49話 交わらぬ二つの道
お待たせしました。
書き上がったので投稿します。
身が溶けそうな暗闇が、妙に馴れ馴れしく感じた。
状況を整理するため、零は周りを見渡した。
闇だ。
ただただ、闇だけが広がっている。他には何もない。
……闇魔法、無限の隔絶世界。
外界からの干渉を全く受けない、別次元の空間を人為的に創り出す闇属性の術式。消費魔力量が多いことが欠点だが、奇襲、暗殺、防衛とその応用性は広く、九年前の大戦争では最も恐れられていた術式でもあった。
「こんな大規模な術式…… 展開させた術者は他に存在してるな」
暗闇に向かって問いかけたのとほぼ同時に、
「まーな。俺は風魔法しか使えねーし」
ぼうっと、浮かび上がるように白が姿を現した。光というものを一切排除した空間で、零と白の二人の姿だけが、場違いなようにくっきりと輪郭を結んでいる。
二人は再び、正面から顔を見合わせた。
「……『牙』の被実験体だったのか」
「お、その反応を見るに、ある程度は薄々感づいてたみたいだな」
「その法外な威力の風魔法を最初に見た時から、おかしいとは思っていた。人間に、あんな芸当はできない。でも、これでようやく説明がついた」
「さすが、理解が早くて助かるぜ。俺は七年前まで『牙』の第一研究所で行われていた『零プロジェクト』の被検体No,079だ」
零の対応に、満足そうに頷いた白を見て、過去の記憶のどん底から、無数の手が伸びてきたように錯覚した。
……やっぱりか。
周囲に充満する暗闇が、零の心の内側に、徐々に入り込んでくる。
―――零プロジェクト
それは、英雄と称えられた組織である「牙」が犯した、唯一にして最大の罪だった。
当時の「牙」は、表向きは大衆の英雄して、決して弱気な態度を見せなかった。常に凛々しく、常にたくましく、そして常に正しく在ろうとした。
だが、どんなに力をつけようとも所詮はただのテロ組織。国家レベルにまで軍事力と政治力を拡大させようと、遥か昔から存在し、歴史と共にその地位を築きあげてきた四大国に比べれば、その力量差は一目瞭然だった。
日に日に高まる民衆からの支持。それに反し、日に日に不足していく資金力と軍事力。さまざまな方面からのプレッシャーに耐え兼ね……
ついに、「牙」の指導者は道を踏み外した。
てっとり早く「力」を求めたのだ。
そこで発案されたのが「零プロジェクト」だった。人工的に最強の兵器を創り出すという、人間の理に反した悪魔の所業。その非道さに、英雄と謳われていた彼らが気付かないはずはない。だが、彼らは信じていたのだ。
―――崇高な目的のためならば、手段は正当化される。
大量の資金を投入し、多くの優れた科学者を雇った。さまざまな遺伝子サンプルを闇ルートから購入し、四六時中研究に打ち込ませた。
……圧倒的な力さえ手に入れば、自分たちの手で世の中を変えていける。
その思いだけが、彼らを突き動かしていた。
「ま、こうして、順調に研究は進み、お前は創られていったワケだが…… やがて、ある問題にぶち当たった」
「予想はつく」
「もしも薬剤投与や遺伝子組み換えに失敗したら…… 理論上は成功間違いなしだったとしても、もしも失敗して取り返しがつかなくなったら…… 長年積み重ねてきた大事な大事な『作品』が一瞬でパーになっちまう。だが、危険なドーピングは必要不可欠だ。『完成品』はあくまで『最強』でなければならない。でなければ、危険こそあれ、価値は全くない。なら……どうする?」
言葉を切ると、白は自嘲気味な笑みを浮かべ、忌々しそうに自分の両手を見た。
「別に……壊れちまっても構わねー人間で実験しておいて予め効果を確かめておくのが賢いやり方だろう?」
「……それが」
「ああ。壊れちまっても構わない人間が最後まで壊れず、結局生き延びちまった。そのなれの果て。それが今の『牙』のメンバーだ」
指が、零に突き立てられる。
「そして、このプロジェクトによって創り出された兵器。それが『零号』、お前だ。これが俺の知っているお前の出生の秘密だよ」
◆◇◆◇◆◇◆
「そんな……」
「ようやく分かったかぁ~? あたし達がどんな存在で、あたし達にとって、あの子がどんな価値を持っているかが」
話を聞き終えた瑠璃は、驚愕と怒りに顔を強張らせた。
狂っている。何もかもが狂っている。人の命を何だと思っているのか。
「まぁ、そういうワケで、零号ちゃんは残り少ない時間を、同胞であるあたし達と一緒に過ごすのが最高の幸せだろぉ?」
「え……?」
何か、とてつもなく重要な言葉が耳に入り込んだ気がして、瑠璃は奥深くに沈んだ思考を無理やり引き上げた。
「ん? なに、その反応。もしかして知らない?」
「……どういうこと?」
「ありゃあ、さすがに知ってるものだと思ってたけど…… そっか、周囲には内緒にしてるのか。なんにも話してないんだなぁ」
「どういうことよっ!」
「どういうことも何も、世の理だろぉ~?」
動揺のため、思わず荒げられた瑠璃の声に、京はしかし、全く動じていなかった。当然のことを語るかのように、変わらぬ調子で話し出す。
「この世は等価交換なんだよ。『コインの表と裏の法則』って言葉くらい知ってるだろ? 何かを得るには何かを犠牲にしなきゃならない。結果には必ず原因が付きまとう。片方がなければ、もう片方は存在し得ない」
……つまり。
「零号が生まれながらにして持っている膨大な力…… それはいったい、何を犠牲にして得られたものなんだろうねぇ……」
◆◇◆◇◆◇◆
「もう一度、改めて誘うぜ」
白が、零に手を差し伸べた。乾いた冷たい手ではない。そこには、確かな人の温もりがあった。
「零号、俺たちと一緒に来い。俺たちはお前を歓迎する。お前を見た時の京の反応を見ただろう? みんな探していたんだ。随分と遅くなっちまったが、これから俺たちと共に生きよう」
差し出された手を、見つめた。
ずっと求めていた場所が、そこにはある気がした。
同じ境遇を経て、同じ苦しみを経てきた者の集まり。
全く関係のない争いに巻き込まれ、見ず知らずの人間に人生を狂わされた者の集まり。
その手を……
零は拒絶した。
「なんでだ」
「…………」
「なんで耐えられるんだ」
白が聞きたがったのは、拒絶した理由ではなく、拒絶できる理由だった。
問われて、自身に理由を投げかける。
何故?
「……前に、誓ったことがある」
「……何を?」
「全てを背負うこと」
自分が奪った全ての人間の命を。
死んでいった人間が抱いた無念を。
残された人間が負った絶望を。
気が遠くなりそうな、一生かけても償えるはずがない罪を、途中で投げ出さず、全て背負うことを過去に誓った。
何故誓ったのか。
それは、知ってしまったから。
月下家で数年間過ごし、
たった一人の人間の死が、家庭の幸せを崩壊させてしまうことを知った。
たった一人の人間の死が、その数倍の人間をどん底へ叩き落としてしまうことを知った。
たった一人の人間の死が、癒えない心の傷を作ることを知った。
父親の温もりを求め、涙を流す少女ふたりと共に成長することで、零は自分の犯した罪の深さに気付いた。
いったい何人を絶望の淵に叩き落としてきたのか、と。
もはや数えることなど馬鹿らしい。想像することすら叶わない。
自分の手には、すでに血の匂いがこびりついていた。
「お前らがやっていることは単なる傷の舐め合いだ。自身の境遇を嘆き、そこから動こうとしない臆病者の集まりだ。俺がお前たちと共に歩むことはない。俺は逃げずに生きて、全て背負う」
「おいおい、背負うって…… よく考えろよ。お前の境遇を聞いて、誰がお前の罪を責めるんだ?」
誰が責めるのか。
おそらく誰も責めないだろう。零を知る人間の中に、そんな者は思いつかない。
だが。
「俺が責める」
白の目を真正面から見据え、堂々と言い放った。
どんな理由があってにせよ、結局のところは「殺した側」と「殺された側」の二つに区別される。殺された人間にとっては、「殺された」という事実だけが全てだ。殺した側の事情など関係ない。
―――命は尊いのだ。
「…………なるほどね、お前の考えは理解したぜ。どうやら……お前は自分自身にまるで価値を見出してないみてえだ」
しばらくの間を開けて、白はどこか残念そうな声を漏らした。
「確かに、俺たちがやってることは傷の舐め合いかもしれない。お前の言ってることは正しいかもしれない。……だがな、互いの傷を舐め合って何が悪い? 『群れ』の中で、痛みを緩和することに何の罪がある? 生き物なんて、誰しも『群れ』を作って、その中で傷を舐め合って生きるもんだ。俺は俺たちがやってることを、間違いだとは思わねえ」
その瞬間、白が纏っていた空気が一変した。
重々しく、濃密な大気を周囲に渦巻かせながら、魔力の密度を上げていく。
「こっちも引けない一線があってね。零号、お前が俺たちと一緒に来ないなら、力ずくでも連れて行かせてもらう」
白の目が赤く光る。皮膚が白く変色し、羽毛のような歪な物体が、その身を包んでいく。
背中が形を変え、ミシッと音をたてながら、骨が内側から皮膚と肉を破る。そのまま左右に広がり、
バサッと。
大きな白い翼になった。
「クゥアアアアアアアアアアアア!」
―――渡風鴉。
風魔法を操り、音波系魔法や圧力系魔法を使いこなすAランク相当の魔獣。本来は黒いはずだが、白が姿を変えたこのレイヴンは、真っ白い色を保ったままだった。
「それがお前のもう一つの姿か」
異常なまでの風魔法の威力。無尽蔵に繰り出される魔力。その源が、移植された渡風鴉の遺伝子にあったとすれば、頷ける話だった。
人の身であれほどの威力を誇った白の風魔法は、渡風鴉の姿になった今、いったいどれだけ跳ね上がるのか。
「…………っ!」
反射的に、零は全身のバネを左に傾けた。直後、零が立っていた場所を、圧力の塊が通り抜け、零の脇腹を浅く抉った。
まるで大砲だ。当たったら「痛い」では済まない。全身の骨が砕かれることは間違いない。
もはや言葉は無用。零は白たちと共には歩まない道を選択した。ならば迷う必要はない。
「……力ずくで連れて行くって?」
ゆらりと、歩を進める。
「できるものならやってみろ」
氷点下の殺意が、渡風鴉へと姿を変えた白に注がれた。
正しいって、人の数だけ存在すると思います。
読者の皆さんは、零と白のどちらに共感を覚えるでしょうか~?
感想お待ちしております~