40話 ただひとつ確かなこと
今回は主人公が出てきません。
瑠璃とマリアの長いやりとりになります。
誤字脱字などありましたら教えて下さい~
神無月瑠璃は唖然とした。
別に彼女は、1-Aの大騒ぎを耳にしたわけでも、零の女装を見たわけでもない(残念ながら)。
今は放課後。場所は瑠璃が住むマンション。
いつも通りドアの鍵を開け、いつも通り部屋に入った瑠璃は、そこで初めて、唯一いつも通りでない部屋の床に気付いた。
場合によっては、もっと早く気づいても良かったかもしれない。しかし、注意していないと気づかないものもある。それが、普段通りであることを疑わない自分の部屋ならば尚更だ。
床に散乱するのはパンの袋やお菓子の包み、いわゆるゴミ。
そして……
「ヘロ~~~ ルリリン、おかえり~」
金髪の美女―――マリア・フェレだった。
「なっ…… 何やってるんですか――――!」
「ん? 見てわかんない? ダラダラしてるんだけど」
自分の部屋に予想外の人物が侵入していることの驚きで、口をパクパクさせる瑠璃。それとは対照的に、マリアは床で寝返りをうつと、大きな欠伸をした。
もはや、どちらがこの部屋の主かわからない光景である。
「それは見ればわかりますけど。そ、そもそもどうやってこの部屋に……」
「甘いよルリリン。ボクがこの程度の鍵を開けられないとでも思ってるのかい?」
ニヤリと笑いながら、マリアはピッキング用の針金をこれ見よがしに見せつける。そんな彼女を見て、瑠璃は脱力したように大きな溜め息をついた。【知の権化《ミネルウァ》】たるマリアが、ピッキング程度の技術を習得していないわけがない。
「開けるのに十秒かからなかったよ」
「だからって入らないで下さいよ……」
不法侵入。
立派な犯罪である。
「住所はどうやって知ったんですか?」
「フッフッフ、ボクに知らないことはないのだ。全てお見通しさ」
「はぁ……」
「ちなみに今日のルリリンの下着は水色」
「なっ!」
慌ててスカートを抑える。
図星だったため、動揺も一際大きかった。
「だって、ボクは寝ててルリリンは立ってる。この位置関係で、さらにはそのスカート丈じゃあね。どうしたって見えちゃうよ。ボクに否はない。下からのガードが甘いルリリンが悪い」
「う…… でも、だからっていちいち言わなくていいですよっ! だいたい、下に寝転がってるなんて誰も考えませんから!」
真っ赤になって抗議する瑠璃を、「まーまー落ち着きなさい」と言って冷静に宥めた。
そもそも誰の所為かと問われれば元も子もないのだが。
「……はぁ~ 話を戻しますよ」
すっかり疲れ切ったように、瑠璃は本題を切り出した。
「何で私の家に?」
「んー そのことなんだけどね。泊めて貰おうかと思ってさ」
「どうしてそう話がいちいち急なんですか!?」
バンッと床を叩く(先ほどの失敗も踏まえて、瑠璃は床に座っている。マリアは相変わらず寝転がっている)。
「だって~ 一応この国からホテルは提供されてるけどさ~ あそこ息苦しくて苦手なんだよね。おまけにつまんないし」
「まぁ、気持ちはわかりますけど……」
瑠璃も他国のホテルに泊まったことがあるが、高級過ぎていまいち落ち着かなかった。《組織》の人間へ、国からの気遣いなのだろうが、寧ろ迷惑なくらいだ。マリアのような自由を好む人間にとっては地獄に近いだろう。
しかし、だからと言って急に、しかも何の断りもなく部屋へ侵入されても堪ったものではない。
何の反省も示さず、普段通りの笑みを浮かべるマリアを見て、瑠璃は複雑な感情に襲われた。
「それに、ルリリンと色々お話したいし。久しぶりに聞きたいこともあるしさ♪」
「……へ?」
突然マリアから悪意を感じ、対する瑠璃の返答は、思いがけず間抜けなものとなってしまった。
自分の留守中に、何か変なものでも見られたのだろうか。
不安を滲ませる瑠璃とは裏腹に、マリアはニヤニヤと楽しそうな表情を浮かべると、後ろからゆっくりとそれを取り出した。
「この写………」
「わ――――――――――――!!!」
反射的に、叫ぶ。
それは、かつて校内模擬戦の時にターナから貰ったもの。
一度は飾ってみたものの、恥ずかしくなって結局やめてしまったもの。
零の写真だった。
「いいなコレ。ボクも欲しい」
「いや、えっと……」
「せっかくキレイに写真立てに入ってるのに飾らないの? 勿体ない」
「その、ちょっ……」
「あ、そっか。ルリリンの夜のオカズか」
「違います!」
そこだけはキッパリと否定した。
そのまま流れで「はい」と言わせようというマリアの魂胆は失敗に終わり、また新たなネタを探そうと試みるも、「止めて下さい。追い出しますよ」という瑠璃の一言で、渋々引き下がった。
過去の経験からも、マリアを調子に乗らせると後々が大変と分かっているので、途中でしっかり釘を刺しておくことは重要なことだった。この経験がなかったら、今もその巧みな舌回りで弄り倒されていただろう。それを考えると、過去に散々からかわれたことも無駄ではなかったなと思い、恥ずかしさでくらくらする頭を、なんとか正常に働かせようと努めた。
「ふむぅ~ その様子だと、ゼロちゃんとの関係は昔と全く変わってないみたいだねぇ」
「……まぁ、はい」
「ボクなんか半裸のゼロちゃんだって見たことあるのにさ~」
もしもこの場に零がいたら、なんてことを言うんだと怒鳴っただろうか。あるいはこれを聞いていたのが瑠璃だけだったことにほっとしただろうか。
なんにせよ、聞く人が聞いたら飛び上がりそうな話に、瑠璃は驚かなかった。それは、マリア・フェレという人間をそれなりに知っているからでもある。
彼女の本業は研究者。しかし副業として、医師としての顔も持っている。今回マリアが東国を訪れた建前は、カルディナ学校の文化祭開催時に事故などが起こった場合、医療班の一員として対処することだ。そんな彼女には、瑠璃も任務中の負傷を手当てして貰ったことがある。よって、零が治療のため、マリアにそんな姿を見せていたとしても、おかしくはなかった。
そういえば、マリアに治療して貰ったのも、もう随分と昔の話になる。まだ《組織》に属して間もなかっただろうか。今では完全な遠距離派の人間としての戦闘スタイルを確立させ、怪我をすることも滅多になくなったが、昔はよく血を流したものだ。その度にマリアの「治癒」にお世話になっていた。
「一番変わったのはルリリンかもね。肉体的にも、精神的にも」
同じく過去に思いを馳せていたのか、不意にマリアが言葉を漏らした。
「変わったのは、やっぱりゼロちゃんと出会ったから?」
「……そんなに私って分かり易いですか?」
「うん。すごく」
瑠璃の力ない問いかけを、容赦なくバッサリと切り捨てる。
「ゼロちゃんに合わせてコーヒーに挑戦するし」
「う……」
「ボクが作った病人用スープには口付けないのに、ゼロちゃんが作ると頑張って飲もうとするし」
「マリアさん、もう止めて下さい……」
「あ、ゴメンゴメン。でも、ゼロちゃんに出会ったからっていうのは事実でしょ?」
ピクリと反応し、瑠璃は動きを止めた。
窓から吹き込んだ風が、その髪を揺らしていく。
やがてしばらく経ってから、瑠璃はゆっくりと話し出した。
「マリアさんも知ってると思いますが、私の家って裕福だったんですよ。毎日幸せでした。とは言っても、あまり覚えていないんですけどね」
小さく笑う。
懐かしむように、けれどどこか苦しそうに。
「その家庭が壊れたとき、たぶん『私』という存在も一度壊れたんだと思います」
その日、いつまで経っても両親は帰って来なかった。
電話を握りしめ、待っても待っても帰って来なかった。
次の日の朝、骨になった両親と対面した。
意味が分からなかった。
死ってなに?
もう二度と会えないってどういうこと?
どうして?
―――嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
「狂ってましたよ。あの時は」
三日間泣き続け、痩せ細って、眼球は半分飛び出た。
涙は枯れ、目の血管が切れて血が流れた。
自分は不幸だと思った。
生まれて初めて神を呪った。
「こんなに悲しいなら、『家庭』なんて最初からなければ良かったとも思いましたよ。愚かにも……ね。でも、よく考えたら、零は『家庭』をまるで知らないんですよね」
瞳に冷たい闇を宿した少年。
初めて見た時は、その冷たさに恐怖すら抱いた。
だが後に気付いた。その哀しさに。
『家庭』の暖かさを知らない。
親の愛情も、その強さも知らない。いや、知ることが許されなかった。誰からも愛されず、ただ一人で生きていた。
「それって、いくらなんでも哀しすぎるじゃないですか…… しかも『哀しい』って思うことすらないんですよ。だって最初から知らないから」
「……うん、そうだね」
ここまで来て、静かに黙っていたマリアが小さく同意した。
「ボクもね、時々ゼロちゃんが分からなくなる。ボクを育ててくれた叔父さん…… もういないけど、愛情だけはボクの中に残ってるし、それのお蔭で今こうして生きていけると実感することもある。けど、天戸零にはそれがない。彼は一体、何を支えに生きてるんだろう……ってね」
想像してみる。
世界が自分独りきりであることを。
想像してみる。
世界中から恨まれながらも、生き続けなければならないことを。
彼は何を求め、何を支えに生きているのか――――
「ただひとつ確かなことは、天戸零にとって、この世は不幸の連続ではないということだ」
「え?」
マリアの真っ直ぐな眼差しに、一瞬反応ができなかった。
その瞳に写るのは確信。そして―――未来。
「今こうして、ルリリンのような理解者が傍にいる。月下家のような『家』もある。そして、同じ境遇ゆえに感情を共有できる少女がいる。それは間違いなく天戸零の支えになってるよ」
「そう……ですかね」
「そうだよ。だからこれからもさ」
頼むよ。彼は今日、苦しい方の道を選んだから―――
最後の台詞は言葉にならなかった。
自分でないのが悔しかった。
自分では力不足なのが辛かった。
「……マリアさん?」
「まぁ、それはそうとして」
ケロッと何事もなかったように―――
笑う。
それが今自分にできる唯一のことだと悟った。
「ルリリンがゼロちゃんにベタ惚れだということはよ~く分かりました」
「……え?」
「ルリリンが初めてをゼロちゃんに捧げるつもりでいることも分かりました」
「い、言ってませんよ!」
「じゃあ、お腹減ったからなんか作って~」
「どこまで勝手なんですか!?」
真っ赤になって叫ぶ瑠璃の頭を撫でながら、聞こえないように小さく呟く。
―――頼むよ
日はすっかり沈み、辺りは暗くなっていた。
書いてて感じましたが、瑠璃はMですね~(笑)
次回は文化祭一日目(の予定)です~
感想お待ちしております~