47話 剣姫と剣鬼
ついにお父様の名前が……
「あ~あ、こりゃひでぇな」
校内に潜伏させていたシンラ兵。そのどれもが、無様に廊下でのびている光景を目の当たりにし、男は怒りを通り越して呆れ果てていた。
「使えない奴らだねぇ~ ったく、目的が果たせたからいいものを……」
手慣れた動作で、男は気を失っている兵の身体を調査していく。―――相手の像を掴むためだ。打ち込まれた部位、その強度、その傷跡。他には床面の擦れ具合などからも、ここでどのような戦闘が行われたのかを想定していく。
「相手はふたりってところかね。武器は刀か。戦いに慣れてないわけじゃなさそうだが」
戦闘の跡は、その目にどう映ったのか。彼の分析力によって丸裸にされた情報は、いったいどんな映像を見せたのか。
「まだまだ甘いなぁ……」
何も語らず、男はただ、にやりと笑った。
◆◇◆◇◆◇◆
それは突然の声だった。
「なぁ、この辺にいた兵どもは、みんな嬢ちゃんたちが片付けたのかい?」
「「っ!」」
何の前触れもなく後ろから掛かった声に、結衣と芽衣は反射的に振り向いて刀を構えた。そして、ほぼ同時に驚いた。
声の主は、二人の真後ろにいた。半袖のシャツにジーンズ。どこにでもいる普通の男性だ。
それに驚かないわけがない。
結衣も芽衣も、散歩していたのとはわけが違うのだ。常に気を張って周囲を注意深く観察し、敵の存在を探っていた。にも関わらず、こんな距離になるまで、そして声を掛けられるまで、その存在に気付くことすら適わなかった。これを警戒せずして、なにを警戒しろというのか。
「困るんだよね、俺の立場としちゃあさぁ。一応、コイツらは借りてるんでね」
「……あなたは誰ですか?」
「お、こりゃまた随分とかわいいお嬢さんだねぇ。まいったな。俺は美人をいたぶる趣味はねぇんだが」
男は顎に手を当てると、着物姿の結衣とメイド姿の芽衣を順番に見て、次に握られている刀を見て、納得と確信の入り混じったような笑みを浮かべた。
「まぁ、簡単に言うと、あんた方お二人の敵だわなぁ」
自分の腕に絶対の自信を持っているのか。それとも結衣たちの腕を見誤っているのか。あるいはその両方か。確かめる術はないが、事実として、二本の刀が自分に向けられているにも関わらず、その壮年の男は態度を変えなかった。
自然、刀を握る手に過剰な力が加わる。焦っているのが、自分でもわかった。
今までの兵を「犬」に例えるなら、この男は「狼」だ。外見を一瞬見ただけでは区別がつかない。しかし、よく見ると犬にはない牙と爪を持っていて、不用意に手を出したら、怪我をしたでは済まされない事態になるであろう。それに気付いただけでも、いや、気付かせて貰えただけでも良かったかも知れない。
有能な獣ほど、己の牙と爪を隠すことに長けている。その気になれば、この男は自分の実力を隠すことなど容易だったはずだ。
……いや、あるいは未だに隠したままなのかもしれない。
いきなり、結衣は床面をカッと蹴った。
先手必勝。攻撃することと護ることとはこれ同義。攻めさせないことこそが絶対の防御。
敵であるならば迷う必要はない。真っ直ぐで曇りなき剣筋が、男の目の前に弧を描いた。
「っととと、速いな。その格好でこの速さかよ」
素手のまま避けつつ、賞賛を送る。そんな声に耳を貸さず、己の刀のみに意識を集中させていた結衣は、無心のまま、その存在を気配ごと断ち切った。
それはある種の域に達した速さ。付け焼刃では適わない、何年もの修行を積んだ者のみが辿りつける域。
だが、それでも男は笑いながら、
「そらっ! ここだろ?」
そのコンマ一秒の剣隙に、拳をねじ込ませた。
蛇のようにうねる一撃は結衣の右肩へ迫る。それは間違いなく、骨ごと粉砕する威力を秘めたもの。まともに食らったら最後、刀を握ることができなくなる。
だが、結衣は動かない。その拳を視界に納めることすらしない。必殺の拳は……
芽衣が受け止めてた。
否、利用した。
迫る拳の勢いを殺さず、抗わず、ぐるりと反転させることでベクトルを変え、己が力に上乗せする。それと同時に、相手の前方へ向かう力も利用して、拳の内側へ潜る。
「おぉう!」
予想だにしなかった体勢から攻撃され、男は大きく仰け反るも、かわしきれなかった分の剣撃が男の頬に一本の筋をつくり、そこから数滴の血を流させた。
姉妹であるに関わらず、芽衣の剣は姉の剣とまるで異なる。
力を力で迎え討つことはせず、寧ろ相手の力、威力、速さを利用して刀に乗せる。言うならば灯籠流し。結衣の剣が「速さ」と「鋭さ」を追求したものならば、芽衣の剣は「堅さ」と「柔軟さ」を追求したものと言えるだろう。
「陽」と「陰」
月下の型を、それぞれが独自に極めていた。
「…………」
男が、無言で自分の血を拭う。しばし無表情でそれを眺めた後、値踏みするかのような視線をふたりに向けた。
「なあ、お嬢ちゃんたちのそれ…… もしかして『月下流』?」
思わぬ単語に、姉妹はピクリと反応した。
その反応を見逃さない。
男は、まるで心の内側を全て見透かしたかのように口の端を釣り上げた。
「なるほどねぇ…… だとしたら色々と納得がいく。じゃあ加えて聞くけどさ、『剣聖』の孫ってのは、あんたらかい?」
「「…………」」
「やっぱりそうか。……ははは、こりゃあいい! 最初はただの身内びいきかと思ってたが…… うん、これは確かに、自慢したくなる気持ちもわかる。いやいや幸運だぜ。会えるといいなと思ってたが、まさか本当に会えるとは。コイツぁ……面白ぇ!」
結衣たちの表情を読み取った男は、無言のふたりを差し置いて、ひとりで納得していた。
面白くて仕方がないというように笑みを深くする。瞳の奥から狂気が見え隠れする。そこから、彼の危険な「性」を垣間見た気がした。
嬉々としながら、男は倒れていたシンラ兵の持ち物から、ある物を剥ぎ取る。
片刃の剣―――刀だ。
「さて、お嬢ちゃんよぉ…… せっかくだし、ちゃんと名乗ってやるぜ」
獣―――まさに狼のように獰猛な瞳をしながら、刀を鞘から抜き放った。
鈍い光が走る。まるで、今からそれを扱う人間に対して、刀の方が呼応しているかのようだった。
「俺ぁ華嶋依人ってんだ。分かるやつ……とりわけ、お嬢ちゃん達は知ってんじゃねえ?」
「え……華嶋?」
「それって三大部門の……」
聞き覚えのある家名だった。
華嶋家。
かつて、月下家を含む三大部門のひとつと言われていた一門だ。月下家と同様に剣術を操り、その力は両家互角。
……いや、互角だった。
もう過去の話だ。華嶋家は滅んだのだ。綺麗さっぱり歴史上から姿を消した。
誰が滅ぼしたわけでもない。滅亡は彼ら自身が自ら招いたことだ。
確かに華嶋家は優れた武の一門だった。しかし、彼らには他と違う、人間として明らかな欠陥があった。
その家の者は皆、呪われているかのように、全員が快楽主義で「戦闘狂」だったのだ。
剣鬼――――
彼らは例外なく戦いを求めた。
彼らは例外なく強者を欲した。
彼らは例外なく血に飢えた。
その「欠陥」のためか、最終的には無惨な一門同士の殺し合いに発展した。
今や滅んだ一門である華嶋家の人間が目の前にいる。それは結衣と芽衣の二人でなくとも、十二分に驚嘆し得る事実であった。
「いいねぇ、久々に血が騒ぐ。んじゃ、さっそく始めようぜ」
刀が真っ直ぐ降り、切っ先が近くにいた芽衣の方を向く。
素手の状態でも決定打を与えるに至らなかった華嶋依人の力は、刀を手にしたことによって、いったいどれほど跳ね上がるのか。
実力の底が見えない。だからこそ、芽衣は恐怖を抱いた。ここは下手に動かず、時間を稼いでおくべきではないか。
その躊躇いは、空気を媒体として依人にも伝わった。
「……なんだ、気が乗らねえのかい?」
本気の力がぶつかり合うことを求める依人にとって、相手のやる気がないようでは楽しくはない。
だから、条件を付けることにした。
「そんじゃ、お嬢ちゃんたちが俺に勝てたら、面白い情報を教えてやるよ」
「……情報?」
「そうだ。絶対に知りたがる情報をなぁ」
いきなり目の前にぶら下げられた餌に、素直に飛びつくほど、結衣も芽衣も馬鹿ではなかった。欲しいものを提示された時ほど、人間が無防備になる時はない。そんな時ほど、慎重な対応が求められるのだ。
だが、提示されたものは、二人にとってあまりにも価値が大きいものだった。
「お嬢ちゃんたちの父親―――月下衛について、俺が知ってること全部ってのはどうだい?」
「え……?」
「なっ……!」
空気が凍る。
……今この男は何と言った?
月下衛と、確かにそう言ったか?
「いいねぇ、いい顔になった。それでこそやりがいがあるってもんだ」
「……何故あなたが父のことを?」
結衣の声は驚愕のためか、幾分涸れている。
「ああ、衛とは昔から戦友でねぇ~ 意見はよく食い違うが、青春っぽく言えば親友みたいなもんでさ。【神々の黄昏《ラグナレク》】の時も一緒に戦ってたんだぜ?」
―――九年前も?
何かが引っかかった。
「……まさか、あなたが父さんを」
―――コロシタノカ?
たったの数回剣筋を見ただけで『月下流』と特定できたのは、前に戦って殺したことがあるからでは?
問いかけの代わりに、殺意が膨れ上がる。
結衣は怒り狂う猛火のように。芽衣は腹底に沈む暗い湖畔に写った影のように。
相反する二つの怒りを受け、華嶋依人は本日一番の、しかし狂った笑みを浮かべた。
「く、くくくく。ゾクゾクしてきた……!」
待ちきれないと言うように……
ゴウッ!
依人は駆け出して、より身近にいた芽衣に、刀を大きく振るった。
それは、見方によっては素人の剣。刃物を、ただ闇雲に振り回しているだけに見えた。
芽衣は、怒りの渦中においても冷静そのもの。剣筋を見切って、受け止める。
「うぐぅっ!」
呻き声を出したのは芽衣だった。
依人の剣は、そのスピードと雑な扱いの割には、信じられない威力を持っていた。
芽衣の刀を、力で無理やり抑えつける。先ほど見事なカウンターを魅せた芽衣の技術を、「力」という一点のみで封じる。
芽衣は痺れる手を動かして、鍔迫り合いの状態から、刃の向きを僅かに横へずらした。
―――月下流陰式『螺旋』
力を受け流し、鍔迫り合いから一転、お互いにすれ違う。唯一異なるのは、芽衣はすれ違い様に身体を反転させたのに対し、依人の身体は芽衣に背を向けたままということだ。
絶好の好機。文字通り隙だらけ。
しかし、芽衣は刀を動かさなかった。否、動かせなかった。
依人の刀は、持ち主が背を向けていてなお、蛇のように芽衣の刀に貼り付いたままだった。
「だから言ってるだろ。衛とはライバルだったんだって。月下流については詳しいんだぜ?」
「ぐ……っ」
「芽衣ちゃん、伏せて!」
姉の声を聞き、芽衣は反射的に身をかがめた。
頭上を結衣の刀が通り過ぎる。その一刀は、芽衣に迫った狂剣を弾き、さらに攻め続けることによって、依人を一歩、また一歩と下がらせた。
「おいおい、速過ぎだ。おっとりした顔して容赦ねぇな」
「……父を殺したのはあなたですか?」
「くっくっく、いやいや、まず前提が間違ってるぜぇ~?」
さもおかしそうに。
「月下衛は生きてるぞ?」
思いの外長くなりそうなので、二つに分けることにします~
最近シリアスパート続きでスタミナが切れそう……
感想お待ちしております~




