43話 黒い波
え~ 毎度読んで下さってありがとう御座います。
いつの間にかお気に入りも増えました。
これからもどうぞ、お付き合いください~
ピリピリと、空気が肌に突き刺さる。
文化祭の一日目を無事に終え、翌日いつものように登校してきた零は、前日との変わり様に眉を潜めた。
別に、目に見える明らかな変化があったわけではない。準備に走り回っている者や、客引きのために階段付近で待機している者など、一見すると何もおかしなことはない普通の学園祭前の光景だ。
だからこそ解せない。この異様な空気の根源が分からない。そのことが、零の心をさらに掻き乱していた。
大地がうねる。狂気が輪郭を結ぶ。
それが地面の穴から虎視眈々と獲物を狙う蛇を想像させ、零はひどく気分が悪くなった。
「零、平気?」
「……え」
「顔色、悪い」
不安気に覗き込む明の顔。それを見て初めて、自分の表情が強張っていることに気が付いた。
額から汗が滲む。
「……いや、なんでもない。ちょっと考え事してただけ」
「考え事?」
「今日こそは仕事の合間に休ませてくれるかなって」
話題を逸らすために零が口にしたことは、結局クラスのことだった。昨日は、予定通り(?)一日中働きっぱなしだった。明は相変わらず男性客からの指名が絶えなかったし、零も零で、一度凄いモノを作ってしまったため、それ以降はコックさんの役割も引き受ける破目になってしまったのだ。結果、女性客の相手と料理の双方に追われ、体力は限界まで削られた。
「昨日一日で相当儲けたはずだし、今日ぐらいは見逃して欲しい……」
「……私もそう思う」
明の無表情が苦笑で崩れる。だが、その表情は明るい。零はそのことに、密かに安堵した。気付いてなさそうだが、彼女自身、意外と楽しんでいるようである。
……何も起こらなければいいけれど。
一抹の不安は残るものの、徐々に騒がしくなる校舎内で自分だけが取り残されていくような錯覚を覚え、零はそれらを思考の隅へと追いやった。
「オッス、天戸。相変わらず夫婦で仲良く登校かい?」
「…………」
「……あり?」
いつも通り元気よく声を掛けてきた義之は、零からの返事がないことで振り上げた手の居場所を無くし、調子が狂ったようにそのまま下ろした。いつもなら、何かしらのリアクションを示す零である。返事がないというのは珍しいことだった。
「おいおい、大丈夫か?」
「……何が?」
「『何が?』じゃねぇよ。まさか、昨日の疲れが残ってんじゃないか? 顔色も良くないし」
まさか義之にまで心配されるとは思わなかったため、今度は零が調子を狂わせる番だった。確かに零は、今日の自分の体調が悪いことを認めていた。だが、それらを極力ポーカーフェイスの内側に押し込めていたため、外見からの変化は微々たるものの筈だったのだ。
「お前の言う通り、昨日の疲れが抜け切れてないだけだよ」
「本当か? ちゃんと寝たんだろうな?」
「……一応ね」
嘘をついた。それでも、義之は「そうか」と言って納得したため、それ以上この会話は続けられなかった。
後に零は、この体調不良が、あるものの前触れだったと気づくことになる。
それは、考えてもみれば当然のことだったのだ。嫌な予感がするというだけで、ましてや零が体調を崩すわけがない。
零が気づかなかったのは、それがあまりにも早かったからだ。
◆◇◆◇◆◇◆
二日目が無事に始まり、時刻は昼。
カルディナ学校一階の階段付近には、珍しい二人組がいた。
「おお、やっぱり人が多いな」
「お義父さん、あんまり一人で進むと迷子になりますよ?」
「どこぞの子供とは違うんだ。こんなジジイが迷子なんかにならねぇよ」
七十歳とは思えないほど軽快な足取りとピンと伸びた背筋。そして、鍛えられた筋肉によって引き締められた肉体が特徴的な老人。その横にいるのは、四十歳を超えているにも関わらず、女学生と言われれば信じてしまうほどの若さを保った美しい女性。
月下家当主雷切、月下重夫と、月下鏡花である。
カルディナ王国において、知らない者はいないとまで言われる存在。しかし、実際に気づくことができる人間はほとんどいないだろう。重夫は、その名こそ知られてはいるものの、目立つことを好まず、そのために姿はごく一部の人間しか知らない。さらに、「東国の『剣聖』がわざわざ学生の文化祭を訪れるわけがない」という先入観も、重夫であるという事実を認識しにくくする手伝いをしていた。
この状況は二人にとって好都合と言えた。彼らは、結衣や芽衣、そして零がいるこの学校に遊びに来ただけなのだ。迷惑とまではいかないが、注目されれば動きにくくなるのは必然。それは非常に窮屈なことだった。
「あれ? お義父さん、スリッパはどうしたんですか?」
「ああ、あれはどうも俺には合わない。やっぱり裸足じゃないと落ち着かなくてな」
「ふふっ お義父さんらしいです。でも、床は決して綺麗とは言えませんよ?」
「ハハッ それもそうか。取って来よう」
誤魔化すように笑うと、スリッパを求めて玄関へ歩き出した。近づくにつれ、騒がしい喧騒が身を包んでいく。
活気があって、いい祭りだ。
満足そうに頷いた瞬間、包んでいた喧騒が一瞬だけ殺気に変わったような気がして、重夫は思わず足を止めた。
…………?
振り返る。誰もいない。
「どうかしたんですか?」
「いや……」
義父が突然足を止めたことに驚きながら、鏡花が問いかける。それに曖昧な返事をしたまま、重夫はその場に立ちつくした。
……気のせいか?
無音になった意識の中に、再び喧騒の波が流れ込んでくる。
「なんでもない。さて、まずはさっそく結衣の様子でも見に行くか」
「あれ、スリッパはいいんですか?」
「ああ、気が変わった」
悪戯っぽく笑うと、重夫は今来た道を引き返し、最後にもう一度だけ振り返ると、再び歩き出した。
◆◇◆◇◆◇◆
―――同時刻。
私服の内側に大量の銃やナイフを隠し持った大部隊が、カルディナ学校の門を潜り抜けた。
その擬装は見事という他はない。
カップルや親友同士の団体など、周囲に見事に溶け込んだ彼らを、一般客と見分けることは不可能に近かった。だから、門の所で案内をしている学生たちも、何の疑いもなく中へ招き入れた。
『全員中に入ったか』
耳に差し込んだイヤホンから、独特なイントネーションの言葉が聞こえてくると、彼らは貼り付けたまやかしの笑顔をそのままに、聴覚に意識を集中させた。
『AからE班は予定通り各教室の前で待機。合図があったら制圧に向かえ。F班は校庭で待機。「卵」の孵化と同時に制圧。残りは職員室前で教員共の動きを抑えろ。また連絡する。それまでは動くな』
彼らの動きは洗練されており、指示を聞く間も、周囲に溶け込むことを忘れていなかった。そして、指示が終わった今も、ごく自然に自分の持ち場へと向かった。
◆◇◆◇◆◇◆
月下芽衣は宣伝のため、1-Aの看板を持ったまま校舎中を歩き回っていた。二日目ということもあり、作り笑いを顔に貼り付ける元気もなくなっていた。
最初の頃のような恥ずかしさも、もうない。それはそれで恐ろしいことだと自覚していたが、一日中着ていれば嫌でも慣れるのだと半ば諦めていた。
しかし、悪い事ばかりではない。慣れてきたため、芽衣の心の中には、純粋に文化祭を楽しもうというゆとりが生まれてきていた。
ふと足を止めたのは、3-Aの教室。そこには、先輩である神無月瑠璃がいるはずだった。
足を止めたのは、それだけが理由ではない。1-Aにも劣らない行列を作っていたからだ。
……どんなことをしているんだろう?
そんな興味は、芽衣に教室を覘かせた。
窓を黒いカーテンが覆っているため暗く、詳しいことはよく見えない。それでも目を凝らしていると、不意に明るい光がぼうっと現れた。
◆◇◆◇◆◇◆
瑠璃は魔力を練った。
手の平に発生する熱の塊を圧縮し、球形に押し込める。術式の火球の応用だ。熱の塊は瑠璃が手を開くと徐々に上昇し、カーテンの隙間から洩れる僅かな日光を受けて虹色に輝きだした。
今度はそれを、五つ同時に生成する。すると、その虹色の球はお互いの光を受けて別々の輝きを見せ、フワリと空中に浮かんで教室中を虹色に染めた。
幻想的な光景に、誰もが息を呑む。
そこで、槍を持った赤髪の少女―――ターナ・ニコラエヴナ・カレーニナが、シャボン玉を割るように、空中で輝く虹色の球を鋭く突いた。
観客の中でアッという声が漏れるのと、パチンと球が割れたのは、ほぼ同時。しかし、その後、ワァッという歓声に変わった。
割れた虹色の球は、まるで花火のように散ったのだ。五つの中に、同じ色の球はなく、さまざまな色で空間を彩っていく。最後にはそれらが星屑のようにキラキラと輝き、儚げに消えていった。
大拍手が起こった。
「凄い……」
廊下からその様子を見ていた芽衣は、純粋に感動した。全てはっきりと見えたわけでもないが、そのレベルの高さは一目瞭然である。なるほど、これなら並んででも見る価値があるだろう。
「なにあれ…… どうやってるの?」
瑠璃が作った虹色の球。いくら魔法の応用とはいえ、割ってみるまで中の色が分からないという魔法は聞いたことがない。学生の域を軽く通り越しているのではないか。
しかし、そんな疑問以上に、芽衣は瞼の裏に焼きついた幻想的な光景に酔っていた。
……零と一緒に見たかったかも。
密かに妄想し、少女は自分で頬を赤らめた。
◆◇◆◇◆◇◆
その時、白は時計を凝視していた。
5、4、3、2、1、0
「時間だ」
そう呟くと、白は座っていた椅子を蹴り飛ばし、カルディナ学校の門を越えた。横には、気を失った生徒が二人。
「総員に告ぐ。時間になった。各々、持ち場を制圧しろ」
無線機に支持を出す。その直後、地震のように大地が揺れた。
◆◇◆◇◆◇◆
最初に異変に気付いたのは零だった。
……なんだ?
気のせいではない明らかな変化を感じ取り、すぐに周りを見渡した。
「あれ? なんか揺れてない?」
「うん、確かに。地震かな?」
徐々に周りからも声が上がってくる。
……地震? いや、違う。
地震は一種の波長だ。しかし、今の揺れには波がない。どちらかというと地響きに近い。
零は窓から外を眺めた。
(特に目立った変化は何も……ん?)
一瞬だけ、大地が揺れた気がした。さらにもう一度。
なんだあれは……?
心臓が早鐘を打つ。零の中で、最悪のケースが浮かび上がった。
大地が黒く波打つ。徐々に押し寄せるその波は、≪視力強化≫を施した零によって、はっきりと捉えられた。
まさか。
波ではない。
六本の足。黒光りする胴体。長く伸びた触覚。そしてギザギザの牙。その昆虫の大軍によって、黒い波に見えていたのだ。
零は最悪のケースが起こったことを悟った。
「みんな、逃げろ!」
声を張り上げる。零にしては珍しい大声に、誰もが驚いて動きを停止させた。
「できるだけ一般客を誘導して広い所へ逃げるんだ! 事情を説明してる暇はない!」
「おいおい、どうし……」
「早くしろ!」
クラスメイトの言葉を遮って指示を出す。
「蟻だ!」
限界まで声を張る。
「蟻の大軍だ!」
その言葉の意味を、果たして何人が理解できただろうか。
カルディナ学校に押し寄せてきた黒い波は、巨大な蟻の大軍だった。
いよいよ両者激突で御座います。シリアスは書くのが疲れる……
感想お待ちしております~