、まだまだやり合えそうだと判断した。依人の内なる戦闘衝動が歪んだ笑みを形作る。なんとも久しい感情だ。
とは言っても、先程に月下衛の名を出したためか、二人には精神の乱れが見受けられた。精神を研ぎ澄ますことが絶対条件である月下流にとって、これは致命的となる。今でこそ気力で補っているものの、やがて大きなズレとなり、自らの刃で身を切ることとなるだろう。御しきれない力は使用者自身を傷つけるのだ。
(せいぜい、あと一時間ってとこかね)
そこまでいったら身を引こう。若い芽を摘むのは趣味ではない。それに、楽しみは取っておくに越したことはないのだ。
(さぁて、帰ったらたっぷり衛に自慢してやろう)
そんなことを考えながら、剣姫と呼ぶに相応しい親友の愛娘を見据えた。
―――月下衛は生きてるぞ?
結衣の中では、依人が語った言葉が未だに呪詛のように、頭の中で渦巻いていた。
疑問は多い。
生きているなら、なぜ帰って来ないのか。なぜ何の連絡もなく、今まで死んだと思わせていたのか。そして、目の前の男となぜ親しいのか。
結衣の記憶にある月下衛という人物は、とても聡明な人物だった。一人の武人として、そして一人の父親としての確固とした考えを持ち、信念に反することは決して行わなかった。それでいて、当時幼かった自分たちの会話に混じるなど、子供っぽい一面も持っていた。近所からも、「美人夫婦」と評判だったことも覚えている。
そんな父が―――
「姉さん!」
「っ!」
芽衣の叫び声で、結衣の思考は現実に引き戻された。
間合いを詰めた依人が、見えない位置から刀を繰り出す。その剛剣の威力は、さんざん打ち合ったため、身に染みて分かっていた。
結衣は刀を逆手に持ち替える。
―――月下流陽式『蜘蛛落とし』
逆手に持った刀で、上段から振り下ろされる相手の剣の腹を叩き、軌道を逸らしながら切り上げ、その後即座に切り落とすカウンター技。どこから攻撃されても対応できるのが特徴であり、スピードを生かして戦う結衣とは相性がいい技だった。
刀がぶつかり合い、一瞬火花が散る。その後、絶妙なタイミングで漸線をずらし、依人の刀を真横から叩く。依人の剣の軌道が逸れたことを確認してから、刀の切っ先を翻し、依人を両断しようとする。当たれば間違いなく相手の命を奪うであろう刀技。だが、この時の結衣に、そんなことを考える余裕はなかった。
相手が強過ぎたのだ。
「いまいちキレが悪いぜぇ?」
依人は身を捻ると、軌道を逸らされた自分の刀をあっさりと捨て、結衣の腹に鋭い蹴りを叩き入れた。
「うっ……」
不意の一撃に、結衣がよろめく。瞬時に後ろへ飛び、ダメージを軽減したのはさすがというべきか。だが、後ろへ押し込むような依人の蹴りは、それでも背骨をきしませる程の威力を持っていた。
容赦のない追撃が迫る。それを止めたのは芽衣だ。
「くっ……! まさか……剣士が刀を捨てるとは……思いませんでしたよ」
「くくく、月下流と違って、華嶋流は殺すことを目的とした剣だからなぁ」
「その割に、随分と冷静に戦うんですね」
「当たり合えだ。そうした方が生き残れるだろう? この世は生き残ってナンボだからな。現に、今のこの会話すら……」
依人が力を込める。
「お前さんの呼吸をずらすための時間稼ぎだしなぁ!」
そのまま、刀をねじったかと思うと、芽衣の刀に鈍い音が響いた。その音は全体に広がり、やがてひび割れという形で現れる。
そして、
「……え?」
成す術もなく、芽衣の刀は砕け散った。
『蝕壊』という技がある。
一番最初に編み出したのは槍の名手であり、相手の突きを槍の先端で受け止め、武器もろとも破壊したという伝説が始まりだった。
武器の、最も力が集中する部分に、それ以上の負荷をかけて受け止めると、その武器の耐久値を越え、壊れるという原理だ。故に、相手が武器の性能を引き出す達人であればあるほど、成功した時に武器を壊しやすいという特徴を持っている。
これを刀の技として確立させたのが華嶋家だった。
一撃の威力として「線」の攻撃である刀は、「点」の攻撃である槍に圧倒的に劣るため、習得には独特の訓練が求められた。自分の刀の刃が欠けないように『蝕壊』を使うということは、一般の武家とは修行のベクトルがまるで異なる。
結果、『蝕壊』は華嶋家の主軸の技となった。月下家の象徴が神速の「抜刀術」ならば、華嶋家の象徴は「蝕壊」だと言えるだろう。
刀を砕かれた芽衣は、何が起こったのか理解できなかったようだった。半ば呆然と、眼前に迫る依人の刃を見つめている。実践経験の不足を完全に露呈する形となった。
そして、そんな芽衣に追撃の一撃を加えようというときのことだった。
(…………なんだ?)
依人は自分の背に、見えない氷の柱が迫ったような錯覚を味わって、思わず追撃の手を止めた。
刀を砕かれ、無防備となった芽衣を前にして、止めを刺さないという愚行。数々の修羅場を経験した依人をしてこの愚行に走らせた人物は、遠くからでも充分伝わる圧倒的な存在感を放ちながら、いつもと変わらぬ動作でゆっくりと階段を下りてきた。
いつもと変わらぬ手本のような美しい姿勢。七十歳とは思えないほど軽快な足取り。
「おじい……ちゃん?」
「師匠……」
月下家、第十六代目当主【雷切】。
「…………剣聖、月下重夫か」
依人の呟きは畏れの現れか。それとも新たな強敵の出現に対する歓喜か。どちらにせよ、依人は指一本動かさず、重夫のあまりに静かな動作を見つめていた。
重夫の周りだけ隔絶されたかのように、時間がゆるやかに進んでいるかのようだった。
「ふう、やれやれ。やっと大量の兵隊さん方を片付け終わって、孫と合流しようとやって来てみれば…… なんだなんだ、随分と俺の孫と遊んでくれたらしいな。もしこの場に鏡花がいたら、お前さん殺されてるぞ?」
依人は、重夫と目が合った瞬間、その色のない殺気に戸惑った。燃え上がるような、真っ赤な殺意とは違う。かと言って、氷のような青々とした殺気とも違う。これまで生きてきた中で、体験したことのない感情をぶつけられ、依人は虚空を掴むような感情を味わった。
だが、それも即座に悦びに塗り替えられる。
―――あの【雷切】が目の前にいる。
その事実が徐々に実感として染み込んでいくにつれ、理性で抑えきれないほどの戦闘衝動が胸の内に渦巻くのを感じた。
「はは…… はははははははは! 今日はいい日だ。楽しい。こんな楽しい日は久しぶりだ!」
刀の切っ先を、無造作に重夫へと向ける。その独特の構えを見て、重夫は「ほう」と小さく息を漏らした。
「華嶋の子鬼か。なるほど、俺の孫が手も足も出ないわけだ」
「はは、安心しな。大した怪我はさせてねえからよぉ……」
「そりゃ良かった。お前さんを殺さずに済む。さすがに孫の文化祭で、天然記念物を殺したくはないからな」
心臓がバクバクと音を立てて鳴る。無意識の内に震えが走る。それは「武者震い」に似ていた。依人は、以前月下衛が言っていたことを自然と思い出していた。
〝俺の父親は…… そうだな、あれは「化物」だ。今でも勝てる気がしない〟
【神々の黄昏《ラグナレク》】にて「鬼神」と呼ばれ、敵から恐れられていた衛をして、「化物」と言わせしめる人物。その実力はいったいどれほどのものなのか。
「おいおい剣聖よぉ…… あんた得物はどうした」
「んん、さすがにお前さん相手にゃ傘じゃ荷が重すぎるかね」
「ねえならコイツを使えや」
依人は脇に倒れているシンラ兵の身体を足で蹴飛ばすと、そこから転げ落ちたもう一本の刀を掴み、重夫へ向かって放り投げた。普段の依人ならば、他人を物のように扱うことはしない。ただ、この時の依人の視覚には、自分と重夫以外―――先ほどまで戦っていた結衣たちすら入っていなかった。
正気ではなかったのだ。
「…………」
放り投げられた刀が床面と衝突し、やや大きな音をたてる。重夫はそれを無言で手に取り、一回だけ刀身を抜いて刃を確かめると、再び鞘に納めた。
「さあさあ! とっとと始め……」
その時、すでに重夫は依人の視界にいなかった。
「……は?」
フワリと風が通り過ぎ、依人の髪を微かに揺らす。その風が、重夫が通り過ぎた証拠だったと気付くのは、しばらく後のことだった。
「おっと悪い。微妙にフライングだったか。まあ浅いから許せ」
後方から声が聞こえる。
呆けた顔のまま硬直する依人の左腕に、うっすらと赤いラインが走る。それは徐々に鮮明になると、やがてパックリ開いた。
鮮血が舞った。
後編は大体書き終わってるので、それなりに早く投稿できると思います~
感想お待ちしております~